19 興奮さめやらぬ
今日から授業開始である。
だがその前に、二年生による摸擬戦があるらしい。
僕たち一年生は列を作り、どこか浮ついた様子で練習場を目指した。
三年生ではなく二年生が行う理由は、「一年間でこのくらい上達しなさい」という具体的な目標を示すためだろう。
練習場は学校のグラウンドに似ている。どうやら全校生徒が集っていて、先生も含めて六十人ほど、ぐるりと会場を囲んでいた。
生徒たちが着席すると、剣術の試合が始まった。
成績優秀者が参加するため、なかなかの見ものだ。
だがこれは前座で、楽しみはこのあと行われるギフトの試合である。
出場者の登場に、会場がわっと盛り上がった。
フィールドに立ったのは、雰囲気悪役令嬢のアイリーザだった。四人の男子生徒も一緒なのだが、なんだか彼女の手下みたいに見える。
対するは、王子一人だ。
期待を込めて見つめても、ほかに仲間が出てくる様子はない。
だ、大丈夫なのかな。
「兄上、始まりますよ」
リャニスはフィールドから目を離さぬまま、僕の気を引いた。彼もワクワクしているようだ。
「始め!」
合図とともに、アイリーザは頭上にバスケットボールサイズの火球を出現させた。
すこし遅れて、手下たちもやや小さめの火球を出す。
まさかアレ、王子にぶつけようってんじゃないよね。考えているそばから火球が王子に向かって飛んでいく。
僕は必死に悲鳴をこらえた。
王子ときたら逃げようともせずその場に立っているのだ。
思わず目を覆いかけたそのとき、ようやく王子が動いた。
王子は片手をまっすぐ前に掲げた。手のひらにぶつかると見えた火球が、忽然と消える。
「え?」
僕は思わず声を立てた。
火球の対抗策といえば凍らせて落とす、土壁を出現させて防ぐ、さらなる火力をぶつける、などあるが王子がやったことは、そのどれとも違う。
真空状態にして消したとか? それにしたって急に消えすぎだ。
これで終わったのだろうか。会場もざわついていた。
みんなが王子に注目する中。彼は手を翻す。
まるで手品だった。火球が次に出現したのは、アイリーザの頭上だ。一つの大きな塊となって、落下しようとしていた。
アイリーザはさっと青ざめて、両手で顔をかばった。
手下たちは悲鳴をあげて地面に伏せた。
惨状を想像して誰かが悲鳴をあげた。僕も叫ぶところだった。とっさに口を押さえて、なんとかこらえる。
火球はアイリーザにぶつかる寸前でぴたりと止まった。王子が空を指させば、燃え盛る炎の塊はみるみる上昇し、雲を目指すように飛んでいく。
そして王子が指をならすと、花火のように散った。遅れてどおんと大きな音がした。
お、王子、すごすぎ。ど派手!
わあっと歓声が上がり、拍手が巻き起こる。
僕も手を叩いた。だが、一瞬、ほんの一瞬。
手品のようなあの手ぶりが、誘拐事件の犯人と重なった。
たった三度手を振っただけで、魔術が行われようとした証拠も実行犯も、なにもかも隠してしまった仮面の男と。
「王子はすごいですね、兄上」
リャニスは興奮した様子で手を叩いていた。彼がなにも感じ取らなかったのなら、きっと僕の考えすぎなのだ。
「うん。すごすぎて、驚いてしまったよ。アイリーザ様は大丈夫かな」
ちょうど、へたり込んだアイリーザに王子が手を差し伸べるところだった。打ち合わせと違ったのか、アイリーザはなにか文句を言っているように見えた。
王子が笑いながら謝罪している。
そのほのぼのとした様子に、僕はようやくホッとした。
アイリーザはちょっとかわいそうだったけど、ショーとしては大成功だろう。
怪我もなく終わって本当によかった。僕は心から拍手を送った。
それに気づいたかのようなタイミングで、王子がこちらを見た。
大規模なギフトを使ったせいか、興奮に頬を染め、いたずらっぽい笑みを浮かべている。とても自慢げだ。
王子の中に残る子供らしさを垣間見た気がして、僕はなんとなく癒された。
前世を思い出してもうすぐ二年経つけど、僕の気分はいまだ高校生だ。それ以上を経験していないから大人になりようがないのだ。
この体とかつての僕の年齢が重なったとき、はじめて僕の時間は動き出すのかもしれない。
そのせいもあるのか、周りがどんどん成長していくのに、ときどき、僕だけが取り残されている気分になる。
みんな、あんまり急いで大きくならないで!
