23 彼を見ると僕は
「すこし、熱もあるようですね。午後の授業はお休みになったほうがよろしいかと」
医務室の先生にそう言われたけど、やんわり断って、僕は廊下へ出た。
「兄上、どうでしたか」
「うん。たいしたことなかったよ。授業、戻ろうか」
「そうではなく、具体的にどこが悪かったのか報告してください。俺にはそれを知る義務があります」
キリっとした顔で詰め寄られて、僕はリャニスの背後に母上の存在を感じとった。
思わず後ずさりすると、リャニスはしまったと言わんばかりに顔を歪めて、半歩ほど下がった。
「申し訳ございません。兄上のことが心配で」
「えっと、なんに対する謝罪?」
リャニスはだんまりだ。
根負けしたのは僕のほうだった。
「背中に、発疹がすこし。熱っぽいとも言われた。けど、僕は授業には出たい」
実際、座学の時間は耐えられたのだ。ギフトの練習が厳しかっただけで。
今日は火の輪くぐりの輪みたいなものを作った。それがかなりの全身運動だったんだよね。
かゆみのせいか集中力を欠いた僕は、何度も失敗した。僕だけができないという状況がさらにマズかった。
呼吸を整えてもう一度と思ったら、リャニスが僕の手首をつかんだ。
それでこうして医務室に連行されたというわけだ。
リャニスは検討するようにじっくりと僕を見おろして、やがてため息まじりに許可をくれた。
「……無理はしないと、約束していただけますか」
「約束する」
納得してくれてよかったよ。
僕たちは練習場へ急いでいた。その途中のことだ、ぞくっと背筋が冷えた。
なんだ? 視線?
さっと目を走らせると、ゆらり、木立の間から人影が現れた。
「え?」
――イレオス様?
まさか、見間違いだ。
そう言い聞かせるのは厳しかった。なかなかいないよね、あの神作画レベルは。
だけど変だな。だったらなぜ僕は、あの人に怯えてしまうんだろう。どうしてこんなに不吉な予感がするんだろう。
「兄上!」
くるっとふりむくと、自分のしっぽが見えた。嘘だろ、僕また変身しちゃったのか。
「こちらへ」
リャニスは片膝をつき、ポメ化した僕を抱き上げた。
僕を見おろす瞳と声に、彼は怒りをにじませた。
「兄上は、やはりまだ無理を……」
いや、違うんだって!
具合が悪いとかじゃなくて、これはイレオス様に驚いただけというか!
そう伝えたくて僕はキャンキャン鳴いた。
な、なんか。動揺しちゃって。
「リャニスラン様。……と、ノエムート様ですか? またその姿でお会いしてしまいましたね」
僕、よく悲鳴をこらえられたと思う。
やはり見間違いでもなんでもなかった。イレオス当人が僕たち兄弟を見おろしていた。
銀色の髪がさらりと肩に零れ落ちて、日差しを透かして輝いている。
すこし困ったように笑うイレオスを目にして、リャニスは素早く立ち上がった。
「イレオス様! どうしてスクールに?」
ふたりが挨拶を交わすうちに、僕はリャニスの腕の中から、そろりとイレオスを盗み見た。ところが、先ほど感じた不快な気配はもうどっかに引っ込んでいる。
カンチガイ、なのかな。彼が不吉なんてあり得る?
僕が混乱しているうちに、会話は進んでいた。
いまなんて?
「イレオス様が、俺の先生になるんですか?」
「打診をうけたところです。リャニスラン様さえよろしければお受けしようかと。私の腕前では、すぐに教えることがなくなってしまいそうですが」
「ご謙遜を。イレオス様にご教授いただけるなんて、この上ない喜びです。そうですか、イレオス様が」
どうやらこれは、剣術の先生がイレオスに決まったってことらしいな。
本当に嬉しいのだろう。リャニスの頬が紅潮してる。
「ところで、今は授業中のはずでは。引き留めてしまいましたか」
「兄を医務室にお連れした帰りなのです」
リャニスはようやく僕の頭を撫でてくれた。ふわふわ気持ちいいけど、どうやら元に戻らないようだ。
「あ、あれ? 兄上?」
「おちついて、大丈夫です」
うろたえるリャニスの肩に、イレオスがそっと手を添えた。
「きっと私がノエムート様の変身した姿を見てしまったせいです。気まずいのでしょう。私はこれで失礼しますので、リャニスラン様はノエムート様を安全なところへお連れしてください。大丈夫ですよ」
リャニスが肩の力を抜いたのが僕にも分かった。イレオスはわずかに頷いて言葉通りすぐに立ち去った。
なんかこう、なんかこう!
