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ラビちゃんのお話

 素敵な恋物語。君と夜風と花束と。開幕です。


 


「私はアイドルになりたいんです」


「なら……うちで歌ってみないかい?」


 始まりは近所の公園でおじいさんと出会った事。あの日、夜の公園で歌っていた私は声を掛けられて……私は歌手になった。


「いや、おめぇは歌手じゃねぇ。一般人だ。何を捏造してやがる。このすっとこどっこい」


「うるさーい! このひげクモハチ! 私はアイドルになるんだーい!」


 そんなわけでここキャバレー『十六夜』で私は歌手となったのだ。


 土日の夜だけ私は歌う。


 歌うのは勿論私の目指すアイドルが歌うような曲。アイドルっぽい曲。アイドルと言えばこれ。


「にくにくしてたら遅れちゃーう! きゃっはー!」


「……マジかよ」


 バーテンダーのひげ男が毎度毎度文句を垂れるが私はアイドル歌手になるんだ。このステージで腕を磨いていつか必ずアイドルに。


 キャバレー『十六夜』は大きなライブ会場みたいなお店だ。ファミレスと普通のライブ会場をドッキングしたような大きなお店でステージは低くて広い。ステージというか演奏エリアという感じ。なんか『これ違う』感があるが、とりあえずこれもステージだ。


 いつもこの店に居るのは数えるばかりのご老人のみという寂れたお店。


 観客が少ないとはいえピアノの生演奏と共に歌を歌えるのはとても気持ちの良いものだ。


 ピアニストの無月さんは超イケメンでカッコいいし。無口だけどすごいカッコいいの。もう指の先までカッコよくてすごい。新たな性癖に目覚めちゃうくらいに素敵なピアニストなのだ。思わず歌を忘れて見入っちゃうのも当然だと思う。


「……いや、無月を見てないで歌えよ」


「うっさいなー。あんたはひげ剃りなさいよ」


 今日もステージを終えた私はバーカウンターに座り余韻に浸る。今日も最高のデキだった。お客さんのおじいちゃん達も拍手してくれたし。イケメン無月さんとのコラボ……すごく気持ちよくて癖になっちゃう。はふぅ。無月さんのあの指……ペロペロしたいなぁ。


「……音はあれで本当に合ってたのか? あと『きゃっはー』ってなんだ?」


 ひげ面のバーテンダー『クモハチ』が折角の余韻に水を差す。


「曲にケチ付けないでよ。アニソンなんだから『きゃっはー』ぐらいは普通よ、普通」


「……で、音はあれで合ってたのか?」


「……ウィスキーをロックで」


「お前まだ未成年だろ」


 このひげ面バーテンダーはうるさい男だ。ひげ面のくせに細かいところまでダメ出ししてくる嫌な男なのだ。ひげ野郎なのに。それも武将のようなひげだ。無精髭ではなくて『武将ひげ』だ。

 

 このひげ男は時代劇や映画で活躍する俳優……ということになっている。やられ役として多くの作品に出ているゴツい野郎なのだ。


 初めて会ったとき、初めて会ったような感じがしなかった。どこかで見たような、そして『こいつは悪い奴だ!』という直感がビビビと私に舞い降りたのだ。


 昼は演劇俳優として、そして夜はここ『十六夜』のバーテンダーとしてクモハチは働いている。


 私だって昼は大学生として頑張ってるもん。文学部として日本語を探求してるんだもん。夜は歌手で目指せアイドルなんだもん。


 だから悔しくなんかないもん。アイドルとは違うもん。妬ましぃぃぃぃ! クモハチのくせにぃぃぃぃ! テレビに出まくりとか羨ましぃぃぃ! 悪役オンリーだけどぉぉぉ!


「今日のステージは最悪。点数にすると一桁だな。とりあえず水でも飲んどけ」


 そんな悪役面バーテンダーが水を寄越してきた。グラスに入れられた普通の水だ。こいつ蛇口から入れた水を寄越してきやがった。


「このケチクモハチ! せめてミルクにしなさいよ!」


 ここはバー! なのに水! 確かにギリギリ未成年なんだけど!


「はいはい、まともな歌手になったら幾らでもミルクを出してやんよ……ん? まさかセクハラして欲しかったのか? 俺のミルクが欲しいとか」


「死ね!」


 ひげバーテンダーはセクハラ野郎で最低の男なのだ。無月さんとは種族が異なるのだろう。武将ひげだし。なんでこんなんが悪役とはいえ……悪役だもんね、うん。こいつは悪だ!


