39 ある村についての噂 1
「本当に、良いのか、これだけで?王都に行けば、陛下から相応のご褒美がいただけると思うぞ?」
ゴウゼン男爵は、駐屯所の門の所で、俺に一抱えもある麻袋を手渡しながらそう言った。
「はい、十分です。ああ、そうだ、忘れてた……」
俺は、ゲルベスト鉱石が入った袋を受け取ると、そう言って辺りを見回した。
「ええっと、少し重いものですが、この辺りに置いてもいいですか?」
「あ、ああ、構わぬよ。部下たちに運ばせるからな。だが、いったい何だ?」
俺は、リュックを開いて麻袋を入れた後、いかにもそこから取り出すようなしぐさをして、ストレージから大きな金属の塊を外に出した。ゴウゼンさんとルッダさんは、もう俺の収納魔法のことを知っていたが、門番の二人が、ずっと注目していたのだ。
「こ、これは……」
ゴウゼン隊長は、日の光にまぶしく輝く銀色の金属塊に驚きの声を漏らした。
「例のゴーレムの手の部分です。これで、剣や槍を作ってください」
「それは非常にありがたいが、確か、あのとき、ゴーレムは霧のように消えたはずだが……」
「はい、魔石の影響が及ぶ範囲のゴーレムの体は、魔素の霧になってしまいましたが、俺のストレージの中は別空間ですので、こうして残ったんです」
ゴウゼン隊長は、頷きながら感嘆の声を上げた。
「ううむ、そういうことか……それにしても、お前をこのまま行かせるのは、なんとも残念だ。もっと、魔法のことをいろいろ聞きたいし、部下たちを鍛えてもらいたいのだがな……」
彼は目をしばたたかせながらそう言うと、俺の両肩に手を置いて続けた。
「……だが、無理に引き留めることはできぬからな……くれぐれも気を付けて旅をしてくれ。ポピィ、おいしい料理をありがとう、トーマのこと、よろしく頼む」
そう言った後、彼は涙を隠すように、俺たちをかわるがわる抱きしめてから、少し離れ、直立不動の姿勢になって、腕を水平にして、胸に当てた。騎士にとって、仲間同士で交わす最上級の敬意を示す挨拶だった。
俺とポピィは並んで、一緒に深く頭を下げた。そして、くるりと体の向きを変え、振り返らず駐屯所を後にした。
「……隊長さん…まだ、同じ姿勢でいます……」
涙で顔をくしゃくしゃにしたポピィは、だいぶ離れたところで、一度振り返ったが、そんなことを言いながら、また新たな涙をこぼしていた。
♢♢♢
来た時とは反対側の、ドーラの街の南門を出た俺たちは、東に向かって歩いていた。実は、ルッド騎士爵から興味深い話を聞いていたからだ。
彼はこの大陸の歴史に詳しく、俺たちに、ある村のことについて教えてくれた。その村には、この大陸にいつ流れ着いたのか分からないが、人族が何人か住んでいるという。ただ、それも、かなり昔の情報なので、今も生きているかどうかは分からないらしい。
俺たちは、その村に行ってみることにした。場所は、地図で見せてもらったが、ドーラの街から南東方向に約四十キロほど進んだ海岸に近い森の中だ。
その辺りは、周囲が地殻変動による断層で落ち込んだ(いわゆる大地溝ができた)とき、何らかの理由で切り離されて台地状に取り残された場所にあるらしい。だから、周囲は数十メートルの断崖に囲まれ、ほとんど調査がされていない人跡未踏の地なのだ。
「ポピィ、野菜も肉も残り少ない。森に入ったら、果物や山菜、それと新鮮な肉を調達するぞ」
「了解です。山菜や木の実は、小さい頃から採っていたので得意なのです」
ポピィは生き生きとした様子で答えた。
俺たちは、道から逸れて、南東の方向へ走り出した。その前方には、所々に小高い丘や湖が点在する広大な森が広がっていた。
♢♢♢
「この森、なんだか不思議な感じがしますね、トーマ様?」
大木が程よい間隔で立ち並び、穏やかな日の光が差し込む森の中を見回しながら、ポピィがつぶやいた。
