26 白紙
王子の昇格を寿ぐ内々のパーティーが開かれた。僕はいま、両親と共にその場に立っていた。リャニスは未成年なので留守番だが、僕は婚約者なので例外的に参加している。
当然ながらこの場に、王やほかの王子の姿はなく、王子は母君と共にいた。
華やかな会場で彼は談笑していたが、それが作り笑いだと、僕にはすぐにわかってしまった。両親と共に挨拶に向かうと、僕に気付いた王子は顔をこわばらせた。
そんな顔をされると胸が痛い。
この日をずっと想定していた僕と違って、王子は最後まであらがってくれたんだ。なんて声をかけたらいいんだろう。
まずは、一家を代表して父上が祝意を表した。
「殿下、このたびはおめでとうございます」
「よくきましたね、トルシカ」
王子の母君がふわりと笑って僕の父上をねぎらった。
いくらか世間話をしたあと、とうとう彼女は切り出した。
「わかりますね、トルシカ。これは喜ばしいことなのです。わたくしはね、殿下に機会を差し上げたいのです。殿下は花嫁を得る権利を有しました」
「母上、それ以上は。――自分で言います」
王子が進み出て、僕をまっすぐに見つめた。
「ノエム、本当にすまない。私と君との婚約だが、白紙に返すことになった」
いつものようにキアノと呼ぼうとして、僕は人目を気にした。おそらくこの場にいる全員が、僕らのやり取りを注視している。
「殿下」
そう呼びかけると、王子は目に見えてうろたえた。
「ノエム、まって。待ってくれ!」
王子は僕の手を取り、両手で包み込んだ。
気にしないでほしいと、伝えるつもりだった。すぐには言葉にできなくて、小さく首を振った。なんとか微笑んで口を開く。
だが、王子は僕の言葉を封じるように早口に告げた。
「信じてほしいんだ。この婚約破棄は決して私の意思じゃない。必ず君をもとの立場にもどしてみせる。だから、まっていてくれないか。お願いだ、ノエム」
王子は僕を見つめ、息を凝らした。
僕は王子の気持ちに応えられない。だって僕は、悪役令息だ。
この先、トルシカ家を追われ、落ちぶれてひとりで死ぬ運命だ。それに王子には、添うべき人がいる。
「殿下……」
「殿下なんて呼ぶな! これまで通り、キアノとそう呼んでくれ」
頼むと、消え入りそうな声で王子は続けた。
うちわの集まりとはいえ、王子が僕に頭を下げた。それも、二度も。
僕がそうさせた。
思わず身を引きかけたが、王子のほうは僕を逃がすまいというように、握る手に力を込めた。
彼の想いに報いられない。できない約束をするべきじゃないんだ。だけど、めちゃめちゃ心が痛い!
だったら――。
考えろ。悪知恵を絞れ。
王子の未来も、僕の未来も守れるような、そんな一手を絞り出せ。
僕はすっと息を吸い込んで、とっておきの悪役令息スマイルを浮かべた。
「キアノ。そんな顔をなさらないでください。キアノ。キアノジュイル殿下。殿下がどれほど僕のために心を砕いてくださったのか、僕は知っています。たとえ、婚約が白紙に戻ったとしても数々のご厚情、決して忘れることはありません。ですから、僕ができる精一杯のお約束をいたしましょう」
「ノエム?」
王子のマスカット色の瞳がとまどうように揺れている。
大丈夫だよ、王子。
僕は決してキアノの恋路の邪魔にはならない。幸せを妨げたりしない。
「ノエムート・ル・トルシカは十四歳になるそのときまで、誰とも婚約いたしません。たとえどんなお話があろうとも、どなたであろうとすべてお断りいたします!」
こうして、聖女不在のまま、僕と王子の婚約は破棄された。約束はあいまいに、僕は猶予をもぎ取った。父上は苦笑してたけど。ダメとも言われなかったもんね。
作戦は大成功。のはずだったのだが……。
「ノエム、あっちだ。ほら、アレを見てみろ」
輝くような笑顔で王子は僕の肩を抱き、草原の向こうを指さした。
夏休みのことである。僕は王子に誘われて、ピクニックに来ていた。
目的は、この時期に見られるという野生の一角獣の群れだ。王子は僕が興味を引きそうなことをよく知っている。こんなの、断れるわけがない。
大勢で押しかけると逃げてしまうと言って、王子は従者たちを後方に追いやった。
こうして草むらに身をひそめてしまえば、ふたりだけで遊びにきたみたいだ。
僕は声をあげそうになるのを必死でこらえていた。口を押さえていないと叫んでしまいそうだ。
かわいい、きれい、なでたい!
