69 閑話『アンガスは、今……』 3
閑話が少し長くなりましたが、あと一話で終わります。
アンガスは、個人的に好きなキャラなので、つい力が入ってしまいました。
その後、俺は気を失い、二日間眠り続けた。
ようやく意識を取り戻した時、俺は一人でベッドに寝かされていた。周りには誰もいない。しばらく、ぼんやりと魔石ランプの黄色い光を見つめていた。
怒りと衝動のまま、息子の仇を討ちに出かけ、妻たちにはずいぶん心配をかけただろう。息子を失った直後のことだ、もしかすると、エリーシアも義母上もアリョーシャも、正気を失っているのではないか。たとえ、正気でも、いままでのような普通の生活はできないのではないか。
俺の心には、そんな不安が次々に浮かび、暗い絶望の中に沈んでいった。
ガチャリ、と音がしてドアがゆっくりと開かれた。
「あ、あなた……」
桶とタオルを持って、エリーシアが何とも言えない表情で、そこに立っていた。
「エリーシア……すまない、心配をかけ……」
俺の言葉が終わらないうちに、その場にお湯の入った桶を落としたエリーシアは、俺の体の上に飛び込んできた。そして、しばらくの間、子どものように泣きじゃくった。
♢♢♢
俺の心配は杞憂だった。
息子の死は、確かに死に等しい衝撃だったし、俺が衝動的に仇討ちに出ていったことも不安でしかなかった。だが、それは、この魔物が跋扈する地で生きていこうと決めた日から、覚悟していたことだった。
この地は、悲しみに打ちひしがれたまま生きていけるほど、甘くはなかった。明日にでも、復讐に燃えたワイバーンの群れが襲ってくるかもしれない、それどころか、ドラゴンがこの辺りを遊び半分で破壊するかもしれないし、魔物の大群が来襲するかもしれないのだ。
それに、自分たちにはまだ愛する娘アリョーシャがいる。なんとしてもこの子を守らねばならなかった。
そう心を切り替えたエリーシアと義母上は、俺がいなかったこの一週間に、住居の周囲の防御結界を強力にしたり、収穫できる作物はすべて収穫したり、迎撃用の魔道具を製作したりしていたという。
「これは、魔力を遠方に打ち出す〈魔導砲〉です。この魔石を入れ替えれば、いろいろな属性の魔力を相手にぶつけることができます」
エリーシアはそう言って、銀色に光る金属でできた携帯型の銃砲を差し出した。似たような大型の大砲はラパスでも見たことがある。しかし、これほど洗練された小型のものは初めてだった。エリーシアはやはり天才だ。
「すばらしい……エリーシア、俺は何があっても君を、義母上を、アリョーシャを守る。今度はヘマはしない。マルクスのためにもな」
我々は再び一つの強い絆で結ばれた。もはや、何も恐れるものはなかった。
♢♢♢
それから今日まで百八十三年、俺の寿命から見るとそれほど長い年月ではない。だが、俺の中では、充実した一生分の年月だった。
義母上は百八歳で、エリーシアはそれから二十五年後、百十三歳で天へと旅立っていった。二人とも安らかな最期だった。
エリーシアは、マルケスを失ってからはもう子どもは欲しくないと言って、次の子を産むことはなかった。最後の時まで明るかった彼女だったが、唯一それだけが、心に残された癒えない傷の証明だった。
俺は、残された唯一の家族、アリョーシャとともに生きていくことを決意した。だが、エリーシアが生きているうちから、娘の今後の人生については何度も話し合っていた。
アリョーシャは、子どもの頃は「ずっと、この家で父様や母様やおばあ様と一緒に暮らす」と言い張っていたが、成長して、何度も話し合う中で「おばあ様と母様をお見送りしたら、外の世界というものを、しばらく見て回ってきます。でも、父様がここにいるなら、私も父様の側にいます」という結論に達した。そして、それ以上は頑として自分の意見を変えなかった。
その言葉通り、アリョーシャは祖母と母親を天へ見送ると、しばらくして旅立っていった。
俺は、娘を王都の近くまで見送った。いろいろ心配は尽きなかったが、子どもの頃から賢く、俺とエリーシアの知識と教えを叩きこまれた娘だ、信じて送り出すしかなかった。
俺は再び我が家に帰った。そして、妻が残した未完成の魔道具の構想を、自分なりに実現してゆく、という余生の日々を送り始めた。
それから三年後のある日、アリョーシャがふらりと我が家に帰ってきた。話を聞くと、何と彼女は、王室お抱えの錬金術師として召し抱えられたというのだ。
彼女は、当初、生活費を稼ぐために、王都のとある小さな薬屋に就職した。ところが、彼女の才能と知識、技術は規格外のレベルだった。彼女の作るポーションや常備薬は、たちまち評判となり、噂を聞きつけた商人や貴族たちのスカウトが絶え間なく続いた。
