16 修業をつけてください
なんで僕を守るために、リャニスが怪我をしなくちゃならないんだ。やっぱりどう考えてもおかしい。
着替えをすませたあと、僕は母上のもとに向かった。
「母上、僕にも修業をつけてくださいっ!」
「母の修業は、遊び半分でできるものではありませんよ」
「もちろんです! でも僕だって、リャニスを守りたいんです。兄として!」
僕のみなぎる決意を目の当たりにして、母上は深いため息をついた。
「……ノエム、わかっているとは思いますが、あなたとリャニスでは同じ修業にはなりません」
リャニスは真剣でバッサリ。僕は木刀でぽすぅんだ。つまりはレベルが違いすぎるということだろう。僕はきっぱりと頷いた。
「わかっております」
次の日からさっそく修業がはじまったんだけど……。
どうやら僕、全然わかっていなかったみたい。なにが始まるのかさっぱりだよ。
「その線から出てはなりませんよ」
地面に円が描いてある。ふらつけば簡単に足がはみ出そうな小さな円だ。
八メートルほど向こうに使用人たちが八人、ずらりと並んで指示待ち顔である。僕のそばにはライラ、ヘレン、ジョアン。やはり沈黙を守っている。
「あの、母上これは?」
故郷の騎士服をまとった母は、いつも以上に強そうに見えた。笑顔なのに、威嚇されている気分。すでにちょっと逃げたい。
すこし離れた場所で、リャニスが準備体操をしている姿を視界に入れて、僕は気合を入れ直す。ここで逃げたら、たんにリャニスの邪魔をしただけになってしまう。
「姿勢を正しなさい、ノエム。優雅に、決して笑みを絶やさぬように」
笑み? 僕が疑問を口にする前に、母上は僕に背を向け、使用人たちの背後に回った。
「始めなさい」
彼らはいっせいに動き出した。僕を取り囲むように位置取りし、こちらに向かってなにか投げつけてきた。
「えええ!?」
僕が悲鳴をあげるうちに、ライラがそのほとんどを受け止めていた。いつのまにか彼女は、ギフトを体にまとわせて戦闘モードに入っている。地面にばらばらと石や木片を落とす横顔に、余裕がみえた。
ヘレンとジョアンは僕の背後を守っていた。エプロンとか、ギフトで作り出した透明な壁で、つぶてを弾いたようだった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
僕の侍女たちになにさせてんの!?
「笑顔!」
母上の怒声を聞いて、僕は反射的に笑みを張りつけた。とたんにあれこれ飛んでくる。
「手ぬるい! もっと本気でおやりなさい! ライラが退屈していますよ」
「母上、僕の修業じゃなかったのですか? いったいこれはどういうことです!」
僕がさわいだことで、ようやく攻撃が止んだ。
「まだわからないのですか」
「いや、一個も説明してませんよね?」
「ならば、わからせるまで。ライラ、前へ」
母上は両目をピカッと光らせて、とんでもないことを言い出した。
「いまから一撃入れます。防いでみせなさい」
「はい!」
なんでライラも嬉々として受けようとしてんの。
「だから、説明をっ!」
僕はふたりを止めようと、一歩踏み出した。
ハッと気がついたときには、母上の爪先が僕の鼻面に迫っている。
ライラは片手でポンと僕の額を押して、僕を円のなかへ戻した。そして僕の代わりに吹っ飛ばされた。
「ライラ!」
「坊ちゃま、いけませんっ」
駆け出そうとした僕を、ヘレンとジョアンが両脇からひっつかんだ。
「母はそこから出るなと言いましたよ、ノエム。あなたが守らないから、ライラが崩れました。さあ、ヘレンにジョアン。あなたたちはどうやってノエムを守りますか」
母上は周りに合図を送った。ヘレンとジョアンが僕をかばうように前に立つ。ふたりは青ざめて見えた。
「母上、もうやめてください!」
けれど無情にも、つぶては僕たちめがけて投げられる。
そのとき、ライラが走ってきてそのすべてを弾きとばした。
「奥様、あたしはまだやれます!」
ホッとしたのは一瞬で、僕はライラを指さし絶叫した。
「ライラ、顔おおおおオオオン!」
顔と叫んだあたりでポメ化して、残りは吠え声になってしまった。こうなってしまえばキャンキャン吠えるしかない。
僕には母上の意図がわからなかった。なんで、僕の修業でライラたちが傷つけられねばならないのか。