 こいつは毎回ステージの品評をしてくる。私が全力で頑張っているのを毎度毎度貶して来るのだ。一度もステージに上がったこともないひげのくせに。


 許すまじ。確かに音は外しまくったが無月さんが頑張っていたからチャラだもん。アイドルは歌が上手くなくても大丈夫なんだもん。アイドルは基本的に歌が出来ない子達の集まりだもん。歌える子は普通に音大行くもん。


 だから、とりあえずひげ野郎を踏んでやる。


「ん? なんだ? カウンターの中に入って来て……そんなに俺に抱かれたぬぎゃ!?」


「けっ! 今日のところはこれくらいで勘弁してやらぁ」


「お、お前……」


 ひげ男の涙目なんて可愛くないものだ。なので今日はこれで上がることにした。最近のアイドルには毒も必要。これくらいならアイドルとして普通。だから大丈夫。


 ステージ衣装は素敵なドレス。白い花弁のようなドレスにヒールの高い靴。化粧バリバリでまるで自分ではないみたい。いつもの自分ならこんな酷い事はしたくても出来ない。でも今の自分は歌手の『ラビ』なのだ。


 だから思いっきり踏んでやった。これがアイドルの洗礼ってものなのよ。うん。悪いのはクモハチだ。私は褒められて伸びる子なの。批判なんて売れてからで十分よ。


「無月さんに送ってもらうわ」


「……いや、あいつはまだ仕事中だぞ? 一人で帰れよ」


「こんな時間に女の子を一人で帰すつもりなの?」


「……まだ五時前だぞ?」


「ふん! 乙女心の分からないひげ男ね!」


 泣いてるクモハチは放置して、この日は普通に一人で帰ることになった。私は未成年だから、実はまだ太陽が沈んでなかったりする。夜というか夕方のステージが私の担当。本当のキャバレーはもっと夜になってからだそうだが、肝心の私は出禁にされている。


 ……やはりムカつく。踏んでやろう。


「ふん!」


「ぬぎゃ!?」


 全てはこのひげ男のせいだ。この前、夜のステージが気になってこっそり更衣室に隠れていたらあっさりと見つかってこってりと絞られたのだ。


 奴のねっとりとしたお説教で私はマスターにも苦笑をいただいてしまったのである。私の才能を見出だしてくれたこのバーのマスターに。公園で会ったおじいちゃんはこの店のマスターだったのだ。


 マスターは基本的に夜に出てくる。夕方まではクモハチがバーのバーテンダー担当なのだ。こいつも毎回いるわけではないのだが、私のステージの時は大体バーにいる。お仕事大丈夫なのか少し疑問。


 怒られつつも覗き見た夜の『十六夜』はすごく大人な世界だった。


 夜のステージ担当のお姉さまは、ものすごく綺麗な人でビビったが、その人も苦笑していた。素敵なおじ様もいた。ナイスミドル過ぎて鼻血が出るかと思った。


 勿論無月さんも……珍しく呆れた顔をしてたけど、無月さんもここにいた。

 

 ……武将ひげなクモハチだけが矢鱈と浮いていたが夜の『十六夜』はお子ちゃま禁止として私は出禁を食らったのだ。


 大人しく従えなければクビ。


 私は涙を呑んで従った。


 このクモハチ野郎のせいで私は……私は!


「……睨んでないで、はよ帰れや。あ、今日の大河ドラマに俺も出てるから。すぐに切られて死ぬけど。目印は山賊風山賊な。つまり山賊なんだけどよ」


「知るか! このひげ!」


 自慢気なひげ男にイラっとした。こんなひげ男がテレビに出られるというのに私は……。


 今まで受けてきたアイドルオーディションは軒並み全滅。声優事務所にも断られ、芸能事務所にも全て断られた。全て書類選考で落とされた。面接はひとつもない。そこまで辿り着いた試しがない。


 何故だ。確かにいつもの私は地味で暗い、お化けのような容姿をしているが、化粧と服装でここまで変わるというのに。


 今の私はあのクモハチをして『……あれだ、女主人って感じだな。片田舎の』と褒めちぎるほどの容姿へと変貌している。


 最初の化粧こそピエロっぽくなったが、ネットで化粧を学んで私は夜の蝶になったのだ。これもアイドルには必要なスキル。


 ひげ野郎は私の顔をろくに見ようともしないけど、いいの。私は無月さんに見てもらえればそれで。無月さんも演奏中はこっちを全然見ないけど……それでもいいの。私が見るから。


