64 《破壊と断罪のドラゴン》の決意
「ア、アレッサ様……」
その場にいた魔族たちは、自分たちの始母神であるドラゴンの化身を一度も見たことがない者がほとんどだった。
ロドス王は、百二十数年前、王に即位するとき一度だけ、彼女が隠棲する洞窟に行って挨拶をしたことがあった。それが習わしだったからだ。
ロドス王がまず跪き、頭を垂れた。それを見て、他の魔族たちも慌てて床に平伏した。
「わが子らよ、よく聞くがよい。先ほどドランが語ったことは、すべて真実じゃ……」
アレッサの言葉に、魔族たちはびくっと体を震わせたが、あえて何か言う者はいなかった。
「……千年近く、洞穴に閉じこもっておった我が、偉そうに言えることではないがのう……我は辛かったのじゃ……」
かつて、厄災の黒き竜と呼ばれ恐れられたドラゴンの化身は、弱々しく、悲し気な声で告白した。
「……最愛のリンドが死に、彼が残した愛しい子どもたちも、次々に我を残して老い、死んでいった……我は、リンドとの約束を守り、子孫たちを永劫に見守り続けようとした。しかし、不死ゆえに、我は未来永劫、愛する者たちの〈死〉を見守り続けねばならぬ。あまりの辛さに、我は洞穴に逃げ込んだのだ……。
しかし、それは我の弱さゆえの大いなる間違いであった。昨夜、《聖女セリーヌ》が我のもとを訪れ、こう語った。
『今、魔族の街を訪れている人族の少年の言葉に耳を傾けなさい。魔族を救う手立てが見つかるでしょう』と……」
アレッサはそこまで語ると、じっと彼女を見ていた俺に目を向けた。
「セリーヌの魂を宿したる人族の子よ、どうか、我が子らに救いの道を説いて聞かせてくれぬか?」
(えっ、今、なんかすごいことを聞いた気がしたんですけど? え? セリーヌの魂を宿した? 俺のこと?)
『ええっと、マスター、今はそんなことを考えている場合じゃありませんよ。ほら、アレッサ様に返事を返さないと』
「えっ、ああ、はい、いいですよ」
「ト、トーマ様、軽いです」
俺の軽い返事に、ポピィもアレッサや他の魔族たちも、一瞬呆気にとられたような顔だった。
「ふふふ……面白い子じゃ。では、聞かせておくれ。ほら、そなたたちも座って聞くのじゃ」
アレッサの言葉に、魔族たちはそそくさと自分の席に座った。
俺は居心地の悪さを感じながらも、一つ咳払いをして話し始めた。といっても、難しい部分はすでにドラン医師が説明していたので、俺は、いきなり結論部分から話し出すことができた。
「ええっと、ドラン先生が言った通り、魔族の皆さんの体に起こった様々な異常の原因は、同じ遺伝子を持つ者同士が婚姻することで、遺伝子の欠陥が表に出てきてしまったことです。本来なら、違う遺伝子を持つ者同士が補い合うことで、欠陥は隠れて出てこないのです。
これを解決するには、今後、近親による婚姻を避け、できるだけ違う遺伝子を持つ者たちと婚姻することです……」
俺はそこで一呼吸おいて、苦々しい表情の魔族たちを見回しながら続けた。
「……魔族の皆さんは、人間を自分たちより下等なものと考えておられるようですね。だったら、別に人間と婚姻しなくても、他の種族でも構いませんよ。獣人族やエルフでもいいんです。遺伝子の配列が異なっていれば何でも構いません」
俺の言葉に、魔族たちは苦々しい顔でお互いの顔を見合った。
「ありがとう、人族の子よ。そうじゃな、魔族のそのような考えもまた、我の愚かな部分を受け継いでおるのであろう……」
アレッサが静かに口を開いた。
「我も、リンドに会う前は人族、いや、自分以外の生き物を虫けら同然に考え、面白半分で殺しておった。それに対して、何の哀れみも罪の意識も感じなかったのじゃ。
だが、リンドに会ってその考えが変わった。彼は強かったが、それだけではなかった。彼の剣に容赦なく打ちのめされた我は、さらに彼の大きな愛に完全に打ちのめされた。我はその時生まれ変わったのじゃ……
我が愛する子らよ。人族はそなたたちより力が弱いかもしれぬ。魔力も低いかもしれぬ。寿命も短いかもしれぬ。だが、それがそなたたちより下等である理由にはならぬのだ。神の世界を知る我の言葉じゃ、信ずるがよい。
神界で最も価値を持つのは、《魂の輝き》じゃ。なぜなら、それが神界をより豊かにするからじゃ。神々は、そのために星々に命を与え、自らの分霊を与える。生き物は自らの役割に従って生き、死んで魂を神に返す。そのとき、生きている間に磨かれ、美しく輝く魂は神々に力を与え、神界に豊かさをもたらすのじゃ。
そこに、魔族だからとか人族だからとかの区別などない。他族を下等などと見下すような者の魂は、輝きもなく、価値のない魂として、己が見下していた種族にすぐに生まれ変わるであろうよ……」
《破壊と断罪》の神は、それまでの慈愛に満ちた優しい声音から、何か吹き切れたような力強い口調で続けた。
「……此度のことで、我も目が覚めた。我は今後、神域からそなたたちのことを見守るとしよう。ただし、魔族の今後を決めるのは、そなたたち自身じゃ。他族との交わりを拒み、滅びるというなら、それも仕方のないこと……。
我は本来の役目を果たすとしよう。ケイドスや部下たちには長らく苦労を掛けてしまったからのう。ふふふ……」
アレッサはいつしか空中に浮かび、ゆっくりと俺の近くに移動してきた。
「さて、人族の子よ。名前は何というのじゃ?」
「は、はい、トーマといいます」
俺は本物の神、しかも、罪を断罪し、破壊をもたらすという恐ろしい神を目の前にして、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「トーマか。のう、トーマよ、何かお礼がしたいのじゃが、望みはあるか?」
そう言われて、俺は目まぐるしく頭の中で考えを巡らせた。そして、こう答えた。
「ええっと、俺は、世界中を旅して回るのが目標なんです。だから、できることなら、どこの国にも入れてもらえる〈通行許可証〉のようなものがあれば、助かります」
「ほお、なるほどのう……ふふふ、やはり面白い子じゃ。確かに、どことなくリンドに似たものを感じる……セリーヌが気に入るのもわかるな。
ふむ、では、何か腕輪かペンダントのようなものは持っておらぬか?」
(んん…また気になることを……いったい、セリーヌさんが何だっていうんだ?)
