21 泣き虫リャニスと軽薄な僕
「兄上!」
僕の到着を待ちかまえていたように、寝間着姿のリャニスが部屋から飛び出してきた。
母上とリャニスの従者が騒ぎに気付いて別室から顔をだす。どうやらなにか話し合いをしていたらしい。
そのときには、僕はリャニスにギュッと抱えられている状態だった。
ちょっと痛いくらいだけど安心するならいいか。
「リャニス、起きて大丈夫なの?」
「兄上……」
ぽたっと、リャニスの瞳から涙が落ちる。いつもより幼く、頼りなく見えて僕の兄心がギュギュっと締め付けられた。たまらない気持ちになって、僕はリャニスのほっぺに頭をぐりぐり押し付けた。
リャニスはかすかに笑ったようだった。
「お腹空いてない? それともこのままもうちょっと眠る?」
「兄上と?」
「うん」
「リャニス、ノエム。いけませんよ」
母上が止めたが、リャニスはそれを無視する形で部屋に戻りベッドにもぐりこむ。
ドアが開け放たれていたから、母上がボケなのか本気なのかよくわからない言葉をつぶやくのが聞こえた。
「は、反抗期……?」
そういうんじゃないと思うけど。
次に目を覚ましたとき、はじめに目に入ったのは自分の手だった。白くて華奢な指、手入れされた爪。ふわふわした髪の毛も見える。
ふむ。ちゃんと人間だな。
そう思いながらごろんと寝返りを打つと、健やかに眠るリャニスの顔が目に入った。
「リャニス?」
あれ、やばいな。弟恋しさにとうとうベッドに忍び込んだかな。それは兄としては変態の部類では?
混乱しているうちに、リャニスも目を覚ました。
こういうときは慌てず騒がず笑ってごまかす。
「おはよう、リャニス」
リャニスはぼんやりと僕を眺めたあと、すごい勢いで後退して毛布ごとベッドからころげ落ちた。
彼はあたりを見回し自分の部屋であることを確認する。それでも状況が理解できなかったのか、声にならない悲鳴っていうのかな、毛布で自分の体を隠すようにして口をパクパクさせた。
人が動揺しているのを見ると不思議と落ち着くもので、僕のほうは事情を思い出した。
そうだ添い寝を申し出て、リャニスが了承したんだった。
騒ぎを聞きつけたリャニスの従者が控えの間からドヤドヤやってきたけど、慌てた様子もない。つまり合法的に弟のふとんにもぐりこんだってわけだ。よかったよかった。
「リャニスが一緒にいてくれたから、もとに戻れたみたいだよ」
とりあえず着替えてくる。そう言ってリャニスの部屋を出たらその前に父上につかまってしまった。
しかたないので部屋着に着替えたあとは、まず父上の部屋へ向かった。
父は、僕にどうしても言い含めたいことがあるようだった。
「まずはノエム、君がもとに戻って本当によかった。けれど二度目はないからね。緊急事態だったから君たちがああすることを許したけれど、次はない」
「ですが父上、この状態たぶん一時的なものですよ」
「……なんだって?」
父上は渋面を引っ込めて笑顔を浮かべた。
本気で困るといっそ笑ってしまうのは、貴族じゃなくてもあるあるだよね。
ほんの少し、申し訳なく思わなくもない。
「えーと、リャニスとのつながり? が、切れた感じはしないので」
父上が笑顔のままぴくりともしないので、聞いているのか心配になった。それでも一応伝えておいたほうが後々のためだろう。
「リャニスゲージがゼロになったとき、僕はまたポメ化すると思います」
なぜかはわからないけど、絶対そうだと断言できた。
「リャニスゲージ?」
「今、僕たちは燃費の悪い装置のような状況なのではないかと。お互いにギフトを送り合わなければ、僕はポメ化してリャニスは泣き虫リャニス状態になっちゃうみたいな?」
自分で言っていても「なんだそれ?」って思う。じゃあリャニスには僕ゲージがあるわけか。僕はくすくす笑ってしまった。
「毎晩一緒に寝れば、程よく充電されるのではないでしょうか」
いいアイデアだと思うのに、父上は頭を抱えた。
「やはり、君もまだ少々おかしいみたいだね」
「そうでしょうか」
「君はそこまで……、いや、時々軽率なところはあるにしても。普段ならもうすこし、下手でも言い訳くらい考えるはずだ。それに、リャニスが心配じゃないのかい?」
