幕間 君のためなのに
ポメ化したまま駆けていくノエムを見送って、キアノはため息を押し殺した。所在なさげにたたずむノエムの父に声をかける。
「すまないが、このまますこし部屋を借りていいか。レアサーラと話がしたい」
「ぃい!?」
悲鳴じみた驚きの声は非常に小さなものではあったが、キアノの耳にキッチリ届いた。
静かにそちらを見ると、レアサーラは体裁を整えようと必死だった。
彼女には普通の令嬢らしからぬところがある。大げさで派手な動作にばかり目がいきそうになるが、それ以上に気になるのは表情を取り繕えていないところだ。
今も嫌そうな顔を隠そうともしない。
よく言えば素直だ。ノエムが引き付けられるのはそんなところだろうか。
「レアサーラ」
「は、はい。なんでしょう?」
「君は、どこまで知っているんだ」
「……それは、ノエムート様のお心が知りたいということでしょうか」
「いや、それは――」
今知りたいのはそこじゃない。けれど正直激しく揺らいだ。
レアサーラはキアノの問いかけに驚いたというよりは、気まずそうに視線を下げている。
息を詰まらせた拍子に、嫌な光景が目の奥にちらついた。
ノエムとリャニスランが抱き合っていたあの姿。ノエムが見つめる先にはいつもリャニスランがいる。ノエムはいつも彼の姿を探している。拠り所とするように。
キアノのことは、存在も定かではない聖女を理由に遠ざけようとするくせに。
本当は――。
自分の声が嵐のように頭の中に響きわたった。
本当は、リャニスランと。
考えたくなくて、キアノはぐっと奥歯に力を込めた。
それでも自分の内なる声は止まらない。
本当はリャニスランと添い遂げたいのではないか。
そしてレアサーラにはそんな思いを吐露しているのではないか。
そんな情けないことばかりが浮かぶ。
うつむきそうになるのをぐっとこらえて、代わりに笑みを浮かべた。
「そうではない。聞きたいのは聖女のことだ。いそうな場所に心当たりはないか」
「え? わたくしがですか?」
レアサーラは落ち着きなく目を動かし、降参するように両手をあげた。
「申し訳ございません。皆目見当もつきません」
「本当に? 思えば施療院を訪ねたとき、あの場所が聖女に関わりがあるのだと、真っ先に指摘したのは君だ。ノエムが聖女を探していると、知っていたのではないか?」
レアサーラはあからさまにホッとした様子を見せた。
「ああ、そのことでしたら。ノエムート様が聖女様に興味をお持ちだということなら、知っておりました。聖女様のお力でポメ化が癒せるのではないかと、話しておられましたので」
「そんな話、私にはしない。聖女は私が本来添うべき相手だとかなんとか、わけのわからないことばかり言って」
キアノは思わず不満をこぼした。こんなとき、ほかの貴族の娘ならば、キアノに追従して頷くか、困った様子で微笑むかだ。
レアサーラはどちらでもなく、拳をあごに当てなにか考え込んだ。
「それでしたら殿下、やはり聖女様を見つけ出すのが先決かと」
そのとき彼女が浮かべた表情は、どこか冷ややかなものだった。
「そして、ノエムート様以外に心を動かされることなどないのだとハッキリ本人に示すのが、いちばん手っ取り早いと思いますよ」
少々投げやりな物言いに、キアノのほうがたじろいだ。
彼女の落とした、疲れ切ったため息にも。
そんなキアノを見て、レアサーラは重ねてため息をついた。
彼女は視線をあげてまっすぐキアノを見る。意外なほど強いまなざしだった。
「老婆心ながら申し上げます。ノエムート様はまだお子ちゃまなのです。恋情を押し付けるよりも、この人といると楽しい! なんだか落ち着くぅ! と思ってもらうことが肝要ですよ」
レアサーラは芝居じみた仕草で「楽しい」とか「落ち着く」と口に出した。キアノまで、子ども扱いされている気分だった。
だが、なぜか怒る気にはなれない。
「賭けてもいいです。ノエムート様は高価な宝石よりも虫のほうが喜びますよ」
「虫!?」
「あとはおいしいお菓子とかゲームなんかでお二人楽しくお過ごしくださいませ。わたくしに言えることはこのくらいです。もう帰ってよろしいですか? 外に供のものを待たせてあるのです。わたくしが殿下の護衛に無理やり引きずられ行くのを見てさぞかし肝を冷やしていることでしょう」
レアサーラはまくしたてると、思い出したかのように淑女らしさを取り戻し、キアノの許しを待った。
キアノは引きつらないよう苦心しながら、彼女の退室を許可する。
「……なんで呼ばれたんだか」
ぶつぶつ言いながら立ち去るレアサーラをキアノはあっけに取られて見送ることしかできない。
あんな感じだったか?
