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幕間 嵐

嵐の紋章家、イレオス視点です。

 リャニスラン・ル・トルシカに剣術を教えてもらえないかと、イレオスのもとに打診が来たときは、正直驚いた。

 教養の一環として剣術もひととおり修めてはいたが、なにか功績があるわけでもないし、第一イレオスは文官である。


 それでも了承したのは、イレオス自身にも利するところがあるからだ。


 リャニスラン本人は、イレオスが指南に当たることを、不審に思ってはいないようだった。正式に引き受ける前にすこし話がしたいと言えば、彼は快諾した。


 リャニスランを待つあいだ、イレオスが向かったのは、スクールにある礼拝堂だ。

 在学中、イレオスはよくこの場所に来ていた。ここは基本的に人の出入りが少ない。それに、祈りを邪魔するものなどいないから、ひとりになるのにちょうどよかった。

 両開きの戸の片方だけ開放し、イレオスはガランとした礼拝堂の中を進んだ。


 礼拝堂の奥にあるのは、祭壇でも偶像でもなく半円を二つ重ねた小さなステージだ。

 礼拝が始まれば聖職者がこの上に立ち、参列者たちに祈りを促すが、イレオスはそのたび違和を覚える。

 司会がいつまでも下がらず、永遠に幕のあがらぬ舞台を見ている気分になる。


 人目がないのをいいことに、イレオスはステージの中央に立った。そしてそのまま、しばらくそこに佇んだ。

 この国の神々は、花でも美酒でもなく、芝居を好む。

 だが、いまここでイレオスがなにかを演じたとして、神々が応えることはないだろう。




「イレオス様、お待たせして申し訳ございません」

 声をかけたわりに、リャニスランは礼拝堂の入り口で、ためらうように立ち止まった。

「お祈り中でしたか?」

「ああ、いいえ」

 すこし、意外に思った。ステージに立ち尽くしていたとして、祈っていると見えるだろうか。王でも聖職者でもないイレオスがこの場に立つことを、不敬と言わずに。


 自らも彼を迎えに行きながら、リャニスランに声をかけた。

「すこし考え事をしていただけです。お呼び立てしたのはこちらですから、どうぞお入りください」

「はい。失礼します」


 きびきびした動作でそばまで来たリャニスは、やはりチラリとステージを気にしているようだった。

「正直なところ、なにか見せていただけるのかと期待しました」

「なにかとは?」

「なんでしょう? 舞か、詩でも吟じるおつもりなのかと」

「そんなふうに見えましたか」

「はい」


 イレオスは微笑みながら、それとなくリャニスランを観察した。

 リャニスランはそれを気負いもなく、媚もなく、受け止める。

 トルシカ家の次期当主、か。

 イレオスは、心の中でつぶやいた。

 たとえば彼が祈ったならば、神はそれに応えるだろうか。ステージに立つにふさわしいのは、恐らく彼のような人間だ。

 ――いいや、彼は神の声など欲しないだろう。いまは、まだ。


「リャニスラン様は、剣を学ぶにあたり何か目標のようなものはありますか」

 イレオスが問うと、リャニスランは迷いもなく答えた。

「俺は強くなりたいです。守りたい人がいるのです。もっとも、俺の力などすぐに必要としなくなるでしょうけれど」

 誰のことを言っているのかはすぐにわかった。彼の兄に対する献身は貴族界でも少々うわさになっている。

 とはいえ、ノエムートが王子の婚約者でなければ、騒ぎ立てられるようなことでもなかったはずだ。


「守るため、ですね。わかりました。エマ様のようにとは申せませんが、できうる限りのことをいたしましょう」

 リャニスランは遠慮がちにイレオスを見あげた。

「俺は、合格できましたか」

 少々意外だった。そちらの心配をしていたとは。

 どうやら彼は、イレオスの想定よりも今回の話を喜んでいたらしい。


「試したつもりもありませんよ。ただ、どのような稽古にすれば良いのか、あらかじめ考えておきたいと思いまして。多少なりともリャニスラン様の意向を聞いておきたかったのです」

「え? これだけでいいのですか?」

「魔獣を倒して平和を守りたい、名声を得たい、とりあえず合格点を取れればいい、どれも違う目標です。ですが、リャニスラン様は、大切な方を守りたいのですよね。家族、友人、恋人、例えばそんな方々を」

「はい、そうです!」

 彼は姿勢を正してそう答えた。

 イレオスはふっとほほ笑む。


「実は、なぜ私に打診が来たのか少々疑問だったのです。ですが、二人で考えなさいということなのでしょうね。あらゆる事態を想定して、考えながら学びなさいと。私は、生徒を持ったことがありません。ですので、うまく教えられるかどうかはわかりませんが、ともに考えながら学びましょう」