 きっと今の私ならアイドルっぽく見えるはずなのだ。このクモハチ野郎はいつも真顔で否定しやがるが。


 とりあえず憎い。このひげ野郎が憎い。八つ当たりなのは分かってるがそれでも憎いものは憎いのだ。女の子は褒めて育つ生き物なのにこの野郎はいつも辛口なのだ。


 ……また踏もうかな。


「……近寄ったらチューすんぞ」


「このセクハラひげ!」


 怯えるひげを踏むのは諦めて更衣室に行く事にした。


 ふと店内を見渡すと、無月さんのピアノ演奏が流れてる事に気付く。心なしか無月さんのハンサムフェイスに安堵の表情が浮かんでいるようにも見える。お客さんのおじいちゃん達も何故か頷いているし。


 ……奥が深いなぁ。キャバレーって。


 こうしてこの日のバイトは終わった。


 家に帰ってから大河ドラマを見たけど本当にクモハチが映っていてビビった。本当に山賊でびっくり。違和感無く山賊だった。なにあれ、なんであんなに斧が似合うんだろう。むしろ斧がないと駄目な気がする。


 現れて五秒で主役の人にバッサリと切られて噴いたけど。


 悪人面でしかも体格が良いから主役よりも映えていた。瞬殺されたけど。


 山賊弱っ!


 そんなワードが検索ランキングにも上ったそうな。


 主役の男性アイドルよりも、遥かに筋肉質でごんぶとな山賊が瞬殺ってのは、みんなも違和感を感じるんだなぁ、そんな事をつらつらと思いながら寝ることにした。明日は月曜日。授業が朝から入っている。必修科目でヒーヒーするけど今の私には夢がある。


 あのクモハチ野郎をバカにするという夢が! 瞬殺されてやんのー! ぷーくすくすー。


 ……。


 ……んー。私の夢はアイドルになる事だったような……すぴー。





 げふ。


 今日は金曜日。月曜日から始まった授業みっちり一週間が大体終わった。


 金曜日は朝から始まり午後までびっちりと授業が入っていた。大学の授業は長い。やってることはそこまで専門的なものではないのでなんとかなるが……しんどいのも事実。


 超疲れた。本当に疲れた。


 みんなこのあと遊びに行くとか言ってる。正気を疑うわ。


 この大学にもサークルはある。高校でいう部活。クラブ活動みたいなものが。ここにはアイドルサークルというものもあったのよ。私は入り口で断られたけど。


 とりあえず通報しといた。こいつら麻薬やってますと。


 警察が本当にやって来て、本当にサークルの部室で麻薬が発見されちゃったから、この大学のサークルは現在ほぼ全てが停止処分中である。アイドルサークルの奴等は全員が退学処分にもなった。


 危なかった。きっと神様が私をアイドルにさせるために止めてくださったのだわ。うん。警察が来てなかったら私が部室に殴り込みをかけるつもりだったし。危ない危ない。


 そんな訳で、ある意味謹慎中なのだし、大学生らしく勉学に励めば良いものを、同級生や先輩方はみんな遊びに行く事に夢中らしい。


 タフだなーと思う。


 クラブで踊ったり?


 カラオケで歌ったり?


 ふふん。お子ちゃまよね。


 私はこれからキャバレーに行ってひげ男をおちょくるのよ。

 

 山賊さーん! 弱いですねー! とな。


 くくく。楽しみである。実に楽しみであるわ。


 なんか私の周囲から一気に人の気配が消えていってるけど……みんな元気ねぇ。私はもうちょい休んでから『十六夜』に突撃かなぁ。はー……。


 ……クモハチ……山賊だったなぁ。ちゃんと……山賊だった。演技なんてしてる時間も無かったのに……山賊に見えてたし。あいつも一応プロなんだなぁ。


 ……いや、私が目指すのはみんなのアイドル。山賊の演技を参考にするのはアイドルとして如何なものかと思うわ。


 うん。クモハチは山賊なのよ。私とは違う世界の住人ね。私はアイドル目指して頑張らなくちゃ。


 そんなわけで学食で軽く摘まんでから私は『十六夜』に向かうことにした。大学の学食は安くて量が多いので使わない手はない。無月さんの前でお腹を鳴らすのは乙女として致命傷だ。それだけは避けねばならない。


