白昼夢【1】
気軽にかいてます。適当です。
若い女が一人、膨大な数のファイルが納められた棚を前にして佇んでいた。
癖のない黒髪をショートカットに揃えた彼女は、薄化粧も消えかかった四角四面な顔を、更に気難しそうに顰めていた。
女の名は片桐命、歳は二十四になる。
彼女は某国立大学在学中に国家公務員総合職試験に合格し、大学卒業後、研修を経て警部補として刑事課に配属された、所謂キャリア組の刑事であった。
そんな多忙を極めるであろう彼女が、勤務時間中に資料庫で棚を眺める暇など持てる筈もなく、時刻は二十三時を回っていた。
彼女はおもむろに棚の一角に手を伸ばした。そこにあったのは今から十三年前に起きた失踪事件のファイルであった。ファイルには「東京都私立共英高等学校集団失踪事件」というラベルが貼られている。
ファイルを開いた彼女の表情は険しかった。
そのファイルは非常に薄く、それは事件について碌な捜査がなされなかったことを意味していた。案の定、ファイルの最後のページには、「本件は普通失踪として処理する」という記載がなされていた。
何度見たか知れないファイルを閉じた彼女は、思わずため息をついた。
そんな彼女を呼びかける声が、静かな資料庫に響いた。
「またここにいたのか、片桐。」
彼女はハッと顔を上げて、声がする方へ振り向いた。
三十代半ば程の男が、腕組みをして立っていた。
彼女は姿勢を正して男に向き直った。
「立木警部。」
男、立木昭弘は、彼女の上司である。
彼はため息をついて肩を落とした。
「また例の失踪事件を嗅ぎ回っているのか?」
彼女は無意識にファイルを背に隠した。
「嗅ぎ回っているだなんて、そんな…。」
「隠すことはないだろう、もうバレているんだから。」
彼は一歩彼女に近づき、片手を突き出して、彼女にファイルを差し出すよう促した。
彼女はしぶしぶとファイルを彼に渡した。
彼はつまらなそうにファイルをぱらぱらとめくった。
「お兄さんの件は気の毒だと思っているよ。けど、これは終わった事件だ。今更掘り返したって何も出やしない。」
彼はファイルを閉じて、それを彼女に粗雑に突き返した。
「つまらないことに気を取られるな、業務に集中しろ。」
「はい、すみません。」
彼女はそう言って頭を下げるも、その視線は不服そうに横へと逸らされていた。
彼はその様子に気付いてか、大袈裟に頭を掻いた。
「片桐、お前、公安志望だったよな?」
「はい。」
彼女は顔を上げて返事をした。
その返事に彼も頷いた。
「上もお前には一目置いている。このまま順調にいけば、三年も待たずに公安配属も夢じゃない。」
彼は彼女の肩を軽く叩いた。
「今は目の前の仕事に集中しろ、いいな?」
最後に、ファイルは元の場所に戻しておくように、と告げて、彼は資料庫を立ち去った。
彼女は彼の背中が見えなくなってから、ファイルを元の場所にしまった。
腕時計を見ると、終電の時間が近づいていた。
❇︎
なんとか電車で帰宅した命は、玄関の扉を開きながら照明のスイッチを入れた。
「ただいま」
暗い廊下の先にある、光が漏れる扉の奥から、ばたばたと足音が聞こえてきた。
扉が開くと、寝間着姿の母、片桐恵美子が彼女を出迎えた。
「おかえりなさい、今日も遅いわね」
それから彼女は恵美子と他愛もない話をしながらパンプスを脱ぎ、今し方恵美子が出て来たリビングに入った。
台所の食器乾燥機には、二人分の食器が綺麗に並べられていた。どうやら父はもう食事を終えて寝てしまったようだ。
寝る直前だったであろう恵美子は、わざわざコンロに火を灯して彼女の夕飯を温め直し始めた。
そんな恵美子に礼を言いながら、彼女はリビングの端の棚に飾られた家族写真を眺めた。
それは彼女が小学生の時に、家族四人で熱海に行った時の写真であった。
熱海には、兄の高校受験が本格的に始まるまで毎年夏に行っていた。しかしそれ以降は、兄の失踪もあって、一度も足を運んでいない。
物憂げに写真を眺める彼女に、恵美子はご飯と味噌汁を配膳しながら声をかけた。
「何かあった?」
「いや、別に何も。」
そう、と恵美子は相槌を打つも、少し心配そうに表情を曇らせた。
「あんまり、お兄ちゃんのことは気にしなくてもいいのよ。命は自分の幸せことだけを考えなさい。」
ついでにお父さんとお母さんの幸せもね、と付け加えながら笑い、恵美子は台所へ戻って行った。
彼女はうん、と頷いて、食卓に着いた。
台所からは肉じゃがの良い匂いがした。
❇︎
命は朝六時から足立区竹の塚の駐車場まで来ていた。
そこは駐車場一帯が黄色いテープで囲われており、その真ん中はブルーシートの覆いで隠されていた。周囲では多くの警官が忙しなく警備にあたっていた。