それね! 僕がリャニスにやってあげたいヤツ!
安心して、大丈夫だよ。僕がリャニスにそう声をかけて、安心してもらえたことがあっただろうか。
なんだよ、モブのくせに! もう先生面か!
脳内では必死にイレオスを罵っていた僕だけど、気づけばリャニスの腕の中で腹を見せてひっくり返っていた。
は、敗北ぅ……。
兄としての差を見せつけられた気分だよ。
しかも、だらしない態度を取ったせいで、リャニスをさらに心配させるというマヌケっぷり。走らせちゃったよ。
突然帰ってきた僕たちに、ライラたちも慌てた様子だ。
イスに乗せられた僕はようやくホッとした。
はあ、ようやっと戻れる。さあ撫でてと頭を差し出したのだが、なかなかリャニスの手が降りてこない。それどころか、彼は手をひっこめてしまった。
「……殿下にお任せするべき、ですよね」
なんで!?
言い訳くらいさせてよ。そこまで怒っちゃったのかな。
ポメのほうが、僕もおとなしくしてるだろっていう合理的な判断?
「兄上には、このまま休んでいただく。殿下がお見えになるまで決して部屋から出すな」
リャニスは侍女たちに指示を出したけど、何気に僕を放課後まで放置する気だし。
そうはさせまいと、僕はリャニスに飛びついた。
「わっ! 兄上なにを――」
「くぅん」
なでて。
目で訴えると、根負けしたようにリャニスは撫でてくれた。先ほどまでと違いすぐに元に戻る。
「リャニス、僕は!」
顔をあげようとした途端、リャニスは息をのみ、僕を引っぺがした。
そのまま椅子に押し戻される。
びっくりしてリャニスを見たが、彼は思い切り顔をそむけていた。それどころか完全に後ろをむいてしまった。
「りゃ……」
「お戯れはやめてください。もう、子供ではないのですから。――失礼します、兄上」
言い捨てて、リャニスは出て行ってしまう。だけどその声は、震えていたように思う。
やっぱり、変だ。リャニスは最近どうもおかしい。
心当たりを探って、ハッとした。
「だん、ざいの、準備を……?」
いや、まさか。だとすると、僕が王子と結婚したら会えなくなるというあの発言と繋がらない。
まさか、リャニスは――。
「坊ちゃま?」
「レアサーラ様と話がしたい」
自分の考えに半ば沈んだまま、僕はライラに命じた。
命じたけどさ、まさか攫ってくるとは思わなかったよ。
ライラはレアサーラを小脇に抱えて現れた。
「ライラ、ここ寝室」
「はい。王子がいらっしゃるまで間がありません。お話なさるならどうぞお手短に」
はい、で済ませちゃったよ。いや、僕はいいんだけど。レアサーラに寝間着姿を見られたところで。でも、レアサーラは困ると思うんだ。名誉的な意味で。
おそるおそる見やると、たぶん言いたいことは色々あるだろうに、彼女はまず僕を気づかった。
「気分が悪くてお休みなられていたのでは?」
「周囲の過保護によりベッドに押し込められてるとこです」
レアサーラは静かにため息をついて、チラリとライラを見やる。
ライラはすでに扉付近で待機済みである。僕が内緒話をしたいと知っているのだ。
「お話を聞きましょう」
「恩に着ます」
ベッドの脇にイスが用意されていた。レアサーラに座るようすすめて、僕は口を開いた。
「あのですね、レアサーラ様。リャニスのことなんです。リャニスは――」
と、一応ここで声を落とす。
「王子ごと、僕を断罪する気なんじゃないかな?」
レアサーラは一瞬目を丸くして、すぐにハッと鼻で笑った。ちびっこツインテールにまるで似合わない、疲れ切った大人の顔だった。
え、ヒドイ。
「嫌ですわ、ノエムート様ったら。まだ体調がすぐれないようですね。わたくしとっとと失礼しちまいたいのですが?」
「本気だよ! この間からリャニスの様子がおかしいんだ。きっと僕がポメ化なんてするからだ」
「はあ、まったく要領を得ないんですが」
「例えば、だよ? スクールに入る年になってもポメ化するなんて貴族にふさわしくないって言われるとか! 弟としては断罪したくなくても、立派な貴族になるための試練として、母上に僕を切り捨てるよう言われているとか!?」
「妄想ですよね、それ」
レアサーラが冷たい。おかげで僕もちょっと冷静になった。
