30 留守番のはずが
いよいよ帰宅の日がやってきた。クラスメイト達ともしばしの別れだ。
ちなみに今日は人の姿だ。一人一人と言葉を交わし、さりげなく聖女が混じっていないか注視したのだが、まったくわからなかった。
「今回のことで痛感しました。兄上をお慰めできるのは、やはり殿下なのですね」
スクールのある島から船で渡り、トルシカ家の馬車へ乗り換えたのだが、出発まですこし時間が空いた。
そのとき、リャニスがぽつんとつぶやいたのだ。
なんの話だろうと思って首を傾げかけたが、アイリーザが退校したかもって動揺していた時のことか。
あれは王子が、というよりは――。
「あのとき俺、兄上を責めるようなことを言いましたね。申し訳ありませんでした。忘れてください」
「え? え? 責める?」
雲が日差しを遮ってしまったせいで、馬車の中は薄暗くなり、リャニスの表情を隠してしまった。
それでも彼が沈んでいることは声を聞けばわかった。
「兄上に隠し事があったっていいんです。たとえ兄上が、俺のことを信頼してくださらなくても、俺は」
「信頼してないなんてことは――」
「いいんです」
リャニスは小さく首を振った。
リャニスは何か思いつめてる。僕が追い詰めたんだよな、コレ。
罪悪感がないと言えば嘘になる。
でもね、やっぱ言えないよ。
そりゃあリャニスに泣いてすがれば、手を尽くしてくれるってわかってる。それでも僕は、この期に及んで彼の『お兄ちゃん』で居られる逃げ道を探しているんだ。
リャニス、と僕は呼びかけた。
「知らないとは言わせないよ。僕がどれだけリャニスを頼りにしているのか。隠し事は――」
息を吸い直して、きっぱりと言ってやる。
「確かにあるよ」
リャニスはハッとこちらを見た。
「だけどさ、それとこれとは別問題なんだよ。僕にだって、自分で解決したいことの一つや二つあるんだよ。弟に頼ってばかりじゃ兄としての沽券にかかわるんだよ」
そのとき、雲間から太陽が出てきて、僕らの顔を柔らかく照らした。
リャニスはじっと僕を見つめている。僕も目をそらさない。
できればこれで納得してほしいところだ。
先に目をそらしたのはリャニスのほうだった。彼はかすかなため息をついて、窓の外に目を向けた。
「兄上、すこし、寄り道して帰りましょうか」
「寄り道?」
「久しぶりに、モーラスの泉へ行ってみませんか」
「でも、母上の許可とか」
「ご心配なく。そのくらいは裁量に任されておりますので」
彼が御者に声をかけると、行き先があっさり変更された。
裁量、裁量ね……。
僕にはまったくないやつね。
散策路の先にある噴水は、いつだったかリャニスと来た時と同じように、今日も人だかりができていた。
聖モリス・モーラスの像を見上げて、僕はなんとなくスクール島にある、もう一つの泉の存在を思い出す。僕自身、サンサールたちと装置巡りをするまでは、まったく存在を知らなかったわけだけど、あっちは空いていたのにな。
知名度の差か、それともこっちのほうが、ご利益があるとか?
「願い事をしてきてもいいですか」
「うん。僕も行く」
願い事か、前は家族の健康とか祈った気がする。
今祈るとしたら、やっぱりアイリーザ様のことかな。
彼女が向こうの国でもうまくやっていけますように……。
神頼みくらいなら、したって許されるだろう。余計なお世話だって怒られちゃうかな。
リャニスはなにを祈っているのだろう。ずいぶんと熱心だ。
彼が顔をあげたタイミングを見計らって、僕は笑いかけた。
「なんか、かなりすっきりした気がするよ」
リャニスもようやく笑顔を見せてくれた。はにかむ感じのいちばん可愛いやつ。
家に帰ると、父上と母上が待ち構えていた。
「おかえり、ノエム、リャニス」
父上が僕そっくりの顔で優しく微笑み、母上はいつもの厳めしい顔つきのまま、「今日はごちそうですよ」なんて言った。
実は二人とも、僕たちが居なくて寂しかったのかもしれないな。
のんびり休日を過ごすこと数日。僕はようやく気が付いた。
「あれ? 僕、最近ポメ化してないね」
「……本当ですね」
ライラと二人で目をパチパチしてしまった。
それでも念のため、予定通り冬の儀式は欠席することにした。
僕は部屋の窓から一人、雪を眺めていた。
今日は貴族たちが、今年最後の挨拶をするために王宮に集う日だ。
僕が留守番すると決めたとき、リャニスも残りたがったのだけど、これも大事な務めだから行っておいでと兄らしく送り出した。
こういう集まりに、理由もなく欠席するのはまずい。我が家の後継ぎにこれ以上傷をつけるわけにはいかないからね。
それになんとなくだけど、リャニスがうちに残ってたんじゃ、王子まで抜け出してきちゃいそうだし。
