4 テストと褒めちぎり
「今週は行けませんよ。テストがありますもの」
レアサーラに指摘されてはじめて、僕はテストの存在を思い出した。
落第はしないと思うけど、トルシカ家として恥ずかしくない成績をとなれば、勉強しないわけにもいかないだろう。
リャニスに視線をやると、サンサールがすでに泣きついている。そしてそれを、マスケリーが面白くなさそうに睨んでいる。
テストも大事だが、小説の運命に巻き込まれそうな、この二人のことも放ってはおけない。
たとえば、サンサールはいまのところ聖女のポジションに一番近いと思う。ギフトに恵まれ僕らの通うスクールに来たけれど、家格は低く態度はでかい。
そしてそんな彼を面白く思わないのがマスケリーだ。彼はしょっちゅうサンサールに突っかかる。『礼儀がなってない』とか、『生意気だ』とか。本来なら僕が言うはずだった台詞を彼が言っちゃってる。
いわばニセ悪役令息だ。僕の代わりに彼が孤立するなんてことあってはならない。
だから僕は積極的に彼に話しかける。
「マスケリーもどこかわからないところがあるの?」
「ノエムート様、いえ、そうではないのです」
マスケリーはしどろもどろになっちゃった。でもここで、引っ込まれても困るんだよな。
僕はぐるっと教室内を見まわした。クラスメイト達は僕らのやり取りをハラハラ見守っている。
「そうだ! 放課後いっしょに勉強会しない? レア――」
「いえ、わたくしは結構です。ひとりのほうが集中できるので」
「ノリが悪い! まあいいや。クリスティラさまはどうなさいます? あ、はい」
続けざまにフラれてしまった。じゃあ男ばかりだな。
「リャニスはどうする?」
「もちろんご一緒します。ですが、殿下が迎えに来られるのではないですか?」
「殿下は殿下で二年生の勉強があるんじゃないかな」
そう答えたものの、たしかに来ちゃいそうだなと思ったので、昼休みに宣言した。
食堂の二階に王族のための特別席がある。ここには、紋章家の子女や王子の許しを得た、いわゆる『選ばれた子たち』が集っている。婚約を破棄した以上、ふたりきりの昼食会を続けるわけにもいかず、王子はほかの生徒も招くようになったのだ。メンバーはそのときによって入れ替わるが、僕はなぜか固定。
僕は周りの目を気にして「殿下」と呼びかけた。王子は不服そうだけど、主にニセ悪役令嬢アイリーザが目くじら立てるんだよ。本題に入れないのは困る。
「今日の放課後、クラスメイトと勉強会をすることになりました。殿下もクラスの皆さんと勉強会をしたりするのですか」
「まあ! 素晴らしいですわ、ノエムート様。殿下、二年生も負けてはいられませんね。わたくしたちも勉強会を開くのはどうでしょうか」
アイリーザは乗り気になったが、肝心の王子が思案顔だ。
「ノエム、勉強なら私と一緒にすればいいじゃないか」
「お言葉は嬉しいのですが、教えられてばかりもいられません。僕も紋章家としての務めを果たしたいのです」
まだ不服そうではあったが、意思は伝わったようだ。
放課後、クラスメイトのほとんどが教室に居残った。僕が発案ということもあり、断りにくかったのかもしれない。リャニス目当てという線もある。なんせうちの弟は賢いからね。
はじめのうちは、みんな真面目に勉強していた。もめごとに発展するのは、やはりサンサールの迂闊な一言なのだった。
「はー、面倒くさい。なんだってこんな勉強をしなきゃならないんだろ」
大きなひとり言を、マスケリーは無視できなかったようだ。
「なんなんだその態度は! リャニスラン様とノエムート様に教えていただいている身分で、よくもそんな口を利けたものだな」
恐らく寮内では、リャニスもサンサールももっと気軽に話しているのだ。その証拠に、リャニスはむしろマスケリーをうるさがっているように見える。
「まあまあ、マスケリー。放課後なんだし大目にみてやってよ。僕らは気にしてないし。ねえ、リャニス」
「ノエムート様、なぜこのようなヤツをかばうのですか!」
「うんうん、わかってるよ。マスケリーだってサンサールのためを思って言っているんだろう? だけど僕には、マスケリーも学ばなきゃいけないことがあると見えるな」
「ノエムート様、それはどういう意味でしょうか」
サンサールにぎゃあぎゃあ言うマスケリーも、僕が相手じゃあまり強気に出られない。悪いがここは身分を振りかざしましょう。
「ハッキリ言わせてもらえば、マスケリーは褒め下手なんだよ!」
「ほめ?」
「そう。褒め下手。サンサール、今朝詰まってた問題は解けたの?」
話の途中だったが、僕はくるりと振りむきサンサールに声をかけた。彼は驚いたようだが、きちんと頷いた。
「はい。リャニスラン様がていねいに教えてくださったので。理解できました」
「そっか。すごいね。サンサールはよくがんばっているよ」
「み、身に余るお言葉です」
サンサールが胸に手を当て感謝を示すのを見届けて、僕はマスケリーに向き直る。
「ね? 受け答えもすごくよくなったと思わない? リャニスが教え上手ってのもあると思うけどね。マスケリーだって聖騎士になったなら、いずれ部下に指導する機会もあるんじゃないかな。そのとき、怒ってばっかりじゃ相手は委縮しちゃうと思うんだ。だから、ちいさなことから褒める練習しようよ。なんなら僕で練習していいよ」
マスケリーが「へあ!?」みたいな奇声を発するのと、リャニスが僕をたしなめるのはほとんど同時だった。
「兄上」
僕はそんなふたりにゆるく首を振る。褒めて伸ばすは定石なのだよ。
「褒めることにも褒められることにも、ある程度慣れが必要だと思うんだよね。大丈夫大丈夫、害はないよ。さあマスケリー、ないのかな? 僕にはまったく、褒められるところがない?」
「いえ、まさか!」
机に手をついて、ニコニコとマスケリーを覗き込みながら、僕は内心冷や汗をかいていた。
あれ、このセリフなんかヤバくない?
