4 いったん帰って報告しよう
それから二日後、俺はオブロン村長の家を訪ねていた。
「……そうか。早くお母さんに知らせてやらないとな。ちょっと待っててくれ」
俺が、故郷に帰る手段を見つけに行きたい、と言うと、村長は頷いた後、奥の部屋に入っていった。
やがて、彼は茶色の封筒のようなものを手に戻って来た。
「ここから北西の海岸近くに、ベローズという村がある。そこに行って、オルグという男にこれを渡してくれ。きっとお前の力になってくれるはずだ」
俺はその封筒を受け取ると、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。お世話になりっぱなしですみません」
村長は俺の肩に優しく手を置いて言った。
「子どもがそんなに気を遣うな。まあ、気になるなら、今度はお前が誰かに親切にすればいいんだ。それが回りまわってまたお前に返ってくるさ。それより、もし船がだめだったら、またこの村に帰って来るんだぞ。もう、お前はここの住人なんだからな」
思わず泣きそうになったよ。くそ、うそをついた過去の自分を消したい。
村の入り口の門の向こうには、村長さん、ガントさん、宿屋のロクさんと女将さんのレビアさん、レイジーさん、そして、あまり話したこともない何人かの村の人たちまで並んで、俺に手を振ってくれている。
「皆さん、ありがとうございました。また、必ず来ます」
俺は十メートルほど歩いてから、振り返ってそう言いながら頭を下げた。
皆が何か口々に言って、手を振っていたが、もうそこからは振り返らず、足早に遠ざかっていった。
(いや、こんなの俺には似合わないって。一期一会が俺の信条なんだ。クールに生きたいんだよ、クールに……)
目と鼻から汗を垂らしながら、俺は一気に加速して山道を下っていった。
♢♢♢
『マスター、気づいてましたか?』
(ん?何のことだ?)
ラタント村を出て三時間後、麓の森を抜けた所で、俺は昼食をとるために道の傍らに座ってたき火の準備をしていた。
ストレージの中から干し肉とパンを取り出したところで、ナビが問い掛けてきた。
『ラタント村にもガーリフの街にも、牛と豚と鳥の獣人はいませんでした』
(ああ、そう言えば、見なかったな。でも、どこかにいるんじゃないか?)
『いいえ、たぶんいないと思いますよ。ちなみに、ウサギの獣人も見かけませんでしたね』
俺は小首を傾げながら、ナビが何を言いたいのか考えた。
(うーん……いないって、どうしてそう思うんだ?)
『それは、今、マスターが手に持っているものが答えです』
ナビの言葉に、俺は自分が手に持っている干し肉とパンを見つめた。
(あっ、もしかして、この肉か?屋台のおっちゃんが使っていたのは、牛肉とボアの肉で……宿屋で使っていたのは、ボア肉とホーンラビットの肉と鳥肉だったな……ということは……)
『はい、おそらく食用の肉にする種類の獣人はいないと思われます。それはそうですよね。牛の獣人が牛肉を食べたりしたら……』
(わ、分かった、それ以上言うな……なるほど、よく考えもせず肉を食べていたが、獣人の国なんだよな、ここは。じゃあ、ランドウルフの肉を食ったりしたら、狼の獣人から怒られるかな、いや、下手すると殺されるかもな)
『まあ、そこまではないと思いますが、よく気を付けないといけませんね』
確かにナビの言う通りだ。郷に入らば郷に従う。そのためには、既存の常識を一度なしにして、よく観察しなければならない。
ナビさん、いつも大事なアドバイス、ありがとうな。
ナビが、なんとなく誇らしげな笑みを浮かべたような気がした。
♢♢♢
ところで、本当に義理を欠く行為で、自分が嫌になるのだが、俺はオブロン村長に紹介してもらったベローズ村には行かなかった。いや、だって行く必要がないのだから、しかたがないだろう。
《あの海岸近くの街でいいんですね、ご主人様?》
(おう、そうだ。街の外れに林があるだろう?あの近くでいいぞ)
《はーい》
はい、ということで、スノウに来てもらって、ビューンとひとっ飛びです。本当にあっという間です。
(いつもありがとうな、スノウ)
《これくらい、なんでもないわ、ご主人様。じゃあ、またいつでも呼んでね》
飛び去って行くスノウに手を振ってから、俺はゼムさんのいる獣人たちの集落へ向かった。
林を抜け、崖に沿って進んでいくと、五、六件の小さな家が立ち並んでいる浜辺の高台が見えてくる。浜の浅瀬には一艘のスループ船とその半分の大きさの手漕ぎの船が、並んで浮かんでいる、というか、スループ船は底がつかえているのか、斜めに傾いて波に揺られていた。
集落の中では、三人ほどの獣人の子どもたちが走り回って遊び、年を取った女性たちが、それぞれの家の近くに干した魚を裏返したり、日当たりの良い場所に移動させたりしていた。
俺が近づいていくと、まず気づいた子供たちが慌ててどこかへ走り去り、女性陣も俺に気づいてゆっくりと近づいて来た。
「あら、まあ、あんた、トーマさんだろ?」
「あ、はい。ちょっと、ゼムさんに用があって来ました」
「そうかい、よく来たね。シーサーペントを討伐してくれてありがとうね。皆感謝しているよ」
年配の女性たちは、口々に感謝の言葉を述べながら頭を下げた。
「おお、トーマ、戻って来たのか」
一番手前の家の陰からゼムさんが出てきた。
「ゼムさん、よかった、おられたんですね」
「ああ、最近は豊漁が続いてな。毎日漁に出なくても食っていけているのさ。これも、お前さんがシーサーペントを退治してくれたおかげだと、感謝しておるよ」
「お役に立てて良かったです。ちょっとお話がしたいのですが、いいですか?」
「おお、もちろんだ。だが、あいつらもおった方がいいのではないか?」
ゼムさんは、俺の肩を抱いて家の中へ入っていった。彼の言う〝あいつら〟とは、リトとリラの兄妹や冒険者のバルたちのことだろう。
「そうですね。彼らは、この村に帰ってきますか?」
「ああ、バルたちは、たぶん夕方には帰って来るだろう。リトとリラはもうじき帰ってくるはずだ。干物を市場に持っていっただけだからな」
「分かりました。じゃあ、皆がそろってから詳しい話はします。その前に、ゼムさんに話しておきたいことがあるんです」
ゼムさんは、炊事場でやかんを火にかけてから、俺が座った側に戻って来て椅子に腰かけた。
「わしにか?いったい何だ?」
俺は少し考えてから、こう切り出した。
「ゼムさんは、故郷に帰りたいとは思いませんか?」
俺の問いに、ゼムさんは不意を突かれたように、おもむろに傍らに視線を向けてじっと考え込んでいた。
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