29 でかめのフラグを折っていた
馬車が向かう先は港ではなく、中央街のようだった。
僕はこの時点で内心首を傾げていた。
原作でもノエムートがトルシカ家から追い出され、スクールにもいられなくなり、さらには感染症を疑われて一人隔離されちゃうシーンがある。
でもその舞台はスクール島のはずだった。
そういや、島に病が蔓延するイベント、起こらなかった気がするな。あれは飲み水に微量の毒が混ざっていたことが原因で、島内で一番大きな水の浄化装置の異常により引き起こされる。病ではなく食中毒なんだよね。それを聖女が見抜いて解決すると。
待てよ? 浄化装置?
その時、脳内で三つの光景が再生された。
レアサーラを誘ったら王子とリャニスがついてきて一緒に装置を巡ったとき、石橋に設置された装置のゲージが十段階のうち一つしか灯っていなかったこと。
サンサールとともに街へ行き、彼が装置の蓋を開けて回ったとき、中から見つけた変換後の馬糞のこと。
僕の手下になるはずだった三人組がギフト泥棒の犯人として捕まったこと。
あれー? もしかしてすでに、でかめのフラグを折っていた?
浄化装置の件が解決したから、毒イベントが起きなかったってことか。サンサール、ある意味すでに聖女のお仕事していたんだね。
まさかその代わりに、惚れ薬モドキをかがされるなんて半端なイベントが起こったわけじゃなかろうな。
僕はそっと目をそらした。考えるのはやめとこ。
しばらくすると、馬車は裏通りの前でとまった。
ここからは徒歩だ。
夕闇の中、リャニスのエスコートで、石造りの冷たい建物の間を進む。めっちゃ汚いとかではないけれど、じめっと薄暗く、僕一人なら近づくことも許されないだろうなって思った。
物珍しくキョロキョロしているとリャニスの足が止まる。彼は素早くあたりを確認して、僕を建物の中へ導く。
不自然なほど静かだった。
冬の儀式のため貴族たちは城に集うが、平民たちもまたそれぞれ盛り上がる。
……そのはずなのだが、喧騒がやけに遠い。
リャニスに手を引かれ、狭い階段を上っている最中も、自分たちの足音しかしなかった。
えー、こわ。ゴーストとか出そう。日本式のうらめしや~じゃなく、ポルターガイストとか起こして物とかぶんぶん飛ばしてくるやつ。
思わず手にきゅっと力を込めてしまったせいか、リャニスも硬い表情で眉を寄せた。
案内されたのは三階の角部屋だった。小さな窓が一つあるきりで薄暗く埃っぽい。
もとは平民が暮らしていたのだろう、壁際に小さなベッドがあり、あとは質素なテーブルとイス、棚があるくらい。床はささくれ立ち、壁紙が擦り切れてボロボロだった。
おお! 場所は違えど解釈は一致だ。
ノエムートが最後を迎えた部屋って感じ!
いや、他人事みたいに考えてる場合じゃなかった。ここに住むならまずは掃除しなきゃだな。道具はあるかなと見回していると、ふと、リャニスのこぶしが目に入った。固く握りしめ、かすかに震えているようだ。
「……こんなところに……」
え、なんか怒ってる? 自分で連れてきたのに?
「――兄上、やはり」
リャニスは何か言いかけて、急に後ろを振り返る。
つられて視線をやった僕はぎょっと身を固くした。
暗がりに仮面が三つ、ぼんやり浮かんでいるようだった。真っ黒なマントに身を包んだ怪しい人物が三人もいたのだ。
驚きすぎて、こらえる余裕もないまま一瞬でポメ化してしまう。
「感心なことよ、実に仕事が早い」
しわがれた笑い声は、嘲りを含んだものだった。空気が張り詰めたかどうかまではわからなかった。
床にポテッと落ちて、ホコリまみれになった僕はクシャミを連発してしまったのだ。
雰囲気、ぶち壊し。
そろーっと様子をうかがうと、仮面越しでもなんとなーく睨まれているのは伝わった。じゃっかん気まずい。
「えーと、どなたですか?」
僕の間抜けな質問に、答えてくれたのはリャニスだ。
「黒衣です。彼らは神のしもべ、シナリオを正す者です」
「それって、神のシナリオ?」
「……やはり、ご存じだったのですね」
じっと彼らに視線を投げつけていたリャニスが、ほんの一瞬、視線をこちらによこした。どことなく悲しげに見えて僕はドキッとする。言い訳が喉元までこみあげて「くぅぅ」と情けない鳴き声になった。
「もちろんそうでしょうとも」
最初に口を開いたのと別の男が、芝居がかったしぐさで話を進める。
「知ったうえで踏みにじっておられるのです!」
なんか始まっちゃったけど、この人たちちょっと邪魔だな。 僕の行動計画的にはまず、弟とじっくり話し合いたいわけだよ。恐怖よりも苛立ちが勝った瞬間である。
「シナリオを正すとおっしゃいますけどね、それ、本当に正しいシナリオなんですか」
僕の言葉に黒衣たちはそれぞれ別な反応を見せた。
やたらと偉そうな真ん中のおじいさんっぽい人は、「なんだとっ!?」と怒ったし、僕に対して一応敬語を使うおじさんは「なんということを!」と驚きと恐れの入り混じったような声を出した。
そして最後の一人、若そうな人はふっと顔を背けて笑いをごまかしているようだった。
っていうかこの人、イレオスじゃない?