 クモハチなら全然平気なんだけど。あれは山賊だから大丈夫。むしろおならも大丈夫な気がする。なんたってクモハチだし。


 学食で『スーパーゴッデス丼御膳』を平らげた私は意気揚々と『十六夜』へと向かう。その途中の事である。


 私は一人の小学生の少女に出会った。


 出会ったというか……『十六夜』の従業員口に入ろうとしてたのを止めたのだ。


 私よりも二回りは小柄で、気の強そうな女の子だった。服装は無理して大人っぽくしてるけど、あまりにも体が小さいから子供にしか見えない。背伸びしちゃったんだなぁふふふ。


「ダメですよ。ここは大人のお店です。入りたい気持ちも分かりますがもっと大きくなってからですよ」


「……あぁ?」


 女の子に睨まれた。私、大学生なのに小学生の女の子にメンチ喰らいました。超怖いです。ヤクザ? ヤクザの娘なの? キャバレーだからそういうことなの? マスターの隠し子なの?


 そんな事を思いました。


 そんな時です。従業員口が開いて中からひげ男が出てきたのです。


「……」


 ドアが閉じられました。ひげ野郎はドアの外にいた私達を一瞥するや華麗なバックステップを決め、そして無言でドアを閉めたのです。あの野郎、ぶち殺す。


「……クモハチ、開けなさい」


 少女がドアを蹴ってます。ガンガンいってます。ヤクザです。手慣れてます。明らかに手慣れているのです。なにこの小学生。超怖い。


『なんで二人が……というかラビが店に来てんだよ。お前出禁だろうが』


 ドア越しにクモハチの声が聞こえます。こっそり従業員口から入れば大丈夫だと思っていたので思わぬ展開です。


 そして勿論小学生女子も黙っていません。


「……あぁ? ラビ? この子がマスターの言ってた子なの?」


『一応未成年だから六時以降は出禁にしてる……あ、もしかして初対面か』


「どうでもいいから開けなさい」


 ドアが開かれました。従業員口に立つのはバーテンダークモハチ。そしてそれに対峙するのは腰に手を当てた小学生。その背中に怒りが見えます。思わず黙ってしまいます。


「……」


「なんで黙ってんだ? ほれ、とりあえず中で自己紹介ぐらいは……」


「邪魔」


「げふっ!?」


 クモハチが蹴られました。ヤクザキックです。奴の腹のど真ん中に入って巨体がノックバックされました。なんて小学生なのでしょうか。ハイキックに近いヤクザキックです。大柄なクモハチに比べると小学生は本当に小さくて……なんか犯罪臭を感じます。


「……じゃ、私はこれで」


「なに言ってんのよ。あんたも入りなさい」


 …………逃げられませんでした。





 キャバレー『十六夜』の更衣室。ここに私は連れ込まれました。ええ、クモハチも一緒です。女の子に逆らえなかったのです。私よりも小さいのに。


 ここの更衣室はアホみたいに広いです。更衣室と化粧室がセットになった舞台裏という感じです。二十人くらいなら同時に着替えと化粧が出来そうです。


 壁に鏡が沢山設置されててすごく楽屋っぽいのです。


 そんな広い部屋に三人です。いつも着替える時は一人ですが。


「私は『美月』よ。ここのステージで歌姫をやってるわ」


 女の子は胸を張ってそう言いました。小さいです。小さいというか……まな板です。


「美月ちゃんは小さいけど大人だからな。こう見えて俺よりも年上だ。尊敬と敬意を込めて、みんな『美月ちゃん』と呼んでいる」


「クモハチ……死にたいの?」


「照れてる美月ちゃんは可愛いだろう。うちの看板歌姫だからぶっちゃけマスターですら逆らえん。可愛いだろ? みんなのアイドルとはこういうのをぐはっ!」


「……黙れと言っているのよ」


 ……言ってません。


 クモハチは脂汗を垂らして床に膝を着いています。鳩尾に女の子の拳がめり込んでました。めり込むというか……埋まった?


