【形代あらず】と言うメッセージは受け取った
源氏物語の終幕を皆様は知っているだろうか?
主人公の光源氏が亡くなって八年後の話しなので外伝のような立ち位置でざっくりとしたあらすじは、世間では光源氏の子と言われる薫と帝の子である匂宮が、様々な女性を取り合う話しだ。
この二人が女性を巡って争うので、ある者は心労で亡くなり、ある者は入水自殺未遂まで起こすのだ。
そして終幕【夢浮橋】で、入水自殺をした女性を保護しているお寺を薫は訪ねに行くのだ。だが女性は出家して尼さんになっているから会うのを拒む。そこで話が終了となる。
誰がどう見ても打ち切りエンドって感じである。もしかしたら作者の紫式部が続きを書いていて発見されていないだけなのかもしれないが、今はこれが最終回なのだ。
こんな感じの物語なのに、我が文芸部の文芸集の名前が【夢浮橋】なのだ。ストーリーがこんな感じなので表紙の絵はちょっと憂いっぽい目をした十二単の女性が描かれている事が多いのだが……。
今年の表紙として出された絵は、違っていた!
可愛らしいボブショートにまん丸のキラキラした瞳とはじけるような笑顔、十二単って言うよりも今風の着物で裾が短くフリフリのミニスカートになっている。
なんというか「最強のアイドル!」って言いだしそうな感じの少女の絵である。そして後ろの掛け軸には【形代あらず】って大きく書かれて、紅葉が紙吹雪のように舞っている。
夏の暑さが未だに引きずったままの九月。この絵を何とも言えない表情で見下ろす二年生の花里先輩は重いため息をついた。
「どう思う? 笠間さん」
どう思うって言われましても……。一年である私、笠間 光香は曖昧に笑うしかない。だって、今年の文芸集の表紙はこれなんだけどって見せられて意見を言えるほど大物ではない。
だが和食屋に来たのに、ペペロンチーノを頼んだような場違い感は否めない。
花里先輩は依然として難しい顔をしている。
花里先輩の心の声は、書いてくれるのはありがたいんだけど、イメージと違うんだよね。だけど没って言ったり書き直してって言ったら、書いてくれた子がヘソを曲げちゃうんじゃないか……って感じかな? 先輩は人当たり良いけど、こう言った諍いになりそうなことはしたくないのだ。
私は「これ、誰が描いたんですか?」と聞くと、花さと先輩は力なく答えた。
「一年二組の明石さん。昨日の昼休みの時、文芸部の子に『これを文芸集の表紙にしてください』って持ってきたんだって」
「はあ……」
「いつもは九月あたりにイラスト部か美術部、後は絵がうまい文芸部の子に頼んで書いてもらうから、自主的に書いてもらってありがたいんだけど……」
「青井先生はなんて言っているんですか?」
「先生は、どうしてこの絵にしたのか聞いてきてほしいって」
理由を聞いてほしいって言うのは青井先生もこの絵について色々と思う事はあるのだろう。四十代後半の国語の先生だ。
花里先輩はチラッと私を見て、「それでねー」とねっとりとした口調で話し出す。
「二年生の私が聞きだすのも、ちょっと威圧感あるじゃん。パワハラって感じで」
「……そんな事は無いと思いますよ」
「だから一年生同士だと、きっと話しやすいと思うよ」
「……話したことが無いんですけど、明石さん。しかも違うクラスですし」
「笠間さんは町田先輩から聞いたけど、源氏物語が詳しいんだよね。もしかしたら明石さんは源氏物語を知らないかもしれないから、教えてあげた方がいいんじゃないかな? ついでにさ、昔の文芸集も見せてあげて欲しい。図書室にあるから」
もう私に聞いて来いって言われている。上下関係が強い運動部ではないけれど私は一年であるから、二年生の先輩の言う事には従わないといけない。
私は「分かりました。聞いてきます」と言うしかなかった。
*
と言う事で花里先輩の指示により、次の日の昼休みに明石さんのクラスに向かった。
「えーっと、笠間さんでしたっけ?」
「はい。笠間 光香です」
なんで呼ばれたんだろうって明石さんは怪訝そうな顔で見ている。それもそうだ。話したことが無いんだから。
だが私が「文芸集の表紙を描いてくれたんですよね」と言うと、彼女は笑顔になって「いや、お礼なんていいですよー」と色々とすっ飛ばした発言をした。
「いやいや、先輩が言うには他の部も文化祭の準備で大変なのにって言ってましたので。表紙を描いてくれてありがとうございます」
「全然ですよー。だって夏休みに描いたんですもの」
夏休みに描いただと! 夏休み中の私は文化祭の文芸集の内容、どうしようかな? プロットだけ作るか……って考える程度だったのに!
