追補 僕の両親
2024.11.12追加。時系列的には4.5話くらいです。
僕の両親はちょっと変わっている。
父はヒロイン。
長身の母にすっぽりと包まれ、頬を染めるのはいつも父の方。
母はスター。
ふらついた父をサッと抱き留め、「気を付けて、私の愛しい人」などと無駄に凛々しい顔をする。
息子としては大変微妙な気分になるのだが、この手のやり取りは、使用人たちには大人気だった。扉の隙間や柱の陰から興奮のため息や、ささめく声が聞こえてくる。
「奥様すてき」
「奥様、今日もカッコいい」
これじゃちょっと止めづらい。母は実際時々舞台に立ったりもするから、余計憧れが募るのだろう。
ふっと気が付くと、リャニスがじーっと両親のラブラブっぷりを見つめていた。僕は若干、それを危ぶんだ。
「あのね、リャニス。普通は逆だからね。男性が女性をエスコートするのが正しいんだ」
「はい。わかっています。……ですが、殿下がいらっしゃらないときは、俺が兄上をエスコートするんですよね?」
こてんと首を傾げて、リャニスが問う。
しまった、僕も割と特殊例だった。
「うん、まあ、無理する必要はないけどね」
嫌だよね、兄をエスコートなんて。ごにょごにょしてしまうがリャニスの意見は違うようだ。
「無理はしていません。まだ慣れていないので、もし兄上さえよろしければ、むしろ練習させていただけたら嬉しいです」
「そういうことなら!」
僕は喜んで手を差し出した。
今日は母の舞台の日だ。僕とリャニスは父に連れられ、劇場にきていた。
満席である。母が出演するとたとえ端役でもチケットは争奪戦になるそうだ。
会場内はすでに妙な熱気に満ちている。やっぱり息子としては微妙な気分で、リャニスとモヤモヤを分け合おうとしたところ、なにやら彼の様子がおかしいことに気付く。緊張しているのかな。
「それじゃあリャニスは、観劇自体が初めてなの?」
「はい」
咎めたわけではなかったが、リャニスは身を縮めた。
「だったら、もっと早く来ればよかったね」
にこりと笑いかければリャニスはホッとした様子で頷いた。
僕は内心、彼の様子に疑問を覚えた。
この国の貴族にとって、舞台や楽団を鑑賞するのは教養のひとつだ。社交の場でも「あちらの舞台ご覧になりまして?」みたいな話題が当然出るんだよ。だから子供時代から割と連れ出されるし、小さい子むけのお芝居なんかも充実している。
連れて行かないなんておかしいよ。
うーむ、なんとなくだけど、リャニスって生家で不当な扱いを受けてたんじゃないかな。
父上が後継ぎに選んだ理由は、もちろん優秀さもあるけど、同情もあったのでは。
なぜそう思うかというと、リャニスと僕では年が近すぎるからだ。
だってねえ、同じ年頃の養子と実子で優劣を競わされたんじゃ、たまったものじゃないよ。争いのもと!
