白昼夢【2】
気軽に書いてます。ゆっくりです。
防犯カメラの映像を得て、山川と本部に戻ろうとする命であったが、雑居ビルを出てすぐ彼女のスマホに着信があった。
彼女はすぐにジャケットのポケットを探り、スマホを取り出した。その画面は立木の名前を表示していた。
「はい、片桐です。」
『立木だ。今どこにいる?』
「今は山川さんと現場の隣のビルにいました。監視カメラの映像を確認していたところで。」
そうか、と相槌を打った立木の声は心なしか高かった。
『なら今から言う場所に向かってくれないか?現場からそう遠くない筈だ。』
「構いませんが、どうかしましたか?」
『今朝、不審車両の通報があったみたいでな。車体が血のようなもので汚れている状態で乗り捨てられていたみたいだ。事件に関係しそうか確認してくれ。』
「承知しました。」
彼女は立木が言う住所をメモしてから電話を切った。
山川は興味ありげに、彼女のメモを覗く振りを見せた。
「急用ですか?」
「はい。中尾の車が見つかったかもしれません。」
「それは、何とも…奇遇なタイミングですね。」
二人は現場近くの路肩に停めた警察車両に乗り込んだ。
立木に教えられた場所は、現場から四十分ほど車を走らせた、葛飾区新小岩の住宅街であった。
件の不審車両は、アパートの駐車場に無断で停められてのを、大家が発見し通報したようだ。
駐車場には、中尾の遺体が発見された現場よりは少ないが警官が数人おり、車両は一応覆いで隠されていた。
二人は近くの警官に事情を話し、覆いの中に入った。
そこには、T社のシルバーのミニバンが停めてあった。立木の話の通り、その車体には赤褐色の汚れが付着している。
それは、二人が防犯カメラの映像で見た中尾の車とよく似ていた。
映像と異なる点といえば、車体にいくつもある凹みや擦り傷だろう。廃車とまでは言わないが、ボディはほぼ全面を取り替える必要がありそうだ。
その乱暴な駐車の仕方を見るに、運転手は相当焦っていたか、若しくは運転が下手糞なのかもしれないと、彼女は思った。
山川も同じ感想を抱いたのか、苦い顔をして呟いた。
「これじゃあ、片桐さんの運転の方がマシですね。」
「どういう意味ですか、それは。」
「いやぁ、別に。」
そう会話しながら、彼女は助手席、山川は運転席の扉を開いた。中は特に荒らされた形跡もなく、キーも差し込まれたままであった。
するとそこに、所轄の警官がやって来た。
「お忙しい中、お疲れ様です。」
敬礼をしてくる警官に、二人も応じた。
命はメモをポケットから取り出しながら、警官に尋ねた。
「車体の染みは血痕で間違いなさそうですか?」
「はい、間違いありません。なので、こうして人目から隠しています。」
警官は視線を、彼らと車を囲む覆いに移した。
「この辺は高校が近いですし、丁度発見時は登校時間と被っていたので、余計に気を遣わないといけません。」
続いて山川が警官に尋ねた。
「車の指紋やDNA採取などは済んでますか?」
「はい、既に鑑識が採取済みです。近くで殺人事件が起きてますしね。」
それから少し会話してから、二人は自分達が乗って来た車に乗り込んだ。
運転席で車のエンジンをかけながら、山川が口を開いた。
「アレが中尾の車で間違いないとしても、犯人の動機がさっぱりわかりません。車を奪った目的が現場からの逃走だとしたら、埼玉方面に向かう方が無難でしょう。この辺に何か用でもあったんですかね。」
対する彼女は、スマホのメールを確認しながら応えた。
「遺族を当たれば何かわかるかもしれません。」
「中尾は所帯持ちでしたか。」
「そうみたいです。今、中尾の住所と家族構成が送られてきました。四十歳の奥さんと、高校三年生の息子さんがいるそうです。」
「なるほど。じゃあ、諸々報告したら話聞きますか。」
山川がアクセルを踏み込んだ。
彼女はぼんやりと窓の外を眺めた。
この事件は余りにも証拠が残り過ぎていると、彼女は思った。正直、肩透かしを食らった気分だ。
気がかりな点といえば、防犯カメラの映像だ。しかしあれも、どうせカメラの不具合でしかないのかもしれない。そう思うと、彼女の口から自然とため息が出た。
❇︎
中尾照美はいつも通り、三人分の朝食を作っていた。自分と息子の分は食卓に置き、夫の分はラップをかけて冷蔵庫に入れる。
夫の智は小さな印刷会社を営んでいる。しかし昨今の感染症が蔓延する状況下で、その経営は芳しくなく、夫は営業に走り回る日々を送っていた。今では朝帰りも珍しいことでもなくなってしまった。
彼女は朝食の準備を終えると、深いため息を吐いた。その目の下は暗く落ち窪んでいた。
彼女の不安げな視線は、リビングの角にある扉に向けられた。そこは、息子の部屋の扉だ。
彼女は唾を飲み込み、重い足取りで扉の前に立ち、恐る恐る扉をノックした。
「将ちゃん、朝ご飯できたわよ。」
よくやく搾り出されたような、その震えた声に応える者はなく、扉の向こうは静まり返っていた。
しばらくして、扉の向こうから反応が無いことを察すると、彼女はおずおずと扉から離れた。
「ご飯、置いとくから…早く食べてね。お母さん、もうすぐパートに行くから。」
彼女は肩を落として、食卓についた。
温かい白米と焼きたての鮭の切り身は、余りにも味気なかった。
息子の将太は、ひきこもりだ。高校三年生にも関わらず、就職活動も受験勉強もしている姿を見たことがない。