もっと、いつも怯えて、隅のほうで目立たぬように過ごしていた印象だ。声をかければビクつくので、キアノのほうも放っておいた。
あんなふうに、すべてどうでもいいと言いたげな態度をとるような娘ではなかった気がする。
いつから変わったのか、おそらくノエムとよく話すようになってからだ。
「彼女にも、なにか役割があるのか……?」
リャニスランにも。
キアノはぐっと拳を握りしめかけたが、ふっと息を吐いて気持ちを切り替える。
護衛を連れて表へ出ると三頭の一角獣がおとなしく待機していた。
このまますごすご帰っていいものか、腹立たしくもあるが、キアノには次の約束がある。それだって、ノエムのためのものであるのに。
一角獣の鼻面をなでて自らの気持ちを落ち着かせたあと、ギフトを操り、まやかしで自分たちを覆った。
次期王座を期待される兄王子たちを差し置くつもりは毛頭ないし、第一、陛下はご壮健だ。
それでも、キアノが動くと邪推するものがいるから、前よりも自由に動けないのだ。
一角獣たちは数歩地面を蹴ったあと、見えない階段を上るように螺旋を描いて空へ駆けあがる。
そしてある程度の高さに来たところで、キアノが示した方向へ進み始めた。
キアノが向かったのはスクールのある島だ。
施療院を訪ねた表向きの理由は、例の古めかしい装置にギフトを込めるため。
この場所は密会にはちょうど良かった。
聖女ゆかりだという装置にギフトを込めるうち、背後に気配を感じて振り向く。
「早いな、イレオス」
「殿下をお待たせするわけにはまいりませんので」
イレオスはこたえ、ゆったりとした仕草で挨拶した。
「それで、なにかわかったか」
「聖女ですが、いまだ居場所をつかめません。預言者たちも沈黙したままです」
言葉にこそ出さなかったが、イレオスも聖女の実在に疑いを持っているのだろう。
だが、ノエムは確信を持っているようだ。それに、レアサーラも。
「では、ギフト泥棒のほうはどうだ。しっぽはつかめそうか」
「いいえ、あちらもなかなか用心深いようで。申し訳ないことでございます」
「良い知らせのひとつもないのに、本人が来たのか。使いを寄こせばよかったのに」
なかば呆れて言うキアノに対し、イレオスは静かに首を振った。
「殿下はこのようなことで当たり散らすようなお方ではありませんが、彼らには知りえぬこと。功を焦って虚偽の申告をするといけません。そうですね、良い知らせができるようなら、そのときには少年たちを使わせましょう。彼らが活躍したと知れば、ノエムート様もお喜びになることでしょう」
ノエムも喜ぶ、などと言われてキアノは眉を寄せた。
「そうだといいのだが」
思わず投げやりに答えてしまった。
イレオスが、じっとこちらを見る。何もかも見透かすような静かな瞳を向けられるとどうにも居心地が悪かった。ごまかすわけではなかったが、キアノは思い付きを口にした。
「イレオス、虫を取ったことがあるか」
「虫でございますか」
急な話題の転換に、さすがのイレオスも驚きを隠せなかったようだ。
パチッとまばたきしたあと遠くを見つめる。
「……そうですね。幼いころにはバッタなど追いかけておりました」
「そうなのか? 意外だな」
自分から尋ねておいてなんだが、イレオスが無邪気に野外を走り回る姿など想像もつかなかった。
キアノはちらりとイレオスの顔を盗み見た。涼やかな銀の髪に青の瞳。ノエムが見とれてしまうほどの美貌を持ち、教師たちも舌を巻く知識量を有する。それに、ギフトにも恵まれ、王族と引けを取らないのではないかと思う。
そう言えば、イレオスの幼いころの逸話を聞いた覚えがない。スクール時代の噂すら。
妙だな。この男が話題にならないはずがないのに、まるで陰に潜んでいたかのように彼のことをあまり聞かない。
「殿下、なぜ急に虫の話などなさったのですか?」
どこか面白がるように、イレオスはわずかに首を傾げた。
「ああ、レアサーラが。――トルシカ家で会ったんだが、彼女のことは知っているな?」
「星の紋章家のご令嬢ですね。ステアロス家の兄君たちが大事になさっておいでですので、ご挨拶はまだですが。レアサーラ様はなんと?」
「ノエムに贈るなら宝石よりも虫のほうが良いなどと言うんだ」
「ノエムート様こそ、虫取りなどしたことがないように見えますね。ですが、だからこそ恋焦がれるということもあるかもしれませんね」
そんなものだろうか。納得しかけたが、よく見るとイレオスは笑いを堪えている。恨みがましく睨んでいると、詫びのつもりか思いもよらない提案をした。
「細工師を紹介したしましょうか。テントウムシのカフスや、カブトムシのブローチなどを贈られてみてはいかがですか? 事前にどの虫が好きなのか聞いたほうがよろしいかと存じますが」
「……いいかもしれない」
ノエムには、絶対に花のほうが似合う。けれど確かにそういった贈り物のほうが喜びそうだ。