恐る恐る「先輩がやってって言われてやったんですか?」と聞くが、明石さんは「いや、自主的です」と答えた。
「と言うか、むしろ先輩たちが驚いていましたね」
「ですよね」
もしかして影で先輩達に言われて強制的にやらされたのか? と思ったけど、あっけらかんとした態度で言っているので多分、嘘ではなさそうだ。
私は「あの絵のテーマって何ですか?」と評論家のような事を聞く。
「原点回帰。そして伝統、受け継いできたメッセージの復活ですね」
すごく今風な絵なのに原点回帰って……。そして伝統とか受け継いできたメッセージってどういう事だろう? そもそも彼女は文芸部ではない。イラスト部じゃないか。
なんだか脱力感が増してきた。もうド直球に聞こう!
「あの、なんであの絵にしたの?」
「何でって?」
「えーっと、去年の文芸集の表紙より随分と明るい絵だから……なんで、かな? って思って」
明石さんの地雷を踏まないよう慎重に言葉を選びながら私が聞くと、彼女はちょっと悩んだ顔になり、「今、ここで詳しく説明できないですね」と答えた。
「話すと長くなりますし、図書室の文芸集を並べて説明した方が分かりやすいし」
「……え? 図書室の文芸集を参考にしたんですか?」
「もちろん! 原点回帰させたいと思って昔の文芸集を並べて検証もしたんですので」
……えー、参考と検証して、あのキラキラな表紙が出来上がるのか? 天才肌って言われる人なのか、それとも私が見ている世界と明石さんが見ている世界が違うのか。
私が絶句していると明石さんは「じゃあ、放課後にご説明します!」と言って去っていった。
謎以外に何にも残らない会話と思った。
源氏物語は祖母が好きだったので、私も何となく読んでいた物語なのだ。
源氏物語と言うのは三部構成になっている。第一部はプレイボーイ時代の光源氏の物語、二部は人生の苦悩で悩む光源氏の物語、三部が光源氏の子孫たちの恋路って形になっている。
こうしてみると私はやっぱり三部は別物って感じだなって思えてしまう。祖母も光源氏が主人公の方が好きみたいだし、三部の話しはした事ない。
だが明石さんは、三部が好きらしい。
「従妹が持っていた文芸集のおかげなんですけどね」
「明石さんの従妹って、ここの高校なんだ」
「そうなんです。女子高校時代最後の生徒だったんですよね」
ここ、梅野高校は元々女子高だった。だが少子高齢化の波にのまれて数年前に共学と変わって、可愛い制服に変わったのだ。
「従妹は羨ましがっていましたね。可愛い制服を着ていてずるいって」
明石さんが朗らかに笑っていると図書室に着いた。
図書室には誰もいないが係の女の子がカウンターで本を読んでいた。見ると恐らくライトノベルだろう。
明石さんは行きつけとばかりに図書室のカウンター近くにあった本棚から文芸集を取った。どうやらちゃんと歴代の文芸集をちゃんと読んでいたようだ。
「これが去年と一昨年の文芸集。確か表紙は三年生の美術部の先輩が描いたんですよね」
去年と一昨年の文芸集は紫貴先輩の友達である六川先輩だ。
六川先輩の描いた二つの表紙は十二単だがおかっぱの女性で、目線を下げて憂いのような表情を浮かべている。
明石さんは「この絵は浮舟でしょうね」と言った。
「恐らく尼さんになって、薫に会わなかった時の絵かもしれませんね」
「浮舟って入水自殺未遂をした人ですよね。確か薫と仁宮の板挟みで悩んで自殺」
私がそう答えると明石さんは「詳しいね」と返した。
「祖母が源氏物語を好きだったから、その影響でね」
「へえ。私は宇治十帖くらいしか、あまり知らないですね」
「宇治十帖?」
明石さんは「浮舟の物語ですね」と答えた。
