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幕間 正しくない

「ギフトとは神々が貴族に与えた恵みです」


 兄が滑らかに答えるのを聞きながら、リャニスは教師たちの様子を盗み見た。

 一年の座学はほとんどが口頭試験だ。

 答えのみならず、姿勢や態度や発声など複合的に評価される。


「ですがこの力を、貴族のためだけに使うことを神々はお望みではないのでしょう。街に配置された装置(ギフトボックス)からもそれが窺えます」


 教師たちは満足そうに微笑んでいる。当然だ。兄上はいつだって完璧なのだから。


「はあ、ようやく終わったねえ」

 廊下に出てしばらく歩いたところで、兄が淡いため息をこぼした。緊張していたようには見えなかったが、それでも疲れたのだろう。


「リャニスは難しいとこ当たったのによく答えていたね」

 誉めてもらえたのは嬉しい。難しいところというのがどこを指すかはわからないが。


 歩きながら、兄はなにやら腕組みしている。転んでもすぐに支えられるように、さりげなく気を配った。


「だってさあ、パンダサンド王朝とパンダノサンド王朝だよ。どっちがどっちかわからなくならない?」

「名前の由来で考えると、パンダサンドはパン・ダサンドと分けられますし、もう一方はパンダノ・サンドと分けられますね」

「なるほど? 名前から想像する画の強さに引きずられちゃったけどそうやって分ければわかるかも? いや、でもパンダ?」


「兄上、なにか混乱していませんか? 後ほど一緒に復習しましょうか。といっても、今後それほど役に立つとも思えませんが。どちらの王朝もこれといった事件も改革もないですから」

