13 誘拐されちゃった
僕はなんとか人の姿に戻ろうと、リャニスに頭を擦り付けた。セルフナデナデを試みたのだ。
「兄上」
リャニスは静かにするように手振りでもとめて、僕をそっと抱き上げた。
「兄上にはご不便をおかけしますが、もうすこしだけその姿でいてください。それに……、気づいていますか? 兄上のおかげでほどけましたよ」
あ。たしかに。ふたりまとめて縛っていたのが敗因だね。ひとりずつなら、僕だけほどけたところで、なんにもできなかったのに。
「それにしても、この部屋はいったいなんなのでしょう」
リャニスにつられて、僕も見まわす。
家具は隅に追いやられ、窓もすべて塞いである。床の中央では魔方陣がほんのりと光を放っていた。そして魔方陣のそばに祭壇じみた黒い箱が設置されている。
「あれは、ギフトを貯める箱では? どうしてこんなところに」
リャニスが近づこうとするので、僕は唸り声をあげた。立ち止まってくれたので、つかの間ホッとする。
リャニスが知らないのは当然だ。これは、魔術の領域だから。
神々から授かるギフトと、悪魔の力とされる魔術。使っているのがどちらなのか、外側からは判断できない。それもそのはず、他人から奪ったギフトを魔術と呼ぶのだから。
これは、子供を殺してギフトを奪うための装置なんだ。僕は身を震わせた。
いま僕がポメってことは、リャニスが生贄に選ばれる可能性が高い。これは本当にポメ化してる場合じゃないぞ。
早く戻らないと。
毛がつくとか言ってられない。僕は必死でリャニスに頭を擦り付けた。
「兄上っ」
リャニスはこんなときだというのに、くすくす笑った。
「そんなふうにされると、撫でたくなってしまいます。でも、がまんです」
がまんですぅ!?
なんだよ、それ。頭なでたいのはこっちだよ!
短い足をリャニスの腕にぱしぱし叩きつけていると、リャニスはくるりと足の向きを変え、乱雑に積まれた家具のすきまに僕を隠した。
なにする気?
くぅんと鳴いた僕の口元を、リャニスは指でそっと塞ぐ。
「すこしのあいだ、そこでおとなしくしていてください。せっかくですから、兄上は逃げたということにして掻きまわしてやりましょう。捜索に人手を割いたなら、そこに隙も生まれます。それに、俺は奴らの目的が知りたい」
ダメだって! それじゃあリャニスが危ないよ。
全身で不満を訴えたが、通じたのかそうでないのか、リャニスはやはり僕に微笑むのだった。
「すぐに、クロフが迎えに来ます。ですから、それまでの辛抱です」
リャニスは縛られていた位置に戻って、そのときを待った。
やがて廊下の向こうから男の声が聞こえてくる。
「どうしてふたりとも連れてきたんだよ! 頼まれてたのはひとりだけだろ」
「ああ? 別にいいだろ、ほかの貴族に売りつければいいだけだ」
「けど、今日の仕事はいつもと違うんだぞ!」
彼らはしゃべりながら乱暴に扉を開けて、ぽつんと立つリャニスを見つける。
「なっ! どうやって縄を! もうひとりのガキはどうした」
男のうちの片方がさっと部屋を飛び出そうとしたのだが、女がそれを止めた。
「放っておきなさい。どうせ遠くへはいけません」
作戦失敗! いや、そもそも割けるほどの人手がないのかもしれないし。
部屋に入ってきたのは、男がふたり、侍女に化けた女がひとり。ほかにいるとしたら、見張りだろうか。
進み出てきたのは、女だ。どうやら彼女がこの場を仕切っている。
「逃げたのは兄のほうですか、困りましたね」
「やはり兄上が狙いか。目的はなんだ」
「さあ、詳しくは存じません。あるお方が、お望みだとか」
女のほうはあくまで余裕の態度を崩さない。この状況を楽しんでいるようにさえ見えた。
女はパッと手のひらに灯りを生みだした。
ギフト、いや、魔術だろうか。
「答えろ。おまえたちを雇ったのは誰だ」
リャニスは毅然とした態度で問うた。立派だけど、見ていてハラハラする。
「ああ、紋章家の子どもはやはり違いますね。泣き出したりしないのですね」
いや、僕はもう泣きそうだけど。
「ですが、浅はか」
女はとうとう笑い出した。
「毛玉が見えておりますよ!」
思わずだろう。リャニスがバッと僕のほうを見た。
光の玉が飛んできて、僕はキャンキャン吠えたてた。
あああ、つい。
そして一度吠えちゃうと、止まんないんだよね。
「兄上っ!」
駆け寄ってきたリャニスの背中に男たちの太い腕が迫る。危ないっ!
