21 濃い一日だった
「本当に素晴らしかったです、リャニスラン様! 剣術の授業を初日で終わらせたのは、ジレイシー様以来だそうですよ」
食堂へ向かう道すがら、女の子の一人が、卒業生の名前を出してリャニスを誉めそやした。
リャニスは失礼にならない程度に微笑んで、「ありがとうございます」とだけ答えている。
モテすぎる弊害だろうか。このごろリャニスは女の子たちにちょっと冷たい。勘違いさせないようにという気づかいかもしれないけど。
「いや、リャニスラン様、本っ当にスッゲーよ。かっけー!」
サンサールはリャニスに陽気に笑いかけたあと、頭のうしろで手を組んでひょいと体ごと振り向いた。
「ノエムート様もすごかったよ。うつくしーっって感じで」
「そう見えたんなら良かったよ。僕も内心、かなりドキドキしてたから」
「えー? 見えねえ」
「おい、いいかげんにしないか! なんなんだその耳障りな話し方は!」
マスケリーが急に怒鳴ったので、僕までびくっとしてしまった。
彼はサンサールに指を突き付け、声を張り上げる。
「おまえのような奴がどうして第一にいるんだ。貴族の自覚が足りないと見える!」
確かに。うっかり普通に会話しちゃったけど、貴族がスゲーとか言っちゃダメだよね。
てか今のマスケリー、悪役令息みたいだな。正論だけど、イジメてるみたいに言われちゃう奴。
いや待てよ。ノエムにもあんな台詞あったな。相手は聖女だったけど。
え、待って。てことは、サンサールって、聖女なの!?
そこまで考えて、さすがの僕も真顔になった。それはない。
気づけば、視線が僕に集まっていた。
そりゃそうか。身分差気にしなくていいよって、僕が言ったんだから。
「マスケリーの言うことにも一理ある。だけどこれは、サンサールに自由な発言を許した僕にも責任があるね。サンサール、のちほど二人で話をしようか」
彼が聖女かどうか確認したい。いや、ありえないんだけど、念のため確認だけはしときたい。
「兄上」
ニコッとリャニスが口を挟んだ。
「その際は、俺も同席します。いいですね?」
圧!
僕はすっかり押し負けた。
「そうだね、お願いしようかな」
ワイワイ話しながらクラスメイトと歩いていた僕だけど、食堂につくなり、王子の使いに呼び止められてしまった。
「ノエムート様はどうぞ二階へ、王子がお待ちでございます」
食堂の二階は王族の席となっている。
雰囲気としては、権力ある生徒会の特別席みたいなヤツ。
きらびやかな取り巻きがずらーっといたりする。
いや、まあ。きらびやかさでは僕だって負ける気はないけどね。
――ただ。
僕はチラッとクラスメイト達をふり返った。僕はクラスでひとりだけ特別寮だ。朝食と夕食は基本的にひとりで食べる。寂しい生活なのだ。昼休みくらい、彼らと仲を深めたかった。
しかもいま、リャニスのことで盛り上がってる最中なんだよ。
王子の誘いでは断れるはずもないんだけどね。
うしろ髪を引かれる気分で僕は階段をのぼった。王子のもとに参上した僕は、彼を前にして文句をキュッとひっこめた。
広い空間に、王子だけがポツンと待っていたからだ。
――王子、友達いないの!?
いや、まさか。王子は魅力的な人だ。笑顔がかわいいし。そりゃちょっと、大げさなところもあるけれど。
「お招きいただきありがとうございます、キアノ。あの、ほかの方はどうされました?」
「ああ。遠慮してもらった。君と過ごす時間を誰にも邪魔されたくないんだ」
王子が飛ばしたキラキラが、こつんと頭にぶつかる気分だった。だから王子、そういうところだよ。
でも、よかった。友達いないわけじゃないみたい。今日は特別なんだろう。
食前の祈りのあと、僕はさっそく彼を持ち上げた。
「先ほどの摸擬戦、本当に素晴らしかったです。みなで感心しておりました」
「君は?」
「え?」
「ほかの者の感想なんてどうでもいい。君はどう思ったんだ」
どうでもいいとはまた暴論である。口がキュッとすぼんでしまう前に、僕は大きく頷いた。
「もちろん。すばらしいと思いましたよ」
ど派手でしたとも。
「本当にすごかったです。すこし、怖いくらいでした」
「怖い?」
「あ! はい。あの、アイリーザ様に当たってしまうのではないかと思って」
しまった、王子がムッとしている。
「私が信じられないと?」
「そういうわけではございません。ですが、アイリーザ様も恐ろしい思いをしたのでは? もしも、あの場に立っていたのが僕だったらと、考えただけでも震えます」
「君が相手ならあんなことするもんか」
アイリーザはいいんかーい!
脳内で盛大に突っ込んでしまった。これ、本人が聞いたらいくらなんでも怒るのでは?