彼女はブルーシートを潜って中に入った。
彼女に続いて中に入ったのは、三十歳前後程の細身の男だ。男は山川賢人、彼女のバディである。
覆いの中に入った二人の目に飛び込んだのは、赤黒く濡れたアスファルトと、その中央に横たわる、青白い肌の男性の遺体であった。
山川は鋭く曲がった鼻柱を人差し指で掻きながら、手に持った手帳の内容を読み上げた。
「被害者は中尾智、四十三歳男性。今朝五時頃、近くの介護施設に勤務する介護士から、首の無い男が倒れている、と通報があったようです。」
彼の言葉に耳を傾けながら、彼女はしゃがみ込み、遺体の首を見た。
そこにある筈の頭は無く、頭は体から三メートル程離れた場所に転がっていた。
山川も彼女の隣にしゃがみ、遺体の断面を覗き込んだ。
「まさか本当に首が無いとは思いませんでしたよ。どうやって斬り落としたんですかね?」
「市販のナイフではまず無理でしょうね。」
続いて命の視線は、遺体の周囲を囲む血溜まりに向かった。
そこから赤いタイヤの跡が二本、駐車場の外へと伸ばされていた。
山川がまた怪訝そうに彼女に説明した。
「犯人は中尾から車を奪って逃走したようですが、金品の類には手を付けていないようです。」
「車が目的なら車上荒らしの方が簡単でしょうに、中尾の車でないといけなかったのでしょうか。」
そう会話する二人の元に、鑑識の制服を着た男が歩み寄って来た。
彼等はお互い会釈し合った後、本題に入った。
鑑識曰く、遺体は死後二時間は経過しており、死因は首の外傷であり、ほぼ即死だったと見られる。そして凶器は刃物で間違いないのだが、その刃渡りは50cmはあるだろう、とのことだった。
鑑識が去った後、山川は口を開いた。
「この現代に侍が刀を持って蘇ったってことですか?斬り捨て御免!とか言って。」
「その冗談は少し不謹慎ですよ、山川さん。」
後輩に嗜められ、彼ははいはい、と肩をすくめた。
彼女は咳払いをして、彼を伴って覆いを出た。
テープの周りには、すっかり野次馬と取材のカメラが集まっていた。
「まずは聞き込みをしましょう。あとは防犯カメラのチェックです。犯人特定には、そう時間はかからないでしょう。」
彼女は野次馬には目もくれず、駐車場の端を見た。そこには、こちらを見つめる防犯カメラが備え付けられていた。
駐車場はその隣接する雑居ビルと同じオーナーが所有しており、そのビルの一階が駐車場の管理室でもあった。
しかしオーナーは不在だったため、山川が管理室の看板に記載されている電話番号に電話をかけた。
発信音がしばし流れた後、電話に出たのはしわがれた男の声だった。
山川から事情を聞いた男はかなり取り乱した様子で、すぐに向かう、と告げて電話を切った。
およそ三十分後、ネルシャツをボタンをかけ違えて着た、五十歳は超えているであろう白髪混じりの男が、血相変えてやって来た。
管理人は二人を管理室に招いた。そこはパソコンのディスプレイが乗ったデスクとパイプ椅子だけが置かれた、何とも質素な部屋だった。
彼はディスプレイを前に、誰にともなくぶつぶつと文句を垂れながらも、二人に指定された時刻の防犯カメラの映像を映し出した。
「全く、何でウチの駐車場で、よりによって殺人なんて…。あ、お茶とか淹れます?」
「お構いなく」
命が断ると、彼はそうですか、とだけ返し、部屋の隅に引っ込んだ。
二人は彼に礼を告げ、食い入るように画面を見つめた。
映像の時刻は午前四時。駐車場には中尾の遺体が横たわっていた。
逆再生して更に四十分程遡った後、中尾の姿に変化があった。
二人は固唾を飲み、その映像を見つめる。
午前三時十七分、中尾は雑居ビルの入り口がある方角から姿を現した。そして車のキーを片手に自分の車に乗ろうとしたその時、中尾の背後に忽然と人影が現れた。
映像を見ている命は、思わず声を漏らした。
その人影は腰から剣のような刃物を抜き、中尾の首を背後から斬り落とした。
中尾の頭はボールのように画面の外へと転がっていき、首から噴き出した血はアスファルトと中尾の車をべったりと汚していった。
人影は中尾の手から車のキーを奪い取ると、そのまま車に乗って逃走していった。血で汚れたフロントガラスをワイパーで拭いながら。
山川はごくりと息を呑んだ。
「どういうことですか、これ。僕には犯人が突然そこに現れたように見えましたが。」
命は映像を一時停止した。
「まだわかりません。もしかしたらカメラの不具合かもしれません。兎に角、映像を鑑識に回しましょう。」
二人は映像のデータを抜き取り、管理人に形式的なことを少し質問した後、ビルを立ち去った。
山川が困惑した表情を浮かべる一方で、命の心の端にはなぜか期待の色が燻っていた。
塩タブレット美味しい。




