1 新たな日常
◆ ◆ ◆
「兄上、なにか俺に隠していることはありませんか? いいえ、隠し事があったっていいんです。たとえ兄上が、俺のことを信頼してくださらなくても、俺は兄上をお守りします」
リャニスは思いつめてる。僕が追い詰めた。けれど僕は、この期に及んで逃げ道を探している――。
◇
王子との婚約解消が決まってすぐに、タイミングがいいのか悪いのかスクールは夏休みに入った。といっても前世の学校とは違ってこちらの世界の夏休みは一週間と短い。秋に社交シーズンがあるので、秋休みのほうが長かったりする。
「父上、夏休みのうちに一度寮に行って荷物をまとめてまいりたいのですが」
僕は男子寮に移ることになっている。これは小説の中でもあったことだ。
悪役令息ノエムートは、王子の婚約者であることに誇りを持っていた。特別寮での孤独な生活すら、彼にとっては心の支えだったのだ。
とはいえ僕は男子寮に行けるのを楽しみにしている。共同生活! 相部屋! 大浴場!
小説の中のノエムートにとっては、屈辱的で許しがたいことだった。けど僕はノーダメージ。たとえばリャニスと一緒にお風呂とか家では絶対に許されないことだけど、学校生活ならアリなんだよ。ワイワイするのを、むしろ楽しみにしている。
懸念事項はライラたちを連れていけないこと。代わりに従者が付くはずだ。侍女たちにいいだけチヤホヤされていた僕だから、寂しい気持ちもある。
「ノエム。移動の準備は必要ない」
「それはどういうことですか、父上」
父上はすぐには答えず、僕をお茶に誘った。
「あの寮は、王子の婚約者のための寮ではあるが、婚約者候補であっても使用も認められていることは知っているね?」
父上はふんわりと微笑んだ。僕のほうはそれを見て、すこしばかり警戒した。父上はむしろ、人畜無害アピールをしているときのほうが危ない。最近の気づきである。
お茶を含んで間を持たせながら、僕はゆっくりと答えた。
「いまの僕は、候補ですらありませんよ」
「そう思っているのは君だけだよ。キアノジュイル殿下との婚約が破談になる前から、水面下で君の争奪戦は始まっていたんだから」
危うく紅茶を吹くところだった。
「僕の、なんですか!?」
「殿下は、君の耳に入れぬよう細心の注意を払っていたからね。それにしたって、自分のことだというのにのんきなものだね」
やんわりと叱られてしまった。さらに「リャニスは知っていたようだよ」などと知らされて僕は凹んだ。
「君は幼いころから王子の婚約者として教育を受けている。隣に立たせるなら見苦しくないものを、王子たちがそう考えるのもおかしくはないことだよ」
つまり僕、男なのに王子様にモテモテってことか。うわあい。要らないな。思わず遠い目をしてしまった。
この国の王子は数が多い。王族の子供を王子とみなす習慣があるからだ。次代の王となるためには、直系か傍系かよりも大切なことがあるのだ。
それは、道化の紋章の試しをクリアすること。ギフトに恵まれていなければ、挑戦することすらかなわないし、失敗すれば命を落とすこともある。
王位継承権とは、道化の紋章を授かるための挑戦権とイコールなのだ。そして同時にこのシステムは、男と結婚しなくちゃならない王子を、多数生んでしまうのであった。
「ノエム。男子寮での生活はそんなに良いものではないよ。着替えをのぞかれたり、物がなくなったり、むやみに触られたり、そんなことばかりだからね」
言葉通り、父上は顔をしかめている。
「それは、父上だからでは?」
「君がいま、何事もなく過ごせているなら、それは殿下とリャニスが君を守っているからだよ。もちろん、ライラたちもね」
思い当たる節はある。校舎の中とか侍女を連れ歩けない場所では王子かリャニスが必ずついていてくれるからな。むしろ一人でうろつこうとすると怒られる。妙に過保護だなあとは思っていた。
「既成事実を作ってしまおうという輩も現れないとは言えないんだよ」
僕はパチパチとまばたきした。男同士で既成事実とは?
