9 洗練された人
その日、王子にまねかれて、僕とリャニスは王宮内の図書室にいた。
呼ばれたのは僕だけだったのだけど、リャニスにもついてきてもらった。
僕はむずかしい本が、少々苦手だからね。
「では、貴重な本をわざわざ取りよせてくださったのですか?」
「そうだ。だが、君のポメ化を治す手立てはいまだ解明されていない。それでも、見つかった分だけでも見せたいと思って」
「感謝いたします、殿下」
リャニスが目をきらめかせた。なんなら僕より喜んでる。
王子の従者が手袋をはめて、該当のページを開いてくれるようだ。触っちゃだめなヤツだ。僕らはしつけの行き届いた貴族の子供なので、べたべた触ったりはしないけどね。
「本当にありがとうございます、キアノ。ですが、ポメ化のことはどうかこれ以上お気になさらず。案外、時がたてば自然と治ってしまうかもしれませんよ?」
「ああ、そうだな」
王子は浮かない顔でうなずいた。
「……だが、このままでは、君の立場が」
「え?」
「いや、なんでもない」
王子は笑ってごまかしたけれど、立場というと婚約者としてだよね。もう婚約破棄フラグが立っているのかな。傷は浅いほうがいいもんね。
「殿下、兄上」
本をのぞきこんでいたはずのリャニスは、困りきっていた。
「どうしたの」
僕はあわてて彼に近よった。リャニスのこんな顔、見たことがない。
「これはザロンの古代文字のようです。俺には、読めません」
隣国の古代文字と聞いて、僕も本をのぞきこむ。
「こんなん僕も読めないよ」
「実は、私も読めない」
えー。
顔に出ていたらしい。王子が僕の鼻をつまんだ。
「心配しなくても、読めるものを呼んである」
折よく、王子の従者が来訪を告げた。
入室してきた青年をひとめ見て、僕の好奇心が爆発しそうだった。誰、誰なの!?
王子が薔薇を背負ったスチルなら、彼は神作画のアニメで、登場シーンに専用のBGMがついてそう。銀髪をさらりとなびかせ、王子の前に立つと彼はきれいなお辞儀をした。歩き方、立ち姿、顔をあげたときに見えた宝石のような青い瞳。
なんだこのイケメン。
「ノエムたちははじめて会うのだったな。彼は嵐の紋章家、イレオスだ」
嵐の紋章家!? モブじゃん。
ははん、読めたぞ。さてはモブに転生しちゃった系の主人公だな。いつのまにか攻略対象たちに囲まれている奴だ!
リャニス、そっちへ行ってしまうんだね。
いいや、どんな恋路だろうと兄としては応援しなくては。
「兄上?」
「え?」
あ、あいさつだね!
僕はあわてて、祈りのポーズをとった。
「お初にお目にかかります。妖精の紋章家、ノエムート・ル・トルシカ、並びに――」
「リャニスラン・ル・トルシカでございます」
リャニスの名のりが終わると、僕らは声をそろえた。
「この出会いに神々からのギフトがありますように」
「イレオス・リ・トラムゼンです。どうぞ、イレオスと。この出会いに、神々からのギフトがありますように」
耳に残る低音ボイス。えー、声までカッコいいとか。僕のほうは上擦ってしまった。
「こ、こちらこそ、ノエムートとお呼びください、イレオス様」
彼に圧倒されて、うまく笑顔を作れなかった。恥じ入ってうつむけば、ますます変に思われちゃうのに。
「ノエム?」
しまった、うまくできないから、王子にまで恥をかかせちゃうよ。
なんとか顔をあげると、イレオスは僕を心配するようにのぞきこんでいた。
整いすぎて冷たく見えちゃいそうな顔に、憂いをのせたらどうなるか。色気だよ!
ダメだこれ。負けてる。なにが美貌の悪役令息だ。僕、全然できてない。
ものすごい敗北感だった、王子がそっと僕の肩を叩いたので、すこし落ち着いた。
「す、すみません。少々緊張してしまって。もう大丈夫です」
「それでは、本題に入ろうか。イレオス、リャニスに読み方を教えてやってくれないか」
「はい、殿下」
た、助かった……。王子にお礼をこめて微笑みかけてから、僕もリャニスの横からのぞきこむ。
「ポメ化についてお知りになりたいということでしたね」
え!? ポメ化って言葉広まっちゃってるの?
僕はギョッとしたけれど、いまは動揺している場合じゃない。ちゃんと聞いておかないと。
「意訳ですが、『獣に変身してしまったものは、愛によって元の姿にもどる。彼の悲しみを癒せるものは、彼を愛する者のみなのだから』とあります」
「特にポメの記述はないんですね」
「はい。ポメと書かれている書物はこちらの、チャウィットのものになります。世界の奇病について書かれたものです」
そちらは古語ではなかったので、僕にも読めた。
「昔、ことあるごとに子犬に変じてしまうものがいた。彼は自分の状態をポメであると告げた」
「兄上と同じですね……」
「うん」
「そうですか、ノエムート様も、同じなのですね」
考えこむように黙ったイレオスが、ぽつりとつぶやいた。
「そのお姿、この目で一度、見てみたいものですね」
僕は目をひんむいてイレオスを見あげた。この洗練された人のまえで?