そして数年前の文芸集を並べていくとちょっと変わっていく。浮舟ではなく制服姿の少女になっていった。
「一昨年以降は制服姿の女の子です。夢浮橋が源氏物語とは知らなかったんだと思います」
「だろうね。夢浮橋を源氏物語って分かる子は少ないだろうし」
そうした中、ある年の表紙はちょっと違っていた。十二単の女性と女子高生の姿だ。そして十二単の女性は短歌を書く紙に【形代あらず】と書かれてあった。
「これは従妹の代で梅野女子高最後の文芸集です」
「この文芸集は十二単の女性が居ますね」
「はい。うちの従妹はどうして文芸集の名前が夢浮橋なのか調べたんですよ」
そう言ってパラパラと文芸集をめくっていき、あるページを見せた。
【夢浮橋に形代は居ない】
この題名を明石さんは指を指した。
「そう! この文を読んでの通り、夢浮橋と言うのは代々受け継がれてきたメッセージがあったのです!」
「あの明石さん、まだ読んでいないって。そしてうるさい」
チラッと見るとカウンターの方を見ると係りの女の子がちょっと睨んでいた。まずい!
文芸集を全部回収して明石さんに「図書準備室に行こう」と引っ張るようにして連れて行った。
*
文芸部の部室である図書準備室に明石さんを引っ張っていくと、紫貴先輩が勉強していた。
「あ、紫貴先輩。お疲れ様です」
「光香ちゃん、お客さん、いらっしゃい」
朗らかな笑みを浮かべるのは真面目な雰囲気だけど風変わりな紫貴先輩。おっとりしているけど切れ者なのだ。
明石さんは「明石です」と軽く自己紹介をすると紫貴先輩も「町田です」とだけ答えた。
私は紫貴先輩に「ちょっとうるさくなるけど、大丈夫ですか?」と聞くと「いいよ」ってこころよく答えてくれた。
「それでうちの文芸集 夢浮橋にはメッセージがあるって話しているの?」
「はい、そうです!」
「え? 紫貴先輩、いつの間にその話しを知っているんですか?」
「図書室で声高らかに言っていたから、聞こえてきたの」
そうだよね、明石さんの声って響くから。そう思っていると嬉しそうに明石さんは「そうなんですよ! 紫貴先輩!」と前に乗り出している。
「私、文芸集の夢浮橋のメッセージを受け継ぎたいなって思ったんです」
勢いよく喋る明石さんに紫貴先輩は首を傾げた。
「紫貴先輩は文芸集の夢浮橋にメッセージがあるって知っていましたか?」
「ううん。知らないな」
「今、この学校にいる生徒は全員知らないです。すでに失われてしまったから」
そう言いながら、考古学者のような感じで明石さんは【夢浮橋に形代は居ない】のページをめくって説明する。
「私の従妹は以前の文芸集を調べたんですよ。すると【夢浮橋】になった年は三十年前だったそうです。それと一緒に【形代あらず】と言う言葉が添えてありました」
「【形代】って、何でしょうか?」
「形代って言うのは神様の代わりだったり人間の代わりに災いを受ける人形みたいね」
紫貴先輩がスマホの辞書アプリで調べて言うと明石さんは更に付け加えた。
「そして、浮舟の名称でもあります」
紫貴先輩は「確かにそうですね」と答えた。
「と言う事は、浮舟って誰かの代わりなんですか?」
「いい質問です! 光香さん!」
なんか有名なニュースキャスターみたいな事を言うな、明石さん。そして私をいつの間にか下の名前で呼ばれている。
明石さんは「そもそも源氏物語に出てくる女性って誰かの代わりの人がよく出ますよね」と話し出す。
「紫の上は恋焦がれる藤壺によく似た女の子で、光源氏は誘拐してその女性になるように教育させます。他にも昔好きになった女性に似た子を口説こうとしているし」