まったく思い浮かばなくて、首をかしげる僕を見て、父上は深くため息をついた。
「まあいい。今日はまだほかに、聞きたいことがあるんだよ」
「はい、なんでしょう」
父上がカップを置いたので、僕も居住まいを正す。
「君はキアノジュイル殿下のほかに、添い遂とげたい人でもいるのかな」
「え? そんな人はいません」
思わずきっぱり答えると、父上の目がスッと細められた。
「だったらなぜあのとき、殿下以外と結婚する気はない明言しなかったのかな」
「そ、それは……」
答えに困ってうつむけば、父上の声が優しくなる。
「ノエム、責めているわけではないんだよ。君に好いた人がいたとして、私はそれを咎められやしない。私のときも、散々反対されたからね。ただ、不思議なんだ。君も殿下を好いているように見えたから」
「好きか嫌いかで言えば、好きですよ。今さらほかの王子と結婚すると考えるより、ずっと幸せだと思います。その、殿下は僕を大事にしてくださいますし……」
このあいだキスをされそうになったけど。……あ。あれか。既成事実って。危ないな。次はきっぱり断らなきゃ。
「期限を卒業までとしなかったのかも疑問だ」
僕は内心ギクッとした。あのとき僕は、十四歳になるまで誰とも結婚しないといった。そのときまで生きていればと無意識に考えたからだ。
ノエムートは十四歳の誕生日を迎える前に死ぬ運命なんだから。
「殿下は紋章の試しについて学ぶため、卒業しても、もう一年スクールにお留まりになる。ふたりの卒業と共にとしたほうが自然だった。あの言い方ではノエムに事情があると受け取られかねないんだよ」
父上の口調は優しかったが、僕はうつむいてしまっていた。「ノエム」と呼びかけられておそるおそる顔をあげると、父上はわずかに首を傾げて僕の答えを待っていた。試されているというよりは、心配されているのだと感じた。僕はふっとため息をついた。
「この地に、もうすぐ聖女が出現します」
僕が急に話題を変えたと思ったのだろう。父上は片方の眉を上げた。
「なんだって?」
「ギフトなのだと思います。ときどき、未来が見えるのです。その未来で王子が選ぶのは僕ではなく聖女です」
やっぱ唐突すぎるよね。父上は黙り込んだ。そしてそのまま、かなり長いあいだ考え込んだ。
「聖女、か」
「あの、父上……。信じてくださるのですか」
「そうだね、ひとまずは信じることとしよう。言い訳にしては、あまりに出来が悪い」
「うぐ」
僕が言葉をつまらせると、父上は苦笑した。
「それで? その話が本当だとして、君はそれでいいのかい? そんなに簡単に、王子の手を離してしまうのか」
父上の言葉は、僕にとって意外なものだった。
「え?」
「王子に愛されていると自覚しながら、王子の幸せを願いながら、戦うまえから身を引こうというのが私には信じられないんだ。それはいったい誰のためなのかな」
身を引くとか言われちゃっても、そもそも、王子のとなりにいるのは、僕じゃないハズなんだ。なんかそれが、ものすごくモヤモヤするというか。
「――父上、殿下の本来のお相手は聖女なんです。ふたりは運命の相手なのです。だというのに、まだ出会ってもいない。僕はそれがイヤなのです。いまのままではなんだかズルをしているように思うのです。殿下の、聖女に対する好意を、僕が奪ってしまったようで……。王子のとなりに立つことをためらってしまうのです」
「そうか!」
父上が急に大きな声を出したので、僕はギクッと肩を動かした。なんか父上の目が、必要以上にキラキラしてるんだけど。
「そうか、わかったよノエム。愛は勝ち取るものだとエマが常々言っているよ」
母上の名前を出して、父上は何度も頷いた。
「聖女と正々堂々、王子を巡って戦いたいということだね!」
いや、そうは言ってない!
なんで急にテンション上げるの!?
だけど、僕はぐっと堪えた。これはチャンスだ。父上を説得し、僕は自由を勝ち取らなきゃならない。王子の婚約者から外れたのだから、行動制限だって緩和されるはずだ。そうでなきゃ困る。
「父上、僕は聖女を探しに行きたいのです。許可をください!」
僕はじっと父上を見つめた。
「わかった許可しよう。だが、どちらにせよ休みが終わったあとだよ。君には面会予約がたっぷり入っているからね」
婚約しないと言っても、僕が勝手に宣言したものだし、お見合いの打診はいっぱいきてるらしい。下は三歳から上は五十六歳まで。なんか、王子じゃない人も混ざってるし別にそれ、僕じゃなくてもいいよねって思うけど、婚約破棄されると買いたたかれるものらしい。
さて、夏休みが開ければ新たな日常が始まる。僕は最愛の王子に婚約を解消された、可哀そうな令息としてさぞかし注目を集めることだろう。
だが、登校時間も近づいているというのに、僕を挟んで王子とリャニスが揉めていた。
「ですから殿下、ご遠慮くださいと申しております。兄はもう、殿下の婚約者ではないのです。迎えになど来られては困ります」
「何度でも言うが! この婚約破棄は私の意思ではない。ノエムの立場が危ういときこそ、私がそばにいて支えるべきではないか」
「兄の意思を無視するおつもりですか。兄上は誰とも婚約しないとおっしゃったそうではないですか」
「ああ、そうだ。だが、その場にいなかった君になにがわかる」
「はわっはわわわっ」
僕、いま口を挟めずにいる。ポメ化しちゃってるので。
リャニスの頑なな態度には理由がある。というか、僕のせいだ。お茶会と言う名のお見合いに疲れ果てた僕は、休みの最後の夜にとうとうポメ化した。その寸前、うわごとのようにリャニスを呼んだ。
「うう、リャニス……、癒されたい」
できる侍女であるライラは、僕の意を酌んでリャニスの部屋にこっそり僕を連れて行った。母上に見つかったらメチャメチャ怒られるヤツだ。
だけど僕はそのとき、そんなことを気にしている余裕がなかった。
リャニスにたくさん撫でてもらい、理性が崩壊した僕は、夜中だというのに弟相手にさんざん愚痴ってしまった。リャニスは優しかった。けど静かに怒りを貯めていた。
そしていま、王子に食って掛かっている。
だからって、王子を相手にダメだって!
「きゃうぅうん!」
僕は哀れっぽく鳴いて、精一杯ふたりの気をひいた。




