14 わからない
真夜中、ベッドで唸っていた僕は、むくりと身を起こした。
「僕、ピンチじゃない!?」
誰に対する問いかけかもわからないが、口に出したとことで疑問が芽生える。
いや、でも、なにが?
リャニスは日本語がどうとか言っていたけれど、日本語を扱えるとどうなるんだろう。
僕は腕組みして、極限まで首を傾げた。そのうちぽすっと横に倒れてしまう。わからないものはわからない。明日、もう一度リャニスと話してみよう。
そう思っていたのに、朝になってもリャニスは迎えに来なかった。
それどころか、授業が始まっても姿を現さない。
先生がなにも聞かないから学校側には連絡済みなのだろう。
僕、聞いてませんけど!?
授業が終わると、僕はサンサールを捕まえこっそり尋ねた。彼はリャニスと同室だし、なにか知ってるかも。
「サンサール、リャニスはどうしたの?」
「家に帰るって言ってたけど、何も聞いてないの?」
「うん……」
何度否定しても、どうしても断罪の文字が頭をよぎる。
まだ早い気もするけどアイリーザの例もあるし。
「ノエムート様?」
「あ、ごめん。なんでもないよ」
僕はサンサールとの会話を打ち切って頭を働かせた。
おそらくリャニスは、僕に不審な点があると知らせるため、トルシカ家へ行ったのだろう。
だけど日本語を使えることが、この世界でどんな扱いになるのか僕にはわからない。そこから、リャニスがどんな情報を読み取ったのかも。なんせ彼、名探偵だから。
僕はどうすればいい?
追いかけて弁明するか。それともおとなしく沙汰を待つか。
逃げるという手は、使い時とは思えない。そもそも僕が逃げると侍女たちが叱られちゃうし。
それに僕、屋根のないところで寝られる気がしない。原作でノエムートが断罪された時だって、住むところくらいは用意されてたじゃないか。
たしかリャニスが暗い顔をして様子を見に来るエピソードがあったはず。「住み心地はいかがですか」なんて尋ねられて、粗末な部屋や家具に腹を立てたノエムートは彼に物を投げつけるんだ。
あれ、でもなんでノエムートはあの時、塔に送られなかったんだろう。流行病だと思われてたから?
断罪されたときは、ちょうどスクール島で謎の病が蔓延していて、ポーションや医者の処方薬でも治せず困っていたんだよ。そこで聖女がばばーんと原因を突き止める。これは病ではありません、毒ですって。
そして彼女の癒しの力で事件は終息に向かう。
だけど毒に弱いノエムートは治療が間に合わず、孤独に死んでいく。
リャニスは結局、その日帰ってこなかった。
次の日の朝になり、僕は父上からの手紙を受け取った。
手紙にはリャニスをしばらく休ませると書いてあった。僕に対しては、余計なことはせずしっかりスクールで学ぶよう指示されていた。
これは荷物をまとめておいたほうがいいかもしれない。侍女たちは何も知らないと一筆したためて置こうか。逆に怪しまれるかな。
やきもきしながら一週間が過ぎ、とうとう家から連絡がきた。
授業が終わってから来いと書いてあったが、待ってられるか。
僕は侍女たちを連れて、慌てて帰宅した。すると家の中がなにやら慌ただしい。ひっきりなしに木箱が運び出されて、引っ越しみたいだ。入り口付近であっけに取られていたら、采配していたリャニスがこちらに気付いた。
「兄上、着くのは夕方と聞いていたのですが」
やばい。リャニスの声が冷たい。すぐに目をそらされちゃったし。
「申し訳ないのですが、先にこちらを済ませてしまってもよろしいでしょうか」
「う、うん。もちろん」
何の準備なのかよくわかってないけど。
「では、部屋でお待ちください」
僕の部屋はそのままだった。証拠を探した形跡もない。
侍女たちは母上のもとへ報告に行ってしまったし、自分の部屋なのに息苦しく感じてしまう。そもそも僕はこの一週間ろくに眠っていないのだ。部屋の中をウロウロしているうちに、心臓がドキドキしていつのまにかポメになっていた。自分のしっぽに驚き、しっぽを追いかけるうちに疲れ果て、へたり込んでしまった。
「兄上、兄上……!」
呼ばれて目を開けると、リャニスが緊張した面持ちで僕のそばに膝をついていた。
「どうしてこんなところで眠ってしまうのですか」
眉根を寄せながら、彼は僕を抱き上げて近くの椅子に移した。叱られてしまって、僕はしょんぼりした。今のリャニスはなんだか怖い。軽口をいう気にもなれない。しっぽも巻いちゃう。
「兄上にお話があったのですが、あとの方がよろしいでしょうか」
「ううん! いま聞く!」
これ以上待ったら、自分の毛むしっちゃいそう。
「では、お話します」
って、あれ。このまま話すの? もとに戻してくれないの? 不安になってソワソワしてしまった。いや、ちゃんと聞きますよという意思を込めてお座りのポーズをとる。
僕が落ち着くのを待っていたかのように、リャニスは重々しく息を吸って話し始めた。
「俺はザロンへ行きます」
リャニスはキッパリと言い切った、行きたいでもなく、行こうと思うでもなく。
僕は一瞬声を失い、おそるおそる尋ねた。
「じゃあまさか、運び出していた荷物は」
「はい。あちらへ送るものです」
そんな!
