51 ノームの島と死の谷 2
本日、連投します。
この島には、ノームたちがいくつか小さな村を作って住んでいるらしい。そして、脅威となるような魔物はいない。それは、この島が〈死者の王〉が支配する島だからだという。
〈死者の王〉とは何者なのか、詳しく聞こうとしたが、ノームの家族は〈死者の王〉と聞いた途端、小さく震え始め、かたくなに口を閉ざしてしまった。
埒が明かないので、俺は質問を変えてポピィに言った。
「ポピィ、近くに人族の言葉が分かる者はいないか、訊いてくれ」
ポピィは頷いて、旦那さんにそのことを尋ねると、彼は何か指さしながら説明した。
「ここから西に少し行ったところに、おじいさんが一人で住んでいるらしいのですが、その人は人族の言葉を話せるそうです」
俺たちはその家族に驚かせたことを謝り、礼を言ってその家から立ち去った。
「〝死者の王〟って、何でしょうか?」
ポピィも俺も、そのことが一番知りたい謎だった。
いちおう、ナビにも聞いたが、分からないという答えだった。
『……死者の王とは、神話や伝説から推測すると、死者の国、つまり〈冥界〉の王、支配者ということでしょう。この世界の伝説にも、かつてこの世界を創世した五匹の龍の話があり、その中の〈破壊と断罪の龍アレウス〉には、冥界を支配する〈ケイドス〉という使徒がいたという話が残っています』
(ふうん……伝説か。でも、この世界は、何でもありな気がする。もしかすると……)
ナビとそんな会話をしているうちに、旦那さんが話していたじいさんの家らしきものが見えてきた。背後に林があり、周囲には小さな畑がいくつかあった。
ポピィがドアに近づこうとしたが、俺はそれを止めて、あえて自分がドアに近づいていった。そして、軽くドアを二回ノックした。
「すみません、旅の者ですが、人語が分かる方がいらっしゃると聞いて伺いました。お話を聞かせていただけませんか?」
自分でも初めてと思うくらい丁寧な言葉で、中に向かって呼びかけた。
しばらく何の反応もなかったが、左側の窓からこちらを覗く人影がちらりと見えた。そして、ドアがきしむ音を立ててゆっくりと開いた。
ドアの向こうに現れたのは、俺の中のノームのイメージ通りの老人だった。少しくたびれた茶色の三角帽子をかぶり、長いあごひげを蓄えている。
「ほお、これは驚いた…子どもの声のようだと思ったら、本当に子どもだったわい」
老人は滑らかな人語でそうつぶやいた。
「急に驚かせてすみません、俺たちは海の向こうの大陸から来ました。少し、この島のことを教えていただけませんか?」
俺の言葉に、老人はドアをさらに開いて中に入るように合図した。俺とポピィはほっとして、家の中に入っていった。
♢♢♢
「すまんな、一人暮らしなので、椅子は一つしかない。そこの箱を椅子代わりに使ってくれ」
老人の言葉に従って、おそらく野菜の収穫用なのだろう、ドアの近くに無造作に積み重ねられた木箱を裏返しにしてテーブルの側に置いた。俺にはちょうど良い高さだったが、ポピィには少し低かったようだ。
「それで……旅をしていると言っておったが、子ども二人でいったい何のための旅をしておるのじゃな?」
「特に目的はありませんが、この世界を見て回りたいと思っています」
老人は少し驚いたように、目を見開いて俺たちを交互に見つめた。
「なんと……ふふ……わしも若い頃はかなり無茶をしたものだが、海の向こうの大陸までがやっとだったぞ。よくまあ、その年で世界中を旅しようなどと考えたものじゃな」
老人はそう言った後、奥の台所に行ってかまどに火をつけ始めた。
「では、人間の言葉はゴルダ王国で覚えたのですか?」
「ああ、そうじゃ……ドーラの街で、鉱山技師として二十三年働いておった……」
「俺たちは、そのドーラの街からこの島に来たんです」
台所から出てきた老人は、また驚いた様子で俺たちの前に座った。
「そうか、なつかしいのう……ガンツやボルトンたちは元気か…いや、もう四十年以上前の話だ……人間はわしらより寿命が短いからな、とうに死んでおるじゃろう……あの戦争さえなければ、今でもわしはあの街で暮らしておったかもしれぬ……」
老人はそう言ってため息を吐いた後、俺たちお法に目を向けた。
「それで、何かわしに訊きたいことがあると言っておったが、何じゃな?」
「はい、この島に来て最初に訪ねた家で、ここは〝死者の王〟が支配する島だと聞きました。〝死者の王〟とは、いったいどんな存在なのですか?」
俺の問いに、老人は小さく何度か頷いてから、眉間にしわを寄せてこう語った。
「やはりそのことか……文字通りのことじゃよ。この島には、〈死者の谷〉という場所があってのう、その谷の支配者が〝死者の王〟じゃ。わしは、まだ見たことはないが、噂では、その姿は、巨大な骸骨らしい……この島にはな、世界中の浮かばれぬ死者の魂が集まってくる。そう、今日のような霧の濃い日にな……だから、この島の者は、霧の日には誰も外には出ないのじゃ。死者に引っ張られて死の谷に行ったら、二度と戻ってこれない、そう信じられておるのじゃ」
「なるほど……だから、最初の家で、俺たちが生きているのか訊かれたのか……その〝死者の王〟は、この島の人たちに危害を加えたりはしないのですか?」
老人は、はっきりと首を振り、俺たちに言い聞かせるように言った。
「いや、〝死者の王〟は、そんなことはせぬよ。言い伝えによれば、彼の者の役目は、生前罪を犯した魂を裁き、冥界の相応の場所に送り出すことじゃ。生きている者には、決して関わらぬらしい」
「そうですか、安心しました。じゃあ、俺たちは旅を続けます」
俺とポピィは、そう言って立ち上がろうとした。
「まあ、待て……もうすぐ日が暮れる。今夜は、ここに泊まっていくがいい。何ももてなしはできぬが、野菜はたくさんあるでな、日干しの魚を入れてスープを作るから、待っておれ」
俺たちは顔を見合わせて、小さく頷き合った。
「すみません。じゃあ、お言葉に甘えて一晩の宿をお借りします」
「ああ、そうするほうがいい。この島には大した魔物はおらぬが、死者の魂はうろついておるからのう。惑わされて、死者の谷に連れていかれたら大変じゃ」
老人はニコニコしながら、冗談ぽくそう言った。
♢♢♢
老人の名前は、サンドロといった。俺たちを引き留めたのは、たぶん、人間の世界がなつかしかったのだろう。その証拠に、彼は、俺たちのこれまでの旅のこと、人間世界のあれこれについて、就寝の時間が来るまで質問づくめだった。
「すまんな、まともな寝床もなくて……」
「いいえ、家の中で眠れるだけでありがたいです。それじゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。良い夢をな」
俺とポピィは、木箱を並べてベッド代わりにして眠った。
翌朝、サンドロ老人は、俺たちが目を覚ます前に起きて、朝食を作っていた。昨夜と同じ、干し魚入りの野菜スープと、小麦粉を水で練って焼いた〝ナンもどき〟だけの粗末な料理だったが、彼の精一杯のもてなしに、俺たちは心から感謝した。
「では、気を付けてな」
「サンドロおじいさん、魚のスープ、とってもおいしかったです。ありがとうございました」
「お世話になりました。いつまでも、お元気で」
俺たちは、ドアの外で見送る老人に、何度も振り返って手を振った。
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