31 緊急連絡網
リャニスとともに建物の外へ出ると、なぜか見張りよろしくマスケリーが待機していた。
「ノエムート様、リャニスラン様、ご無事でしたか!」
「うん。あの、マスケリーはどうしてここに?」
「リャニスラン様から緊急連絡があり駆けつけました」
彼は馬の手綱を握っていた。単騎で来ちゃったってこと?
「殿下に連絡は」
「はい。兄に頼みました」
「殿下に、重ねて伝えたいことがある。狙いは兄上の身柄ではなく、お命だ」
マスケリーは一瞬、青ざめた顔でこちらを見た。
「急ぎ伝えます!」
マスケリーが去ったあと、今度はうちの使用人がリャニスに何か耳打ちした。
リャニスは頷き、僕を見る。
「マルーシャが部屋を用意してくれたそうです。向かいましょう」
唐突にクラスの女子の名が出てきたよ。
え、なに、ついていけないの僕だけなの!?
リャニスはひょっとすると、クラスに独自の連絡網を敷いちゃったのだろうか。
それ、僕を守るためとか言わないよね。怖くて聞けない。
促されるまま馬車に乗り、マルーシャの歓迎を受けて浴室に押し込まれた僕は、浴槽でぽかんと膝を抱えた。
湯上りにはうちの侍女たちがスタンバイしていた。
わあ、なんか。エルフとかが着てそうな衣装が出てきた。真っ白でマントがヒラーッとしてる。髪に小さな花をたくさんつけて、額には小ぶりの琥珀がキラキラ光るサークレットをつけられた。
「なにこれ、こんな衣装あった!? 見おぼえないけど結婚式かなんかなの!?」
ライラは首を傾げ、ヘレンはおっとりとほほ笑んだ。
答えてくれたのはジョアンだ。
「本当は、殿下との再婚約のお披露目用として準備していたのです。ですが、旦那様がこのくらい気合を入れなくてはとおっしゃいましたので」
「父上も、リャニスの計画知ってんの!?」
「当然です。ですからわたくしたちがここにいます。主人と心中覚悟のライラやクロフさんは別ですが」
さらっと怖いこと言われたな。そんな覚悟決めなくていいんだよ。
階下の玄関ホールではすでにリャニスが待っていた。彼も着替えている。
騎士服のような黒の衣装をまとい、髪を少し上げたリャニスは何か考え込むような厳しい顔つきをしていた。
ところが僕を見つけると、パッと顔を輝かせ、階段の半ばまで迎えに来た。自然な流れでエスコートをしながら、「兄上、大変おきれいです」と照れくさそうに褒めてくれた。
ほんのり残ったこの可愛い弟成分をぜひ大事にしてもらいたいものである。
「これから王城へ向かい、殿下と合流します」
ようやく行き先がわかったぞ。けど……、と僕は戸惑いを隠せなかった。
「今日って冬の儀式だよね。もう欠席するって言っちゃったんだけど」
「問題ありません」
あれ、そうなのかな?
王城って招待状がなくても入れたっけ?