「確かに」
「そして浮舟も薫が好きになった亡き大君に似ていた。だが薫のライバルの仁宮と取り合いになり逃げる場所も守ってくれる者もおらず、自殺未遂をしてしまった」
自殺をしたと言う言葉が重たい。こういう展開があるから光源氏が主人公の物語の方がいいなって思えてしまうのだ。
さらに明石さんは語る。
「平安時代の貴族女性は結局、政略結婚の駒なんですよ。確か浮舟の母親は召使で身分は低く方。生活費は母親の実家から援助されればいいのですが、無い場合、結婚しないと生活は成り立たなってしまうんですよ」
「結構シビアな時代だね」
「心労も凄いでしょうね。だから浮舟は入水自殺をしましたが、お寺の人に助けてもらって尼さんになるんですよ。そこで彼女に変化が起こるんですよ」
「変化?」
「お寺には尼君と言う女性が居るんですが、娘が亡くなっているんです。そこで亡き娘の代わりに親切にされるんですけど、浮舟は嫌がるんですよ。そう、今まで【形代】として振り回されて生きていたけど自殺したことによって、自我が芽生えたと言われたと言われているんです! そうして会いに来た薫を拒否するんです!」
めっちゃくちゃ強調して言う明石さん。テンション高めでだけど、確かに明石さんの解説は納得できる。だが表紙のメッセージは何だろうか? と思っていると梅野女子高最後の文芸集を読みながら紫貴先輩が「形代あらず、ね」と話し出した。
「つまり三十年前、ここの学校の卒業生で親が決めた進路に進む子に宛てたメッセージって事かしら」
「あ、読んでくれましたか? 従妹が書いた奴」
「読んだよ。とある卒業生には夢があったけど、母親の夢だった教師になることが決められていた。それを聞いた後輩は自分の夢を追いかけるべきだって言ったけど、卒業生は教師になると言って卒業していった。そこで後輩は文芸集の表紙に尼になった浮舟と【形代あらず】とメッセージを残した。この学校に赴任して先生になった卒業生が見てくれるのを願って」
「なんかすごい話ですね。明石さんの従妹さんは元になった文芸集で知ったんですか?」
「女子高時代の文芸集ではその事を記した文章が必ず載っていたらしいです」
明石さんが答えると紫貴先輩は「だけど共学になった後は書いていないわね」と言った。
「それどころか、共学後しばらくは【形代あらず】どころか十二単の女性じゃなくて制服姿の女の子になっているわね」
紫貴先輩がそう言うと明石さんは「そうなんですよ!」と言って前のめりになって言う。
「きっと忘れ去られたんだなって思ったんです! だから私が表紙を描いてメッセージを復活させたいって思ったんです」
「忘れ去られたわけじゃ無いんじゃないのかな?」
紫貴先輩は意味深な笑みを浮かべる。明石さんが首をひねって「どういうことですか?」と聞くと先輩は口を開いた。
「だって【形代あらず】の話しを書いた作品に感銘を受けた子は明石さんだけでは無いはず。恐らく次の年の子達も受け継ぎたいと思うよ。だけど共学になった瞬間、プツッと止まってしまっている。まるで誰かが止めたように」
「じゃあ、誰かが止めさせたって事?」
「もしくは、もうメッセージは受け取ったんじゃないかな?」
「受け取ったって事は、その夢を諦めた先生が辞めさせたんですか?」
私がそう言うと意味深に紫貴先輩は笑みを浮かべて、口を開いた。
「とりあえず、この話しを青井先生にしましょうか」
「え? なんで青井先生に?」
「だって、この絵にした理由を青井先生が聞きたがっていたでしょう?」
紫貴先輩の言葉に明石さんは「え? そうなの?」と驚く。私も内心驚いた。なんで花里先輩に頼まれた事を知っているんだ? と思った。
