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【短編小説】脚の短いガードレールに花束を、夏。

掲載日:2025/12/14

 空になった缶コーヒーを思い切り蹴飛ばした。

 遠くに転がった空き缶が鳴り響く音がひどく虚しい。

 おれはいつもそうだ。

 嘘ばっかりだ。

 もうその影は踏めない。

 匂いを嗅げない。

 その熱を感じることはない。

 さようならは別れの言葉だった。


 からん、からん。

 転がり続ける空き缶の音は乾いていた。


 


 スマホが鳴ってショートメッセージの着信を知らせた。

 タイトルはなく、「今夜プールの月を見に行こう。校門の前で待ち合わせだ」という文面だけのメールだった。

 絵文字も何もない質素なメッセージは女らしさを感じさせない。

 いまさらおれに対してそんなものを発揮するのもどうかと言うことだろうか。

 その近さは親しみなのか、その遠さは牽制なのか。

 「彼氏はいいのか」と返す。

「今夜はいいんだ」とだけ返される。

「そうか」と返してスマホをポケットに押し込む。

 

「よっ」

 校門の前には白いワンピースを着た女が立っていた。

「怪談話かよ」

「夏だからな」

「そのうち近所で噂されるぞ、校門のところに変な女が立ってたって」

「大丈夫だよ、その時にはお前も不審者として通報されてる」

「冗談じゃねぇ」

「じゃあ、はい」

 そういってペンチを手渡してきた。

 グリップに残る熱が手を灼く。



「なにこれ」

「フェンスを開けるのに必要だろ。こっちはワンピースだからな、大きめに頼む。破けたら怒られるから」

 誰に、とは訊けなかった。

「本気で言ってるのか」

「私が本気じゃなかった事なんかあるか?」

 それもそうだ。

 だからこうしてここにいるんだ。

 手渡されたペンチで不格好な穴を開けたフェンスを潜ると、そこは見慣れない夜の校庭が広がっていた。



「暗くなってから見ると、案外と広いものだな」

 ワンピースを引っかけないよう、ペンチで破ったフェンスを慎重にくぐってからそう言うと、さっさとプールに向かって歩き出したので慌てて追いかけた。

「待てよ」

「ん、怖いか。手をつなごうか」

「そうじゃない」

 そうやって何度も機会を逸した気がする。

 そんなことばかりだ。

 


「そんなに悪いものじゃないな」

 おれは夜空を見上げながら言った。

 隣りを見てしまったら自制が効きそうにない。

「素直に言えよ」

 転がるように吹く風が鼻をくすぐる。

 その風にただよう香水の名前をおれは知らない。

 自分で買ったのだろうか。それとも誰かに贈られたものだろうか。

 小さな棘が心臓を刺す痛みをやり過ごそうと、手をきつく握りしめた。

「あぁ、嫌いじゃない」

 震えそうなのがばれないように顔をあげる。



 四角いと思っていた空は広い。

 その群青の中で名前を知らない星がいくつも光っていた。

「あの星はなんていうんだ」

「どれだよ」

「あれだ」

「指をさされてもわかんねぇよ」

「そうだな」

「まぁ、名前なんていいんじゃねぇか」

「そうだな」

 名前を知らないからよいこともある。

 でも名前がないから越えられない線もある。


「知りたいか、名前」

 風がひるがえって匂いが遠ざかる。

「どれがアルタイルなのかもわからない」

「そっちじゃない」

 鼻を鳴らしていたのがバレたのだろうか。

 恥ずかしさで体温があがる。

 ぬるい風が汗をかいた肌をなでる。

「名前を知ったところで何もわかりゃしないだろ」

「そうだけどさ」

「煙草吸うか」

「欲しいな」



 おれは胸ポケットから煙草を取り出した。

「左胸にショートホープはなにかの冗談か?」

「声にしたら消えてなくなる洒落だ」

「火もくれ」

 手を伸ばして火のついた100円ライターを差し出す。

 二筋の煙が丸みを帯びた夜風に煽られて絡まっていった。

「ナメクジの交尾みたいだな」

「それはどうなんだよ」

「官能的な表現のつもりだったんだけどな」

「詩的センスは無いんじゃないか」

「それなら黙ってるのが一番いいな」



 そうしておれたちは空を見ながらだまって煙草を吸っていた。

 もう煙が絡みあうことはなかった。

 そうしてショートホープが燃えつききる頃に聞こえた声はすこしだけ震えを感じた。


「いつから?」

「さぁな」

「言えよ、今さら照れてんのか。暗くて顔も見えねぇのに」

「だからだよ」

「別にいつからだっていいじゃねぇか」

「まぁそうだけど」

「そうだろ」

「別に押し倒されたっていいのに」

「そっちからいうなよ」

「手が遅いのはダメだぞ」

「放っておけ」

「だから取られるんだよ」

「そうだろうな」

「そうだよ」

「まぁ、仕方ねぇ」

「それで済ませられるのはお前だけだよ」

「そうか」

「そうだよ」

「うん」

「なぁ、わたしの気持ちはどうなるんだ」

 風はぴたりとやんだ。

 


「聞いた事ねぇじゃん」

「訊かれなかったからな」

「言えよ」

「いやだね、言いたくない」

「なんでだよ」

「これでも乙女だからな」

「あぁ、全くだ。いまさら思い知ったよ」

「そうだろう」

「なぁ」

「なんだい」

「ありがとうな」

「……あぁ」

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