「あなたがラビね。まぁよろしく。私とは今まで時間が被らなかったから挨拶が遅れちゃったけど」


「え、あ、はい。よろしく……お願いします」


 床に膝を着いてるクモハチが必死な形相で頭を下げる動作を見せている。女の子からは見えない位置で。なので丁寧にいってみた。もしこれでクモハチに担がれていたら……当然ぶっ殺すつもりであるが……この女の子、普通に怖いです。


「ふーん。最低限の礼儀は知ってるようね。なら良いわ。クモハチ。いつまでここにいるのよ。さっさと出ていきなさい」


 うわーお。あのクモハチが『マジか!?』みたいな顔を見せています。この更衣室に連れてきたのはこの女の子なのに。クモハチの大柄な体に怯みもせず今は見下ろす感じで……いや、大体同じ目線です。クモハチはでかいなぁ。


 腹を抱えているクモハチが口を開きます。汗が床に垂れてます。


「み、美月ちゃん? ラビはまだ未成年だから……」


「まだ六時まで少しあるでしょ。リハぐらいは見せてあげたいわ」


 ……リハ。女の子の口から思っても見ない言葉が出てきました。この子もアイドルを目指しているのでしょうか。すごく自信満々な声音です。強気ですねぇ。そしてチビッ子っぽいです。なんだか微笑ましい気分になりました。


 でもクモハチは真顔です。苦悶の顔が真顔になったのです。クモハチが真顔な時はわりと真面目な時です。クモハチが真顔で駄目出ししてきたら、それは本当に駄目という事なのです。


「え、大人気ないよ? それはあまりにも大人気ないと思うんだよ。美月ちゃん」


「うるさい。『十六夜』のステージに立つとはどういう事か、この子も知らないといけないでしょ」


「悪いのはマスターなんだけどなぁ。これもこれで人気はあるし」


「こ、これとか言うな」


 こっちを向いて『これ』呼ばわりされたので思わず反論してしまいました。女の子があまりにも強気で上から目線なのも気になりますが……あのクモハチがこの女の子を立てています。あのクモハチが。


 ……やっぱりヤクザの娘なのかなぁ。


 なんか人に命令するのを慣れてる感じ?


「どうでもいいと言ったでしょ。着替えるから出ていきなさい」


 ……ちっちゃい女王様だ。これ。床にかしずくクモハチが舎弟に見える。


「……美月ちゃんがそう決めたのなら……ラビは着替えなくていいぞ。つーかお前着替える前は本当に地味だな。地味というか……お化け?」


「……そうよね。なんか……お化けっぽいのよね。この子」


「う、うるさーい! すっぴんは酷くてもいいんだーい!」


 クモハチを蹴りまくった。女の子は蹴れない。怖すぎて。


 クモハチを追い出してすぐに女の子は着替え始めた。切り替えが早いとは思う。ここの更衣室にはロッカーが幾つも置かれてる。かなり大きなロッカーというか……ドレッサーと言えるサイズのものが鏡の向かいに何台も置かれているのだ。


 私が使わせてもらってるのはドレッサーではなくかなり大きめのロッカーとなる。いつも着ているステージ衣装はここに置いてある。自前ではなくマスターからのレンタルという形だ。ドレスなんて普通は持ってないので当然だよね。


 使用中のロッカーにはネームプレートが掛けられていてそれぞれ『カグヤ』『美月』『三日月おじさん』『無月』『月天公子』『ラビ』のネームプレートとなる。実は男女共用なのだ。この更衣室は。


