80 最奥と神獣ベヒモス 1
ルーシーを先頭に、俺とアンガスが両脇に並んで部屋に入った瞬間だった。
「っ!…ぐああぁっ……」
ドゴッ、という鈍い音が響き、ルーシーが背後の壁に吹き飛んで激しくぶつかった。
俺は慌てて自分とアンガスに防御結界を掛け、さっとその場から離れた。
〝そいつ〟は、俺たちが対応できない速さで移動し、ルーシーに強烈な打撃を加えた後、今はまた部屋の中央に何事もなかったように立っていた。
「ルーシーッ! 大丈夫か?」
〝そいつ〟に目と神経を向けながら、俺は背後にいるホムンクルスの従者に叫んだ。
「やってくれるのう……主殿、そいつは転移を使って移動するぞ、気をつけるのじゃ」
俺には見えなかったが、ルーシーの腹部には穴が開き、首も折れ曲がっていた。しかし、魔石を破壊されない限り、彼女は不死身であり、無限に自己再生できる。
すぐに再生しながら立ち上がると、俺の横に歩いてきた。
「転移か……厄介だな……」
俺は部屋の中を見回しながら、必死に対策を考えた。
「っ! 来るぞっ」
ルーシーの声とともに、〝そいつ〟の姿が消えた。
次に狙われたのは俺だった。ドガッという音の次に、バリンッと結界が破壊された音が響いた。だが、幸いなことに、俺の体にはそいつの攻撃は届かなかったようだ。
俺は慌てて結界を張り直しながら、場所を移動した。
(なあ、ナビ、あいつが連続で攻撃できないのは、転移の位置を計算しているからだよな?)
『はい、そうだと考えます。ただ、こちらが動き出せば、ランダムの転移を繰り返しながら、通常の動きも交えて攻撃してくると思われます。むやみに動くのは危険です』
(そうか。転移は空間魔法だよな……じゃあ、こっちも空間魔法で対抗するか)
「ルーシー、アンガス、しばらくその場を動かないでいてくれ。結界は何度でも張りなおせるから、心配しなくていい」
「うむ、分かった。何か、作戦があるのじゃな?」
「ああ、あいつに見破られないならな……そうだ、ルーシー、魔力制御を解いて、辺りに魔力を放出してくれないか?」
ルーシーは頷くと、一気に体外に魔力のオーラを放出した。俺はその間に、彼女に結界を掛け、ある魔法の発動を準備した。
(ナビ、ルーシーの前方一メートルの座標を頼む)
『了解』
〈メタルアンドロイド〉(俺はそいつをそう名付けた)は、ルーシーの魔力に反応して警戒する動きを見せた。
次の瞬間、そいつはいきなり体を金属球に変化させ、猛スピードで部屋の中を転がり始めた。壁や天井を視認が困難なほどの速さで移動しながら、死角からぶつかってくる。
バリンッと誰かの結界が壊される。そのたびに、また結界を張り直す。こちらからは、そいつの動きが速すぎて物理攻撃も魔法攻撃もできない。一方的な蹂躙だった。
ルーシーやアンガスが、相手の動きを予想してパンチや剣を繰り出すが、空を切るばかりだ。
(よし、準備はできた。後は、タイミングを合わせるだけだ。奴はルーシーを最大の脅威とみなしているはずだ。つまり、ルーシーが攻撃魔法を発動すれば、それを阻止しようと……)
「ルーシー、どんな魔法でもいい、特大の魔法を撃つ真似をしてくれ、真似だけでいい」
「了解じゃ」
ルーシーは頷くと、中央の付近に巨大な闇属性のボールを出現させた。
「こいつを一発でもお見舞いしたいのじゃがのう」
ルーシーが悔し気にそうつぶやいた直後だった。バリンッという音とともに、メタルアンドロイドボールが、彼女を攻撃した。
(当然、攻撃するよなあ、今だあああっ、〈ルーム〉っ! 収納っ!)
そいつは、結界を壊した後、ルーシー本体を二次攻撃するため一、二秒ほど動きを止めた。そこが俺の狙い目だった。
準備していた亜空間を開き、瞬時に収納したのだ。
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しばらくの間、そのドーム状の空間の中はシーンと静まり返った。
俺たちは三人とも、きょろきょろと辺りを見回し、また、あの不快な金属の光がどこかに現れないかと身構えていた。
俺も心の中で、メタルアンドロイドが〈転移〉で亜空間から抜け出してくるのではないかとひやひやしていた。
しかし、奴は二度と現れることはなかった。
「お、終わったのか? 何をしたのだ、主殿?」
「何か叫んでいたが、どんな魔法を使ったのだ?」
ルーシーとアンガスが、ようやく警戒を解いて俺の側にやってきた。
俺はその場にへなへなと座り込んで、ため息を吐いた。そして二人に、俺が考えた作戦と亜空間にメタルアンドロイドを閉じ込めたことを話した。
二人は真剣に俺の話を聞いていたが、聞き終えると呆れたように苦笑した。
「空間魔法そのものが難しいのに、よくもまあ、そのように正確な位置に発動できたものじゃな」
(まあ、ナビさんがいなければ無理だけどね)
「それにしても、あの金属の魔物はどういう理屈で動いているんだ? 形状を瞬時に変えられるということは、普通の金属ではないのか?」
アンガスが、珍しく熱心に俺とルーシーを見ながら質問した。
「我にもよく分からぬ……が、移動に転移を使うということは、内部に思考し魔力を蓄えられる機能が存在する、ということじゃ。それが魔石ならば、我と同じ〝魔物〟と呼ぶべきじゃろうのう。金属の形態を自由に変える仕組みは、とんと見当もつかぬ」
俺は、前世の映画で見た未来から来た〝流体金属の暗殺アンドロイド〟のことを思い出しながら、ルーシーの話を聞いていた。
アンガスはその後も、ルーシーにいくつかの質問をして説明を聞いていた。
「さて、少し休憩したら行くか」
俺の言葉に、二人は話をやめて、真剣な表情で頷いた。
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四十階層から先は、新たなエリアは出現しなかった。二、三体のメタルスライムと一体のメタルゴーレムと遭遇しただけである。そのほとんどを、アンガスが魔法、ルーシーが物理攻撃によって倒してしまった。
俺は、ここにきて、一つの仮説を導き出した。
『今回、ベヒモスがダンジョンに入ったことで、大きな影響を受けたのは二十階層より上の魔物たちなのではないか。つまり、もともと強い二十階層から下の魔物たちはさほど影響は受けなかった。今までより少し強くなったくらいだ。しかし、比較的弱い魔物たちは、ベヒモスの強大な魔力によって大量に作られた小さな魔石をもとに受肉し、今回の事態を引き起こしたのではないか』と、いうことである。
まあ、仮説にすぎないが、当たらずとも遠からずという気がしている。
ともあれ、俺たちは、三つの階を難なく踏破し、ついに最奥の扉の前に立っていた。
「この奥には、古竜もいるんだよな? あるいは、もうベヒモスに倒されているかもしれないが……」
「おそらく、倒されているであろうな。ベヒモスがそれで満足しておれば良いがのう」
「とにかく、行くしかあるまい」
アンガスの言葉に、俺とルーシーも頷いて、ゆっくりと扉に両手を伸ばした。