15 ガーデンパーティが始まる
神のシナリオ。存在そのものが秘匿されるというそれに、僕の名が記されていると言う。そして王子の名も。
なんとも胡散臭い話だが、王子にそれを教えたのは国王なのだそうだ。
「運命の神が演目を決めたなら、逆らうことは許されぬ、か」
僕は辞書のページを意味もなく指でなぞってため息をついた。
「兄上? なにかおっしゃいましたか」
本を携えたリャニスが席に戻ってきたので、僕は動揺を押し殺して笑みを作った。危ない、声に出てたか。
「ううん。なんでもない」
そしてまた辞書に目を落とす。
僕は今、神のシナリオのヒントを求めてスクールの図書館に来ている。
いや、わかってる。辞書には載ってないってわかってる。なんせ存在を秘匿されてるんだよ?
けど、もしかして、うっかり載ってたりしないかなと期待を込めて眺めている。
だって、ほかにとっかりがないんだよ!
神の本はいっぱいありすぎるし、難解すぎて十秒で寝落ち確定だ。だからと言ってなにもせずにはいられない。
そこで辞書をめくっているわけである。本音を言えば検索窓が欲しい! そこになければないですねってあきらめがつくのに。
シナリオで見つからなければ脚本かもしれない。それとも台本かも。『神の』ではなく『世界の』とかって言い換えられているかも。紙であるがゆえにチマチマ探している。
埒があかないな。まさか辞書一冊分調べるわけにもいかないし。
「ねえ、リャニス……」
声をかけると、リャニスはちょうど集中していたのか、きょとんとした様子で顔をあげた。
ごめんよ、邪魔して。
「舞踏会のとき、国王陛下が開催の挨拶をしたよね。そのとき陛下はなんとおっしゃっていたっけ」
リャニスはほんのわずかに考えるそぶりを見せたあと、ハキハキと答えた。
「今年も神々の恵みにより無事、幕が下りようとしている。今宵はみな等しく道化となり、歌い踊るがいい。終幕のその瞬間まで神々を飽きさせるな、とおっしゃっていたように思います」
「すらすら出てくるねえ」
相変わらずリャニスはすごい。感心しながら、僕は彼の言葉を脳内で繰り返した。
道化、終幕、神々を飽きさせるな。いかにも道化の国らしい挨拶のようにも思えるが、どうにも気にかかった。
「うん。ありがとうリャニス。確かにそのようにおっしゃっていたように思う」
シナリオ、演目、運命。
僕はゆっくりと、声には出さずつぶやいてみた。
神のシナリオがイコールで原作小説だとしたら、この後のノエムートの役割は決まっている。恋に破れ、その事実を認められず、王子の周りの女性陣と戦い、やりすぎて家族に追い出される。やがて毒に侵され孤独のうちに死ぬ。
でもだとしたら僕はどうしてポメ化なんてするんだろう。
シナリオ通りの悪役令息を演じるには、ポメ化はどうしたって余計な設定だ。
おかしいだろ、ポメラニアンを断罪とか追放とか。自分で言うのもなんだけど、かわいそうすぎる。チワワ並みに震えちゃうね!
いや、追放までには治るのかな? けど、たとえ治ったとしてもショックで再発するかもしれない。と、リャニスは考えるかもしれない。そしてポメ化して凍えていないか心配になりやっぱりついてきちゃう!
僕は想像してしまった。スカーフかぶってキャリーケースを持ち、ポメ化した僕を腕に抱えてリャニスがそっと家を出るところを。
「そんなのダメだ!」
そのとき僕は、天啓のようにひらめいた。神のシナリオって、ひとつじゃないんじゃない!?
そもそも、僕の知ってる原作が神のシナリオと等しいという前提が間違っているのかもしれない。
僕の演じるべきシナリオは、もしかしたらまったく別物って可能性があるぞ。
探そう。似たような物語を。神のシナリオとしてではなく、物語として残されているものがあるかもしれない。
いい加減、『かもかも』ばかり考えるのが嫌になってきた。そして、辞書を引くのも嫌になってきた!
「よし、とりあえずしまってこよう」
そそくさと立ち上がり、辞書の重さにふらふらした。取り落とす前に横からリャニスが手を伸ばして僕から辞書を取り上げた。そして迷うそぶりもなく棚に戻してくれた。
彼は少々、心配そうな顔つきだ。
「ありがとう、リャニス。僕がんばるね」
「なにをがんばるのですか?」
決意みなぎる僕を見て、リャニスは少々とまどい気味である。
だが僕は頷くだけにとどめ、熱意が冷めないうちに司書のもとへ突撃した。
「お尋ねします! 聖女と王子が結婚する物語はどちらですか!」
「お待ちくださいませ」
司書の先生はなにも聞かずに、タイトルをリストアップしてくれた。
しばらくたってから、背後でリャニスが小さく「……え?」とつぶやくのが聞こえた。
それからというもの、僕は図書館に通い詰めた。
そうして分かったことは、王子と聖女が結ばれる物語はこの国ではあまり人気がないってこと。聖女の結婚は、お隣ザロンの英雄譚に多く見られる。その場合ヒーローはのちに英雄となる一般人で、ライバルは悪党かよこしまな王子ってこと。
では、この国で人気の物語はなにかというと、王子と男の花嫁がすれ違いの末に結ばれるヤツだった。
「悪役令息が出てこない!」
真夜中、僕は自室のベッドの上で頭を抱えた。
それから数日後のことだ。図書館でレアサーラと目があった。
別に存在を忘れていたわけでもないのだが、彼女を見たとたん、僕は敗北を悟ってしまった。
そうだった。原作を知る人間がもう一人ここにいるじゃないか。そして原作で起こる事件を、いくつか変化はあったにしても、僕はすでに経験している。
「ダメじゃん……」
いっぺんに気が抜けて僕はぺしょっと机につっぷした。
そんなわけで、ろくに収穫もないまま秋を迎えてしまった。王宮の庭にもバラのつぼみがついたらしい。
ガーデンパーティーの季節である。
スクールが休みに入ったので、僕はトルシカ家に戻っていた。侍女を下がらせたあと、寝間着姿でベッドを抜け出した。机に向かい、小さな箱を手に取る。中にはリボンが収められている。
僕はそれをつまみ上げ、あかりに照らしてみた。リボンは琥珀色に輝いている。
王子の髪の色だ。
さすがに衣装を贈ることはできないからと、代わりに送ってくれたものである。「私だと思って身に着けてほしい」みたいな手紙付き。
ひとこと多いんだよな。それがなければ特に気にせずつけたのに。
聖女の行方はいまだわからず、王子の心変わりもないようだ。
これをつけてしまうのは、いかにも不誠実って感じがする。だけど、拒否するのもまた面倒だ。
なんせ僕、男なのに王子たちにモテモテだからね!
つらい。なんかもう隅のほうとかでミミズでも探してたい。
けれど、可能な限り地味な装いでという注文は、侍女たちには不服だったらしい。
注文にこたえているようで、母と結託して僕の髪色が引き立つ茶色の衣装を用意してきた。
僕の髪の色は、ごくごく薄い緑色である。小説の中では若い白ワインの色などと描かれている。
衣装は、王子にもらった琥珀色のリボンともよく合った。
「髪は緩めに編みましょうか」
などと言われて好きなようにさせてたら、完成形は自分でもびっくりするくらい可愛かった。
なんてこった。
「はらんのよかん……」