 無月さんのロッカーは小さめで何度か触ったことがある。残念ながら開かなかった。たとえ分かっていてもワンチャンに掛けるのが乙女というもの。


 ここで無月さんも着替えている。


 そう考えながらテンションをあげるのだ。私は一人ここでな。そう……無月さんのロッカーの前で全裸になりセクシーなポーズを……。


「……なにしてんの?」


「へ?」


「それ、無月のロッカーよ?」


「あ、はい。私のはこっちですよね。ははははは」


 今日は一人じゃないのを忘れていた。危ない。大丈夫。まだ服は全部着てる。私の密かな楽しみもバレてないはずだ。


「更衣室が男女共用なのは昔からだから諦めなさい。興奮するなとは言わないけど問題は起こさないように」


「……はい」


 バレてらした。小学生に怒られてる自分。そんな感じがすごいする。なにこれ恥ずかしい。


「昔は踊り子も沢山いたから男性の方が恥ずかしがる感じだったみたいね。もう大分昔の話になっちゃうけど」


 女の子は着替えながらも普通に話している。意外と話は通じるっぽい。脱ぎっぷりも良かったし。でも踊り子って今は聞かない気がする。


「お、踊り子? 踊り子って……あの踊り子?」


 思わず聞いていた。踊り子……伊豆の踊り子ぐらいしか頭に浮かばない。とても和風なイメージだ。


「それ以外に何があるのよ。ここはキャバレーよ? フレンチカンカンなんて当たり前でしょうに」


 ……フレンチカンカンってなんだろう。なんか……美味しそうな感じがする。トーストじゃなくてカンカン。ビスケットかな。なんか固そう。


「さて……着替えは終わったけど……」


 女の子は着替えを終えていた。変身していたのだ。小学生にしか見えない女の子が今は『フェアリー』である。


 ……ずるくない? なんか……ずるい気がする。これは反則だと思う。元々可愛い感じの小学生がこれは……ずるい。


 ふわふわのドレスがコスプレに見えて仕方無い。黄色のドレスを着た妖精がここにいた。


「……化粧はいらないか」


「なぬ!?」


 鏡を見ている妖精の呟きに私のアイドル魂が苛烈な反応を示した。この小学生……まさかのすっぴんだったのか!?


「なによ」


「……なんでもありません」


 黄色い妖精に睨まれた。怖いです。


 神様は酷いと思います。なんでこんなにも人に差をつけたのでしょうか。これでは世界から争いは無くなりません。殺しあい上等です。月夜の晩には殺人事件が横行です。ゴルフクラブはどこだっけ。


「これで問題があればクモハチが何か言うわよ。あれもプロだから」


「……駄目出しのプロ?」


 嫌なプロだなぁ。男として最低ね。ゲスよゲス。ゴルフクラブで殴らなきゃ。


「バーテンダーとしてみんなを見てるのは伊達じゃないのよ。あいつの評価はいつも正しいわ。あいつ自身の評価はとんちんかんだけど」


 ……今日び、小学生が頓珍漢とか使うんだ。なんか違和感すげぇ。フェアリーが頓珍漢とか言ってるよ。ファンタジーが多国籍? ここはどこの異世界かしら。


「さっさと行くわよ。あんた……夜になったら本当にお化けになりそうだし」


「……」


 相手は子供。相手は子供。耐えろ私。不意打ちで遭遇すると両親も腰を抜かす容姿だけど私はお姉さんだもん。このクソガキ……ゴルフクラブで殴打してやろうか。くそ生意気なその面をボコボコにしてやりたい!


「歌い手なら容姿なんて関係無い。でもそれは……クモハチも引いてなかった? あいつの見立ては間違いないわよ?」


「うっさいわ! 初対面の時はガチでドン引かれたわ! あのひげ男が悲鳴を上げたわ! 満足かっ! この野郎!」


 お姉さんは、ぶちギレました。





 チビッ子に腹パン一発で伸された私はバーへと連行されました。何あれ瞬歩? 縮地? 気付いたら腹にちっちゃな拳がめり込んでましたー。


 ……ごふっ。


「この子、中々愉快ね」


「だろ? ガッツはすげぇんだよ。実力は伴ってないけど」


 バーでは狂犬フェアリーと武将バーテンダーが談笑してやがります。そして……。


「……」


 無月さんも無言でグラスを傾けています。


 あぁ、私の癒し。無月さん。今日も甘いマスクが素敵ですぅぅ。ぐぼぉ。


 ……危ない。大学の学食で食べた『スーパーゴッデス丼御膳』が喉までせり上がってきたわ。ここでマーライオンと化すわけにはいかぬ。乙女として!


 ……ごっくん!


「美月ちゃん……もしかして……ラビに腹パンした?」


「したわよ。先輩に対する口の聞き方を教えてやったわ」


「……これでやられてないのはカグヤと無月だけか」


「…………」


 無月さんが青い顔で震えてらっしゃるわ。グラスを持つ手がプルプルしている。この狂犬フェアリーはとんでもないわね。


 ……あれ? もしかしてマスターも腹パンされてるのかしら。


 ……どんだけ!?


 この狂犬フェアリーはどんだけ狂暴なのよ!?


「無月。休んでるところ悪いけど、リハに付き合ってもらえる? この子にちゃんとした『ステージ』ってものを教えておかないと」


「……」


「いや、無月。そんなに怯えなくても大丈夫だから。ラビはリハを聞いたらすぐに帰れよ? 時間的に一曲が限界か」


「一曲で十分よ。スタンダードナンバーで」


「となると……あれか。無月」


 なんか話が勝手に進んでおります。私、お腹を押さえてカウンターでぐったりしておるのですが。


 バーで座ってると客席に背を向ける形になる。そしてステージからも背中を向ける形にもなる。とりあえず首だけ動かして狂犬フェアリーを追ってみた。いや、怖くないよ? チビッ子なんて怖くないもん。私はお姉さんだし。


 黄色い衣装のフェアリーがステージへと向かっていきます。チビッ子です。明らかにチビッ子なのですが、拍手が起きてます。


 いつの間にかお客さんが……え、いや、なんかすごい拍手が起きてますぞ!?


