13 渡したいもの
このところ、リャニスの様子が変だ。
一人で何か考え込むことが増え、口数も減った。話しかければ応えてくれるが、声は固いし表情も暗い。
もしかして僕、迷惑がられているのでは?
「どうしよう心当たりしかない」
愕然としていたら、誰かのギフトが爆発した。爆風をまともに受けて、僕はよろめいた。
そのままふっとんで行かなかったのは、リャニスが支えてくれたからだ。
授業でギフトの練習をしていたわけだけど、みんな日に日に威力を増している気がする。騎士団見学がいい刺激になったみたいだ。
僕はあの日以来、ひたすら防御力を上げる方向にシフトしている。それなのにふっとんでいるんだから目も当てられない。
「立てますか」
「あ、うん」
安定感があるからつい、そのまま体重を預けちゃってた。返事をするとすぐに手を離される。
「髪が乱れてしまいましたね。ライラを呼びましょう」
僕はその時も、アレっと思った。
これまでなら見苦しくない程度にその場でリャニスが整えてくれたのに。
いや、兄の髪を整える弟は状況としておかしいので、行動としては正しいんだけど。
でもなんだろう、すごく距離を感じた。
授業はまだ続いているのだが、身だしなみを整えたいと願い出るとあっさり許可がでた。僕はボサボサ頭のままふらふらと寮に戻った。すると、ライラが僕を見つけて素早くやってきた。
「坊ちゃま、お帰りなさいませ」
ライラは何も聞かず僕を椅子に座らせて、いつものブラシを持ってきてくれた。
髪を梳かしてもらうあいだも、胸にどんどん重たいものがわだかまっていくようだった。
「坊ちゃま、なにかありましたか?」
気づけば、ライラが僕を覗き込んでいた。
なんでもないと言おうとして、僕は口を閉ざす。ライラが心配してくれてるのは明らかで、下手なごまかしは更なる誤解をまねきそうだ。
「ライラ、僕、リャニスに嫌われちゃったかも」
「リャニス坊ちゃまがそうおっしゃったのですか?」
「ううん、そうじゃないけど」
「では、誰かが坊ちゃまに妙なことを吹き込んだということですね」
急に断定するので、僕はギョッとして首を振った。
いや、違うから。拳を握るのやめようね。今にも殴り込みに行ちゃいそうだ。
僕は両手をあげて彼女をなだめた。久しぶりに見たな、元ヤンみたいなライラ。
彼女はしばしうつむき、なにか考え込んでいた。そうかと思うと、顔をあげて僕をまっすぐ見た。
「あたしには、難しいことはよくわかりませんが、直接聞いてみたらどうでしょうか。それでもだめなら、こう、一発」
動作が不穏なんだよ。
なんだってそんな、暴力で解決しようとするんだ。
「奥様も言っていました。言葉で分かり合えなくても拳で分かり合えることもあると」
「母上ぇ……」
思わずうめいちゃったじゃないか。母上のせいだった。頭を抱えたくなっちゃうね。
「大丈夫です。坊ちゃまが全力で行っても、リャニス坊ちゃまなら」
ライラは勧める相手を間違ってるよ。力強く頷かれてもね。
そんなことをしたら絶対僕の方が怪我をするし、そしたらリャニスは自分を責めちゃうだろ。
あ、そっか。
「そうだね、やっぱり僕の考えすぎかも。聞いてみるよ、リャニスに直接」
というわけで、僕はさっそくリャニスに突撃した。
ギフトの授業はすでに終わってしまったらしく、次の教室へ移動するところだった。
リャニスの後ろ姿めがけて駆け寄り、彼の制服の裾をつかまえた。でもちょっと怖かったので、目をギュムっとつぶったまま宣言した。
「リャニス! 話があるのであとで部屋まで来てほしいんだけど!」
一瞬息をのむ気配がしたかと思うと、彼は一歩下がった。逃げられちゃうかなと慌てて目を開けると、リャニスと目が合った。
