36 ダンジョンの最奥にいたもの 2
(さて、と……準備をするか)
俺は、一つ気合を入れると、ルームストレージから、自分で作った中で最高品質のマジックポーションを取り出し、瓶のふたを外した。
それを左手で持ったまま、ゆっくりと《そいつ》がいる中央の台座に向かって歩き出す。
『マスター、念のためお伺いしますが、自殺しょうとは思っていませんよね』
(当たり前だ。まだ、やり残したことはいっぱいある。この世に未練たらたらだよ)
『では、いったい何を?』
やはり、ナビは俺の脳内の考えまでは、さすがに知ることはできないのか。今まで、少し疑っていたが、ちょっと安心した。
(あの《コア》は、思考力を持つ魔石なんだよな?)
『はい、どの魔石も多かれ少なかれ、思考力と意思を持っています』
俺はゆっくりと、一歩ずつ階段を上っていきながら、口の端に微かな笑みを浮かべた。
(俺は、スノウという《光の大精霊》をテイムしたことがある。だったらさ、あの《コア》もテイムできるんじゃね、と考えたわけだよ)
俺の頭の中で、初めて聞くナビの驚きの声が響き渡った。
『えええっ……あ、コホン…失礼しました……それにしても、とんでもないことを思いつきましたね。いや、マスターなら、あり得るというべきか……』
(ん?それって褒められてるんだよな?まあ、いいや、それで、お前の見解はどうよ?)
『はい、なにせ前代未聞の試みですから……しばし、お待ちを……』
俺は、一番上の階段の手前で立ち止まり、ナビの返答を待った。
『お待たせしました。やはり、過去の記録にも同じケースはありませんでした。ただ、いくつかの似たような事例をもとに、総合的に判断すると……成功する可能性はあります……』
(おお、やったね)
『……ただし、それは〝悪魔の契約〟になる可能性があります。つまり、命を担保に契約を交わすということです』
(ああ、なるほど……契約を破ったら、命をいただくってやつね)
『はい。でも、そうならない可能性もあります。その場合、このダンジョン自体が、マスターの〝僕〟となるでしょう』
(ん?それって、どうなるんだ?)
『過去に例がないので、何ともお答えできませんが、このダンジョンがマスターの支配下に置かれるということだと……申し訳ありません』
(いや、いいよ、ありがとう。まあ、やってみるしかないな)
俺は意を決して、最後の階段を上った。
♢♢♢
相手は、膨大な魔力を持ち、かつ、意思を持った魔石である。緊張しない方がおかしい。俺は念のために、もう一本、マジックポーションを取り出して、ローブのポケットに入れた。そして、いよいよ、台座の上の物体と相対した。
「うわぁ、気味が悪いな…その、顔面のフラッシュ、やめてくれないかな……」
さっきから続く吐き気を我慢して、ぶつぶつと文句を言いながら、俺は一つ深呼吸をしてから、右手を《そいつ》の上のかざして、目をつぶった。
そして、頭の中で、なるべく明るく、可愛らしいメイドさんのイメージを作り上げ、その子にテイムをする場面を思い浮かべた。
(うおおっ!)
思わず声を上げそうになるほど、急激に魔力を吸い取られる感覚が襲ってきて、ふっと、意識が遠のきかけた。
俺は、慌てて左手に握りしめていたマジックポーションを口に運び、一気にのどに流し込んだ。
(ふう……危なかったな……なんて奴だよ……だが、まだ油断できないぞ)
意識ははっきりしてきたが、改めて右手をかざし、気を引き締めてテイムに集中した。
さすがに、《そいつ》の抵抗は頑強だったが、十数分が過ぎた時、ついにブヨブヨ動いていた《そいつ》の表面が細かく震え始めたかと見る間に、金緑色の光が立ち上り始めた。
俺は再び魔力切れの兆候を感じ、急いで左手でポケットにしまっておいたマジックポーションを取り出し、歯で瓶のふたを外して、そのまま口の中に流し込んだ。ストックしていたポーションはそれが最後だ。これで、まだテイムできなかったら、俺の負けだ。
それから、さらに数分が過ぎた。金緑色の光はさらに強くなってきた。と、同時に《そいつ》の震えもさらに激しくなり、表面に浮き出てくる顔が、苦悶と恨みの表情を浮かべており、今にも襲い掛かってくるような恐怖を感じた。