『ほ、ほら、マスター、腕輪かペンダントを……』
ナビのやつも、さっきから何かおかしい。後で、きっちり問い詰めてやろう。
「ええっと、これでいいですか?」
俺はズボンのポケットから、ケイドスの印章を取り出して、アレッサに見せた。
「ん?これは、ケイドスの魔法が掛けられておるな。トーマ、ケイドスと会ったのか?」
「あ、はい、ここに来る前に。魔族の国に行きたいと言ったら、これをくださいました」
「ほお、そうか……あいつめ、まだセリーヌのことが忘れられないようじゃな。ふふふ……よかろう、それに我の魔力も込めておこう。ただ、そのまま身に着けると、周囲の生き物を
無意識に威圧してしまうからな。隠蔽の魔法を……」
「あ、それなら大丈夫です。俺も隠蔽の魔法が使えますから」
「そうか、では、魔力を込めるぞ」
アレッサはそう言うと、俺の手のひらに載った銀色の印章に手をかざした。
ずしっという圧力を感じ、何か印章が重くなったように感じられた。
「これでよし。だが、考えてみると、トーマはすでに獣人の国も魔族の国も訪れたのだから、これが必要になるのは……エルフの国くらいかのう。ああ、ドラゴンどもや魔物どもが邪魔をしてきたらそれを見せるとよいぞ」
「ありがとうございます。感謝いたします」
俺は、深く頭を下げた。そして、顔を上げると、思い切ってアレッサに尋ねてみた。
「アレッサ様、俺は人間の国で魔族の男性と魔族と人族の混血の女性に会いました。しかし、ケイドス様から、魔族はこの島から出さないようにと、アレッサ様から命じられていると聞きました。このことについて、何かご存じですか?」
アレッサは驚いた表情で俺を見つめ、そしてふっと口元に微笑を浮かべた。
「そなた、アンガスに出会ったのだな。あの子は元気だったか?」
やはり、彼女は事情を知っていたようだ。
「はい。ですが、会ったときは何者かに追われている様子で、少しケガをしていました」
「そうか……実は、二百年近く前、アンガスをこの島から逃がしたのは我だ……」
アレッサの言葉に、周囲で黙って様子を見ていた魔族たちがざわめいた。
「あ、兄上は死んだのではなかったのか……」
ロドス王が、信じられないと言った表情でつぶやいた。
「あの子は、アンガスはロドスの兄で、次代の王になる予定の王子だった。しかし、人族の娘に恋をし、それゆえに深く悩んでいた……」
アレッサは、それから次のように語った。
二百年前、すでにこの国では、魔族と人族との間には乗り越えられない壁ができており、彼は、王になるために恋を切り捨てるか、それとも、すべてを捨てて恋に身を捧げるかの二択を迫られていた。
そして、彼が選んだのは……。
「……アンガスは我のもとを訪れ、決死の覚悟で、自分と恋人を島の外へ逃がしてほしいと頼み込んだのじゃ。我は、その願いを聞き入れた。そして、当時の王、彼の父親のもとを直接訪れ、アンガスが逃亡を図って、リッチに命を奪われた、と告げた。その頃には、すでにアンガスと娘はケイドスの島に逃れ、こちらの島の海岸には、彼が脱ぎ捨てた衣服と王子の印である冠と印章が落ちていたというわけじゃ。
トーマの話から考えるに、アンガスと娘は幸せに添い遂げたのであろう。当然、妻はとおの昔に老いて死んでしまったはずじゃ。混血の娘は、おそらくアンガスの娘であろうな。アンガスは、まだ生きておる……もはや、生きる目的も失ったであろうに……どのような思いを抱いて、どのような生き方をしているのか……。
トーマよ、もし、またアンガスに会うことがあったら、伝えてほしい……」
俺はしっかりと頷いた。
「……魔族の島ラパスは、もはや二百年前とは違う。一度帰って来て、その目で確かめてほしい、とな」
「分かりました。アンガスさんも、きっと娘さんとは連絡を取っているはずです。帰ったら娘さんに、アレッサ様のお言葉を伝えます」
「うむ、頼んだぞ」
アレッサは優しく微笑んで頷くと、侍女とともに部屋を静かに出ていった。