そうなのだ。森林地帯に入って最初の方は、ごく普通の森で、俺たちはホーンラビットやボアを狩ったり、キノコや山菜を採集したりして進んでいた。しかし、さらに奥へ進んでいくと、何か森の雰囲気が変わり始めたのだ。
まず、魔物が姿を見せなくなった。ときおり変な色のスライムが、のんびりと木々の間を移動しているのを見かけるくらいだ。聞こえるのは小鳥の声と風の音だけである。
「よし、どこか適当な場所を見つけて、今夜のキャンプ地を造ろう。それから、少しこの辺りに探索をしてみようか」
俺の提案にポピィも頷く。
そこは、森が少し開けて、小川が流れている場所だった。俺たちはその小川のほとりを今夜のキャンプ地に決めた。
適当な大きさの石を集めてきて、俺の土魔法でかまど兼焚火用の囲炉裏を作る。ポピィは薪用の枯れ木の枝と、寝袋の下に敷く柔らかい灌木を大量に集めてきた。
それらの準備が終わると、探索に必要なもの以外の荷物を俺のストレージにしまって、俺たちは付近の探検に出かけた。
(なあ、ナビ、お前はこの森をどう感じているんだ?)
俺は、ポピィとゆっくり森の中を歩きながら、ナビに問いかけた。
『そうですね……何か、光の精霊に似た神聖な魔力を感じます。でも、同時に、闇属性の魔力も混じっているような感じでしょうか……』
(ああ、そうか、俺がずっと感じていた違和感は、それだったんだな。確かに、闇属性の魔力を感じる……ちょっと用心しておくか)
「ポピィ、〈隠蔽〉のスキルを使っておくんだ。もしかすると、何かいるかもしれない」
俺はポピィにそう指示して、自分も〈隠密〉のスキルを発動した。
「分かりました。トーマ様、何か感じるですか?」
「いや、今はまだ何も感じない。ただ、この森の空気の中に、闇属性の魔力が漂っている。ほんの少しだけどな。だから、用心のためだ」
ポピィは、闇属性と聞いて、少し緊張した表情でしっかりと頷いた。
俺たちは、キャンプ地から半径百メートルの範囲を、ゆっくりと探索していった。
「っ!トーマ様、左の上の方から何かが近づいてきます」
ふいに、ポピィが小さな声でそう言った。俺たちは急いで近くの大木の陰に身を潜めた。
(うん、確かにいるな……なんだろう?あまり大きくはないが、意識的に魔力を抑えているような感じがする)
『人ですね。木の上を移動しています』
(人?もしかして、噂の村の偵察隊とか?)
『はい、あり得るかもしれません。かなり警戒しながらこちらをうかがっていますから』
「ポピィ、見えるか?あの木の上だが……」
「あ、見えました。金髪の……うん、やっぱり女性です。わたしたちを探しているようです」
ポピィの言葉に、俺はどうするか迷った。差別するつもりはないが、男なら簡単にウィンドカッターで枝を切って、地面に落としてやろうかと思ったが、女を相手には、なんだかそれはやりにくい。まあ、少し脅して追い返すだけにするか。
俺はそう決めると、右手に魔力を溜めて、そいつの頭の上にある木の枝に向けてウィンドカッターを放った。
シュルシュルと鋭く風を切る音を立てて、風の刃が謎の人物のいる木の上へ飛んでいき、太い木の枝をスパッと切り落とした。
謎の人物は、慌ててジャンプし、隣の木に飛び移ろうとしたが、とっさにジャンプしたせいか、残念なことに距離が足りなかった。
「うわあっ」
バランスを崩したそいつは、空中で何とか体勢を立て直そうとしたが、とうとう声を上げながら、八メートルほどの高さから地面に落下した。
「はっ、えっ?えええっ!」
多分、地面に激突する自分とその激痛を想像していたのだろう、そいつは地面の直前で、あおむけの姿勢で空中に手を伸ばしたまま止まっている自分に気づいて、素っ頓狂な声を上げた。
俺は、そいつが地面に落ちる直前に、そいつの体をシールドで包んだのである