75 再会 2
「ここから東へ少し行ったところを奥に四、五百メートル進むと峡谷がある。その峡谷の突き当りに大きなダンジョンが口を開けている。魔物は、そのダンジョンの中で次々に生まれ、外に出てきている……」
「なるほど、やはりダンジョンが原因だったのか。だったら、そのダンジョンの一番奥にある〈コア〉を破壊すれば、魔物は生まれなくなるんだろう?」
俺の言葉に、アンガスははっきりと首を振った。
「無理だ……ダンジョンの最奥には〈神獣ベヒモス〉がいる」
「は? え? し、神獣?」
俺は混乱して、後の言葉を失った。
『まさか、信じられません。〈ベヒモス〉は、〈リバイアサン〉の背に載って天空を移動しているという《破壊神の神域》を守護している伝説の神獣です。地上にいるはずはありません』
ナビも困惑したような声でそう言った。
「信じられないわよね。私たちも聞いた時耳を疑ったわ。でも、これは事実なの……なぜなら、これは私たち魔族の始母神アレッサ様から直接うかがったことだからね」
アリョーシャさんが、諦めたような笑みを浮かべてそう言った。
「アレッサ様? 俺、つい一週間ほど前、魔族の国でアレッサ様に会ったけど……」
俺の言葉に、今度はアンガスとアリョーシャさんが目を丸くして驚く番だった。
「「は? ええええっ!」」
噛みつかんばかりの勢いで問い正そうとする二人を、何とか落ち着かせながら、俺は魔族の国に行ったいきさつと、魔族の国での出来事を大まかに説明した。もちろん、最後にアレッサ様からことづかったアンガスへの伝言もちゃんと伝えたよ。
「……なんと、そんなことが……」
「驚くことは続くのね……二日前にアレッサ様からのご神託があって驚いたばかりなのに……」
「アレッサ様は、確か神域に帰られるとおっしゃっていたけど、神域の守護獣が降りてきたことと関係があるのかな?」
俺の問いかけに、アンガスが頷いて答えた。
「ああ、その通りだ。アレッサ様は長らく神域を離れて、地上におられた。その間、神域は他の神々が交代で管理していたらしい。ベヒモスはそれがずっと不満で、イライラが溜まっていたらしいのだ。それで、アレッサ様が神域に戻られたのを幸いに、地上に降りてうっぷん晴らしをしたらしい……」
俺は聞きながら、頭を抱えてため息を吐いた。
「まさか、そのうっぷん晴らしというのは……」
「……ああ、ダンジョンの奥に巣を作っていた〈古龍エンシャントドラゴン〉たちと喧嘩することだ……」
「うわぁ…なんてことを……」
俺は思わず天井を見上げてつぶやいた。
「……例のダンジョンは、この星最古のもので、地下四十三階層もあるらしい。だから、最奥の階層でかなり暴れても、本来なら地上には影響は出ないはずだった。だが、一頭の古龍が最奥から逃げ出して、上部の階に出ていってしまったらしいのだ。それで、上部の魔物たちが押し出される形で逃げ出したらしい。しかも、古龍の魔力で、各階層に散らばっていた魔石が一気に受肉して、魔物の数が激増してしまった。
それが、今回のスタンビート寸前の状況の原因というわけだ……」
しばらく、誰もしゃべらない沈黙の時間が流れた。
アリョーシャが、すっかりぬるくなったお茶を入れ替えるためにキッチンに向かった。
「ベヒモスに天空へ帰るよう、アレッサ様に命じてはもらえないだろうか?」
俺は、唯一の解決策と思われることを言ってみたが、答えは想定通りのものだった。
「アレッサ様も、何度も命じておられるが、ベヒモスは言うことを聞かないらしい。というのも、アレッサ様は長らく地上におられたために、神力をほとんど失ってしまわれたようなのだ。元のお力を取り戻すには、あと千年の時が必要らしい。
神獣が従うのは、神だけだ。つまり、今のアレッサ様をベヒモスは〈神〉と認めていないわけさ。だからといって、ベヒモスがやったことは、明らかに神界の掟に反する行為だ。いずれ、相応の罰が下されるだろう。ただ、それまでに、この星が滅亡しなければ、の話だがな……」
アンガスは苦悶の表情を浮かべながらそう語ると、深いため息を吐いた。
「私たちもね、できるだけ強い魔物を減らそうと頑張っていたのよ。でも、二人の力じゃ限界があって……」
俺は二人の話を聞きながら、何度も小さく頷いていた。
「お茶を入れ替えたわ、おいしいわよ。どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
俺は礼を言って、さわやかなハーブの香りがするお茶を一口すすった。
「つまり…ベヒモスは、自分より強い者じゃないと従わない、ということだね?」
俺はテーブルを見つめながら言った。
「あ、ああ、それに加えてアレッサ様の使いであるという証拠が必要だと思う」
「これは、証拠にならないか?」
俺は、ケイドスとアレッサ様の魔力が込められたミスリル製の印章をストレージから取り出してテーブルに置いた。
二人は驚いて、思わず椅子から身を乗り出しながら印章に顔を近づけた。
「す、すごい……これは冥界の王ケイドス様の印章……それにアレッサ様の魔力も感じられる……」
「……トーマ君、あなた、何者なの? とても、ただの人族の少年とは思えない……」
(はい、まあ、普通ではないことは認めます。なるべく普通に生きようとしている異常な人間です)
「トーマ、これならアレッサ様の御使いという証拠として十分だ。だが、ベヒモスは神獣だ。エンシャントドラゴンが群れになってようやく互角に戦えるような相手なのだぞ。誰が立ち向かえるというのだ?」
「ベヒモスがどのくらい強いのか、想像がつかないんだけど、古竜三匹くらいなら勝てる奴を一人知っている。そいつと俺、そしてアンガス、あんたと三人で戦えば、勝てるような気がするけどな」
俺の言葉に、またしても父娘はあんぐりと口を開いて言葉を失った。
「ま、待て、頭が追いつかん……まず、そのもう一人のとんでもない奴は誰のことだ?」
「ああ、じゃあここに呼び出すから、驚かないでくれよ」
「よ、呼び出すって、もしかして〈転移〉を使えるの?」
「うん、そういうことだ。ちょっと変わった奴だけど、いい子だぞ」
俺はそう言うと、腕輪に魔力を通して呼びかけた。
(ルーシー、聞こえるか? ちょっと来てくれないか)
『は~~い、お呼びかの、主殿?』
まるで近くに待ち構えていたかのように、ルーシーが空間の一点からシュルシュルと現れて、テーブルの上でニコニコしながらポーズをとった。
「ああ、よく来てくれた。まずは、テーブルから降りろ。それと、魔力を抑えろ、ほら二人が怖がっているだろうが」
「おお、これはすまぬ。よっと……ん?よく見ればそなたたち、魔人ではないか?」
ルーシーはわざわざ一回転してテーブルから飛び降りると、魔力を制御しながら、椅子から落ちそうになって怯えているアンガス親子に目を向けた。
「アンガス、アリョーシャ、紹介するよ。この子は獣人の国のドーラの街にあるダンジョンの主で、ルーシー、一応、俺の使い魔ということになっている」
「ルーシーじゃ。一応ではなく、れっきとした主殿の僕じゃ、よろしく頼む」
事前に聞いていたものの、想定外の現れ方とその恐ろしいほどに溢れ出ている魔力に、気が動転していたアンガスとアリョーシャ父娘は、ようやく少し落ち着いて頭を下げた。。
「「よ、よろしくお願いする(します)」」