 思わず体を起こして店内を確認してみた。椅子がクルクル回るタイプだから、すぐに見えた。


 そこにはお客さんが沢山いた。席という席にお客さんが沢山いたのだ。客席というかファミレスの座席みたいなボックスシートが満員である。


 お年寄りもいれば、わりと若い人もいる。流石に若くても三十代っぽいが。


 彼らの大喝采の中、チビッ子と無月さんがステージに上がる。二人とも歓声に無反応だ。え、なにこれ。ひゅーひゅーとかマジでやる人いるの?


 ……なんぞこれ?


「一応これがキャバレー『十六夜』の夜の姿だ。今はリハだけど、それでもこうしてフライングでやって来る人達もいる。ま、みんな美月ちゃん目当てなんだがな」


「……ロリコン?」


 私の頭にまず浮かんだワードはそれだった。なんて業の深い客達なのだろうか。


「美月ちゃんは俺よりも年上だっつーの。合法ロリとか本人に言ったら殺されるから止めとけよ」


 合法ロリ……本当にそんなフィクションが存在したなんて。神様はロリコンだったのかぁ。ま、触らぬロリに祟りなし。


「……無月さん目当てもいるのよね?」


 あのハンサムガイな無月さんですもの。この人気も頷けますわ。男性の割合が高いけど女性のお客さんもそれなりにいる。席が全部埋まってるのは私も初めて見たけれど。大体五十人……いや、その倍は居るのか?


 いや、私はほら、お年を召した方々のアイドルですから。悔しくなんか……悔しく……悔しいぞこんちくしょぉぉぉぉ!


 ここは寂れた店じゃなかったのかよぉぉぉぉぉぉ!


「無月目当ての客はあんまり居ないぞ。あいつもまだまだ未熟だからな。固定客が着くにはもっと腕を上げないと」


「……は?」


 私はクモハチの言った事が理解出来なかった。あの無月さんが未熟だと?


「今来てるお客さんが求めてるのは美月ちゃんの歌だ。彼女はプロの歌手。それも超一流に属する本物の歌姫だよ。体こそ、ちっこいけど……まぁ歌を聞けば分かるさ」


 クモハチが言い終わるとピアノの音が店内に流れ出した。それは私も知ってる曲だった。


 まさかのアニソンである。


 伝説的アニメのエンディングで流れていた曲。英語でよく分からない歌だった記憶がある。逆さクルクルだったし。意味分からん。


 おいおい、アイドル目指してるのは私だけじゃなかったのかよ。そう思った瞬間にぶん殴られたような衝撃を受けた。


 声が……。


 女の子の声が違った。


 太い。


 違う。


 雄々しい。


 これも違う。


 少女の口から出てくる歌は『言葉』なんかじゃなかった。


 質量を持った音。音の塊で殴られてる。頭も体も全部、巨大なぬいぐるみでぶん殴られてるような感覚。


 知ってる歌のはずなのに全然違う。


 揺さぶられる。私の全てを。


 価値観も音で破壊される。


 これが『歌』


 これが本当のアイドル……。


「いや、アイドルじゃなくてプロの歌手だって言ったよな?」


 私の呟きを拾ったクモハチに言われてふと気付く。歌は終わっていた。そして店内は大歓声に沸いていた。


「これがプロ。お前が目指すのはこういう世界だ」


「……ぐぼぉ」


「ぎゃー!」


 ……お腹に強烈な振動を受けて辛抱堪らず出ちゃったの。私は悪くないと思う。悪いのはフェアリーよ。黄色のフェアリーが全て悪いのよ。ぐぼろろろろろろ。





 次の日。


「にくにくしてたら遅れちゃーう! きゃっはー!」


「……またかよ」


 私はステージで歌っていた。昨日は『ぐぼぉ』した後、クモハチに追い出された。それはもうすごい事になっていたので、そのままバックレさせてもらった。折角の『スーパーゴッデス丼御膳』がバーカウンターに流れてしまったがそれはそれ。


