12 お出かけ
ライラが母上に引きずられて、お見合いに行くのを見送ったあと、僕たちも出発だ。
今日は冷えるからとマフラーを巻き、ブーツを履いている。リャニスとおそろいみたいになっていた。
一緒に馬車に乗るのはヘレン。御者席にはいつも通りクロフだ。
ヘレンはおっとりと微笑みながら、僕たち兄弟を見まもっている。
彼女も侍女としてはちょっと変わってる。なんせうちの母上みたいな人が理想らしいから。ヘレンが母上に頬を染めるのを見て、周囲の男たちが涙をのんでる姿をよく見かける。
まあなんにせよ、長く勤めてもらえるなら僕としてはありがたい。
「そろそろどこに行くのか教えてくれてもいいんじゃない? もちろん、リャニスと一緒ならどこだって楽しめる自信はあるけどね!」
「……また、すぐに兄上はそういうことを」
調子よすぎたかな。リャニスが口をとがらせた。
「怒らないでよ。それで? どこなの?」
「別に怒ってません。これから行くところは、聖モリス・モーラスの泉です」
聖人が指した場所に泉が湧いたとかいう伝説のアレか。癒しの力があるとかないとか。
「実は先日、兄上のポメ化に効果のありそうなことをいくつか、イレオス様に伺ったのです」
「イレオス様に?」
「はい。泉の水、薬草、知識がのっていそうな本などです。あとは、聖女の癒しの力が有効かもしれないと」
「せ、聖女!?」
「ええ。ですが、聖女はここ二十年ほど空位ですから。どの国に出現するかもわかりませんし。あまりあてにはできませんね」
聖女の紋章をもつものは、ピエルテン、チャウィット、ザロンのどこかに出現する。一代限りの紋章だ。その力はどこの国にも属さない。
というのは建前で、大抵どこかのお偉いさんと結婚する。望んだ結婚とは限らないけど、すくなくともキアノ王子と聖女は恋愛結婚だった。
聖女か、あと二年もたたずに会えるよ。聖女の出現は、僕の死亡フラグなんだけどね。
「どこまで効果があるかはわかりませんが、できることは、ひととおり試してみたいと思います。それに……。モーラスの泉のそばには、兄上が興味をお持ちのものがあるそうですよ」
「僕が興味を? はっ、まさか、馬糞変換装置!?」
リャニスはあきれ半分にうなずいた。
「だけど、母上を説得するのは骨が折れたんじゃない?」
「そうでもありませんよ。母上には行動目的と滞在時間、誰をともなう予定なのか説明していますし、日程表もお渡ししていますから」
「な、なるほど?」
スケジュール管理能力を試されていたと。「馬糞変換装置を見に行きたいです」ってだけでは許可が降りないわけである。
僕とリャニス、おなじ教育を受けているはずなのに、こういうところで差が出るよな。
自分の不出来を再確認したところで、どうやら目的地に着いたようである。
クロフが馬車を停めると、平民の子が駆けよってきて値段交渉をはじめた。彼らは馬車の番をして小銭を稼ぐのだ。どうやら交渉成立だ。
馬車を預けて、四人で歩く。散策路の先にあったのは、うむ。噴水だね。モーラスらしき聖人像もあって、神聖な感じはゼロ。
すっかり観光地と化している。
僕らが泉に近づくと、人々がさりげなく距離をあけた。
一応ね、「聖人のまえではみな、等しく平等」って原則があるんだけど、見るからに高位の貴族だからね、僕らは。
「早めにすませようか」
「はい、兄上」
ヘレンが泉の水を瓶に詰めるあいだ、リャニスはなにやら願いごとをしていた。
僕は、うーむ。家族の健康でも祈っておくか。
そのあとリャニスは薬屋や本屋をめぐった。ほんとうに全部、ポメ化の研究のためだというから驚きだ。しかも、母上から予算を得ているという。しっかりしている。
買ったものは、あとで屋敷に届けてもらう手筈である。
さて、残るは待ちに待ったメインイベントだ。
馬糞変換装置は、路地裏にひっそりとあった。
冷蔵庫を横に置いたくらいの大きさで、青いタイルで彩られている。僕らから見て左上に漏斗状のものが刺さっていて、そこに馬糞を入れるらしい。
