29 預言
「クリスティラ様。いったいいつから――、どうしてそんなところにいるんです?」
僕は少々怯えながら彼女に話しかけた。
クリスティラはいつもぼんやりしていて、話しかけても返事のないことのほうが多い。ごくまれに頷くか、首を傾げるかすればいいほうだ。
おかげで、幼いころから今に至るまで、彼女の声をほとんど聞いたことがない。
「さいしょから? きづかないほうが、にぶい?」
「おぐっ」
僕は衝撃を受けた。しかもそのせいで、レアサーラと握り合っていた手がほどけてしまった。
うう、まだ握ってて欲しかった。
正直動揺から立ち直れていないのだ。
僕たちの悪だくみが失敗するって、いったいどういうことなんだ。
しかもクリスティラは、「あれ?」って顔をしたきりピタリと黙り込んでしまった。
「え? どうしよう。壊れた?」
こそっとレアサーラに声をかけると、彼女は小さく首を振った。
「もうすこし待ってみましょう」
『待て』をされる犬の気持ちでジリジリしていた僕が我慢の限界を感じたころ、ようやくクリスティラは重たい口を開いた。
「きょうここで、ふたりがみつだんすることはわかっていた。いまからことばをつたえる」
えっと思ったそのとき、クリスティラの顔からすとんと表情が抜け落ちた。いつもの、ぼんやりした感じとも違う。気づかぬうちに彼女そっくりのヒューマノイドと入れ替わっちゃったわけじゃないよね?
ううう、怖いよ。
「――悪役令嬢はすでに舞台を降りた」
僕は耳をふさぐ代わりに両手で口を押さえた。
ど、どうしてその言葉を――。
口を塞いでいなくても声なんて出せる気はしなかった。
僕はそのとき、完全に気おされていた。
彼女はいま、なにか神聖性のようなものをまとっていて、邪魔をしてはいけない感じがしたのだ。
幻覚じゃなければ、うっすら光っているようにさえ見えた。
いったい何が起こっているんだ。
クリスティラって、転生者だったの!?
頭の中は大混乱中である。
だって、悪役令嬢だよ?
そんな名称を使うのは、転生者くらいじゃないか。
けれど、続けられた言葉に、僕は違うと気が付いた。
「神は次なるシナリオを望んでいる」
これは預言だ。
クリスティラは、預言者だったんだ。
なぜか僕は、ハッキリとそう思った。
「探しなさい。聖女はすで我々のそばにいる」
「え!?」
こらえきれずに声をあげたせいなのか、クリスティラが急激に縮んだように見えた。
まとっていた光が消え、いつものぽやっとしたクリスティラが戻ってきた。
「クリスティラ様! 誰ですか、誰が聖女なんですか!」
詰め寄ったところで、もう彼女はこちらの言葉を聞いていない。
きわめてマイペースに、再び床に寝転んだ。
「いや、そこで寝るの!?」
もうゆすってもつついてもダメだった。
「れ、レアサーラ、聞いていたよね。聖女はもうそばにいるって」
「ええ、それも気になりますが、悪役令嬢は退場したというのはどういうことでしょうか。確か原作だと退校処分を受けるのは二年の終わりごろのはず――」
レアサーラがハッと言葉を止める。
僕も気づいてしまった。
「アイリーザは、二年生だ……」
正直なところ、僕はまだ一年生だしと、のんびり構えていたところがある。
ポメ化を理由にちょっと学校生活を楽しんじゃってたところも。
でもまさか、アイリーザが二年生ってだけで引っ張られるなんて、誰も予想できないだろっ!
