34 イレオスの秘密
イレオスも剣を抜き放ち、二人は激しく切り結んだ。
ザロンでの特訓の成果か、緩急つけたリャニスの攻撃にイレオスは押されているように見える。
リャニスがさらに踏み込もうとした時だ。イレオスは左手に、いかにも禍々しい感じの黒い塊を出現させた。
リャニスはギフトで透明な盾を作ったが、陥没したのは地面の方だった。リャニスは体勢を崩しつつも、剣の柄でイレオスの顔面に殴りかかる。
カツンと固い音を立て、イレオスの仮面が外れた。
会場にどよめきが巻き起こる。
「どういうことだ、あれはトラムゼン家の者ではないか」
「イレオス様がまさか!」
イレオスは表情こそ変えなかったが、呼吸とともにわずかに肩が動いた。
その時、僕はキアノに抱き上げられナデナデされていた。
イレオスが術を使うたび寒気がするせいか、元に戻るには少々時間がかかった。
人の姿になった僕の頭を、名残惜しそうにひとなでしてキアノは僕をライラに託す。
「リャニスラン一人ではキツそうだ。ノエム、悪いが私も出る」
「はい、お気をつけて」
キアノはギフトで光る短剣のようなものを作り出し投げつけた。イレオスは黒衣を翻してそれをいなしてしまう。隙をついてリャニスが切りかかるが、足元を崩され後退を余儀なくされる。
僕は三人の戦いをハラハラしながら見守った。
キアノのギフトはイレオスのギフトと相性が悪いらしく、例の手品みたいな技もうまく使えないようだった。
「ギフト……?」
ふと、疑問がよぎった。
イレオスが力をふるうたび、背筋にぞくぞくと不快なものが走る。
ほかの人がギフトを使っても、威力が強すぎて怖いと感じることはあるが、こんなふうに寒気がすることはない。
もっと、異質な力のように感じるのだ。
「本当にギフトなのかな……?」
その時、イレオスが仮面越しにこちらを見たように思った。
次の瞬間、ドォンと重たい音が響いて、リャニスとキアノが吹っ飛んだ。
彼の力は神のバカンスの影響をまるで受けていないように見える。
イレオスがこちらに向かってくる。
悲鳴をこらえたわけじゃない。とっさに声が出なかった。
さっとライラが僕を背にかばうが、イレオスが手を一振りしただけで、彼女は地面に縫い付けられたように動けなくなる。
僕の前から次々守護者をはぎ取られ、僕は思わず後ずさりした。
ところが、背中に何かぶつかった。
ぎょっとして振り向くと、そこにはクリスティラが立っていた。
ここにきて、裏切りかな?
彼女には前科があるから僕は本気で警戒した。
「クリスティラ様!?」
突き飛ばさずに済んだのは、彼女が淡く光っていたからだ。神聖性をまとった彼女に危害を加えるなどできはしなかった。
「神の言葉を伝える」
彼女は僕に指を突き付けた。
えっ、と思ったときには、まばゆい光に包まれていた。
◇
おそるおそる目を開けると、僕はいつの間にかどこかの庭に立っていた。
半歩先の至近距離に子供が立っていて、僕は驚いて叫んだはずなのだけど、その声は音にならなかった。
子供の方も僕に気づいた様子はない。向こうからは、見えてない……?
そこにいたのは銀色の髪に青い瞳の、天使みたいに可愛い五歳くらいの子供だった。生垣に張り付いて一心に向こうを覗いている。
彼の視線の先には、もう一人男の子がいた。茶色の髪に黒い瞳で、おそらく七歳くらいかな。緑のスカーフを首に巻いたその子は、草むしりをしている。
やがて強烈な視線に気づいたのか、スカーフの男の子が顔をあげ、「イレオスさま!?」と声を立て、慌ててあたりを見回した。
なんとなくそうかなと思ったけど、この小さい子、イレオス様か。
ってことは、これは……、過去の出来事?