痛いよ。嫌だよ。自分に当たるよりずっと嫌だ。
「母上っ!」
異変に気がついてリャニスが走ってきた。
「リャニスいけませんよ。あなたは自分に必要なことをなさい」
「お叱りはあとで受けます! また兄上がもどれなくなったら……」
心配顔で僕を拾いあげ、リャニスが僕をなでる。
「……は、母上」
みっともないと言われても、僕はリャニスにしがみついたまま涙もぬぐえずにいた。
母上はため息をついた。僕が修業をつけてほしいと頼み込んだときもそうだった。母上はこうなるってわかっていたんだ。
わかっていないのは、どうやら僕だけだ。
「ノエム、あなたは黙って守られることを覚えなくてはなりません」
「黙って、守られる……?」
僕はハッと立ち尽くした。そうか、僕はご令嬢扱いだから。
「いや、けど! それはあくまでも慣例でしょう? 僕だって男です。自分で戦えます!」
「的を相手に、恐れをいだくあなたがですか」
「それは……」
そう。たしかに僕は的が怖い。正確には、これが人間だったらと考えて怖くなるのだ。
「戦場で迷いは禁物。あなたがそんな態度では、いたずらに周りの犠牲を増やすだけです」
言い返すことは、できなかった。
「ライラ、ごめんね。本当にごめん」
部屋にもどっても、僕はまだべそべそしていた。
ヘレンがギフトで念入りに癒してくれたから、ライラに傷は残らなかった。それでもまだかなり痛いはずだ。
「ヘレンも、ジョアンもごめんなさい。怖かったよね、あんなむちゃくちゃな修行」
「もう泣かないでください坊ちゃま。またポメ化してしまいますよ」
ライラがそっと僕をのぞきこむ。僕が泣いてちゃいけないって、わかってるんだけど。
「あたしたちは大丈夫です。それよりも、奥様をうらんだりしないでくださいね」
「え……?」
どうしてライラが母上をかばうんだろう。不思議に思って顔をあげると、ライラは困ったように微笑んでいた。
「奥様は実際、かなり手心を加えてくださいましたよ」
「あれで!?」
「はい。奥様が本気なら、あたしの頭など潰れていたと思いますから」
「つぶれ……?」
「ライラ、言葉を選んで!」
ヘレンがたしなめるが、否定はしてくれなかった。
それまで黙っていたジョアンが、ぶつぶつ言い始めた。
「ライラもヘレンも甘いですよ。ライラに怪我を負わせたのは、奥様じゃなくて坊ちゃまじゃないですか。坊ちゃまが奥様のお言いつけを無視するから」
「ジョアン!」
「ホントのことじゃないですか。奥様のおっしゃっていることは正しいです。坊ちゃまを守れと言われても、肝心の坊ちゃまにフラフラされたんじゃ困ります。おとがめを受けるのはわたくしたちなんですよ。誘拐事件のせいでわたくしたちが減俸になったことだって、坊ちゃまはご存じないでしょう?」
耳を疑って三人を見ると、ライラは平気な顔で頷いたし、ヘレンはそっと目をそらした。ジョアンは、言ってやったぜとばかりに鼻を膨らませている。
本当なんだ。
「……教えてくれればよかったのに」
ヘレンはやんわりと首を振った。
「いいえ。誘拐のことは、あくまでもわたくしどもの不手際ですから」
そういうことに、なっちゃうわけだ。僕はぐっと唇を噛んだ。
謝罪の言葉を重ねるよりも、自覚しなきゃならない。
「……守られるための修業が必要だってことは、よくわかった。これからも、続ける」
わあ、と侍女たちが嬉しそうな声をあげた。僕にはそれが意外だった。
「みんなは嫌じゃないの?」
僕の疑問に、三者三様の反応が返ってきた。
ライラはいつになく興奮した様子で拳を握りしめた。
「奥様に修業をつけていただけるなんて、嬉しいです。強くなれそうです!」
ヘレンは両手で頬を押さえて、早口に言い切った。
「奥様の凛々しいお姿を間近でこの目に焼き付けられるなんて、素晴らしい機会に感謝しているくらいです」
ジョアンだけが平常モードだった。
「減俸を取り消してくださるそうですし」
「……そ、そっか。みんなにも利点があるなら、よかったよ」
僕はライラたちのためにも、修業に励んだ。そのうちナイフとか人とか飛んできても、笑顔を保てるようになってきた。
もうこのくらいでいいんじゃないかな。
一年の終わりが近づいてきていた。冬が過ぎ、春になればやがて王子はスクールに入学する。僕は静かにそのときを待った。