「イレオス、なにを言う」
王子がたしなめてくれたけど、僕はオロオロと視線をさ迷わせた。
「あの、僕、狙ってできるわけではなくて」
「ああ、申し訳ございません。困らせてしまいましたね、ノエムート様。どうか、お気になさらずに」
謝ってもらうと、かえって申し訳ない気持ちが湧いてくる。
そもそも僕は自在にポメになることなどできないのだし、悩む必要はないはずだ。だけどこの人に、これ以上幻滅されたくない。
いや、ポメになっちゃうほうがやっぱり恥ずかしいかな。よくわからなくなってきた。
「ノエム」
ふらついたわけではないのだが、王子が僕の肩をぐいと抱きよせた。
「ノエム、具合でも悪いのか?」
「い、いえ。平気です。ご心配をおかけして申し訳ありません」
疑うように王子は僕をのぞきこむ。
「ノエムを休ませる。おまえたちは好きにしていろ」
「え!?」
反論する間もなく、王子は僕の手をひっぱった。そのまま図書室のそばの小部屋に向かった。
図書室は飲食禁止なので、休むところが別にあるのだ。従者がお茶をいれるのをまって、王子は人払いをした。
「すまない。ノエム。イレオスがまさかあのようなことを言いだすなんて」
「ああいえ、良いのです。書物に書かれた事象が、目のまえにあれば好奇心に駆られるのは当然のことではないですか。ましてあれほど博識な方でしたら」
「博識?」
「我が国の古語ならともかく、ザロンの古語に精通しているとなると、そうはおられないのでは? あの分だとチャウィットの古語まで読めても不思議ではありませんね」
あの人、ハイスペックのにおいがするもんね。
「イレオス様は、言語学の研究でもなさっているのですか?」
「いや、紋章家とギフトの関係性についてだったと思う」
「ああ、そうなのですね」
我が国に紋章七家があるように、ザロンとチャウィットにも特有の紋章家があるのだ。
「ずいぶんと、イレオスのことを気にするのだな。……ノエムは、ああいうのが好みなのか」
僕は一瞬、頭がまっしろになった。え、いま恋バナ振られてる? 婚約者に男の好みを聞かれるとかふつうにピンチでは!?
「なんでですか! そんなわけないでしょう!」
なんでみんな、僕が男を好きになるって思ってるのかな!
「だが、顔を真っ赤にしていたじゃないか。それに君が、あんなに動揺するのは、はじめて見る」
「いえ、あの、違います。そうではなくて。お手本みたいなマナーを見て、自分の不出来が恥ずかしくなったのです」
「君が、不出来だって?」
「ええ。イレオス様はどのようにしてあのような完璧な所作を身につけられたのでしょう。年だって、そう変わらないのに」
「イレオスは十七歳だぞ。七歳も差があるじゃないか」
はっ! しまった。ついうっかり高校生目線で見てた。
「そ、そうですね! 言葉を間違えました。その、まだお若いのにと言いたかったのです」
「ふうん」
ヤバい。なんか疑ってるね。顔つきが険しい。これはもうぶっちゃけるしかないかな。
「正直に申し上げます。僕は、殿下のまえだというのに、最近とても気を抜いていました。ポメ化してこれ以上恥ずかしいことなどもうないだろうと、その……、キアノのやさしさに甘えていました。ですが、もっとちゃんとしなくては」
「以前のようにするというのか? それはダメだ」
「ダメですか?」
意外なことに、王子はなんだかあせっているように見える。以前のようにと言っても、まえほど緊張はしないだろうから、作り笑いくらいはできると思うけど。
「私のまえで、気を張る必要はない。君は少々ゆるんでいるほうが、かわいいからな」
「かっ!」
かわいい言われてしまった。僕はたまらず目をそらした。
「ですが……、僕は王子の婚約者なのに、できないのはまずいじゃないですか」
そんで悪役令息なのに。
「……そうか、ノエム。自覚があるなら、いいんだ」
ん? 王子の声が震えてる。笑っているのか泣いているのか、表情をたしかめるまえに、僕は王子にギュッと抱きしめられていた。
「わわふ!?」
「ふっ、なんだそれは。君はいまポメじゃないんだぞ。なでてほしいのか」
王子がキラキラした顔で笑った。
そうだ、王子にはこの笑顔がある。周りの人まで幸せにしちゃうような、この華やかなスマイル。
「それに君は、やろうと思えばできるだろう? 私はそれを知っている。必要なときに、しっかりしてくれればいい。だからいいんだ。ノエムはそのままで」
うわっ、まぶしい。
さっき、王子はスチルと決めつけたけど撤回する。王子にも、専用BGMつけてあげて!
「そのままでも、君は私の婚約者だ。これからも、ずっと!」
いや、ずっとじゃない。
王子はとてもうれしそうだった。だからなのか、胸のあたりがチクチクした。
心変わりするのは王子のほうなんだから、僕が罪悪感を覚える必要なんてないんだけどね。
王子と一緒に図書室にもどると、僕は衝撃の光景を目にすることになった。
リャニスとイレオスがなにやら盛りあがっている。
僕のまえでだって、リャニスはあまり笑わない。それを、ああもたやすく引きだすとは。
おそるべし、イレオス!
弟を取られた気分で、僕は少々凹んで帰ったのだった。