色々と疑問に思っていると紫貴先輩は「あ、そう言えば」と何かを思い出したように話しだした。
「今年の文芸集の表紙を描いたんだって? 私も見たいな」
「ちょっと待ってください。原稿は渡して無いけどスマホ画像ならあります」
そう言って明石さんはスマホを操作して、例の画像を見せた。キラキラしたアイドルっぽい、あの絵を。
どういう反応するのかなって思って、紫貴先輩を見るとほほ笑みを崩さずに「可愛い絵だね」とだけ答えた。
*
図書準備室を出て、私達は青井先生のいる職員室へと向かった。
「青井先生、私の絵について聞きたいことがあるみたいですね」
不安が一切無さそうな明石さんの言葉を聞いて、再び紫貴先輩の発言に疑問を持った。
「そう言えば、紫貴先輩は明石さんの絵について青井先生が理由を知りたがっている事をどうして知っているんですか? 花里先輩から聞きました?」
「ううん。花里さんから聞いていないよ」
だったらどうしてと思っていると、紫貴先輩は「一年生の時にムウちゃんと一緒に青井先生に聞かれたの」と話し出した。ムウちゃんとは六川先輩の事だ。
「どうして、表紙の絵が十二単の女性なのって? 変な質問だなって思ったけどムウちゃんと私は『夢浮橋って源氏物語でしょう。だからです』と答えたのよ。誰かに言われて描いたとか色々と聞かれたけど、そう言うのは無かったので違うって否定した」
「変な質問ですね」
「つまり青井先生は表紙に十二単の女性を描かれるとヤバいって事ですか?」
明石さんの言葉に紫貴先輩はちょっとほほ笑んで「ヤバいわけじゃないと思うよ」と言った。
そんな会話をしていると職員室に着いた。
「すいません。青井先生、今、大丈夫ですか?」
青井先生は何やら書類を書いているのをやめて、顔をあげた。少しふっくらとしてのんびりとした雰囲気の中年女性だ。
「明石さんが描いた絵の理由が分かったのでお話ししてもいいですか?」
「……そう。じゃあ、隣の相談室で話しましょうか」
「え? ここでもいいじゃないですか?」
「職員室よりも話しやすいし、きっと長い話になるわ。申し訳ないけど、相談室で待っててくれる?」
青井先生にそう言われて、紫貴先輩は「じゃあ、相談室に行こう」と私と明石さんの肩を叩いて促した。
相談室って言うのは先生と個別で話せる場所である。図書準備室くらいの広さで、テーブルに椅子とちょっとした棚しかない部屋だ。私達は壁に立てかけてあるパイプ椅子を置いて座って先生を待つことになった。
「もしかしてさ、青井先生が親に決められて先生になった卒業生って」
待っている間、私はそんな事を呟くと、明石さんは「あ、そうかも!」とワクワクしたような感じで言う。
「きっとそうですよ! 青井先生って三十年前は高校生で年齢的にも合っています。それにここの卒業生みたいだし! しかも青井先生って共学になった時に赴任していたはずです」
なんだかロマンチックな感じで言う明石さんに紫貴先輩は「どうかしらね」とほほ笑んだ。
青井先生は「ごめんなさい。お待たせしちゃって」と言って相談室に入ってきた。
「それじゃ、あの絵の理由を聞かせてもらおうかしら」
少しお茶目な感じで青井先生は言う。それに合わせて明石さんはニコッと笑って口を開いた。
図書準備室で喋った内容を明石さんは喜々して話し出す。一方、青井先生は笑みを崩さずに聞き、決して話しを遮る事はしなかった。
すべて話し終えた明石さんはちょっと得意げに「以上です」と言った。
「あの、その親に決められて先生になった、卒業生ですか?」
