8 裏取引
女子寮の手前に、男女共同で使える部屋があり、アイリーザはそこをお茶会用に設えて待っていた。参加者の人数に合わせて、椅子は三つ。
窓の外はまだ明るいが、すでに小ぶりなシャンデリアに火が灯っていた。
だが僕は雰囲気を楽しむことなく、お茶を一口飲むなり切り出した。
「アイリーザ様は、殿下が心配なのですね」
「当然ではありませんか! ノエムート様はそうではありませんの!?」
発する声がいちいち刺々しい。彼女ときたら、僕の顔を見るたび嫌味を言ってくるのだ。正直なところすっかり慣れてしまっていた。
パターン化しちゃっているんだよ。
ポメ化のこととか、体が弱いなどと言って王子の気をひくようなマネをするなんて図々しい。とかね。
まあ僕は、家格もアイリーザと同格だし、見苦しくない程度に言動やふるまいに気をつかっている。
『美貌の悪役令息』を維持するために、侍女たちも力を尽くしてくれるから、毛並みもバッチリだ。
「ああ、ご自分にはふさわしくないとおっしゃっていましたね。あのような毛玉になってまで殿下に付きまとっていたというのに、一体どういう心境の変化でしょうか」
僕にとっては、ああほらコレコレ。ほかに貶すとこないんだね。って感じだけど、リャニスにとっては違うようで、毛玉という表現に肩をピクリとさせた。
大人しくしていてね。「王子にするみたいに反射で行動しちゃダメだよ」って彼には言い聞かせてある。つらっとした顔で「人は見ています」とか言われちゃったけどね。
「アイリーザ様、なにか誤解があるようですが、僕は別に好きで変身しているわけではありませんよ。未熟を責められるなら、その通りだと認める以外にありませんが」
「兄上」
咎めるような声色だが、僕は首を振る。
「もしもポメ化が、神々の与えた試練なら、はじめから隠す必要なんてないんだよ」
とりあえずハッタリをかます僕。アイリーザはまぶたをピクリとさせたけど、微笑みを保って僕の言葉を聞いている。
「この件に限らず、僕が殿下の手を煩わせていることは事実です。すでに何度かアイリーザ様からご忠言いただいている通りです。アイリーザ様が今回お聞きになりたいことは、なぜ僕が、殿下と距離を置きたいと申し上げたか、ということでよろしいでしょうか」
「いいえ、そんなのわかり切っている事ですわ。それも殿下の気を引く手立てなのでしょう?」
「は? 手立て?」
ギョッとするというよりは呆れて、僕は思わず聞き返してしまった。
「ノエムート様がどのような手管を使おうが、わたくしがとやかく言えることではございません。ですが、なぜあのときわたくしを巻き込んだのですか!」
あ!
そういえばそうだ。王子に相応しいのは僕でもアイリーザでもないって、断言しちゃったんだった。そりゃ怒るよなあ。
「その件につきましては、その……、失言でした。申し訳ないことをいたしました。心より、お詫び申し上げます」
「あら、口先だけのお詫びなどいくらでもできますわ」
うっ、バレてますね。
「それより、わたくしノエムート様にお願いがあるのです」
「……どのようなことでしょう」
警戒を顔に出さないように、僕は微笑んだ。
アイリーザは悪役令嬢が高笑いする一歩手前、みたいな表情で口元に手をやった。
「舞踏会」
ん? 冬の話してる?
気が早いな。
首を傾げそうになるのをぐっと押さえて、続きを待つ。
「わたくし、殿下と最初のダンスを踊りたいのです。ですから、もし殿下から誘われてもノエムート様にはご遠慮いただきたいの」
僕は思わず、黙り込んでしまった。代わりに口を挟んだのはリャニスだ。
「アイリーザ様。それを俺に聞かせてしまってよろしいのですか」
「ええ、もちろんです。リャニスラン様は茶会のたわごとを吹聴するような方ではありませんもの」
「そうだとしてもこのやり方は感心いたしません。殿下はあれで気性のまっすぐな方です。知れば必ずご不快に思われることでしょう」
僕とアイリーザが笑顔で化かし合いをするさなか、リャニスだけが冷たいまなざしで正しいことを言う。さすがは断罪担当。断罪される側の僕は、冷や汗をかきつつ同時に少々感心もしていた。
なんだかんだ言って、王子とリャニスは通じ合うものがあるんだなって。
アイリーザのほうは、僕らにどう思われようが構わないみたいだった。
「殿下が知ることはありません。そうですわね、ノエムート様」
含みのある笑顔を僕に向ける。
あー、なるほど。
詫びなんだから言われるまでもなく実行しやがれってことらしい。
聖女が見つかれば、誘われるのは僕じゃない。だからこれは、彼女の言うことを聞くわけじゃない。もっと言うなら、最初から辞退するつもりだった。
でも僕は悪役令息なので、ここは彼女の望み通り、しっかり打ち萎れてみせましょう。
ため息をついて、頬に手を当て、さも残念そうに!