僕はパッと飛び降りて、男たちのまわりをぐるぐる駆け回った。
か、噛む。噛むぞっ。って思うけど、踏ん切りがつかない。
そのうちに、リャニスに回収された。
「無茶しないでくださいっ!」
いや、こっちの台詞だよね。
じりじりと男たちに詰めよられ、とうとうリャニスの背中が壁についた。
そのときだった。
チェーンソーみたいな音がして、僕らのいる位置と対角の壁に細く亀裂が入った。なにごとかと驚いたのは、僕だけではないはずだ。
呆気にとられて見ていると、四角く切りとられた壁が、クッキーの型抜きみたいにゴトンとズレ落ちた。
粉塵が巻き上がる一瞬前、蹴りを入れた姿勢で立っていた人物が、えっと、ライラに見えたんだけど……。
どさっと、室内に投げ込まれたのは誘拐犯の仲間かな。完全に意識を失っている。
そちらに気を取られるうちに、ぐえっと誰かのうめき声がする。
僕の目が、ようやくライラの姿をとらえた。彼女の放った蹴りが、きれいにきまり男がぶっ飛ぶところだった。
ライラはギフトを全身に纏わせて、わずかに発光していた。
古式ゆかしいドロワーズじゃなくて、白タイツなんだな、うちの制服。
一瞬そんなふうに現実逃避してしまったのは怖かったからだ。だって、あの人、死んだんじゃ……。首に入ってたよ、蹴りが。
「ノエムート様、リャニスラン様、遅くなって申し訳ありません」
いつのまにかクロフが、僕らのそばまできていた。
「いや、よく来てくれた」
リャニスはなんとか答えたけど、さすがに慣れ親しんだ従者を前にして気がゆるんでしまったようだった。膝から崩れ落ちそうになった。クロフが危なげなく支えてくれた。
とはいえライラの戦いはまだ終わっていなかった。
残るは侍女に扮した女だけで、奇しくも侍女同士のキャットファイトになっている。
ヒュンヒュンズドン、みたいな争いを繰り広げ、最終的に女が吹っ飛んだ。
いや、ライラ、強すぎない?
「坊ちゃま、ご無事ですか」
「わ、わふん?」
変な返事になってしまったけど、仕方ないと思う。ライラは発光するのをやめたけど、正直まだちょっと怖い。
こっちにくるのかなと思ったら、ハッと女が吹っ飛んだ方向に目をやった。
「誰か来ます」
次の瞬間、その場の空気が変わった。一気に重く苦しくなったような。
彼は暗闇から滲むように現れた。
真っ黒なマントに全身を包み、顔は怪しげな装飾の仮面で覆われている。いかにもな悪者だが、笑う気にはなれなかった。そいつが妙な迫力をもっていたからだ。
仮面の人物はマントからすっと腕をだし、白い手袋を見せつけるように手を翻した。
するとどこからともなく暗幕みたいな布が出現して、地面に倒れる侍女服の女と魔方陣、黒い箱を覆い隠した。再び彼の手が翻り、それらは布ごと手品みたいに消え失せる。
三度手が振られたところで、謎の人物も掻き消えた。
そのあいだ、誰も動けなかった。
◇
そのあと、どうやって家まで帰ったのか、正直あまりよく覚えていない。
リャニスの膝に乗っかったまま、馬車に揺られて気づいたら家だった。
父上と母上が駆け寄ってきて、真っ先に父上が泣き出した。
「ノエム、リャニス! よかった、帰ってきた!」
お怒りモードだった母上も、父に泣かれてむやみに叱りつけることができなくなったらしい。叱るのはあとにしますと呟いて、ふたりまとめて抱きしめた。
「ふたりともよく無事に戻りましたね」
「無事じゃ、ありません……」
とうとうリャニスが泣き出した。
「兄上が、元に戻らないのです……」
あれ? 本当だね。