昔からひきこもりだった訳ではない。確かに活発な性格ではなかったが、真面目な普通の子だった。しかしあの件があってから、息子は変わってしまった。
ぼんやりと物思いにふけりながら朝食を済ませ、立ち上がったその時、着信音が鳴り響いた。
彼女はびくりと飛び上がった。
着信音はキッチンの方から鳴り響いていた。キッチンに置きっぱなしにしていた、彼女のスマホから鳴っているようだ。
彼女はキッチンに行き、スマホを手に取った。画面には知らない番号が表示されていたが、とりあえず電話に出ることにした。
「はい、中尾です。」
スマホから聞き覚えのない女性の声が応答した。
『警視庁捜査一課の片桐と申します。中尾照美さんでよろしいでしょうか?』
「え、ええ。はい。警察?」
警察と聞いて、嫌な予感しかしなかった。そしてそれは、的中することとなった。
『今日未明、中尾智さんと見られる遺体が発見されました。つきましては、確認のために一度警視庁までお越しくださいますか?』
照美はその場に硬直した。返事すらもできなかった。
今、電話の向こうの女は何と言った?これは何かの詐欺ではないか?そういった思考がぐるぐると頭を巡り、最早電話の声など耳には入らなかった。
すると、電話の向こうの声が突然大きく照美を呼びかけた。
『中尾さん!』
「は、はい!?」
思わず上ずった声を上げてしまい、照美は電話越しに赤面した。
「あ、すみません…ちょっと、戸惑ってしまって…。」
『お気持ちはお察しいたします。しかし身元違いという可能性もございますので、できればすぐに署にお越しいただきたいのですが、よろしいでしょうか?』
「わ、わかりました。すぐに向かいます。」
照美は電話を切って、しばらくは呆然と立ち尽くしていた。しかし、いつまでもそういている訳にもいかず、彼女はパート先に電話を入れて、出掛ける準備をした。
準備を終えた彼女は今一度、息子の部屋の前に立った。
「将ちゃん、あの…さっきね、警察から電話があって、お父さんに何かあったみたいなの。何かの間違いだと思うんだけど、お母さん警察に行ってくるね。」
扉の奥は依然として静かなままであった。
彼女は唇を噛み締めて、そこを離れて家を出た。
警視庁など当然生まれて一度も行ったことがなかったので、地図アプリを頼りながら、彼女はようやく警視庁にたどり着いた。
彼女を出迎えたのは二人の刑事で、一人は先程の電話に出た片桐、もう一人は山川と名乗った。
二人に案内された先は安置室で、その中央には布で包まれた遺体が台の上に横たえたれていた。
布をめくって見せられた遺体の顔は、間違いなく夫の顔であった。
彼女はてっきり、夫の亡骸を前にしたら自分は涙くらいは流すだろうと予想していた。しかし実際の彼女は、血の気の失せた夫の顔を、ただ無表情で見下ろしているだけだった。
彼女の中で湧き上がるのは悲しみでも喪失感でもなく、不安であった。この先、自分達の生活はどうするのか?夫の会社はどうなるのか?葬儀はどうするのか?あの息子の面倒を一人でできるのか?そんな不安が絶え間なく脳裏に浮かんだ。
二人に連れられて安置室を出た彼女は、片桐から質問を受けた。
「本日三時十七分頃、あなたはどこで何をしていましたか?」
「自宅で寝ていました。」
「それを証明できる方はいらっしゃいますか?」
「証明…できるかわかりませんが、息子も家にいました。」
「息子さんは今学校ですか?」
「いえ、息子は…。」
そこまで言って、彼女は言葉を詰まらせた。
初対面の刑事に、息子がひきこもりだなんて、簡単には言い出せなかったのだ。
彼女は俯いたまま続けた。
「息子は、今日は休んでます。体調を崩していて。」
「それはお気の毒に。息子さんに直接お話を伺うことはできますか?」
「い、今はちょっと。体調が回復したら…。」
「それでは体調が回復されたら、我々にご連絡くださいますか?」
電話番号を教えようとする片桐に、彼女は思わず口を挟んだ。
「あ、あの…!お、夫は事故死じゃないんですか…?」
片桐と山川は顔を見合わせた。
そして、片桐が重々しく口を開いた。
「まだ詳しくはお話しできませんが、ご主人は何者かに殺害されたと見て間違いありません。」
「さつ、がい…?」
彼女は途端に眩暈がした。
山川がとっさに支えなければ、倒れ込んでいただろう。
彼女はそれから少し質問を受け、その日は解放された。
帰り道のことは、よく覚えていない。気付いたら家のリビングの、息子の部屋の扉の前に立っていた。
「将ちゃん…。」
息子の名前を呼ぶも、相変わらず反応は無い。
それでも彼女は続けた。
「お父さんがね、死んじゃったって…殺されたって…。」
物音一つ立てない扉に、急に怒りとも悲しみともつかない感情が膨れ上がり、彼女は扉を拳で強く叩いていた。
「死んじゃったんだよ!お父さん!!こんな時くらい出てきてよ!!ちゃんと話し合ってよ!!!ここを開けなさい、将太!!!」
彼女は鍵が掛かっていると知りながら、感情のままに扉のノブを掴んで回した。
すると、ノブはぐるりと、容易く回った。
「え…?」
拍子抜けした声を漏らして立ち尽くす彼女を置いて、扉はゆっくりと開いていった。
目に入ったのは、床に漫画やゲームソフトのパッケージが散乱した、散らかり放題の部屋だった。
そこに、中尾将太の姿は無かった。
最近は涼しいですね。