「ないと思います?」
「……役割を考えれば、まったくないとは言えませんけど。でもあのブラコン野郎が?」
「さっきからちょいちょい口悪くない? 怒ってる? あ、ごめんなさい」
小脇に抱えられて怒んないわけないよね。
「今度からお姫様だっこにしてねって言っとく」
「そういう問題ではございません」
「怒らないでよ、レアサーラ。僕、レアサーラだけが頼りなんだ」
「あざとっ! そういうのは王子に言ってくださいね。きっと鼻血出して喜びますよ」
「王子は鼻血なんて出さない」
大真面目に答えしまったけれど、いま、はぐらかされそうになってるな。
「レアサーラ。僕いま、かなり行動を制限されている。だけど、レアサーラが一緒ならすこしは緩和されると思う」
「そんなこと、おっしゃられても」
レアサーラは視線をそらし、自らの二の腕をさすった。
断られそうな雰囲気に、僕は焦りを募らせた。
「お願いだよ、レアサーラ。協力してほしい。聖女も探しに行きたいし、これからポメ化する機会も増えると思うから」
「聖女はともかく、ポメ化が増えるってなんですか?」
「イレオス様って、会ったことある?」
「嵐の紋章家の? いいえ。年も離れているし、接点ないじゃないですか。メインキャラでもないし」
「そう思うよね? ところが僕、すでに三度、彼と会ってる。そのうち二度ほど彼の前でポメ化した」
「……それって、偶然じゃ」
そうだったらいいなと、僕も思う。でも僕は気軽に同意できなかった。気づけばうつむいてしまっている。
「わからないんだ。でもすごく変な感じがする。彼のこと、警戒すべき危険な人のようにも思えるし、ただの行き過ぎたイケメンにも見える」
「イケメンなんですか?」
「気になります?」
空気が変わりそうな雰囲気を察して、冷かすつもりが、彼女は険しい顔をしていた。
「モブなのにイケメンということは……。ノエムート様のハーレムが簒奪されるかもしれませんね」
「そもそも僕のハーレムなんて存在しませんが。え? なにその顔。あ、もしかして侍女たちのこと? 僕、手なんて出してないよ!」
やけに白けた顔で僕を見ていたレアサーラだが、やがて大げさなため息をついた。
「協力するのは構いません。ですが、これまで通り影からです。以前も申し上げましたが、わたくしなるべく厄介ごとと係わらず、穏やかに生きたいのです」
「レアサーラ、それはたぶん無理だよ」
僕は彼女をじっと見つめた。たぶん、なんて言ったけど、これは確信だ。
「たとえば、ほら。僕にまだ、木の実をぶつけてないよね?」
ギクッと彼女は身をこわばらせた。
「僕と係わりたくないってこと、理解はした。だけど、そう簡単にはいかないってこと、レアサーラだってわかってるんじゃないの?」
彼女は耳を塞いで、明後日のほうを向く。口をとがらせて口笛でも吹いてるつもりだろうか。音は出ていない。
「レアサーラのドジは、僕を巻き込むようにできてるんだ。ドジが僕らを結びつける」
「ぐえああ」
「んな魔獣の断末魔みたいに嫌がらなくても」
レアサーラは僕のベッドのふちで打ちひしがれた。
「ひ、ヒドイです、ノエムート様」
追い打ちをかけるようで気が引けるけど、これも言っとかないとダメだろうな。
「あとね、レアサーラ。僕思うんだけど、僕とこうして密会してること誰かに知られるほうが、あとあと面倒なことになるんじゃないかな」
「むりやり連れ込んでおいてぇ!?」
「それは、ごめん」
そのとき、ライラが敵影発見、みたいなテンションで鋭く告げた。
「王子がきます!」
ライラの行動は早かった。僕の返事を待たず、レアサーラをバッと引っさらって窓から飛び出していった。
「え!? ちょ、ちょおおおおっ!!」
レアサーラの絶叫が尾を引いた。
「ノエム!」
ライラたちと入れ違いに、王子とリャニスが飛び込んできた。
「いま、声が聞こえたが!?」
「あ、はい。あの、外からですね。窓を開けていたので」
すぐに窓に駆け寄っていたリャニスが、ちょっと変な顔をしている。
まさか、ライラのこと、目撃してないよね?
「ふ、ふたりとも、寝室ですよ」
ひやひやしながら指摘すると、幸いなことに、ふたりは足早に出ていった。