誘拐事件後に、初めて見た時も似てるって思ったけど、なんかもうクロじゃない?
だいたいおかしいよ。彼の仲介なしに、どうやってうちの真面目で可愛い弟がこんな胡散臭い連中と関わりを持つというんだ。
おじさんたちが僕を毛玉とか獣とか罵っているのを聞き流しながら、僕はポメの小さな頭で考えた。
黒衣ってのはどうやら貴族らしい。しゃべり方や振る舞いからして尊大だし、真ん中のおじさんに至っては、王族なんじゃないかな。
ははーん。かつての誘拐事件が、うやむやになってしまった理由がなんとなくわかっちゃったな。
それでも得体の知れない相手よりも、『正体は王族!』のほうがやりやすいかもしれない。
面子ってやつが大事だろうし。
「シナリオ通りとおっしゃるなら、僕がポメ化するのはおかしいし、アイリーザ様は退場予定じゃなかったし、そもそも聖女が男という事態はどう解釈するおつもりですか!」
「う、それは……!」
動揺しているところを見ると、僕の知ってる原作と彼らのいうシナリオにそんなにズレはないらしい。
よかった、聖女はもともと男だったとか言われたら、困惑しちゃうとこだ。
「本当はわかっているんでしょう、キアノジュイル殿下がサンサールに恋をするとは思えないって。たとえ、シナリオにのっとり僕の命を奪ったとしても!」
どうだ、反論できまい。ふふんと胸をそらしかけたその時、リャニスが「え……?」と小さく呟き、僕は失敗を悟った。
彼らから聞いていなかったのか。
リャニスは呆然と僕を見下ろした。その瞬間、彼はまったくの無防備になった。
同時にイレオスが動いた。一瞬で距離を詰めリャニスの顔面に手をかざす。ブォンと耳障りな音がして、黒いシャボン玉のようなものがリャニスの頭部を包んだ。息ができないのかリャニスの顔が苦悶にゆがむ。
「リャニス!」
駆け寄りたかったのだが、ダメだった。体が震えて動けなかったのだ。時々イレオスから感じるすごく怖い気配。それの濃密な奴を浴びたせいだ。
やがてシャボンが割れ、リャニスは力なく床に崩れ落ちる。
「ふん、ちょうどいい。兄弟もろともこのまま始末してしまえ! どうせ端から我々を裏切るつもりだったのだろう、子供の浅知恵よ!」
激高する王族っぽい人に対し、イレオスは静かに首を振った。
「このシナリオで、死を迎えるのはノエムート様だけです。我々がそれを違えるわけにはまいりません」
彼らにとってはシナリオはよほど大切なものらしく、「ふん」と鼻で笑うが、引く姿勢を見せた。
「ならばしくじるなよ。王子と引き離し緩やかにその命を奪うのだ」
「すべては神々を飽きさせぬために」
イレオスは、胸に手を当てそんなふうに誓いを立てた。
ひとまず、危険は去ったぽい?
緩やかにってことは、弱らせて殺すってことで、すぐには殺されないはずだ。
動けるようになったと気づいた僕は、倒れこんだままのリャニスに駆け寄る。
腕とか足に乗っかって、ゆすってみたけれど彼は目覚めなかった。
「リャニスリャニス、大丈夫!? どうしようこんなところで寝たらおなか冷えちゃう!」
ポメの体では弟を起こすこともできないのか。だったら取るべき手段は一つ。
僕が湯たんぽになるしかない!
僕はまだちょっと、混乱していたのかも知らない。