 差し伸べた手をリャニスランが握る。

「はい、先生!」


 礼儀正しく握手を終え、リャニスランは真顔で尋ねる。

「ところでイレオス先生とお呼びすればいいですか、それとも、トラムゼン先生のほうが良いのでしょうか?」

「イレオスで構いませんよ。それでは、私はどういたしましょうか。リャニスラン、いえ、リャニス君でどうですか?」

「はい。イレオス先生」

「リャニス君からは、質問などないですか?」


「あるといえば、あります。授業とは関係ないことなのですが」

「構いませんよ」

「さきほど母の名を口になさいましたが、イレオス様も母のことをご存じなのでしょうか」


 ああ、とイレオスは頷いた。

 彼は本当に好奇心が旺盛だ。それが彼の強みであり、時には弱点になるだろう。

 だが、感覚や勘に頼る人間よりも、イレオスとしては接しやすい。


「直接のかかわりはございません。ですが、エマ様は有名な方ですから」

「有名、ですか」

「うーん。私の口から話しても良いものか」

「お願いします! 先生から聞いたということは他言しません」

「そう、ですね……」

 少しばかりもったいぶってから、イレオスは頷いた。


「伝聞ですから、話半分でお願いします。ノエヴァイアス様がかつて王子の花嫁候補だったことは知っていますか?」

「父上が、ですか?」

「その美貌で王子たちを夢中にさせたそうです。取り合いになるほどだったとか」

「取り合い? ですが、婚約者はすでに決まっていたのではないのですか?」


「決められないほど、争ったのです。中には女性を娶る権利を捨ててまで、ノエヴァイアスさまを得ようと考える王子までいたそうですよ。――そこにエマさまがやってきて、さっそうとノエヴァイアス様を攫って行ったのです」

「そんなこと、許されるのですか?」

 リャニスランは一瞬仰天したようだが、すぐに視線を斜めに下げた。「母上なら、やりかねないか」などとつぶやいている。


「許されてしまったから、いまのトルシカ家があるのでしょうね。まるで騎士物語のようだと、当時の女性たちの間で大変な評判になったそうですよ」

「父上と母上にそんな過去が……」

「ノエムート様はずいぶんと早く、殿下との婚約を結ばれましたよね」

「え?」

 ほんの一瞬、リャニスランは動揺を見せた。

 イレオスはそれに気付かぬふりで話を続ける。

「おそらく、お父上のことがあったからでしょうね」

「――そう、でしたか。ザロン出身の方はほかにもいらっしゃるのに、なぜ母上だけがあれほど有名なのか不思議に思っていたんです。ありがとうございます、イレオス先生」


 リャニスランはぎこちない笑みを浮かべ、話を打ち切った。すこし早口になっていた。

 触れて欲しくないのだろう。焦ることはない。

 イレオスはチラリとステージをふり返り、思い付きのように口にした。


「そうだ。リャニス君、舞に興味があるのなら剣舞を学んでみませんか?」

「剣舞、ですか?」

「ええ。学年の終わりに、試験が行われるでしょう? 試合形式でも構わないのですが、どうせなら、こっそり練習して驚かせてやりませんか?」


「それって、先生が、お相手をつとめてくださるということですか?」

「ええ、そうです。難易度もあがりますし、授業以外の時間も作っていただく必要があります。ですからもちろん、無理にとは申しません」

「やります! やらせてください!」

 やる気に満ちた眼差しで、リャニスランは食いついた。


 人を疑うことを知らぬ笑顔だった。

 もし、彼が神に祈ったならば。

 気がつけば、またそんなことを考えていた。




   ◆

「おお、おいで下さいましたか。いま、ちょうどあのお方について話し合っていたところです」

 薄暗い部屋の中で、黒いマントの男たちがひとつのテーブルについていた。イレオス自身がそうしているように、全員が仮面をつけている。

 ここではお互いの素性を隠す。後ろめたいことがあるわけではなく、黒衣うらかたに徹するためであるらしい。


「ノエムート・ル・トルシカ、ですか」

 イレオスがハッキリとその名を告げてやると、仮面の男たちは口々にしゃべりだした。


「あの方は神のシナリオから逸脱している」

「なにがポメ化だ。ふざけている」

「病弱という噂もフリかもしれぬ。殿下の気を引くために」

「一刻も早く、筋書きを正さねば」

「聖女の件もそうだ。あのお方の企みなのでは」


 まる三文芝居だな。

 イレオスは内心でひっそりとつぶやいた。

 予言によれば、ノエムートは王子に疎まれ、周りからも孤立し、少しずつ弱っていくらしい。

 だが実際には、王子は彼を大事にしているし、ノエムートの周りは守護も手厚い。手が出しづらいと、彼らは問題にしているのだ。

 彼らが直接、手をくだすわけでもあるまいに。


 彼らはなにもしない。ただ怒ってみせるだけ。あるいは憂えてみせるだけ。いや、恐らくそれこそが彼らに神々が与えた役柄なのだろう。

 それでも奇妙なことに、彼らは自分たちこそが特別だと考えているようだ。

 筋書きを正す。それこそが神への献身。シナリオを知る黒衣うらかたに許された役割なのだと。


 神々のためと謳えば、なにをしても許される。たとえば、ノエムートを殺めることになったとしても、国王すら黙認するだろう。その事実がますます彼らを増長させる。

 彼らがそれを決めれば、手を染めるのはイレオスだ。

 けれどそれでは、おそらくイレオスの望みは叶わない。


 だから、兄弟ともども、あらがって見せればいい。


 神々が本当に筋書き通りの物語を望むなら、未来など見せぬはずだ。ノエムートをポメラニアンになどしないはずだ。過去世など、誰にも与えぬはずだ。

 期待通りの役者を集め、望みどおりに演じさせ、何度も再生すればいいのだから。

 そうしないのは、アドリブを楽しんでいるからだ。


 だったら、乱してやればいい。

 いっそ舞台など、ボロボロに崩れ落ちてしまうほどに。


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