そして、ついに静かな、だが息詰まるような戦いに決着の時が訪れた。それが、〝悪魔の契約〟になるのか、それとも〝ダンジョンマスター〟のなるのか、結果はまだ分からない。
《そいつ》から立ち上る金緑色の光が、次第に弱くなり、そして消えた。
俺は、ごくりと息を飲みながら、右手をゆっくりと下ろして、《そいつ》の動きを見守った。
今まで蠢いていた塊がピタリと動きを止め、浮き出ては消えていた顔もまったく見られなくなった。色は白に近いピンク色で止まっている。
あまりの緊張にいたたまれなくなって、そっと台座から離れようとしたときだった。
いきなり《そいつ》が動き出したかと思うと、丸いボールのようになり、ボヨーンッ、と空中に飛び上がったのだ。俺は、呆気に取られて、ただそれをあんぐりと口を開けて見ているしかなかった。
《そいつ》は落下しながら急激に形を変え、そして台座の上に着地した。
遠くで見ていたポピィの、悲鳴のような驚きの声が聞こえ、こちらに走ってくる足音が聞こえたが、俺は手で〝来るな〟と制した。
♢♢♢
台座の上には、俺がテイム前にイメージしていた〝明るく、可愛いメイドさん〟とは、似ても似つかない、いや、似ている部分もなくはないか、とにかく、〝変な奴〟が、いやに偉そうなポーズをとって立っていた。
「ほほう、これが我の新しい体か……ふむふむ、なかなかのものじゃ、気に入ったぞ。さて、はじめまして、じゃのう、主殿。なんじゃ?呆けた顔をして」
《そいつ》は、そんな老人言葉をしゃべりながら、台座からぴょんと飛び降りてきた。その外見をざっと書くと、こんな感じだ。背の高さは俺と同じくらい、薄い金色の巻き毛、恐ろしく整った顔の造作、紫色の瞳、しゃべるたびに唇の間から吸血鬼のような小さな牙が見える、引き締まった体に、黒地に赤の大胆な模様が入ったボディスーツのようなものを身に着けている。足には銀色の金属のプロテクターブーツを履いていた。
「ふーん、主殿は、まだ子どもじゃったのか……まあ、よい、とにかく我の主になったのじゃ、早く名前をつけてたもれ」
(おい、ナビ、何か言ってくれ。これはどういう状況で、俺はどうすればいいんだ?)
『私も初めての状況で、理解が追い付いていません……が、とりあえず、そのものが言っているように、名前を付けてみてはどうでしょう?』
ナビにそう言われて、俺は目の前に立った《そいつ》に、口を開いた。
「わ、分かった……ええっと、ちょっと訊くが、これで契約完了、命をもらった、とかじゃないよな?」
「はあ?何を訳の分からないことを言っておるのじゃ?もちろん、契約じゃぞ。命がどうのこうのというのは、何のことやら分からぬが……」
うん、どうやら、〝悪魔の契約〟とは違うらしいが、本当にそうなのか?まだ、不安はあったものの、俺は覚悟を決めた。
「よ、よし、では、お前の名前は……」
「うむ、名前は?」
《そいつ》は、食い気味に俺に顔を近づけて、目を輝かせた。
俺は頭の中で、目まぐるしくいろいろな名前を思い浮かべたが、あることに気づいて、《そいつ》にそっと問いかけた。
「えっと、その、お前は女の子でいいのか?それとも、性別はないのか?」
「はあっ?この姿を見て分からぬと申されるか?わが主は、阿呆であったか、自分から望んで我を女に生まれさせておいて、なんという……」
「うわあ、分かった、分かった、分かったから、落ち着けっ!」
畳みかけるように非難を浴びせる《そいつ》に、少し強く命じた。すると、《そいつ》はハッとしたように姿勢を正した。
「申し訳ございませぬ。つい、この世界に生まれ出た喜びが、口から、いや、体中から溢れ出てくるのですじゃ」
いや、なんか、こいつの性格やスタンスがよく分からん……俺は大変なことをしでかしてしまったのかもしれない、そんな気がした。
「よし、決めた。お前の名前は、ルーシーだ」
その時、俺の頭にあったのは、昔、前世の子供のころよく読んだ外国のコミックだった。その中の、サブキャラだがパワフルで口うるさい女の子の名前が、とっさに浮かんだのである。
「ルーシー…ルーシー……なんだか、奇妙な響きじゃのう……だが、まあ、よい、我は今からルーシー、主殿の忠実なる僕、末永くよろしくお願いいたしますのじゃ」
《そいつ》=ルーシーは、嬉しそうに、大げさな身振りで俺の前に片膝をついた。