クリスティラの――というか神々の仕業かな。
「じいちゃん、また坊ちゃまが屋敷を抜け出してる」
少年に呼ばれて庭師らしき人がやってきて、帽子を取ってイレオスに挨拶する。
「坊ちゃん。大変申し訳ないんですがね、あっしら旦那様がお目覚めになる前に、この辺りをきれいにしてなきゃならんでさ。だから坊ちゃまの前で作業すんのをちぃと目こぼししてもらえたら助かります」
わかったのかわからないのか、イレオスは小さくうなずいた。
そして少年の隣に座って、じっと作業を見つめる。少年は、やりづらそうにしている。
パッと景色が変わった。
少年たちは少し大きくなっていて、庭を抜け裏道を走っている。
やがて立ち止まったのは、木々に埋もれるようにひっそりと作られた鉄柵だ。しばらく人の出入りもないらしく、すっかりと錆びついている。彼らは柵から棒を一本二本と抜き取って、隙間に体をくぐらせた。
やんちゃしてる。
あのイレオス様が。歯をむき出して「いひひ」と笑って。
なんだか、見てはいけないものを見ている気分だ。
彼らは人目につかないところで、枝を使って地面に絵をかいて遊んでいる。
いや、イレオスが描いているのは動物の絵だが、スカーフの少年が書いているのはどうやら日本語だ。
『あいうえお』
文字の練習かな。
「なんて書いてあるの?」
「日本語だよ。この世界ではたぶん、おれしか読めない」
誇らしげに言う少年に対し、イレオスは首を傾げた。
「それじゃ意味がないよ。文字は誰かに伝えるためにあるんだよ」
少年は虚を突かれたようだった。少し考えるそぶりを見せる。
「じゃあ、イレオス様が覚えてみる? そうだ、どうせなら謎解きにしよう。おれの宝物、隠しておくから見つけてくれよな」
イレオスがやる気を見せたので、少年も楽しそうに笑った。
パッと景色が変わる。
今度は夜。たぶん、屋敷の中。大人の男の人の声がする。
「あの子はダメだ。どうやらギフトを授からなかったようだ」
女の人のすすり泣きが聞こえる。
廊下で、七歳くらいに成長したイレオスがそれを聞き、壁に背を預けへたり込む。
瞬きほどの点滅の後、また別の場面が見えた。
思いつめたような女性。おそらく、イレオスの母親だ。
「あれを使いましょう、もうそれしかないわ。もう、子供は見つけてあるの。庭師の子供よ、あの子、ギフトを隠し持ってる! イレオスは、授からなかったのに!」
「おまえ、それは――」
「特別なことじゃないわ。よくある話よ」
手が震えてる。目がらんらんと輝き、口元は笑みでゆがんでいる。
――見たくない。
僕は耳をふさぎ、目を閉じてしまいたかった。
けれど容赦なく突きつけられる。
屋敷の一室に、イレオスの母が自分の血で魔法陣を描いた。
魔法陣のそばには、棺のような祭壇のような黒い箱が設置される。
乱暴に手を引かれ、スカーフの少年が連れてこられた。イレオスの父が彼を箱に押し込めようとしたさい、少年は暴れた。だが、結局少年は箱に入れられ、スカーフだけが床に落ちる。
魔法陣が怪しく光り、やがてそれが収まると箱の中に少年の姿はなく、三センチほどの黒い石がぽつんと落ちていた。
遅れてその場にやってきたイレオスがその部屋でスカーフを拾う。
何か言い争うが、父によって押さえつけられ、胸元を暴かれる。
黒い石がみぞおちのあたりにめり込んでいく。
僕の脳が拒否したのか、もう音は聞こえなかった。けれどイレオスの悲痛な泣き声が聞こえた気がした。
彼はそれから、何年も寝込んだ。
美しかった庭は荒れ果て、母は毎日泣き叫び、父は家を空けるようになる。
スクールの制服をまとうイレオスは、ひどく陰鬱な少年になっていた。
◇
なんてことを……。
僕は口を押えこみ上げる吐き気を何とか抑えた。
そうだ、僕は知っていた。
他人から奪ったギフトを魔術と呼ぶんだって。
ぐらぐらと視界がぶれる。
現実の、大人になったイレオスが僕の目の前まで来ていた。
「兄上!」
「ノエム!」
身を起そうとする二人にさらなる害を与えようというのだろう。イレオスが両腕を真横に掲げた。
「それ以上力を使っちゃダメだ!」
僕はとっさにイレオスの胸元めがけて飛び込んだ。ポメ化しそうになるが、顔をゆがませ何とかこらえる。
さすがに予想外だったのかイレオスの足元がふらついた。彼の体に触れているせいなのか。地面に倒れこむまでのわずかな時間に、僕は子供の泣き声を聞いた。
あのスカーフの子だと思った。
恨みでも怒りでもなく、ただ悲しんでいる。このままじゃ、イレオスが死んでしまうって!
「イレオス様、あの子と約束したんでしょう!? まだ、宝探しが残ってる!」
「何を言って……」
「いいから今すぐ脱いでください!」
周りで何やら奇声が上がったが、そんなん知ったことか!
イレオスが動揺しているうちに、黒衣をはぎ取り、下に着ていたシンプルなシャツのボタンに手をかける。
でもそれを外す前に、僕は、両側から連行される宇宙人のように腕を引っ張られた。
その瞬間、さっと朝日が差し込んだ。