我を讃えよだなんて、悪役令息通り越して邪神みたいじゃない?
「ごめん。やっぱいいや、変なこと言った――」
「ノエムート様は!」
「う、うん!」
「美しいです」
蚊の鳴くような声でマスケリーは言った。顔を真っ赤にしてしまっている。なんか、ほんとゴメン!
「ふうん、それから?」
思わぬところから合いの手が入り、教室内がざわついた。もちろん僕も凍りついた。うつむいていたマスケリーだけがそれに気づかずさらに言葉を重ねようとしている。
「髪も」
「髪も?」
そこでようやく、マスケリーはハタと顔をあげた。
そして自分を覗き込む王子を見て青ざめた。
「どうした、言ってみるといい」
マスケリーは言葉をなくして、必死に首を振っている。
「あ、あの、殿下! 違うんです、これは!」
僕も非常に焦っていた。なんか浮気現場を押さえられたみたいな雰囲気になってるぅ。
「き、キアノ!」
王子がようやく僕を見た。細められた目はちっとも笑っていなくって、空気はヒンヤリしている。
「おいで、ノエムート。褒められたいなら、私がいくらでも誉めてやろう」
こ、怖っ!
ノエムートだなんて、ものすごく久々に呼ばれたぞ。王子の怒りをひしひしと感じて、僕は頷くしかなかった。
「ついてくるなよ、リャニスラン。これは命令だ」
王子はどうやら、温室に向かっている。だが、中には入らず、すこし手前で立ち止まった。
「あの男、君の髪がどうとか言ってたな」
「アレは違うんです殿下! 僕が無理やり言わせたみたいなもので、彼にはなんの咎もありません」
「かばうのか」
ごめん、マスケリー。君の将来にヒビが入りそうだ。気が遠くなりそうだが気合でこらえる。ここで折れてはいけない。僕はギュッと目をつぶる。
悪知恵を働かせるんだ、ノエムート! 悪役令息だろ。
そして僕は、そっと自分の顔を覆った。
……ダメだ。ぜんぜん浮かばない。保身のためならポコポコとアイデアが浮かぶくせに、人のためだとダメなのか。僕はなんて身勝手なヤツなんだ。
「泣いているのか、ノエム」
王子がぎょっとしたように、僕の顔から手をひきはがした。
泣いてはいないが、絶望している。
「こんなことでクラスメイトの未来を閉ざしてしまうなんて。僕が調子に乗ったせいで……。マスケリーになんて詫びたらいいのか。髪、髪なんかで……」
僕はそこでハッとした。
「剃る?」
「ノエム、待て! 別に咎めたりはしないから」
「ほ、ほんとですか……」
「ああ。すこし気に入らなかっただけだ。私の前で、君のことを褒めるなんて」
「ですから、アレは」
やっぱ剃る? むしろむしっちゃう? 丸坊主令息はじめちゃう??
僕はギューギューと髪を引っぱった。
「わかった! もうわかったから。妙なことは考えるな。な?」
王子が必死になだめるので、僕はしぶしぶ自分の髪から手をはずした。王子はほっと溜息をこぼして、髪の乱れを直すように触れた。
「怖がらせてすまない。だが、わかってほしいんだ。君を誰にも奪われたくない。――君は本当に美しいよ。はじめて会ったときからずっと思っている」
「お褒めに預かり光栄です」
「どうして君は私が褒めたときだけ、そうやって聞き流してしまうんだ。ほかのものの言葉は素直に受け止めるくせに」
僕はギクッとした。すかさず王子がそれを咎める。
「ノエム、目をそらすな」
ヤバい。いつものキラキラモードのほうがまだマシだ。瞳ばかりがやけに熱っぽく、眉と口はそれでいて頼りない。彼は息を凝らして僕を見ている。あまりに必死なので、こっちまで息のしかたを忘れそうだ。
「さっきのアレ、冗談だよな」
「へ、あ、アレ?」
すっかり声がひっくり返ってしまった。王子はそれを笑いもせずに、僕の髪を一筋すくいあげる。
「君の長い髪、気に入っているんだ。だから妙なことは考えるなよ」
そう言って彼は僕の髪に口づけた。
僕が驚いて固まると、王子は息だけで笑い、今度は頬に手を伸ばす。
「ノエム、顔が赤い」
誰のせいだよ!
もうこっちはイッパイイッパイだって言うのに、王子ときたらダメ押ししてきた。
好きだと囁きながら、僕の唇を指でなぞった。
上唇をひらり、下唇をそろりと。
うぎゃあああああ! も、無理っ!
気づけば僕は王子の指に噛みついていた。