「心配してますよ。けど、どうにかなりますよ。一緒にいればいいだけですから」
なぜ、そんなため息をつくんだろうか。
理解できなくて僕は首をかしげる。
そのとき、僕の推理を裏付けるように父上の部屋にリャニスがやってきた。
「兄上が遅いので」
今にも泣き出しそうなへにょっとしたリャニスを見て、父上は何事かつぶやいて天を仰いだ。
それからやがて深い溜息をついた。
「百歩譲って、我が家でリャニスと過ごす時間を許したとしても、スクールはどうする気だい。さすがに無理だよ」
確かにスクールは寮と寮の出入りが厳しい。前にライラがレアサーラを攫ってきちゃったことがあったり、リャニスは家族枠、王子は婚約者枠で比較的ひょいひょい入ってきたりするけど、さすがに泊りは許されない。
リャニスと僕が血を分け合う兄弟だったなら、まあギリギリ? いや、きっとそれでも許可なんて出ないだろう。
なんせ僕、王子の花嫁候補とかいう微妙な立場だから。
「休暇が終わるまでになんとかなればいいけど、なにか手立てを考えないと」
「まあ、なんとかなりますよ」
僕には根拠のない自信があった。不安はこれっぽっちもない。
家のなかで、僕は可能な限りリャニスと一緒に過ごした。双子みたいにぴったりくっついて生活した。
それだけでなく、両手を取ってお互いにギフトを送り合うなどほかの工夫もしてみた。だけどそのやり方だとギフトは同じところをぐるぐる回る感じがして、体内にとどまらない。
添い寝がいちばん効率的だと僕は踏んでいるんだけど、どうしてなのかリャニスにまで反対される。
そのくせ泣き虫リャニスになって、朝方、扉の前で膝を抱えて僕の目覚めを待っていたりする。
そうこうするうち調子はどうだと王子から手紙が来たので正直に現状を書いたら、次の日王子がやってきた。
「くっついている、などとふざけたことが書いてあったのでまさかと思って来てみれば……」
王子は腕を組み、僕を見下ろした。頬のあたりがピクピクしているから、怒ってるんだろう。僕はと言えばリャニスの膝枕で大あくびをしているところだった。
「申し訳ありませんが、今は手を離せません」
「そうです、殿下。いま兄上と離れれば、兄上はまたポメ化してしまうでしょう」
リャニスはどんよりとした様子で、僕の頭をなでている。
ポメ化寸前までエネルギーが減れば、僕はひたすら眠い。寝て起きてポメ化していればすぐにテンションMAXになるのだけど、今はタイミングが悪い。
「二人とも、どう考えても正気じゃないぞ!」
王子が悲鳴じみた声をあげた。
そんなこと言われても。もにゃもにゃしている僕らの代わりに、父上がものすごく謝っている。
王子は僕らを引きはがす代わりに、無理やり一緒のソファーに座った。おかげで僕は頭をリャニスの膝に、足を王子の膝に乗っける形だ。これとても体勢が苦しい。
しかも王子はそのまま話をするつもりらしかった。
「君たちのような症例がないかどうか、私のほうでも少し調べてみたんだ」
王子は僕の膝がしらに手を乗せて、暗い声で話しはじめた。状況と表情がまるで合っていなくて、どうにも頭に入ってこないんだけど。
「心と体が入れ替わるといった事例はあったが、君たちのような半端な状態は見当たらなかった。だが、多少はヒントになるのではないかと思う。これは推測だが今回のことで、本来ノエムが抱えるべき不安や恐怖といったようなものを、リャニスが引き受けてしまっているのではないだろうか」
答えたのは父上だ。
「その可能性は充分にございます。息子たちも普段ならこのような無礼な態度などするはずもないのですが」
「ああ、本当にこれはひどいな。――ノエム、聞いているのか、君の話だぞ」
「ふあい」
「君のほうはやけに軽薄に見える」
なんてこった。軽薄かあ。
「このままだと君の評判が地に落ちる」
「それは別に構いません」
もともとそういう運命だしなとぽやぽやしていたら、王子が続けた言葉で目が覚めた。
「君の大事なその弟も道連れだぞ」
「え!?」
急に起き上がったせいで、王子と頭をゴツンコしてしまった。
ぶつけたところをさすりながら、僕は働かない頭に必死で指令を送った。
これは早急に手を打たなくてはならないぞ。