17 交易ルートは決まった 1
質素だが上質な調度品に囲まれた応接室。暖炉の火が静かに部屋の中を温め、四方の壁に掛けられた燭台が、暖かい光で部屋を包んでいる。
俺とアレス様は中央にあるテーブルを挟んでソファに座り、少し離れた椅子にメリンダさんが座っていた。そしてもう一人、窓際の椅子に座ってお茶を飲みながら、雨の戸外を眺めている、薄い金髪にスカイブルーの瞳を持った超絶美人。この人物が誰なのか、後ほど分かることになる。
「なるほど、そんなことがあったのか……まったく、君は行く先々でごたごたに巻き込まれる運命を背負っているのだな」
アレス様は、ローダス王国との終戦締結後、王城での叙勲式の折、エプラの街での出来事をペイルトン辺境伯父子から聞いていたらしい。俺の口から詳しい話を聞き終えて、何か可哀想な子を見るような目で俺を見つめた。
「いや、まあ、俺が、余計なことに首を突っ込まないと良いだけの話なのですが……」
「それができないのだよな?君はそういう男だ」
(いや、それは違いますよ、アレス様。俺はそんな正義感だけで行動するタイプじゃありません。ずるい奴、悪い奴はもちろん嫌いですが、まずは自分の利益最優先です。だから、時には悪人とだって手を組みますよ)
「それで、ここに来たということは……」
アレス様は何やら目をキラキラさせながら、俺の方へ身を乗り出した。
「私の右腕になってくれる、ということか?それなら、国王に進言して、すぐにでも騎士爵に取り立てるぞ」
「アレス様っ、早まってはなりません」
以前から、俺のことを嫌っているメリンダさんが、慌てて叫んだ。
「私はまだ、この者が魔人の血を受け継いでいることを疑っております」
(ああ、そんなふうに思っていたんだ)
俺は、メリンダさんから嫌われている理由を初めて理解した。
「まあ、魔人ですの?恐ろしい……」
窓際で、静かに俺たちの話に耳を傾けていた若い女性が、少し間延びしたような口調でつぶやいた。
「いや、待て待て、メリンダもエリーナも……トーマがラトス村の農民の子であることは、レブロン辺境伯から証言をもらっていることは、知っているだろう?」
アレス様の言葉に、メリンダさんは何か言おうとしたが、ぐっとそれを飲み込んだ。証言が当てにならないと言えば、レブロン辺境伯への侮辱となるからだ。でも、心の中では、そう思っている様子だった。
「ああ、あなたが以前おっしゃっていたのは、この少年のことでしたのね?ふうむ……」
金髪の貴婦人はそう言いながら、俺のそばにやって来て、じっと俺の顔を覗き込んだ。
(ちょ、ち、近いですよ。いい匂いだし……そんな目で見つめられたら……)
「……ただの片田舎の少年にしか見えませんわね」
のんびりした口調で、きつい言葉を吐きやがったよ、この人。
「あ、ああ、そうだ。だが、その強さはまさに魔人の如くなのだ」
アレス様、フォロー、ありがとうございます。でも、申し訳ありませんが、ここに来たのは、あなたにお仕えするためではありませんよ。
「あの、すみません、アレス様。ここに来たのは、アレス様に聞いていただきたいお話があったからでして……仕官のためではありません」
俺の言葉に、アレス様はがっくりと肩を落としたが、無理に微笑みを浮かべて言った。
「そうか……いや、分かっていたよ。君は人の下に仕えるような男ではないからな」
「すみません、せっかくのお誘いをお断りして……でも、俺は、今まで出会った貴族の中で、アレス様を一番尊敬しています。だから、アレス様に何かあったときは、必ず陰ながら助力させていただきます」
「おお、その言葉を聞けただけで、千人の兵を味方にした思いだ。ありがとう、トーマ。あはは……で、私に話とは何だい?」
俺はまず、獣人国のことをアレス様に話した。特に強調したことは、獣人たちが荒々しいイメージとは異なり、非常に純粋で誠実な人たちであることだ。
次に、肝心の交易のことだ。俺は、初めに二つの組織のことを話した。一つはローダス王国の大商人サバンニと、彼と手を組んでいる国教会のラスタール卿のこと、もう一つは、獣人国のベローズ村とそこを拠点にしている交易商人バンダルのことだ。
そして、最後に、交易の方法について、俺と獣人たちで話し合った内容を語った。
俺の話に、何度も驚きつつ、最後まで黙って聞いてくれた伯爵は、しばらくじっと下を向いて考え込んでいた。
「ふむ…実に面白い。それに合理的だ。実はな、トーマ君、これはまだ、エルベスト公爵とその側近しか知らないことで、他言禁止の話なのだが……ここにいる者は信用できる者だけなので話すとしよう……」
アレス様はそう言うと、一応ドアの所へ行き、外を見て、そこに立っていた執事に新しいお茶を持ってくるように命じた。そして、執事がかしこまって去るのを見届けてから、戻ってきた。
「さて、その話というのはな、現在、国王様と公爵様を中心に、獣人国と国交を結ぼうという動きがあるのだ。これには、ローダス王国とプラド王国を背後からけん制する狙いもある。
ただ、我が国はこれまで、獣人国と全く交流してこなかった。だから、彼らについての知識が皆無なのだ。さっき、君が言ったように、獣人に対するイメージもあまり良くない。だが、今の君の話から、今後、一気に話が進む可能性がある……」
アレス様はそう言うと、隣に座った、例の金髪の美女に目を向けた。
「……エリーナ、ポートレスの街は、君の兄のオリアスが領政官(代官のことを正式にはこう言うらしい)を務めてくれている。港が交易の拠点になれば、オリアスにもいろいろ難しい仕事をしてもらうことになるだろう。一度、ここへ来てもらって、私とトーマとオリアスの三人で今後の打ち合わせをしようと思う」
「ええ、そうですわね。兄にはいささか荷が重い仕事だと思いますので、しばらくは、私が側について補助いたしましょう。でも、あくまでしばらくですからね。婚約者としては、あまり長くあなたのお側を離れたくありませんの」
「婚約者?」
俺は思わず声を上げてしまい、慌てて口を押さえながらメリンダさんの方を恐る恐る見ると、彼女は鬼のような形相で俺を睨みつけていたが、その顔には明らかに悲しさと悔しさがにじみ出していた。
「あ、ああ、そうなんだ。紹介が遅れたが、彼女は、エリーナ・クラウトン、隣国のクラウトン子爵の令嬢で、私の婚約者だ……」
アレス様の話によると、例のボイド侯爵が失脚した後、その領地は大きく東西に二分された。東側はアレス・パルマー伯爵の領地となり、西側には新たにトーラス・クラウトン子爵が領主として配置された。
彼は、エルベスト公爵の側近で、つまり、この婚約もエルベスト公爵の仲介で決められたものだった。
(そりゃあ、メリンダさんは悔しいだろうな。一番長くアレス様の側にいたんだから。でも、この国の上級貴族は複数の奥さんを持つのが普通だから、まだ希望はありますよ、メリンダさん……)
ともあれ、まだいろいろ準備は必要だが、こうして、俺の計画通りに交易ルートは決定した。