一角獣は馬の形をしていて、猫っぽい体毛を持つ。聞かされていた通りだった。
いまはのんびりと、草を食んでいる。
一メートルを超す長い角が、遠目でもキラキラ輝いているのがわかった。
「本当に美しいですね。すごくかわいいです」
はしゃいだまま王子に顔を向けると、思ったよりも顔が近かった。
「うん。かわいいな」
僕を見ながら言わないでくださいね!?
「ノエムが喜ぶと思ったんだ。予想以上の反応で嬉しい」
「はい。あの、楽しんでおります。ですがその、少々お顔が……」
近いって。
僕は内心悲鳴をあげて縮こまった。王子のほうは、なぶるように目を細めた。そんな顔、どこで覚えた!
「キアノ、冗談が過ぎますよ」
なんとか押しやろうとすると、キアノはふと真顔になってつぶやいた。
「君が――」
「はい」
「私に恋をしていないことは、知っている」
「いっ!?」
「ははっ! なんだその顔は。気づいていないとでも思ったか」
王子の笑い声に驚いたのか、一角獣は走って逃げてしまった。
僕も逃げたい。
考えるよりも早く体が反応して、僕はさっと立ち上がり王子に背を向けた。そしていつものようにあっさり捕まった。
王子は僕をうしろから抱きしめるようにして、ささやいた。これまで聞いたことのないくらい甘やかな声だった。
「ゆっくり待つつもりだった。婚約者という立場があったからそうできた。けれどいまは違う。だからこれからは、全力で口説こうと思うんだ。君が、よそ見なんてできないくらい」
「は!? え?」
混乱のあまり、まともな言葉が出てこない。冗談だと言われる可能性にすがって、そろりとふりむいた僕を、王子はダンスのようにくるりと回転させた。
真正面から見た王子は、真剣そのものだった。
「好きだ。ノエム」
僕はすっかり、彼の雰囲気にのまれてしまった。声を出せず、息さえ吸えない。
かわせなかった。
真っ赤になってしまった僕を見て、王子は口の端をあげた。
「ようやく伝わったな」
ゆっくりと、王子の顔が近づいてくる。
え、う、嘘だろ!?
そう思うのに、身動きできない。唇があと数センチのところまで迫った。
そのとき、ぐいっとうしろに引っ張られた。王子と僕を引きはがしたのはリャニスで、珍しく息なんて切らしている。
「リャニスラン、ここでなにをしている」
「殿下こそ、なにをなさるおつもりですか。兄を勝手に連れ回されては困ります」
「君の許可が必要だとでも言うつもりか」
「せめて、ライラをお連れ下さい。王子と言えど、もう婚約者ではないのですから。兄とふたりきりで出かけるなど、兄の名誉に係わります」
「名誉? それを君が言うのか。それに、いつまでそうしているつもりだ。ノエムを離せ」
「兄が落ち着くまでです」
ふたりは僕を挟んだまま、言い争いを始めた。でも僕は正直それどころじゃない。
いま、王子は僕に、キスしようとしなかった?
しかもそれを、リャニスに見られた?
恥ずかしすぎる。頭を抱えようとして、僕は草むらに伏せてしまっていた。
草のニオイがダイレクトに感じられる。自分のモフっとした前足も。あれ?
「ノエム!」
「兄上!」
いつもは困るポメ化だけど、いまだけはちょっとありがたい。落ち着くまでこの姿でいたいくらい。
だけど王子とリャニスはほとんど同時に僕に手を差し伸べた。
「ノエム、こっちへ」
「兄上、こちらへ」
で、なにやら対抗意識を燃やしている。
どうしろって言うんだよ!
困り切った僕は、草むらにころりと転がってふたりに腹を見せた。
ポメ化令息を読んでいただきありがとうございます。ここで第一章が終わりとなります。
第二章が始まるまで少々お時間いただければと思います。
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