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19 ナメクジですか? ムカデですか?

 僕のこと、殴ってみたらどうですかっていう提案に対して、王子は腕を組んで心底あきれた声を出した。

「なにを言ってるんだ、君は」

 そしてリャニスは、これ以上ないほどやさしく微笑んだ。


「そのくらいなら、自分の腕を切り落とします」


 表情と言ってることが震えるほど合ってない!

 お、おかしいな。僕の予想では二人はもっとこうガーッと怒る予定だったんだけど。


「あの、リャニス?」

「俺には無理です。兄上を害するなど、想像するだけでも俺は――」

「ごごごごめん。変なこと言って悪かったよ!」

 頼むから腕をまくらないで。真顔で腕を切る準備なんてはじめないで!


「なにも本気で殴ってくれと言ったわけじゃなくて、殴るぞこんにゃろうくらいの勢いで、嫌な気持ちをぶつけてもらえれば、僕もキャウンとポメ化するのではないかと愚考したしだいです」

「そのような言葉、どこで覚えてきたのですか」

 ハッ! 今度は叱られた。こんにゃろうがダメだった? いや、ダメか。


 王子のほうは案外気にならないらしく、「正の感情と、負の感情か」とつぶやいた。

 こっちに乗っかろう。

 僕はただ、嫌悪感をあおりたいだけなのだと訴えるのだ。


「そうです! 負の感情とともにギフトを流していただければと思うのです。このさい僕のことはナメクジかなんかだと思ってください。あ、それともムカデのほうがいいですか? どちらでも、より苦手なほうで!」


 人間は本能的に足のないものか、足がいっぱい生えているものが怖いって聞くもんね。

 どちらにでもなりますよと、胸の前で手をわしゃわしゃさせていると、王子は僕の両手を包み込んだ。


「では、試してみようか」

 任せて。指定がないからとりあえずナメクジかな? よーし、ぬめるぞ!

 精一杯ぬめぬめ感が出るように、僕は左右にゆっくり揺れてみた。


 待つほどもなく、王子から暖かなエネルギーが流れ込んできた。

 ギフトを流すという行為は特別なものではない。

 ギフトの扱いを覚えるため、子供の頃は親とか兄弟と一緒に巡らせたりするし、大規模なギフトを使うときとか、全員で手をつないで力を巡らせてチューニングみたいなことをする。