ちょっと退屈だが仕方ない。本でも読んで過ごそう。
長い夜になりそうだ。
――と思っていたのだが、今夜は帰ってこないはずのリャニスが戻ってきたという。
ライラに伝えられて玄関まで行くと、本当にリャニスがいる。彼の従者がコートに着いた雪を払っているところだった。
「リャニス、どうしたの? なにかあった?」
「兄上をお一人にしておくわけにはまいりませんので」
「でも、こんな時間に帰って来たんじゃダンスもできなかったんじゃない?」
「誰とも約束しておりませんから、大丈夫ですよ」
「そんなまさか、すごく誘われたんじゃないの?」
リャニスはニコッと笑って答えなかった。断りまくったんだな。
「それに、帰りの馬車を手配してくださったのは殿下ですよ」
「キアノが?」
「はい。兄上を一人にするなと怒ってらっしゃいました。もっとも殿下は、兄上がポメの姿で困っているのではないかと心配しておいででしたが」
「……あ」
そういえば、最近は安定しているようですって、王子に伝えてなかったな。
僕は自分の失敗にそっと蓋をした。年が明けてからでいいや。いや、いっそスクールが再開するまで様子を見るとかでもいいかも。
それから僕たちは、いつも家族でくつろぐ部屋へ移動して、温かいお茶で一息入れた。
「だけど、本当に帰ってきちゃって大丈夫だったの?」
「今年は、年の近い紋章家の子女に欠席が目立ちました。アイリーザ様、レアサーラ様、クリスティラ様もお見掛けしませんでした。だから、俺が抜けてもまあ問題ないでしょう。それに、先ほども言いましたが殿下が命令という体裁にしてくださったので」
「そ、それはそれで大丈夫なのかなって気もするけど」
リャニスは答えず、お茶を飲む。
「……殿下は、本気で今日のダンス、すべてお断りするつもりみたいでしたよ」
そして聞いてもいないのに、教えてくれた。
君と踊れないのなら誰とも踊らないとか言っていたもんね。
「困った王子様だね」
僕は呆れてつぶやいた。呆れているように、聞こえるといいな。
どうしてかな。僕の中のノエムートが騒ぐのか、ほんのりと嬉しい気持ちもあるのだ。
ダメだよ。ほだされちゃったら破滅だぞ。
そのとき、リャニスが立ち上がり、僕に手を差し伸べた。習性でぽすっとそこに手を置いて、僕も席を立つ。
もう寝ようと言われるのかと思ったら違った。
「兄上、踊りましょうか」
「え?」
「いつも、兄上と最初のダンスをするのは殿下でしょう。俺、本当はすこしうらやましかったんです。殿下を出し抜くなら、今年が最後のチャンスかなと思いまして」
「だ、だしぬく……?」
良い子のリャニス君がなんか妙なこといってるよ!?
「音楽もないし、見せつける相手もいませんが」
見せつける、とは……?
「俺と踊ってくださいますか?」
冗談めかして笑っているけど、ほんのわずかに緊張、みたいな気配も読み取れる。
あれ、なんだっけ。なんで今こんな話になってるんだっけ。
断ることもできずとまどっていると、リャニスの従者クロフがすっと僕らの横に立った。
「リャニスラン様、ノエムート様、よろしければ我々に音楽をお任せ願えませんか」
「……いいのか」
「ここは公式の場ではございませんし、我々が口を閉ざせば奥様とだんなさまの耳に届くこともないでしょう」
リャニスはチラリと辺りを見回して、やがて合点したようにうなずいた。
え、なに。僕には全然わからないけど?
クロフはむしろこういうとき、たしなめる立場にいるんだと思ってたんだけどな。
すると、リャニスが僕に耳打ちした。
「俺たちのほかにも踊りたい者がいるようです」
言われてクロフの背後に視線をやると、扉をうっすら開けて様子をうかがう使用人たちが見えた。
ああそうか。僕たちが欠席しちゃったから、若い使用人たちが舞踏会に参加しそびれちゃったんだ。
僕らのダンスにかこつけて、踊っちゃおうぜって腹積もりだね。
晴れ着だって用意しただろうし。
「じゃあ、着替えてきたい人は着替えてくるといいよ」
「……兄上も?」
「僕は、欠席が決まっていたから晴れ着の用意は――」
「もちろんございます!」
ワッと口を挟んだのは僕の侍女たちだ。
着せたい、着せたいと、期待が顔に出ちゃってる。
僕は自分の格好を見下ろした。部屋着だ。
リャニスは、冬の儀式から帰って来たばかりなのでバッチリ決まってる。
黒地に紫の宝石がきらりと光るフォーマルな衣装。髪もちょっとあげていて大人っぽい。
「……確かに、不釣り合いだね。リャニス、少し待っててくれる?」
「はい。もちろんです」
もちろんかぁ。
それじゃ仕方ないね。リャニスにまで嬉しそうな顔されちゃったんじゃね。