僕は飛び上がった。いますぐ止めなくちゃ!
しかし椅子から飛び降りたところで、リャニスが機敏に受け止めた。
そしてリャニスは僕を抱き上げたまま窓辺に向かった。外へ出るのを阻まれたことで、もう覆らないのだと諭された気がした。
それでも僕はなお、未練がましく彼に問いかける。
「けどなんで急に! ザロンへ留学する話は、断ったんじゃなかったの」
「はい、一度は断りました。ですが気が変わったんです」
おかしいよ! リャニスがスクール在学中に留学なんて話、原作にはないはずだ。
おろおろするしかできない僕を抱いたまま、リャニスは窓から遠くを見ている。僕は思わずクゥンと鳴いた。
「俺は、強くなりたい」
「もう充分強いよね」
「足りません」
どういうことなのか、さらに問いかける前に、リャニスはライラを呼びつけた。
「兄上はスクールにお戻りになる。殿下の力をお借りするように」
僕はびっくりしてぽかんと口を開けた。
「リャニス、戻してくれないの?」
「……すみません兄上、今の俺には、兄上を戻す自信がありません」
リャニスはそうして、ザロンへ旅立った。
王子はライラから僕を受け取ると、彼専用みたいになってしまったソファーに座って、僕の背中を撫ではじめた。
僕はなかなか元に戻れなかった。
それでも王子は何も言わず、あごの下や耳の付け根を優しくなでた。
そのうちに、しっぽのあたりがうずうずしてきて、僕の意思に反して動き出した。
ううう、戻っちゃった。まだポメってたかったな、なんて思いながら、僕はのろのろと王子の膝の上から降りる。僕の甘えを見透かしたように、王子は僕を抱き寄せ、あやすように背中を叩いた。あまりにも温かく心地いいので抗えず、王子の肩にコツンとおでこをぶつける。
いくら考えてもわからない。リャニスの考えも、行動の意味も。
僕を断罪するんじゃなかったの?
「あまり考えすぎるな」
ふわっとチョコレートの香りがしたと思ったら、くちびるに一粒、押し当てられた。食べろってことだろうと思って、そのまま受け入れる。
カカオのいい香りと、口の中に広がる甘さを味わううち、ゆっくりと気分が落ち着いてくるみたいだった。
リャニスにしてあげたかったことだ。
いや、違うか。僕は彼の怒りを鎮めようとしただけで、それって結局保身に過ぎない。
いま王子は、僕を最大限甘やかしている。
自覚すると、急に恥ずかしくなった。
今更ではあるが、そろーっと彼から身を放す。横目でチラリと伺うと、王子は笑うでもなく、自分の口にもチョコレートを放り込んだ。
「……なにも、聞かないんですか」
「リャニスランのことだろう?」
あっさり言うので、僕はハッと顔をあげ、問い詰めてしまった。
「リャニスから、なにか聞いてるんですか」
「いいや。手続きをしているようだと、すこし耳に入っただけだ。私としても彼が君の元を離れたのは予想外だった。君も言っていなかったなんてな。――理由を聞いたのか?」
「強くなりたいと、ただ、それだけ」
「ふぅん」
王子は納得したみたいだったけど、僕にはそれが気に食わない。
「戻ったら、王子を倒すつもりかもしれませんよ」
「ありえない話じゃない」
冗談のつもりだったのに、彼は大まじめに頷いた。
「気持ちはわかる。だが、リャニスランの奴、私を利用したな」
「え?」
「スクールには私がいるから、君のそばを離れても平気だと踏んだのだろう。だったら、私もこの機会を充分に利用させてもらう」
王子はまた、何を言い出したんだ?
僕はまばたきして説明を求めたんだけど、彼はニッコリと僕の頭をひと撫でし、立ち上がった。
帰るのかな。
見送るために腰を上げると、彼は耳元でそっと囁いた。
「寂しいなら攫って行こうか?」
そっちか!
お目付け役がいないうちに、どんどこ口説こうって算段か。
ここは丁重にお断りしなくては。
「いいえ、もう充分よくしていただきました。おかげで落ち着きました。ありがとうございます。おやすみなさい、キアノ」
よそ行きモードで微笑むと、王子はあっさり頷いた。
「うん。明日もくる」
通じてないね!
もういいや、明日断わろ……。