本当ならもう少し幼い子を選ぶつもりだったのでは、なんて考えちゃうよね。
まあ、うちに来たからには肩身の狭い思いなんてさせないよ。むしろどんどん可愛がっちゃうもんね。
これからたくさん、楽しいことを経験すればいいのだ。
……しかし、はじめてが母上の舞台だなんて可哀そうに。きっとちょっと濃いめだぞ。
会場がふっと暗くなったので、僕は舞台に意識を戻す。
主人公は、強さだけを求めて修行に明け暮れている少年。彼は一人の少女に出会って恋を知る。そんな感じのストーリーを子役がハキハキ演じていた。隣国じゃお決まりの英雄譚らしい。
『十年後、修業が終わったら迎えに行きます』
ところが約束の日、恋人が邪竜に攫われてしまう。
意外とのめり込んで、僕は気づけば身を乗り出していた。そこへ母が登場したのですんと姿勢を正す。
舞台の上で母上は男装していた。子役は少年だったのに、成長したら女性の俳優さんになるとか違和感があるのではと思ったが、周りの反応を見るに問題なさそう。
母が姿を現した途端、空気が薄くなった気がするもんね。みんな一斉に、悲鳴を堪えるように深く息を吸い込んだから。
しかし母、セリフ少なっ。ほとんど立ってるだけなんだけど。
ときおりポーズを決めたり、マントをバサッとするだけで、拍手が巻き起こる。すごいな。
ドラゴンとの対決を表す剣舞は、確かに力強くてカッコよかったんだけど、実の息子だからかなあ、素直に認めづらいのは。
リャニスの様子をうかがえば、彼は目をキラキラさせて見入っていた。なるほどね、これは母グッジョブだ。
場面が切り替わり、主人公は恋人を連れ故郷へ帰る。
そんな彼を人々が『彼こそは英雄』ともてはやした。
『私は栄誉など望まない』
母上が台詞を口にしながら、舞台を見回す。
観客はしんと静まり返り、続く言葉を待っている。
『私に必要なのはあなただけだ!』
客席に向けて発せられた言葉に、僕は内心「いや、恋人に言ってやれよ」と思ったのだが、白けたのはどうやら僕だけだ。
会場内は爆発的に盛り上がった。
キャーだのギャーだの紳士淑女にあるまじき悲鳴があちこちから上がった。
周りの熱狂ぶりに若干引いてしまったが、弟も喜んでいるし、父は例によってヒロインみたいな顔になってる。わざわざ水を差すこともあるまい。
終幕には惜しみない拍手を送った。
その日、母上は花束を馬車一杯に積んで帰って来た。
大勢にチヤホヤされてご満悦というわけでもなく、いつものように武人のような雰囲気だ。
なんかこう、常にどっしり構えてるんだよね。強者の風格がある。
「本当に素敵だったよ、エマ」
興奮しすぎて倒れそうな父上とは正反対だ。
イチャコラが始まる気配を察知した僕は、リャニスを連れてさっさと出迎えの場を離れた。
廊下に出たところで、ライラに引き留められる。
「坊ちゃま、奥様が好きな花を選んでお部屋に飾るようおっしゃっていました」
「見に行く。リャニスも行こう」
広間に運び込まれた花束を、使用人たちがせっせと解体していた。中に仕込まれている手紙とか不審物とかをより分け、花や葉物をひとまず木桶に入れているようだ。ここから選んでいいよということだった。
なかなか大変な作業である。
みんながんばれと心の中でエールを送っていたら、リャニスが遠慮がちに声をかけてきた。
「俺が兄上の部屋の花を選んでもいいですか」
「いいね、それ。じゃあ僕がリャニスの分を選ぶね」
「はい!」
自分の分だと思えば普通に面倒だけど、リャニスに贈ると思えば楽しい!
とたんに遊びになってしまった。リャニスってば天才かな。
よし、カッコイイを目指すぞ。
ちなみに好きなだけ選んだあとは、侍女がいい感じに仕上げて互いの部屋に届けてくれるシステムだったので、完成品は僕も見ていない。
それでも届けられた生け花をみて、僕は思わず「あ」と呟いてしまった。
リャニスが選んでくれたのは薄い紫の花だった。僕の方は黒っぽい紫の花を選んだので、お互い瞳の色を贈り合うみたいになってしまった。
一瞬焦ったが、母のお裾分けで遊んだだけだし、気にすることでもないか。
たとえば僕の髪や瞳の色をリャニスに贈ったならば、『あなたのそばにいたい』とか『あなたを見つめています』くらいの意味になっちゃう。
だけど今回はリャニスの瞳の色を贈ったわけだから、そこまでの意味にはならない。
意図せず似ちゃっただけ。
だから――。
次の日王子が持ってきた花束にも、深い意味はないと思うんだよね。
うすい紫の、僕の瞳の色によく似た花に、『君の瞳は美しい』的な意味を込めたりはしてないハズだ。
ないよね?
チラッと盗み見ると、王子はそっと目をそらした。頬がかすかに赤らんでいるようにも見える。
ヤメテ! 僕までヒロインみたいになっちゃうだろ!
白目をむいてるのがバレないように、僕はそっと花束で顔を隠した。