「兄上のお命を狙う不届きな輩は、一人残らず排除しなくてはなりません。そのためには使える手札はすべて使わなくては」
「いや、王子を手札って言った!?」
本人も言葉がまずいと気づいたのか一瞬黙り、なかったことにした。
「急ぎましょう、兄上」
今度は馬車に押し込められた。リャニスとライラも一緒に乗り込む。いつも通り御者はクロフだ。
マルーシャの家の馬車に先導されるように向かった先は、冬の儀式のダンス会場ではなくその手前。紋章家以外の貴族やその子息、主人を待つ侍女や侍従が過ごすエリアだった。
そこでクラスメイト達がずらりと並び、僕とリャニスを迎え入れた。
「ノエムート様、ご無事で何よりでございます」
「まだだ、気を抜くな」
リャニスの号令に、みなピッと顔を引き締める。
「すごいね、リャニスは……」
思わずこぼすと、リャニスは僕を見て目を丸くした。
「それは違います。みな、兄上の危機を知り駆けつけました。俺たちは心から兄上をお守りしたいと思っているのです」
びっくりしてクラスメイト達の顔を見回すと、ニコニコ笑う子、真剣な表情で頷く子はいても、迷惑そうにしている子は一人もいなかった。
そっか、僕が今日、運命だからとあっさり死を受け入れれば、これだけの人が悲しむんだ。
ううん、彼らだけじゃない。
両親、リャニス、侍女たち、それに王子。
死ねないな。それに、イレオスのことだってあのままにしておけない。
さっきは謎の対抗意識でついハッタリをかましてしまったけれど、困ってたみたいじゃないか。
僕はわけを聞きたい。
「無事にお戻りくださいませ」
クラスメイトとライラに見送られ、通用口からダンス会場に潜り込み、キアノと合流する。
ひとまずそれが、僕らに課せられたミッションだ。
通用口を守護していたのは、都合よく王子のところの騎士だったので、バチンとウィンク一つで開けてもらえた。「ライラ殿によろしく」とさりげなくアピールもされちゃったけど。
僕らが出たのはステージを取り囲むようなU字型のホールの、サイド席とでもいえばいいのか、そのあたり。
こっそり入った扉のそばでは、レアサーラとサンサールが待っていた。
レアサーラはともかく、サンサールの盛装は見慣れない。
てかそれ、性別不詳扱いされる人に贈られる衣装じゃない? すとんとした、ワンピースタイプの。聖女だからかな。
「なにその恰好」
僕とサンサールは、奇しくもまったく同じ言葉を同じポーズで言った。
お互いに、ぽかんと口を開けて指をさしあってしまったのだ。
「似合いすぎてやばい」
「似合わな過ぎてやばい」
続く言葉は正反対でそれがまた笑える。
会場にはうちの両親もいるはずだ。王子と合流したら、イレオス一人から身を守るくらい簡単なんじゃない?
僕は早くも気を抜いていた。
ところが、だ。
少し会場を歩くだけでわらわら人があつまる。僕らは少々、目立っていた。
「これはノエムート様ではございませんか! なんてお美しい!」
そう言いながら近づいてきたのは、ガーデンパーティーで撃退したはずの王族だった。
人のこと上から下まで眺めまわして「やはり惜しい」とか小声でつぶやくの辞めてほしいよね。背中に毛虫入れるぞ!
「本日は欠席だったのでは」
ほかの男性も近づいてくる。
「あら、リャニスラン様」
「聖女様」
なんて挨拶に次ぐ挨拶で、王子を探すどころではなくなってしまった。
僕の横でレアサーラが小さく舌打ちした。
「ノエムート様が『僕主人公!』みたいな恰好で来るから」
「僕が選んだわけじゃないし」
注目ならうちのイケメンな弟だって集めてるじゃないか。聖女サンサールだって!
なんか、変な一行みたいになってない!?