恋バナの的にされるならまだしも、恨みを買うのは避けたいなあ。
「君を怖がられるようなことはしない。……でも、そうか。君がそういうなら、反省する。アイリーザにも、あとで改めて謝罪しよう。あの場では、笑って済ませてしまったから」
「それがよろしいかと」
僕はホッとして微笑んだ。
「それで? リャニスランのほうはどうだ。今日は大活躍だったそうではないか」
急にリャニスのことを振られて、フォークからポロっと豆がこぼれ落ちてしまった。皿の上だからセーフってことにしてもらおう。
「つ、ついさっきの話ですよ。もうお耳に入ったのですか」
「学内のことだ。自然とな」
そ、そうなんだ。
あんまり変なことはできないな。
「だが、少々残念だ」
「え?」
「できれば私が、君を守ってやりたかった」
危うく喉を詰まらせるところだった。
「逆! 逆ですよ。僕が臣下としてお守りする立場ですからね」
「君、剣はからきしだろ? 上達したという話は聞いていないが」
王子は愉快そうに笑った。
「それは、そうですけど。だったら、身を挺してでもお守りしますよ」
僕は羞恥に頬を染めながら、逃がした豆を口に運ぶ。
言ってるそばから疑問だけど。できるだろうか、僕に。
さっきの、リャニスみたいに?
でもあれが実践だったなら――。リャニスは怪我をしていたかもしれない。そう考えると肝が冷えた。剣を手放したのも失敗だった。アレが実践だったなら状況は一時しのぎにすぎない。母上ならきっと、合格をくれない。
そうか。だからリャニスも浮かない顔をしていたのか。
「ノエム」
呼びかけに顔をあげると、王子は冷ややかに僕を見つめていた。
「それは、許可しない。私のために、いや、ほかの誰のためであろうと、君が傷つくようなことは、決して許さない」
一言一言、区切るような口調で、彼は僕に命じた。
「君のことは私が守る。なにがあろうと、君のことは必ず私が、救ってみせる」
大げさですよと笑おうとして、失敗した。マスカット色瞳に射すくめられて、上手く口が動かなかった。
食事を済ませて階下に降りると、リャニスが待っていた。
「リャニス。わざわざ待っていてくれなくてもよかったのに」
僕の言葉にリャニスはきっぱりと首を振った。
「兄上を、おひとりにはできません。目を離したらすぐにどこかへ行ってしまいそうです」
「学内で迷子になったりしないよ」
ひとりになると言っても、廊下を数メートルってところだ。
過保護が過ぎる。
「そのくらい、私が送っていく」
「キアノまで!?」
王子とリャニスは僕をちろりと見おろした。
全く信用されていないということがよくわかった。
王子と廊下で分かれて、彼の姿が見えなくなると、僕はついため息をもらした。
「兄上、俺が鬱陶しいですか」
「え? なんで?」
急に妙なことを言い出すので、僕はギョッとして彼に顔を向けた。
リャニスは僕のほうを向いていなかった。王子が去ったほうにじっと目を向けている。
「兄上のためだとか、母上のお言いつけだとか色々と言っていますが、本当は俺がしたくてしてるんです」
リャニスの声がかすかに震えて聞こえた。
けれど彼の整った横顔を見つめても、そこからはなんの感情も読み取れない。
「今だけなんです。兄上のとなりを歩けるのは。殿下と結婚したら、きっとこんなふうに話すことさえできません」
「そんなことはないと思うけど」
「おそばにいられるだけでいいんです。兄上、俺は――」
俺は、の続きを僕は待った。というより、なにも言えなかったのだ。
王子もリャニスも、すこし変だ。
僕の運命を彼らが知っているはずもないのに、妙なことばかり言う。
彼らは僕を守りたいなどと言うけれど、本来それは僕の役目だ。
兄として、臣下として、そして未来を知るものとして、ふたりを守り導かなくちゃって思ってる。
守られるだけっていうのは、やっぱり僕には納得しがたい。
ようやく僕の顔を見たと思ったら、リャニスはまったく別のことを口にした。
「サンサールのことですが、俺に任せて貰えませんか」
「え? サンサール?」
「はい。兄上は、彼と仲良くしたいのでしょう?」
「うん。まあ……」
「俺が見る限り、彼には見込みがあります。だからこそ、こんなところで潰してしまうには惜しいと思うのです。
兄上は彼に自由な発言をお許しになったけど、やはりあのままではいけません。いまは良くても貴族社会で彼の言動は必ず軋轢を生みます。
ですので、俺があいつを教育してみようかと思います!」
急な話題の転換に、僕は正直、ついていけなかった。
なんでサンサール?
なんで急にやる気出したの?
リャニスは、いつになく燃え上がっていた。
固い決意を拳に込めて、宙を見つめて一つ頷いた。
僕のことなんて、もう眼中にないみたいだった。
なんだか妙に疲れてしまった。
僕はベッドにぼふっと体を投げ出した。
そのくせライラが天蓋を閉じて退出しても、まったく眠れる気がしなかった。
「なんなんだよ、もう……」
目をつぶっても、ふたりのことがぐるぐる回った。
王子がギフトで火球を消してみせたこと。手品みたいな手つき。リャニスのあざやかな剣さばき。
あのふたりの謎発言も問題だ。
枕に顔を、ため息ごと押し付けて、苦しくなってごろりと転がる。
王子は、なにを知ってるんだろう。
リャニスは、なにを思いつめているんだろう。
そして聖女は、どこにいるんだろう。
わからないことばかりだった。
聖女と言えば、一瞬とはいえサンサールのことを聖女かと思うなんて、僕も結構どうにかしてる。
「サンサールか……」
正直、リャニスが彼のことをあんなにも気に掛けるなんて驚いた。
驚いて、すこし胸がチリっとした。
「なんだか疲れたよ……」
名犬の名をつぶやこうとして寸前で自重した僕は、起きたら駄犬になっていた。
久々のポメ化である。