第11話 名前と距離感
揺らぎの中は、相変わらず静か。
静かすぎて、逆に落ち着かないな。
五人は、事務所の端で動かない。
体は元気、なのに動かないんだよな。
まあ、そうなるか。
今まで、命令でしか動いてないんだし。
「座れ」って言われてないから座れない、
「食え」って言われないと食えない。
……どうしようかなあ。
「……あー、その」
「命令じゃないから」
「腹減ってたら、普通に食べて」
自分で言ってて情けなくなる。
説得力ゼロだ。
最初に動いたのは、また猫耳の子だった。
恐る恐る手を伸ばして、パンを一つ取る。
ちらっと、上目遣いで俺を見るんだよ。
猫耳の上目遣いに、逆らえる訳がない。
俺は、ちょっと格好つけて言う。
「いっぱい食べな」
それでようやく、他の四人も動き出した。
犬獣人の女が、子供みたいな動きでパンを割る。
噛む、飲み込む、……泣く。
声は出さない、肩は震えてる。
ああ、きついなあ。
こういうの、ほんと苦手だわ。
「えっと……」
「無理に話さなくていいから」
「まずは、しっかり食べなよ」
俺はソファに座って、天井を見る。
ここに来てから、ずっとそんな感じだ。
頭では整理できてる。
感情も、ちゃんと残ってる。
でも、どう接していいかは分からない。
暫くして、犬獣人の女が立ち上がる。
躊躇いながら、俺の前に来た。
距離、近いよね?
いや、近いっていうか、近すぎる。
「……あの」
声が小さい。
俺は思わず背筋を伸ばす。
「はい」
次の瞬間だった。
彼女が膝をつき、手を伸ばしてきた。
……あ、これ。
理解した瞬間、脳内が一気に騒がしくなる。
いやいやいや。
違う。
違う違う。
「待って待って待って」
「それは、違う」
俺は慌てて両手を振る。
完全に挙動不審だ。
「えっとさ、今それされると」
「俺がすごく困るのよ」
犬獣人の女は、困惑した顔で固まった。
理解できない、という目だ。
そりゃそうだ。
これが仕事だったんだから。
だけどな、素人DT舐めんな。
「急に何で?」
「あなたに、食事を貰った」
「あなたは、群れのボスだから」
ああ、そういう認識か。
なるほどなあ。
「うん、違う」
「俺、群れのボスじゃないからさ」
「ただの……運が良かった人間だよ」
自分でも、何言ってんだ感がすごい。
「それにさ」
「今の君、奴隷の考え方しかできてない」
きつい言い方だ、分かってる。
でも、ここは言わないとダメだと思う。
「それを治してから、だね」
「もしそれでも、俺を選びたいなら」
「……その時に、考えるよ」
正直、俺自身が一番混乱してる。
ケモ耳美人が目の前にいる。
距離も近い、匂いも分かる。
俺は、スケベで善人でもない。
それでも、今じゃないのは分かる。
犬獣人の女は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく頷く。
「……よくわかりません」
「でも、覚えます」
それでいい。
今は、それで十分だ。
空気が少し軽くなった。
俺は猫耳の子を見る。
「なあ」
「君、名前ある?」
首を傾げる。
「……ない」
だよな。
予想はしてた。
「じゃあさ」
「仮でいいから、決めよう」
「呼ぶのに不便だし」
猫耳の子は目を輝かせた。
そこは分かりやすい。
「猫だから……ミケ?」
「いや、安直すぎるか?」
ミケは一瞬考えて、嬉しそうに頷いた。
「みけ!」
可愛い。
ずるい。
やっぱ猫耳最強、間違いない。
他の四人も、戸惑いながら名前を受け取る。
犬獣人のあの子の母は「ニナ」。
理由?名つけの二番目で女神の名前。
同じく犬獣人のタレ耳さんは「サン」。
三番目だから、あと一応太陽にかけた。
うさぎのタレ目さんは「シキ」。
これも四番目と四季にかけた。
キツネさんは「ゴロネ」。
五番目で、名前つける時に寝てたから。
深い意味はない。
安直だと思うが、俺には精一杯だ。
一通り落ち着いたところで、俺は言う。
「ここでは誰も、命令しないし」
「殴られないし、売られないんだ」
一拍空けて、みんなの顔見ながら言う。
「その代わり、自分で考えてみよう」
「分からなかったら、聞いて」
彼らには難しい話だろうな。
でも、避けては通れない。
そのときミケが、棚の本を指差したんだ。
「……これ」
「もじ、よめる」
俺は一瞬、固まった。
「あれ?」
「君たち獣人って、文字が……」
ああ、そうだよ。
言語チート、音声だけじゃない!
「みんなも読めるのかい?」
すると、みんな読めるという答えだった。
「……そうか、読めるんだ」
一気に道が開けた気がした。
「よし!」
「じゃあ、まず絵本からな」
俺は棚の子供向けの本を引っ張り出す。
道徳とか、生活の話とか。
ボブ爺のシェルターに入ってたやつだ。
シェルターには本が大量にある。
子供向けは紙で、それ以外はデータで。
ボブ爺は、知識を残そうとしてたみたいだ。
それが、異世界で生きるとは思わないだろうな。
「一日六時間読もう。仕事みたいなもんだ」
「サボってもいいけど、サボったら俺が泣く」
冗談だ。
多分ね。
ミケが笑った。
ちゃんと笑った。
それを見て、胸が少し温かくなる。
残ってる。
ちゃんと、感情が。
俺はソファに沈み込む。
「まあ、何とかなるでしょ」
完璧じゃないだろ。
正しいとも限らないかも。
でも、前には進んでるんじゃないかな。
今日はそれでいい。