「うーん」


 返事なのか、ただ唸っただけなのかわからないが、兄上はどうにも納得していないようだ。

「じゃあなぜ先生は、リャニスにこの問題を当てたんだろう。なんか試されてる?」

 今度は別の理由で悩み始めた。リャニスは微笑んで、そんな兄を見つめた。


「ノエム」


 穏やかな時間は不意に打ち切られた。

 廊下の向こうから、どこか遠慮がちに兄を呼ばわったのは、王子だった。

「殿下……」


 兄はほんのわずかに上体をそらした。

 テスト期間を理由に、兄はこの二週間、王子のエスコートを拒んでいた。昼食会の参加も断った。そのため王子と顔を合わせるのも久しぶりのことだ。


 よく、王子がそれを許したものだと思う。実際、試験が終わったとたん、こうして会いに来たのだから相当こらえていたのだとわかる。


 だというのに、王子はなにか言いかけてそのまま口を閉ざしてしまった。

 いつもより半歩距離を開け立ち止まったふたりは、見るからにギクシャクしている。


 兄は王子と、目も合わせなかった。それもいつにないことだ。


「そろそろ許してくれないか、ノエム。すこし話をしたい。心配なら、リャニスも一緒でかまわないから」

「え!? いえ、それはちょっと! リャニスは稽古があるよね!?」


 まさか兄に断られるとは思っていなかった。思わず、責めるような声が出た。


「兄上」

「いや、けっしてリャニスが邪魔とかじゃないんだよ。けど……。ただ、話をするだけだから大丈夫なんだ」

「……わかりました。お一人でお戻りになることだけは、ないようにお願いします」


 不満を堪えた分だけ、嫌味たらしくなってしまった。だが、王子はリャニスの無礼を気にしたふうもなく、ただホッとしたように兄を見つめるばかりだった。




 二週間前、一年の教室で勉強会をしていた兄上を、王子が攫って行った。そのくせ、兄を一人で帰らせた。

 あのときの怒りは、今になっても忘れ難い。

 リャニスはひとり廊下を歩きながら、そのときのことを思い出していた。


「抗議いたしましょう。正式に」

 リャニスが冷たく言い放つと、兄の顔からすうっと血の気が引いた。

「いいんだ、リャニス。僕も結構な失礼をかましたから」

「失礼とはなんですか。兄上はなにを」

 更に問い詰めようとしたところ、髪が乱れるほど首を振って制止された。


「いや、それはいいんだ。殿下が今回の件で、僕になにか言ってくることはないと思うし、ただ……。すごく気まずいので、しばらく顔を見たくないなあって、――ダメだよね」

「中身を聞かないことには判断できません」

「聞かないで、リャニス。お願いだよ」


 兄は泣きそうになって困り果てている。そんな顔をされると弱い。兄上を、守らなくてはならない。けれど、兄を困らせたくない。

 リャニスはしばし迷い、結局ひとつだけ確認した。


「殿下に、なにも言うなと、強要されたわけではないのですね?」

「も、もちろんだよ! 王子はそう言ったことで無理を強いる方ではないから。僕の側の問題で……」

 言い訳するように早口になっていた兄上が、ふとため息をこぼした。


「情けないよ、本当。こんなふうに振り回されてしまうなんて」


 兄のつぶやきを聞いて、リャニスはもどかしさを感じた。

 また、兄上は自分を責めている。リャニスにはそれが理解しがたい。悪いのは王子ではないのか。

 幼いころからずっと、兄上は王子に関してだけ自信をなくしてしまうのだ。


 モヤモヤしていたら、幼いころの記憶まで思い出してしまった。

 リャニスが養子としてトルシカ家に迎えられてまだ間もないころのことだ。母上と兄上の会話を偶然聞いてしまったことがある。

 泣いている兄上を、母上が慰めていた。


「殿下とうまくお話できません。つまらないと思われてしまったかも。このままでは殿下に嫌われてしまいます」

「素直におなりなさい、ノエム。あなたは格好ばかりつけ過ぎなのですよ。見栄をはるより、できないものはできないと言ってしまった方が良いこともあります」


「で、でもっ。みっともないところは見せたくありません」

「あら。では今わたくしに泣きついているのはみっともなくないのね? 部屋でならともかく、ここはまだ廊下ですよ。誰が見ているか分かりません。ほら、しゃんとして。続きは部屋で聞きます」

「はい、母上。ごめんなさい」


 そんなふうに話していた。

 あのときから、兄上の根底にある思いは変わらないのだと思う。

 王子は、兄上にとって特別なのだ。


 わかり切っていたはずのことなのに、やけに気持ちがささくれだった。

 練習場に駆け込んで、リャニスは乱暴に剣を振るった。



   ◆


「太刀筋が乱れていますよ」

 うしろからかけられた声に、リャニスは驚いて振り向いた。

 熱中していたとはいえ、こんなに近くまで人がきて気づかないなんて。


「イレオス先生! 今日はいらっしゃらないかと」

「別件で来たのですが、校舎からリャニス君が見えたので立ち寄りました」

「そうでしたか。それは、お見苦しいところをお見せしました」


「なにか悩み事ですか? 当てて見ましょうか」

 そんな人をからかうような物言いもするのかと驚くうちに、ピタリと言い当てられた。


「ノエムート様のことでしょう」

 そんなにわかりやすいのだろうか。リャニスは反論もせずに黙り込んでしまった。

 それを答えと受け取ったのか、イレオスがくすりと笑う。


 だが、イレオスはそれ以上余計なことは言わなかった。

「肩が上がっているようです」

「え? あ、はい」

「すこし、お付き合いいたしましょうか」


 練習場の木剣を借りて、イレオスはしばらくリャニスと打ち合った。

 ありがたいが拍子抜けもしていた。なにか聞かれるのかと思ったのだ。兄上のことを。


 そうなるとかえって、話してしまいたくなるものなのかもしれない。

 稽古が終わり、イレオスと別れたあとも考えてしまう。イレオスに話せることなどないのに、ぶちまけてしまいたいという思いがどこかにくすぶった。


 たとえ想定であっても、誰かに話すということは、考えを整理することに繋がる。

 どれほど向き合いたくなくとも。


 本当はわかっている。

 あの二人の邪魔をする権利など、リャニスにはないということを。


 兄上が王子を望むなら、叶えて差し上げたい。その気持ちに嘘はない。

 けれど同時にこうも思う。

 兄上が王子から逃げたいのなら、その手を取って一緒に逃げてしまいたい。


 馬鹿げた妄想だ。許されることじゃない。

 リャニスはトルシカ家に来て、家族の優しさというものを知った。生家では、あまり大事にされていなかったから。


 家族の誰とも似ておらず、上の兄たちともいまいち上手くやれなかった。

 彼らは考えることを(いと)う。学ぶことがわずらわしいなどと言う。まったく話が通じなかった。


「一緒にいたい」

 そう言ってくれる人がいなかった。

「一緒に考えよう」

 手を繋いでくれる人がいなかった。

 名前を呼ばれる喜びも、誰かの笑顔につられて、笑ってしまうこともトルシカ家に来てはじめて知った。


 大事な家族だ。跡継ぎとして望まれているからというだけでなく、自ら望んでこの人たちの役に立ちたいと思っている。


 それなのに、ときおり、それが苦しくてたまらなくなる。

 兄上ではなく「ノエム」と呼びかけてみたくなる。

 けれどそれは正しくない。

 誰にも言えない。言ってはいけない。

 兄上に、恋をしているなどと。




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