5 汚したら困る
夏の暑さが和らいだころ、キアノ王子からガーデンパーティーの招待状が届いた。衣装のプレゼントつきだ。
ついたての向こうに母上がいて、ニコニコと僕の着替えをまっている。試着してお直しの必要があれば針子にまわされるのである。
僕はといえば、侍女たちに着つけてもらいながら考えこんでいた。
王子が婚約者に衣装を贈るとき、相手が女性の場合はドレスを、男性の場合は詰め襟の、ワンピースみたいなのものを贈る慣例になっている。
イメージとしては、聖職者っぽいやつ。色に決まりはなくて、今回は白。
そもそも、なぜ王子が男の婚約者をもつかというと、上質な神の授け物を賜る女性がすくないという事情がある。けれど結婚しないというのも外聞が悪い。
そんなわけで王位継承権の順位が低い王子にはニセモノの花嫁が用意されるわけだ。
つまり僕の立場。だから僕には、従者ではなく侍女がついていたりする。
そんで今回、僕に用意された衣装はワンピースタイプのものだった。
小説と違うことに、僕は心のなかでしきりに首をひねっていた。
ここは本来なら、男性用の服を受けとる場面だった。
王子はノエムを婚約者として遇しない。不本意な婚約だから。
王子から衣装を贈られるたび、ノエムはほんの少し期待する。そして婚約者用の衣装でないことをひっそりと悲しむのだ。
だけど僕に贈られたのはがっつり婚約者用のもの。なんなら縁飾りに王子の髪と瞳の色があしらわれて「おれのもん」みたいな主張つき。
……どうしてこうなった?
「お気に召しませんか?」
ライラの声が気づかうようなものだったので、僕はあわてて否定した。
「いや、汚したら目立ちそうだなって思って」
「なんの心配をしているのですか、ノエム」
母の声がワントーンさがって、僕は首をすくめた。
「汚すようなまね、しなければよいのですよ? さあ、着替えが終わったのなら出ていらっしゃい」
幸い、母上は僕の格好を見て「まあ!」と目を輝かせた。
「よく似合ってるわ、ノエム。本当にかわいらしい」
手放しで褒めてもらい、僕はまんざらでもない。
油断していたら、母上の目が冷ややかに細められた。
「あなたまさか、これを着たままイチゴ摘みになど出かけませんね?」
「もちろんです、母上。僕が想定したのは事故です。想像上の悲劇を憂いたのです。自ら汚すようなことは絶対にいたしません!」
僕は笑顔で請け合う。
なにを隠そう、もらったばかりのこの衣装、ジュースをかけられちゃう運命にあるのだ。こんな白くて汚れが目立ちそうなのに!
僕は否定したのだが、母はちょっと眉をあげただけだった。
「すんだらきちんと保管しておきなさい。間違ってもノエムが持ちだしたりしないように」
「僕、母上に信用されてない……」
母が部屋を去り、僕はライラに愚痴った。
「前例がありますからね」
ライラは納得しているみたいだった。
まあね、イチゴで袖を汚したばかりだからね。服はきれいになったけど僕には前科がついたままってわけだ。もう遊びながら食べるのはやめよう。貴族らしく優雅につまみ食いするんだ。
◇
ガーデンパーティー当日、馬車にゆられて城に行く。キアノ王子と年の近い貴族の子女が集められるため、リャニスも一緒だ。
馬車を操っているのはリャニスの従者で、ライラは僕らと一緒に乗っている。今日はパーティーなのでドレスアップをしている。主役はあくまで子供たちなので控えめだけど充分きれいだ。
でもまずは弟を褒めてあげなくちゃだね。
「それにしても」
僕はリャニスの衣装をながめてしみじみとつぶやいた。
「リャニスの半ズボン姿もこれで見納めか」
「なっ! 兄上だってすこし前までお召しになっていたでしょう!?」
「褒めてるんだよ!? なんで怒るの、かわいいのに!」
「か、かわいいとか言われても……」
あ、そっか。背伸びしたい年頃か。
「大丈夫だよ。リャニスはぐんぐん背が伸びるし、カッコよくなるからね。子供時代は短いんだ。今のうちにかわいい姿を堪能したっていいじゃないか」
兄としての権利だと思う。だけどリャニスはますますむくれたし、ライラはそっちむいてなんか笑ってない?
褒めてるのになあ。
会場について、僕たちは王子にあいさつをする。
「キアノジュイル殿下、本日はお招きありがとうございます。すばらしい贈りものもたいへん気に入っております」
「うん。よく似合っている」
香り高い秋の薔薇を背後に、王子はふわりと微笑んだ。スチルかな? 絵になりすぎてるよ。
「殿下は薔薇がお似合いになりますね」
「なにを言っているんだ。ノエムのほうがずっと似合う」
王子はダンスをするように僕の手を取って、立ち位置をくるりと変えた。
「ほら。思った通りだ」
キラッという笑顔。なんという王子ムーブ。
呆然としてしまった僕の耳元で、内緒話するように彼はささやいた。
「あとは、君がいつものようにかわいらしく私を呼んでくれたなら、完璧なのだけど」
「き、キアノ……」
「うん。それでいい。のちほどふたりで庭をまわろうか」
「……はひ」
視線をね、とっても集めてるよ。僕は恥ずかしさのあまりうつむいて、変な返事しかできない。王子ムーブはまだ継続中で、彼は僕の髪を一束すくいあげ、名残惜しそうに宙に放ってから、ようやく背を向けた。
「じゅういっさい。あれでじゅういっさい。末恐ろしいな……」
「兄上?」
フラフラしている僕の手をリャニスが心配そうに握った。
こっちは九才。半ズボン。癒されるね!
そしてハッと気がついた。そうか! 十一歳だからこそ屈託なくできるのかもしれない。そうあれは無邪気。照れてはいけないヤツだった。
「ノエムート様、見ておりましたよ。殿下と仲むつまじくてうらやましいです」
「はい。殿下にはよくしていただいております」
すこし照れくささが残ってしまったけれど、ご令嬢たちの前であわてずにすんだ。セーフ!
あとはもう、服とか髪とか褒めてやりすごす。うーむ。前世で姉の顔色をうかがいながら暮らしていたスキルが役立ってるね。
ちょっと水を向けて、あとはニコニコうなずくのが無難な対応だ。これまではツンケンしてたからほんのり驚かれちゃったけどね。
「あ、皆さまあちらをごらんになって」
示された方向に、体を向けようとしたところでそれは起こった。
少し離れたところにいた少女が声につられてふりむいて、よそ見のせいか足を取られた。
バランスをとろうと踏みだした足をぐきっとひねり、ギャグマンガみたいに大げさに回転したかと思うと、もっていたグラスがぴゅーんと僕のほうに飛んできた。
僕は呆然と、衣装に広がる紫色の染みを見おろした。