なんて馬鹿なことを考えるうちに、ちらりとよぎった不安も、どこかに飛んでいってしまった。
◇
見学の効果は有り余る。生徒たちは落ち着きを欠いたまま教室の席についた。
先生もそれを見て取って、諦めた様子で教科書を閉じた。
ちなみに教室の椅子はどどんと大きい。その割に机はサイドテーブルほどしかない。基本的に書いて覚えるというよりは、聞いて覚える授業だからだ。
教科書忘れたから机くっつけよう、みたいなことはできないし、放課後の掃除もない。
そういう作りのため、身を寄せ合って内緒話することはできないのだが、いちばん前の席にいる僕にまで、ソワソワは伝わってきた。
「では、今日はギフトの話から始めましょうか」
ギフトと聞いて、生徒たちがあからさまに興味を示す。
「ギフトは神から与えられた力です。ですが神は力と共に試練も与えられました。悪魔、魔術、そして魔獣の存在です」
魔術と言われて、僕は思わず目線を下げた。先生がすぐに、「あなた方が遭遇するとしたら魔獣でしょうね」と話を続けたので僕はその間になんとか気持ちを立て直す。
「この辺りに住んでいては、魔獣を見かけることなどまずありませんが、国境付近ではそこそこの頻度で魔獣討伐をしていますし、ザロンやチャウィットからの応援要請を受けることもあります。
先ほどの摸擬戦にしても、本来は五対五で行われるものなのですよ。魔獣を安全に倒すためには、個人の技量よりも、呼吸やタイミング、威力の大きさを合わせることが重要なのです」
先生は教室内を見まわした。
貴族の子どもなので、おとなしく座っているが、普通ならここでヤジのひとつも飛びそうである。
「ふむ、王子がどのようにして火球を消してみせたのか気になりますか。あれは秘術の類です。めったなことでは明かされません。間近に見られただけでも、みなさんは運がいい」
チラッと、先生が意味ありげに僕を見たけどなんだろう。まさか王子が、僕に見せるために特別な技を使ったとか?
……それは、あとでしっかり褒めてあげないと。
僕がしれっと不敬なことを考えるあいだも、先生の話は続く。
「みなさんが最初に習うのは、炎の扱いとなるでしょう。炎は多くの魔獣に有効です。今日お話しするのは二十年前のザロンで行われた三国合同の大討伐戦についてです。そこでも、炎のギフトが大活躍したのですよ」
座学を挟んで、生徒たちのやる気はさらにあがったように思える。
だが、浮ついた気持ちのままではギフトはうまく扱えないのだ。
深呼吸して、集中する。
まず基本からだ。
全身にエネルギーをまとわせる。これはみんな問題なくできた。
次の段階は手のひらに集めたエネルギーを火に変換することだ。
集中、集中っと。
ごおっと炎が柱となって、僕は自分のギフトにのけぞった。
ぜんぜん落ち着いてなかった。目立ちたがりみたいになって恥ずかしい。
背後で「さすがノエムート様だ。王子の婚約者に選ばれるだけのことはある」などと囁かれてますます気詰まりだ。
違うんだよ! 僕だって、もっとスマートに合格したかった。炎が出せるとわかればいいだけの課題だからね。
「兄上、火傷はしていませんか?」
呆れられると思ったのに、リャニスには心配されちゃうし、ほんと居たたまれない。
が、気持ちを切り替えて次の課題だ。
ここから難易度が少々あがる。
丸いビンの中に火をともす。ビンは手のひらに収まる大きさで、火が灯ったとしても、ビンが割れれば失格。
また、指定された時間まで炎を維持できなくても失格だ。
僕はビンが割れるのを恐れるあまり威力を小さくしすぎて、二度ほど時間前に火を消してしまった。三度目の挑戦で、ようやく合格をもらう。
リャニスは当然、一発合格だ。クリスティラもすでに終えていた。僕にすこし遅れて、レアサーラも合格する。
彼女はたんにビンを落として割ってただけのようである。制御のほうは僕より上手だ。
やはり紋章家といったところか、この四人の進みが早い。
今日の課題はここまでだ。残り時間、僕らは脇に寄って見学することになる。
「お、マスケリーができそうだよ」
僕が声をかけると、リャニスはピクリと眉を動かした。
あれ? 嫌なのかな。
チラリとほかのふたりを窺うが、クリスティラは相変わらずポヤーっとしているし、レアサーラは、なぜか頑なに目を合わせてくれない。
僕の読み通り、次に合格をもらったのはマスケリーだった。
彼は誇らしげな顔で、まっすぐこちらに向かってくる。
「おめでとう、マスケリー」
声をかけると、彼はキラッと目を輝かせた。
「ごらんいただけましたか、ノエムート様!」
「うん。見ていたよ」
「ノエムート様、私は聖騎士を目指しています。これからも精進いたしますので、どうぞご期待ください」
なにやらアピールされてしまった。聖騎士になるには、実力だけじゃなくコネも必要だから。あと容姿も。自信あるんだね。でも僕は、落ちぶれる予定だからなあ。微笑んでかわしておこう。
「兄上、ニルセンもできそうです」
リャニスに声をかけられて、僕の意識はそちらに向いた。
合格ラインまであと数秒。なんとなく固唾をのんで見守った。五、四、三、二――。
「やったあ! できたあ!」
叫んだのはニルセンではない。
ぴょんぴょん跳ねていたのは、見覚えのない男の子だった。日に焼けた肌もあいまって野生児っぽい感じ。
貴族ではまず見かけないタイプだ。まあ、第一にいるからには貴族なんだけど。
先生にはしたないと叱られて、一瞬しょんぼりしたかと思いきや、喜びを隠せずニマニマしている。
その子供らしい仕草が、僕の兄心をくすぐった。