67 閑話『アンガスは、今……』 1
俺は、アンガス。魔族の国ラパスの第一王子として生まれた。俺の下には弟ロドスと妹が一人いた。しかし、妹は生まれて間もなく、心臓の病で亡くなった。
誰も実際に口には出さなかったが、この国の者なら誰もが、「王女は〈呪い〉で亡くなった」と言うだろう。
(〈呪い〉などバカげているっ! しかも、あろうことか呪いの原因が〈アレッサ様が人族と婚姻〉したからだと? 不敬にもほどがある。お優しいアレッサ様は、そのことを気に病んで、洞窟に隠棲してしまわれた。いつか、俺がそんな根も葉もない噂を、この国から消し去ってやる)
当時、俺はそうした思いを抱いきながら、狭い王宮から逃れるように、お付きや警護の者たちの目を盗んで外に出かけていた。というのも、そのころ、俺は人族の居住区でたまたま出会った少女に恋をしていたからだ。
その少女の名はエリーシア。母親と二人暮らしで、魔道具作りをしながらひっそりと暮らしていた。
彼女の髪は、銀色に近い金髪だった。というのも、彼女の母親の何代前かの先祖に、魔族と結婚したものがいたのだ。つまり、エリーシアにも、わずかだが魔族の血が流れていた。
俺が、エリーシアのもとを訪れるようになってしばらくした頃、彼女が嬉しそうに、俺に一つの魔道具を見せてくれた。
「これ、アンガス様のために作ってみました」
そう言って、彼女が見せてくれたのは、一見すると小さな普通の馬車のようだった。違うのは、馬をつなぐハーネス用の接続部がなく、箱型の鉄板に覆われたものが据え付けられていたことだ。
「これは、馬車のようだが……」
俺が戸惑いながらそう言うと、彼女は微笑みながら頷いて答えた。
「はい、二人乗りの馬車です。でも、動かすのは馬じゃないんですよ。ふふ……」
「えっ、馬が引くんじゃないのか?……ということは、まさか……」
「はい、この馬車は、魔力で車輪を回します。名付けて〈自動走行馬車〉。馬は使わないから、本当は馬車っていうのは変ですけど、他に適当な名前を思いつかなくて……」
そう言ってはにかむ少女を、俺は思わず抱きしめていた。
その後、エリーシアから操縦方法を学び、練習走行をした。スピードも今までの馬車と同じくらいで、操作も簡単だった。
俺は喜び勇んで、そのまま魔族の街まで運転して帰った。
だが、これがトラブルの原因になった。
〈自動走行馬車〉を目にした魔族たちは驚愕した。特に、王の周囲にいる特権魔族たちは、大きな反応を見せた。その理由は、一つに、この画期的な発明が人族に広まると、強力な武器に発展し、反乱を起こす可能性があること。もう一つは、この発明を魔族が独占することで、今の支配体制をさらに安定させることができるということだ。
王である父も、弟ロドスも、完全にこうした取り巻きたちに洗脳されてしまっていた。
「父上っ!どういうことですか、なぜ、エリーシアが捕らわれたのですか?」
数日後、突然エリーシアが捕らわれ、地下牢に入れられたと聞いて、俺は自分を見失うほどショックを受けて、王の執務室に怒鳴り込んだ。
警護の近衛兵に取り押さえられた俺に、父は冷ややかに見つめながらこう言った。
「アンガス、お前が人族の女に思い入れするのは構わぬ、愛人にでもすればよかろう。だが、正室や側室にすることは許さぬ。王族の血に人族の呪われた血が入ることは断じて阻まねばならぬ……」
この人は、何を言っているのかと、正気を疑った。
そもそも、自分たち魔族は、始母神アレッサ様と人族の英雄リンドの子孫ではないか。もともと我々の中には、人族の血が流れているのだ。それなのに……。
俺がそのあまりの愚かさに呆れていると、父はさらにこう続けた。
「それと、あの娘は魔道具の設計に関する情報の提供を拒否したので、地下牢で頭を冷やさせておる。お前が説得すれば、考えを変えるかもしれぬ。分かっておるな?」
「エリーシアは何と言っているのですか?」
俺は警護の兵たちを振り払って、立ち上がった。
「……この魔道具は、アンガス様のために作ったもの、そしてゆくゆくは、人族の街の人たちの生活が少しでも楽になるようにしたいと……」
至極当然のことではないか。何がいけないのか。
「当たり前のことを言っているように思いますが?」
俺の言葉に、父は俺を異端者でも見るかのように、眉を顰め、唇をゆがめた。
「よく聞け、アンガスよ。人族は我らにとって、家畜のごときものだ。その数ばかり増える家畜が、よけいな力を持って反抗してきたら、そなたはどうする?……」
吐き捨てるようにそう言う父の中に、俺は〈怯え〉のようなものを感じた。
「……分かるな? 家畜によけいな力や贅沢は与えてはならぬ」
「分かりました……」
俺は、機械的な声でそう返事した。
ああ、分かった、分かったとも。もはや、魔族には未来が無いことがな。
俺は、父のもとを去ると、その足で地下牢へ向かった。牢番に止められたが、父からの言葉をそのまま牢番に告げて、押し通った。説得のためだと言えば、牢番も通さざるを得ない。
「エリーシア……」
エリーシアは、一番奥の牢部屋に囚われていた。
「ア、アンガス様、どうしてこんな所に?」
少しやつれた姿で鉄格子の所に走り寄ってきた彼女を、俺は万感の思いを込めて見つめた。
「エリーシア、聞いてくれ……」
俺は、耳を澄ましてうかがっているであろう牢番に聞こえないように、声を潜めて自分の考えを語った。
それは、
〇 自分がエリーシアと彼女の母親を連れて、この国を出るつもりであること。
〇 そのために、〈自動走行馬車〉のことはあきらめて、設計に関する情報を魔族に提供してほしいこと。
〇 その後、口封じのために殺される恐れがあるが、自分が必ず助けるから心配しないでほしいこと。
の三点だった。
「で、でも、アンガス様はそれでいいのですか?次期王の座が約束されているのに、私たちのためにこの国を捨てるなんて……」
「君との幸せが何より大事だ。そのためには、王の座など、なんの未練もない。エリーシア、俺を信じてくれ」
エリーシアは、その薄紫色の美しい目でじっと俺を見つめていたが、やがて、しっかりと頷いた。
「はい、アンガス様を信じます。心からお慕いしております」
俺にとって、その言葉さえあれば十分だった。何も恐れるものなどなかった。
「では、計画通りに……もうしばらく、辛抱してくれ」
俺はそう言うと、鉄格子の中に手を伸ばしてエリーシアの頭を引き寄せると、素早く彼女の唇にキスをしてから、その場を立ち去った。
もしかすると、牢番に見られたかもしれないが構わない。いざとなったら、自分の力を解放してでもエリーシアを救い出してみせる。
俺は、そう決意して地下牢を出ると、その足で今度は、始母神アレッサが隠棲している、北の山脈の麓へ向かった。