「俺からもお話があります」
「うん」
「稽古が終わったら伺いますので」
リャニスの表情も声もやっぱり硬くて、叱られる予感しかしなかった。
放課後、僕はリャニスがくるのを待っていた。
心臓が緊張のためかやたらとバクバクいっていた。
先手必勝で謝ってしまうのがいいだろうか。でもなんのことかわからないままではかえって事態を悪化させかねない。
それよりも、問答無用で甘いものを口に突っ込むほうがいいだろうか。甘いものを食べると、人間、怒りが持続しないって聞くし。
「リャニス、何も聞かずこれを食べて!」
リャニスが入ってくるなりチョコを差し出すと、さらっと断られてしまった。
「ありがとうございます。後ほどいただきます」
作戦失敗。もう、観念するっきゃない。
「話って何?」
「兄上からどうぞ」
「いや、僕の話は、たぶんリャニスの話と同じだと思うから」
リャニスは僕の言葉に、束の間、眉を寄せた。
なんだかわからないけど、やっぱり相当怒ってるんだ。
「人払いをお願いできますか」
ライラ達にも聞かせられないくらい!?
動揺を押し隠して、僕は侍女たちを下がらせた。
二人だけになっても、リャニスの口は重かった。
沈黙に耐えかねて、ポメ化しちゃいそうだった。両手を組んで震えをこらえていると、リャニは深いため息をついて切り出した。
「兄上に、渡したいものがあるのです」
「みくだりはん……?」
「それは、どういう意味ですか? みくだり……はん?」
すこし発音しづらそうに、リャニスは繰り返す。しまった、三行半は日本語だった。
「そもそも僕たち夫婦じゃなかったね」
「は!?」
すごく混乱させてしまった。
彼の眉がつり上がるのを見て僕は慌てて話題を変えた。
「ごめん、なんでもないんだ。それより渡したい物ってなに」
リャニスは何か言いたげな顔をしたものの、ため息一つで飲み込んだようだ。
「こちらです。兄上が探していたもので間違いありませんか」
リャニスがポケットから取り出したものを見て、僕は心底驚いた。
例の不審なカードだ。日本語が一文字だけ書かれている、あの謎のカードだ。
「それ、どうしたの!」
「偶然、見つけたんです。先生に提出する前にお見せしようと思って」
「そうなんだ、ありがとう」
これが渡したいものだというなら、リャニスが暗い顔をしている理由はなんだろう。ちっともわからないが、好奇心が勝り、カードを受け取ってしまった。
「……もう見つからないものだと思ってた」
ペロンとめくってみると、そこには『チ』と書いてある。
ほかのカードを取り出すまでもなく、そこでピコンと謎が解けてしまった。
「ちくわぶ?」
念のためカードの写しを取り出して並べ替えてみたが、他の言葉にはならない気がする。
「なんでちくわぶ?」
なんか、さらなる謎が出てきちゃったんだけど?
しきりに首を傾げてると、黙って様子を見ていたリャニスがポツリとつぶやいた。
「兄上は、それが読めるのですね」
僕はその瞬間ヒュッと息をのんだ。
「え!? あ、読んだっていうか、勘? いや、あてずっぽうだよ!」
「誤魔化さなくていいです。そうですか、やはり、兄上はニホンゴを扱えるのですね」
おぼつかない発音ではあったが確かに日本語と言った。暗く沈んだ声で、どこか苦し気でさえあった。
僕は目を見開き、そうしてしまってから、取り繕うべきだったんだと気が付いた。
リャニスはいまや、観察するような冷たいまなざしを僕に向けていた。
その視線に身がすくんでしまい、彼の名を呼ぶことができなかった。
どういうことなのか、尋ねることもできなかった。
のどがひりついていた。
リャニスは僕から目をそらし、そのまま背を向けた。
「申し訳ありません、今日はこれで失礼します」