このシナリオの進行役はずいぶん強引なんじゃないか。
八つ当たりじみた怒りがこみ上げ、またぷしゅんとしぼんでしまう。
僕はとぼとぼと寮へ戻った。
ライラが僕の身を案じて、しきりになにか話しかけていることにも気づいていたのだが、生返事になってしまった。
部屋の前ではリャニスが待っていて、僕を見つけて駆け寄ってきた。
「兄上、今までどこにいらっしゃったのですか!」
そういえば、着替えると言ってごまかして、レアサーラと会ってきたんだっけ。
だけど、言い訳する余裕すら今の僕にはない。
「ねえ、リャニスはなにか知ってる? アイリーザ様のこと」
「アイリーザ様ですか? いえ、特に何も聞いておりませんが――」
「彼女、……スクールを辞めちゃうのかな」
「まさか! そのような話になっているのなら、噂くらい聞くはずです」
リャニスはキッパリと否定して、僕に手を差し伸べた。
「どちらにしても廊下で話すようなことではございません。ひとまず中へ入りましょう」
部屋に入ってすぐに僕を椅子に座らせ、侍女にお茶を入れるよう指示を出すリャニス。
どこまでもできた弟である。
優しくされると自分のふがいなさがますます引き立つようだ。
むこうから漂ってくるお茶の香りにまで甘やかされるようで、じわじわ涙が込み上げてきた。
「……アイリーザ様、卒業式にも出ていなかった」
「兄上、誰か兄上になにか言ったのですか」
僕はぐすっと鼻をすすって、口をつぐんだ。
クリスティラの預言を聞いた、だなんて言えるわけがない。
「少なくとも、俺の耳にはアイリーザ様がスクールを辞めるとか、そう言った話は入っておりません」
「そっか……」
僕が納得していないことを、リャニスは察してしまったのかもしれない。
「兄上……」
ハンカチを僕の手に握らせて、彼は僕の前に跪いた。
「兄上、なにか俺に隠していることはありませんか?」
僕を咎めているわけではない。それは、声色やこちらを覗き込む、弱り切った顔でわかる。
ただただ、僕を心配しているのだ。だからこそ、後ろめたい。
「きちんと話してくださらないと、俺は、どこへ手を差し伸べればいいのかわからないのです。兄上がなぜ、アイリーザ様のことでそこまでお心を痛めているのか、俺には想像もつかないのです。俺は、自分が情けないです」
「リャニスが、自分を責めることなんて、なにもない!」
「いいえ、これは、俺の欲なので」
「え?」
「俺は……本当は――」
リャニスは言いかけて、そっと目を伏せた。彼のまつげが頼りなさげに震える。それを恥じるように、彼はきつくまぶたを閉じ、顔をあげた。
そのとき彼はすでに笑顔を浮かべていた。ただし、それは作りものだ。
「リャ――」
「殿下なら何かご存じかもしれませんよ。お戻りなるまで待つのはいかがでしょう。兄上、一度お休みになられてはいかがですか」
「……うん、そうする」
なにかをするには、頭がぐちゃぐちゃすぎる。
王子がやってきたのは、ちょうど夕食の時間帯だったので、リャニスも誘って三人でテーブルを囲むことにした。
ひと眠りしたことで、僕の気持ちもだいぶ落ち着いたようだった。
食事中は和やかに、当たり障りのない話で済ませる。料理の味はあまりしなかったけれど、なんとか食べることはできた。
「それで、話があるそうだな」
お茶を一口飲んで、王子が切り出した。
「はい。アイリーザ様のことでお伺いしたいことが」
「耳が早いな。君か――?」
王子はチラリとリャニスを見た。
「いいえ、俺はなにも存じ上げません、兄上がアイリーザ様のことを心配なさっておいでなのです。スクールを辞めてしまわれるのではないかと」
「辞めはしない。ただ、転校することになったそうだ」
「転校!? ど、どちらへ行かれるのですか?」
第二スクールとか、まさか第三スクールってわけじゃないよね。それだと実質降格じゃないか。
「いや、チャウィットへ行くそうだ。留学だよ」
「魔女の国へ?」
その意外な行き先を聞き、僕の心が、ほんの少し軽くなった気がした。
彼女は悪役令嬢としてスクールを去ったけど、追放エンドというわけではない。
時期が来ればまたこの国に戻ってこられるだろうし、留学の経験はうまくすれば彼女の強みになるかもしれない。
それでも――。
「冬の儀式も欠席なさるのでしょうか。アイリーザ様は舞踏会でキアノと踊りたがっていたのに」
「誘いは受けたがすでに断った」
「まあ、そうではないかと思ってはいたのですが……」
「なんだ。彼女と踊って欲しかったのか?」
王子がじっとり僕を睨んだ。
僕は首を振って苦笑した。
どちらにしてもアイリーザでは王子の相手は務まらない。聖女じゃないと。
……そうだ。
聖女を探せとも言われてたんだった。
近くにいるってことは、クラスメイトという可能性もあるのだろうか?
女子の顔を順に思い浮かべたけれど、どの子も王子のとなりに立つには顔面が弱――。
失礼なことを考えかけて、僕は慌てて打ち消した。
レアサーラとクリスティラは美少女枠っていうより変人枠だしなあ。
いや、「おもしれー女」とはそういうものなんだろうか。
「君だって――」
「え?」
ちょっぴり魂が抜けかけていた僕は、王子の声に慌てて意識を会話に戻す。
「今年は来ないんだろう?」
彼は少し拗ねたように言った。
「はい。途中でポメ化しても困りますので」
「だったら――、私は誰とも踊らない。君と踊れないのなら、誰とも」
またそういう、ドキッとするようなことを言う……。
なんだかとてもくすぐったくて、二人におやすみを言って、ベッドに潜ったあともしばらく耳に残った。