「……ずっと断り続けていたんだけどね。噂がとうとう王宮にまで広まったらしいの。ある日、王様からに使いが来て、私を〈王室錬金術師〉として召し抱えたいって言ったの……」
「すごいじゃないか。お前は、父さんたちの誇りだ。さっそく、お墓に報告に行かないとな」
「うん……」
このとき、なぜかアリョーシャの笑顔に微かな不安が浮かんでいたが、俺はあまり気にしていなかった。
それから、五年後、アリョーシャは再びこの家に戻ってきた。だが、その表情は五年前とは全く違っていた。かなりやつれ、悲し気な微笑みを浮かべていた。
「ただいま、父さん……私、王室錬金術師をやめちゃった……」
そう言って、私の胸に飛び込んできた愛しい娘は、声を殺して泣き出した。どんなに辛くても、ほとんど泣くことがなかった娘なのに、よほど辛いことがあったのだろう。
聞けば、王宮に上がったときから嫉妬や陰湿ないじめ、宮廷内での権力争いに連日さらされる毎日だったという。それでも、精神的に強い娘は、着実に注文をこなし、実績を積み上げていった。といっても、彼女の成果はほとんど上司が握りつぶしたり、自分の成果として報告していたので、彼女が昇格することは無かったが……。ただ、同僚や宰相は彼女の実力を認め、評価していた。
だが、五年目に差し掛かったある日、ついに彼女にとって我慢の限界になる出来事が起こった。
それは、王室の財務を担当する直属の上司である〈財務大臣〉が、錬金術棟を視察に訪れた日に計画されていた。
彼女の才能に地位を脅かされると怯えていた上司が、部下たちを紹介する中でこう言ったのである。
「この者は、街の薬屋で働いていた平民の娘ですが、おかしなことに、五年前から全く年を取っていないような見かけでしてな」
上司とずぶずぶの関係だった財務大臣の貴族は、かねてからの打ち合わせ通り、その言葉に反応して言った。
「ほう、それは奇異なこと……ふむ、そういえば、海の向こうに住む〈魔族〉は、数百年生きて、ほとんど年を取らないとか……魔族も確か銀色の髪で、赤い目の色を……その娘は目の色こそ少し違うが、魔族の血を引くものかもしれぬな」
「な、なんと、魔族……それなら、年を取らないのも不思議ではない。しかし、大臣閣下、良いのですか?魔族の血を引く者を王の近くに置いたりしては、危険なのでは?」
勝手に二人で話を進めて、彼女を陥れようとする流れに、アリョーシャは慌てて反論しようとした。
「お待ちください、私は何も……」
「ん、何を慌てておるのかな?素性を知られてはまずいことでもあるのか?」
「ううむ、やはり、何か良からぬことを企てていたのかもしれぬな」
アリョーシャは、この時、もはやどんな弁明をしても無駄なのだと悟った。これは、彼女を失脚させるために、最初から仕組まれた茶番劇なのだ。
「ぐうの音も出ぬようじゃな。よし、この者をすぐに王都から追放しろ」
財務大臣は、護衛の兵たちに命じた。
こうして、アリョーシャは王室錬金術師の胸章とローブをはぎ取られ、着の身着のままで王都の門の外に放り出された。
彼女はこの理不尽な仕打ちに、怒りを覚えたが、同時にどす黒い陰謀渦巻く宮廷から解放されたことに喜びも感じていた。
ただ、魔族を侮辱されたことへの悔しさは、この後も忘れることは無かった
「そうか、辛かったな……やはり、人族も力を持つと腐ってしまうようだな」
「うん……でも、宰相様だけは、優しかったよ。追放された後、ここに帰ろうと思って歩いていたら、暗殺者の集団に襲われたの。おそらく、あの腐れ財務大臣が口封じのために刺客を放ったのだと思う。まあ、簡単にやられるような私じゃないけれどね。魔法で、対抗しながら一人を倒した時、騎馬隊が現れたの。そしたら、刺客たちは慌てて逃げ去っていったわ。
その騎馬隊は、宰相様がよこしてくださった近衛の兵たちだったの。彼らは、私に袋いっぱいの金貨を渡し、ここの近くのパルトスの街まで護衛して送ってくれたの。そして、こう言ってくれたの。
『宰相様からの言伝です。助けてやれなくてすまなかった。そなたの汚名は必ず晴らすと約束しよう。どうか、安らかに幸せな後生をすごしてほしい』って……。
きっと、同僚の錬金術師の中に、宰相様の手の者がいたんでしょうね。貴族たちの陰謀や汚職の証拠を握るのが、宰相の大事な役目でしょうから」
「そうか……悪い者ばかりではないということだな。それで、これからどうするのだ?」
俺の問いに、アリョーシャは涙をぬぐい去って、微笑んだ。
「うん、資金はもらったからね。パルトスの街で、薬を売る商売をしようと思っているの。ここからも近いし、これからしょっちゅう顔を出すからね、お父さん」
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