かなり遠巻きではあったけど、タイミングよくスコップで馬糞を運んできた人がいて、左下の管から、コロンコロンと岩石状の物質が転がり出てくる瞬間を見ることができた。
「暖炉に使う燃料は、あのようにしてできるのですね」
「興味深いよね」
うむ、リャニスは微妙な顔をしているね。素直になっちゃいなよ。好きだろ、こういうの。
「ノエムート様、そろそろよろしいでしょうか」
「うん。満足した」
クロフにうながされ歩きかけたところで、僕はふと壁のらくがきに気を取られた。
馬のフンと書いてある。
それが、妙に気になった。三秒ほど見つめて違和感の正体に気がついた。
これ、日本語だ。
だけど、誰がこんならくがきを。
僕とレアサーラの以外にも、転生者がいたっておかしくはないとおもう。
しかし、登場人物は基本的に育ちのいい貴族ばかりなのだ。
いちおう聖女が平民出身だけど、聖女が馬のフンなんて書くだろうか。さすがに僕でも書かないぞ。だったらいったい、誰が。
「兄上」
「え?」
リャニスが社交のときみたいな笑みを浮かべて、僕に手を差し伸べた。反射的に手を重ねれば、弟によるエスコートが完成だ。
じゃっかん恥ずかしいのだが、断れる雰囲気でもなかった。
ゆっくりと歩き出したリャニスは、僕にだけ聞こえるように囁いた。
「……俺が見ている限り、逃げだすことなどできませんよ、兄上」
そんで手に力がきゅっとこもる。
「いや、あの、そんなつもりは……。ごめんなさい」
僕がぼんやりしたせいで、リャニスがヤンデレみたいになっちゃったよ。反省しよ。
◇
夕方になるとライラも帰ってきて、気の緩む瞬間があったのだと思う。
ふと気がつくと僕はひとりになっていた。
「なるほど」
僕はつぶやいて、そろりと部屋を抜け出した。テラスから庭園に降りても、奇妙なほど誰にも会わない。これがフラグってやつか。
「坊ちゃま」
見覚えのない侍女に声をかけられて、僕は眉を寄せた。
僕が攫われるのはストーリー上しかたないとして、我が家に侵入者というのはいただけない。
「どこから入ってきた」
悪役令息としての威厳をこめて、僕はキリリと問い詰めた。でも三秒ももたなかった。
「驚かないのですね、坊ちゃま」
相手が一歩前に出てきたので、思わず僕はあとずさりした。
いや、だって僕、無策じゃない?
うまく攫われるぞってことばかり考えて、うまく帰ってくるぞを考えていなかった。
「だっ、誰か!」
「兄上っ!!」
呼びかけに答えたのは、よりによってリャニスだった。僕めがけて一目散にかけてくる。
「わーっ! リャニスは来ちゃダメだって! おとな、おとなを――」
呼んできてと叫ぶ前に口をふさがれてしまう。
「あまり騒がれては困りますね」
ちっとも困ってなさそうだった。こいつ、僕をあざ笑ってる。
「兄上を放せっ!」
リャニスが腕を振りかざした。だが、女が僕を盾にしたせいで、リャニスはひるんだ。
その隙をついて、横から太い腕がにゅっと伸びてきてリャニスを捕らえた。
もうひとりいたんだ!
「待って! 攫うなら僕だけでいいだろ! 弟は置いていけ!」
僕の声は当然のように無視される。ガタゴト揺れる馬車に乗せられ、こうして僕らは攫われてしまった。
たどり着いたのは街はずれの廃屋だ。
部屋のなかは真っ暗で、むき出しの床材の上に転がされ、痛みと恐怖で体が冷えた。
腕の太い男が、僕とリャニスを背中合わせにしてまとめて縛る。そのため背中側だけが暖かくて、いつもなら安心するぬくもりが、僕をなにより恐れさせた。
巻き込んだ。リャニスを巻き込んでしまった。
それだけは、絶対に避けたかったのに。
「そこで待っていなさい」
女は冷たく言い放ち、男とともに鍵をかけて出ていった。
「リャニス、ごめん。リャニスまで」
「いいえ、兄上。これでよかったのです。言ったでしょう? 兄上をひとりにするよりずっといいって。必ず、お守りします」
……弟がイケメンだよ。
それなのに僕ときたら、くぅうんと情けない声で鳴くばかりだ。
こんなときだってのに、僕はポメ化してしまったのだ。