それにしても王子はどこだろう。
「あ! いた!」
人垣のあいだから王子の姿が垣間見えた。向こうも人に囲まれている。
目が合ったかもと思ったら、キアノはやんわりと人を押しのけるようにして、まっすぐこちらに向かってくる。
「ノエム――!」
まだ距離があるにも関わらず、彼は焦った様子で僕に手を伸ばした。
つられて僕も手を伸ばしかけ――、だがその瞬間、ゆらりと黒衣が僕らの間に立ちふさがった。
背筋がぞくりと震え、僕は縮こまる。
次の瞬間には、リャニスの腕にすっぽりと抱えられていた。
うう、ポメったぁ……。
誰かが上げた悲鳴を皮切りに、あたりが騒然とした。
これが嫌だから、欠席するつもりだったんだよ。
「国王陛下に申し上げます!」
騒ぎのただなかで、朗々と声を張り上げたのは黒衣姿のイレオスだ。
すると、正面のステージにパッとスポットライトがともった。
ステージにの豪奢な椅子で、国王が気だるげに肘をついている。頬にある涙の形の紋章がかすかに光っていた。
リャニスがハッとしたように「兄上」と小声で呼びかけ僕を撫でたから、王の目にギリギリポメ姿をさらすことはなかったと思う。……たぶん。
こちらが王に気を取られているあいだも、イレオスは注意深く周囲をうかがっていたのだろう。
ここぞというタイミングで両手を掲げ、人々の注目を集めた。
「神々が英雄の国ザロンに求めるのは、もちろん英雄譚。ドラゴン、巨人、魔王、見事に討ち取ってみせなさい。 魔女の国チャウィットに求めるのは愛憎劇。揉めれば揉めるほど愛おしい。 道化の国ピエルテンに求めるのは悲劇。裏返れば喜劇。 神々を飽きさせてはなりません。――古き歌にあるように、今宵は趣向を凝らし、特別な演目を神々に捧げたく存じます!」
用意されたセリフを、どこかあざけるように歌い上げて、彼はピエロのような大げさな身振りで膝を曲げた。
「申してみよ」
王の許しを得て、ピエロはさらに調子を上げる。
「それでは今夜の主役をご紹介いたしましょう! 神々への反逆者かそれとも愛しき存在か。人と犬の間を彷徨う幼い妖精、ノエムート・ル・トルシカ!」
僕は目を閉じた。
そうしなければ白目をむいてしまいそうだった。
晒しものじゃん!
「いまからノエムート様のお命を頂戴いたします」
会場が大きくざわめいた。
ため息をこぼしてしまいそうだ。
どうしてそうなるんだ。僕に死なれちゃ困るんだろ?
それなのに結局、そんな選択をするのか。
それとも、これもまたブラフなのかな。わからないから、僕はイレオスをじっと見つめた。
誰もが息をつめている。
そのとき、空気をぶった切るような気の抜けた声が響いた。
「そのけっとう、ちょっとまったー」
バルコニー席の三階に、人影がある。よく見れば拡声器のようなものを持ったクリスティラだ。
「え!? クリスティラ様!?」
思わず叫んでしまって、僕は慌てて口を覆った。
「いまからことばをさずける」
そう言ったとたん、彼女の顔からすとんと表情が抜け落ち、同時に拡声器っぽいものは床にゴトンと落とされた。
そして彼女はうっすらと光をまとった。
――預言が始まる。
ぞっとするような緊張感があたりに満ちた。
それほど大きな声ではない。だが、聞き洩らすことなど人の身にできはしない。神が聞かせようと思えば確実に届くのだ。そう感じた。
「興味深い余興である。今宵は好きなだけ暴れまわるがよい。黎明の瞬間に、ノエムートの手を引くものこそ勝者である。その者の願いを興が乗れば叶えてやろう」
「僕は旗ですか!」
思わず突っ込んでしまった。しまった、外見クリスティラでも、中身は神様だった。
「おや、不服かノエムート。死を望むのか」
「いえ! 旗でお願いします!」
クリスティラに降りた神は、「ふむ」と頷いて、どうやら去ったようだ。
彼女がまとっていた光が収まり、神聖な雰囲気も消え失せる。
視線を感じてそろりと見回すと、リャニスと王子が真っ青になってこちらを見つめていることに気が付いた。
「ノエム……」
「兄上……」
それ以上は言葉にできないようだった。
悪かったって! つい余計なことを言いました!
ふっとかすかに笑ったのは、イレオスだろうか。
「陛下、いかがいたしましょう」
「神が直々にお許しになったのだ。私が口を差し挟むことはない。せいぜい神々を飽きさせるな」
楽しんでいるのか、呆れているのか、国王はけだるげにやれと手を振った。
こうして、僕争奪戦が幕を開けた。