「わかりました。アイリーザ様、今のお言葉聞かなかったことにいたします。殿下のお誘いを断るとしたら、それは僕の意思です」
断言したはいいけど、気になったのはやはりリャニスのことだった。彼は膝の上で、きつく拳を握りしめていた。
ごめんね、リャニス。
彼がトルシカ家の当主になれば、汚い裏取引なんて、あるあるになっちゃうと思う。父上だって、ふわふわしてても食えない感じだし。だからこそ、子供のうちからこんなことに染めたくないんだけど……。
いや、いまはアイリーザに集中しないと。ぶっ刺しとくべき釘があるんだよ。
「――ただ、僕が断ったからと言って、そのあとの王子の行動までは保証できませんよ」
ここで僕らが何を約束しようと、王子がアイリーザを受け入れるかどうかは、僕の知ったことではない。
「そんなことはわかっております。ですが、王子は必ず、ドードゴラン家を選んでくださいます」
また家の話か。
僕はふっと窓の外へ目をやった。空が赤く染まっていて、きれいというよりすこし怖いくらいだった。そのせいなのかな。アイリーザもあまり嬉しそうには見えなかった。
「兄上、アイリーザ様はあまりに無礼ではありませんか。なぜあのようなことを言わせておくのですか」
アイリーザのもとを辞し、ひとまずリャニスと共に寮まで戻ったのだが、彼の怒りは収まらないようだ。
「今回は僕に非がある。だからだよ」
「今回の件だけではありません。近頃のアイリーザ様の態度は目に余ります」
「うん、変だよね。人の恋バナを面白がるクチだったのに、どうも様子がおかしいよ。家のことばかりを口にするし、アイリーザ様の本心はどこにあるんだろう」
「アイリーザ様の、本心ですか」
僕は思い付きを口にしただけだが、リャニスは目を丸くした後、真剣に考えこんだ。
「わかりました。ドードゴラン家に探りを入れて見ます」
「え? 探る?」
思わず聞き返すと、リャニスの純粋すぎるまなざしとぶつかった。
「生意気な口をきいて申し訳ありませんでした」
「えっと、リャニス?」
「兄上には深いお考えがあったのですね。俺は正直、そこまで考えが至りませんでした。さすがは兄上です!」
「あ、いや。僕も思い付きだからね」
リャニスはニコッと笑った。うわあ、信じてない顔。
ダメだよ。もっと僕に疑いを持って!
その日の夜、侍女たちも下がったあと、ベッドにいた僕はむくりと半身を起こした。
いろいろあって、どうにも眠れない。
こんな夜は毒耐性の修業をしたいところだが、肝心の毒がない。だったら、ポメ化できないか試してみよう。
体中にギフトを巡らせて、悲しいことを考える。
モヤモヤモヤとなにかが浮かびかけては、像を結べずイラっとした気持ちだけが残る。
無理やり悲しむって案外難しいな。考えてもいないときにふっと悲しくなることはあるけど、あれってなんなんだろう。
「ダメだ。すでに気がそれている」
僕はつぶやいてため息をついた。全身モフモフになるイメージをするのはどうだろう。
だけど、顔だけポメったりしないよね?
想像したら吹きだしそうになった。
これではうまく変身できない。今度は小さく、小さくなるイメージを膨らませギフトを体に巡らせる。
「ううう、わからない。いつも僕、どうやって変身しているんだ?」
僕は頭をかかえた。自由にポメ化するのはまだまだ難しそうだった。