 でもなんだろう。妙にあったかいな。全身ふわふわと柔らかなものでくすぐられているみたいだ。

 振り払いたくなるほどくすぐったいわけでもなく、ただゆるゆると体温が上がっていくような――。

「キアノ?」


 嫌悪なんてみじんも感じないんだけど。

 我慢できずに見あげると、王子は泣き笑いのようなまなざしで僕を見ていた。


「かわいい」

「ナメクジが?」


 思わず真顔で問いただしてしまった。

 王子の顔がピシッと歪み、次いでゴツっと頭突きが来た。

「いた!」

 音のわりにそれほど痛くはなかったのだが、つい声を立ててしまった。


「殿下、なにをなさいますか!」

「いまのはノエムが悪い」

「そうですけど!」

 なぬ。止めに入ったはずのリャニスが微妙に味方してくれてない。


 額をさすりながら恨みがましく二人を見ると、彼らはこんなときばかりぴったり同じタイミングでため息をついた。なんでだよ。


「次は俺が試してみます」

「ちょっと待って! リャニスはナメクジ派? ムカデ派? 教えてくれればちゃんとやるから!」

「どちらでもありません。それより、考え方が逆なのではないでしょうか」


「逆? つまりリャニスがナメクジ?」

「ナメクジからいったん離れてください。兄上が変身するのはポメでしょう」

「確かに。ナメクジに変身しちゃったら発見が困難だよね!」

「兄上?」

「あ、はい。すみません。離れます」

 リャニスのひんやりした怒りに恐れをなして、僕は「ポメポメポメ!」と復唱した。


「俺としては、ギフトを扱う以上、やはりイメージが大切なのではないかと思うのです。それも、兄上自身がポメ化するときの感覚を、イメージする必要があるのではないかと」

「僕自身が」

「すこしやってみましょう」

 リャニスが両手を差し出すので、僕は例によってポスッとそこに手を重ねた。

 文句を言うかと思った王子は、不服そうではあるが、黙ってそっぽを向いている。


「それでは、ギフトを流します」

「うん」

 リャニスのギフトに優しく包まれた。ちょっと眠くなっちゃうくらいの安心感だ。ぽへっと見あげると、紫の瞳と目が合う。

「兄上はどんなことが恐ろしいですか?」

「僕の、恐ろしいこと――?」


 思いっきり油断していたこともあり、僕は暗示にかかったように目の前のリャニスのことしか考えられなくなった。

 リャニスは僕と違ってぐんぐん背が伸びていくけれど、まなざしだけは幼いころと変わらない。

 純粋でまっすぐで、いつだって核心にふれてくる。


 そう、僕がなにより怖いのは、自分のせいでリャニスが傷つくことだ。

 ヒュッと息をのんだ瞬間、足元が崩れ落ちた。どろりと重たいものが僕に巻き付いて、そのままゆっくりと沈んでいく。

 僕はとっさに、リャニスの手を離そうとした。彼だけでも助けなきゃ。そう思うのにますます強く手を握られて、そのまま二人で暗闇へ沈んでいく――。


「なんだ? どうしたんだ、ふたりとも」


 王子の声がして、僕はそれが一瞬の幻だと知る。


 吐き出した息とともに力も抜けて、僕は倒れかけた。とっさに支えようとしたリャニスだが、彼も力が入らなかったのか僕をかばうように地べたに膝をついた。


 なんだったんだ、今の。


 僕とリャニスは、互いに無言で見つめ合った。

 たまらない不安に駆られて、僕はリャニスの肩に、腕に、手に触れて彼の存在を確かめた。

 リャニスは青ざめた顔でされるがままになっている。


「ノエム!」

 呆れと怒りが入り混じったような王子の声も無視して、僕はリャニスに縋りついた。


 ちゃんとリャニスがここにいるって、確認したかった。

 いつもなら突き放すはずのリャニスも、なにも言わずに抱き返してくれた。


「いつまでそうしているつもりだ!」


 ダメ、今手を離したら!

 無理やりリャニスから引きはがされた瞬間、ぶちっとスイッチが切れるように真っ暗になった。



   ◆

 目を覚ましたとき、僕は枕の上で丸くなっていた。

 真っ先に見えたのがモフモフした前足だったので、ポメ化したまま寝ちゃったんだとわかった。

 キョロリと見回すと実家の見慣れた寝室だ。


 僕がモゾっとしたのを聞きつけたのか、侍女のヘレンが心配顔でのぞき込んだ。


「坊ちゃま、お目覚めですか! どこか痛いところはございませんか」

 僕はその場でくるっと回って見せた。うん。ないみたい。

 ガタっと音がして、誰か出ていく気配がした。

「いま、ライラがだんな様と奥様に、坊ちゃまの目覚めを知らせに行っておりますので」


 あー、これ、周りに心配かけたヤツだ。

 えっと、なにがどうしたんだっけ?

 思い出そうとしたけど、記憶がグニャグニャして取り出せない。


「ノエム!」

 まず部屋に入ってきたのは母上だ。ぐっと唇をかんだので、しかられるかとビクっとしたが、母上は身をかがめ僕の頭をなでた。


 あの厳しい母上が、いったい何事!?

 尋ねたくてもくぅんという声しかでない。

 次いで父上が入ってきて、母上が僕をなでるのを見てさっと顔を曇らせる。


 えっと、どういうこと?

 ライラが僕のそばに戻ってきたけど、リャニスはどうしたの。いつもなら真っ先に駆け付けるのに。

 僕はベッドからひょいと飛び降り、廊下に出てキョロキョロした。


「リャニス坊ちゃまを探していらっしゃるのではありませんか」

 そう! という代わりにワンと鳴く。

 部屋にいるのかな。行っていいい?

 リャニスの部屋の方を向いてから、くるっと振り返って父上と母上を見る。


「リャニスなら礼拝室だよ。もう三日もこもってるんだ」

 え? 三日!? ごはんは!?


 大問題だ。

 僕はパーッと駆け出したが、すこし進んだところですぐにふらふらした。三日ごはんを食べてないのはもしかして僕も同じかな。

「坊ちゃまこれを」


 ライラが僕を片手で抱きかかえ、なにか口に突っ込んだ。

「さっき厨房でもらってきました」

 ヤギのミルクの味がする。哺乳瓶じゃん。うぐう、ダメージが大きい。


 けどたしかに、水分と栄養の補給は大事だね。飲めるとこまで飲んで首を振ると、ライラは僕を抱えたまま礼拝室に向かった。


「リャニス坊ちゃま、ノエム坊ちゃまをお連れしました」

 中から返事はない。倒れてるんじゃないよね、僕が許す。開けて!


 懸命に短い手を伸ばして扉に触れようとしていると、ライラは察してくれたらしい。

「失礼します!」

 と中に踏み込んだ。


 彼は祭壇、というかステージに向かって跪き、一心に祈りをささげていた。

「キャン!」

 注意を引くため一声あげればリャニスは振り向き、バランスを崩して床に手をついた。


「兄上……」

 僕を呼ぶ声が震えている。

 ライラは僕をリャニスのそばに下ろすと、数歩下がって気配を消した。


 僕はリャニスの膝に駆け上ったが、リャニスはまるで僕を恐れるかのように身を引いた。

 リャニス、まずは、ごはんを食べてーっ!

 なにその泣きはらした目、クマもヒドイ。


「兄上、申し訳ありません、俺のせいで……」


 リャニスは両手で顔を覆った。

 顔を隠していても、嗚咽は隠せない。


「兄上が、戻れなくなってしまうなんて」


 なるほど、僕戻れないのか。だからみんな悲愴な顔してたのか。

 リャニスと話すことで、ようやくグニャグニャしていた記憶がハッキリしてきた。


 そうか、僕、実験に失敗したんだ。

 だけどそれは僕が言い出したことだし、リャニスは僕の頼みを聞いただけ。それがなんでリャニスのせいってことになるんだよ!


 大声で言ってやりたいが、僕はキャウキャウ泣くことしかできない。

 抱きしめて慰めることもできない。

 ええい、まどろっこしいな!


「リャニスのせいじゃないって!」

「え?」

「泣かないで、そんなふうに泣かないで! 僕が悪かったんだ。ごめん、リャニス! 僕が悪いんだ」


 僕は必死だった。リャニスは悪くないんだって伝えたい一心だった。


「兄、上……?」

 あ、リャニスが泣き止んだ。ポカンと僕を見下ろしている。


「兄上、お話ができるのですか……?」


 ん? あれ、本当だ。僕、しゃべってるね?


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