私が恐る恐る聞くと青井先生は笑って「違いますよ」と返した。不思議そうな顔になった明石さんに青井先生は「だけど、その先生と知り合いなのよ」と答えた。
「だけどこのメッセージを受け取る先生は他県の高校の先生になっているのよ」
「あ、そうなんですか。じゃあ、その先生は夢浮橋の【形代あらず】ってメッセージを知らないんですか?」
「それは大丈夫。先生界隈って狭いから、文芸集のメッセージについて知っているわ」
そして先生は「それで、本当にごめんなさい」と言い、申し訳なさそうに話し出した。
「その先生ね、別に親に決められて先生になったって噂になっているけど、決してそうじゃないのよ」
「そうなんですか」
「確かに親から先生になれって言われたけど、進路を決めたのはあくまで自分で別に誰かの代わりでなったわけではない。だけど彼女の後輩から見たら、決めつけられたように見えたのかもしれないわ。だって進路についてギリギリまで悩んでいたし、それに後輩は夢を諦めないでくださいって応援してくれていた」
遠い目をしながら先生は語る。
「先生になるって決めて卒業していっても、後輩はこのメッセージを送っていた。しかも長い事、受け継いでくれていた。とても嬉しいけど、すでに気持ちは受け取ったからって彼女はやめさせてほしいと言っていたの。だから私がここに赴任してきた時、それをみんなに伝えて【形代あらず】ってメッセージをやめさせたの。すでにその先生はメッセージを受け取っているし、今までこれからも誰かの代わりとして生きていないのだから」
何かを思い出しているかのように遠い目をしながら青井先生は語った。
私達が無言になっていると明石さんは「でも……」とおずおずと話し出した。
「でも、確かその先生は夢があったはずです。その夢を諦めて、親に決められた先生になったって話しを聞いたんですけど……」
「確かに夢があったわね。でもね、先生になってもその夢は叶えられるから」
「……なんですか? その夢って」
「編集者よ」
青井先生はそう言ってほほ笑んだ。
*
「青井先生って、本当に【形代あらず】のメッセージを受け取った卒業生じゃ無いのかな?」
青井先生の話しが終わり、図書準備室へと向かう途中で明石さんはポツリと言う。私がちょっと呆れつつも「なんで?」と聞くと不満げに答えた。
「だって私の表紙の絵のダメだし、ガンガンと言ってくるんだもん」
へそを曲げた子のように不貞腐れた声で言って、ちょっと笑った。
あの話の後、明石さんの表紙の絵は【形代あらず】の文字を消す事以外にも、女の子の服装とか、トーンをつけすぎとか……、青井先生に色々と指摘されたのだ。
「あはは。元々、青井先生は文芸集の推敲はかなり厳しいよ」
「敏腕編集者だよ、青井先生は」
クスクスと紫貴先輩と私が言う。
するとちょっと不満げに明石さんは「紫貴先輩、どう思います?」と身を乗り出して聞いてくる。
「青井先生が例の卒業生だったって」
「さあ、どうでしょうね」
「でも最初、先輩は【形代あらず】ってメッセージをすでに受け取っているって言っていたじゃないですか?」
「それは一年生の時に、青井先生に聞かれた事や明石さんの話しを聞いて推測したからね。先生が夢を諦めた卒業生って確証は無いよ。それに調べればわかるかもしれないけど時間はかかるし、証拠を全部揃えるのも野暮な気がするわ」
そうして紫貴先輩は「それに私達はこれから忙しくなるからね」と付け足した。
「文芸集の作成ですね。ちゃんと余裕持って作りなさいって青井先生に言われちゃったからな」
「釘を刺されちゃいましたね」
「ちょっと早いけど、文芸集の準備をしないと」
そんな話をしながら、私達は図書準備室へと戻ってきた。