「どうよ! 今日のデキは!」


「……一桁だな。あとゲロ処理費用でお前のアルバイト代は減額だ、この野郎」


「なにをー!」


 クモハチが真顔なので多分本当に大変だったのだろう。あれ、二キロ近くあったし。


「で、少しはプロの凄さが分かったか?」


 クモハチが偉そうに聞いてきた。ひげのバーテンダー、クモハチが。今の店内には無月さんのピアノの曲が流れてる。なんか……クラシックっぽいやつだ。


 それを聞きながら私は言ってやった。


「アイドルにあんなのは居ない。私の目指す先にいるのは、もっと低能の輩よ。だから私はこれでいく」


 あれは世界そのものが違っていた。私の目指すアイドルは、もっと世俗的で凡庸な存在なのだ。私の活躍する場はお茶の間でいいの。


 あれは……違う。


 あの狂犬イエローフェアリーは目標にしてはならないものだ。あれは絶対にコンサートホールとか武道館とかそんなレベルだ。オペラ座のフェアリーとかすごく似合いそう。


「……タフだねぇ。まぁマスターが拾ってきたんだ。それくらいの気概はあるわな」


「なによ。なんか文句あるの?」


 クモハチは笑っていた。なんかムカつく笑顔だ。ひげ面のくせして。


「いやいや。その心の強さは見事なものだ。でもきゃっはー、はやっぱりどうかと思うぞ。ほれ、無月も心を無にしてピアノを弾いてるだろ」


「……無月さんカッコいい」


 言われて見てみた無月さん。遠く虚空を見つめるミステリアスな無月さん。今日もお客さんはおじいちゃんとおばあちゃん達だけ。みんなが優しい目で無月さんを見ているわ。今日はお客さんが四人しか居ないけど。


「あとで謝っとけ。お前のゲロでもらいゲロしちまったんだからな。どんだけ食ってんだよ、お前」


「……私の吐瀉物で無月さんが……なんか目覚めそう……」


 これもある意味……間接キッス?


「よーし。今日は俺が家まで送ってやろう。ご両親にちょっと進言しておくわ」


「来んな! このひげバーテンダー! ストーカーか!」


「……娘さんがゲロ吐いて逃げたんです。ご両親にそういう風に伝えたい」


「やめろー! このひげ野郎ー! またパパとママが泣いちゃうから本当にやめろー!」


「やっぱり泣かしてんのかよ」


 この日もクモハチに馬鹿にされた。悔しいので足を踏んづけてやろうとしたらチューされそうになった。


 明日はゴルフクラブを持ってこようと決意した。セクハラひげ野郎をぶち殺す。


 無月さんのチューならいくらでも大歓迎なんだけど……今日の無月さんは照れているのか私と距離を置いていた。奥ゆかしいイケメンも良いものだ。


「いや、あのゲロの量にドン引きしてるだけだ。お前の妄想は何故に毎回口に出されるのかな?」


「むきー! そのひげ、むしってくれる!」


「おお? そんなにチューされたいのか? 大人のキスを教えてやんよ」


「むっきー!」





 私の夢はアイドル歌手。その夢を叶えるために今の私はキャバレー『十六夜』で修行を積んでいる。歌うのはアニソン専門。お客さんはご年配のみ。だけどいつかは若い人達にきゃーきゃー言われるアイドルになってやるんだ。


 それが私の夢。


 あとゴルフクラブでひげのバーテンダーを撲殺したい。


 無月さんとデートもしたいなぁ。


 やりたいことは沢山あるけど……やっぱりアイドルの夢は諦められないの。


 ゴルフクラブを振り回すアイドルになれば万事解決されそうだからそっちで頑張ってみようかな。


 今のアイドルには毒も必要なのよ。ふふふ。



 私は十六夜の『ラビ』ちゃん!


 いずれスーパーアイドルになる女の子なの!


 ひげの山賊は撲滅撲滅! そしてゆくゆくは無月さんと……むふふふふ。


 まずはこの人のお話から『君と夜風と花束と』が始まります。なんでこの人を最初にしたのか。こいつから物語が始まったからなんですよねぇ。本当にラビちゃんからこの素敵な恋物語オムニバスが生まれたのです。ガチで。


 オムニバス形式の物語も書いてみっかー。そんなノリで作り始めたこの物語。思ったよりも手応えがあって『読めるもの』になった気がします。いや、作者の感想なんでアレですけどね。そんな訳でこの物語を切り取ってまとめておこうと思った次第。短編100本ノックに埋めておくのは勿体無いかなーと。いや、本当に手応えあるんだからね? ラビちゃんの話含めてさ。


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