35 弟と王子に挟まれる
「邪魔しないで!」
僕は二人の手を振り払い、倒れこむイレオスのそばに膝をついた。
今すぐシャツを脱がせたいけれど、手が震えてボタンをうまくつかめない。気を抜くとポメ化してしまいそうだった。
「ボタン、外せばいいの?」
そう申し出てくれたのはサンサールだ。
彼は手早くイレオスの胸元をくつろげたものの、紫に変色した肌と、そこにめり込む異質な石を見て、たじろいだ。
僕は反対に、今すぐ取り出さなきゃと指を伸ばした。
イレオスは腕を支えに半身を起こし、胸元をかばった。呼吸がかなり乱れている。
ずっとこんな体で戦っていたのか……。
「イレオス様、動いてはダメです。このままでは死んでしまいます」
ギフトはその人だけのもの。
他人の体で無理やり使おうとしてもダメなんだ。この力はイレオス自身をむしばんでしまう。
だからこの子は、ずっと泣いている。
自分の代わりに生きて欲しいとか、生きることで償えとかそういう怒りは一切なくて、ただひたむきにイレオスを案じている。
だからこそ、余計痛ましい。
それなのに、イレオスにはその気持ちが届いていない。
彼はハッと息だけで笑い、顔をそむけた。
「本望です」
自暴自棄になってやがる。僕はなんだか彼の態度に、むかーっときた。
そもそも僕は、悪役令息なんだぞ。
必ずあなたを救いますとか、そういうのは似合わない。そういうのは聖女の役割なの!
だいたい、イレオス様の過去は重すぎる。ポメラニアンの肩には乗り切らないよ!
考えてみたら僕、イレオスに肩入れする理由がないんだよな。リャニスのことも利用してたわけだし。リャニスも彼を利用してたっぽいってのは、この際置いておくとしても。
「ああ、そうですか! じゃあイレオス様は知らなくていいんですね。あの子があなたに残したもの」
「なんの……、話を」
イレオスは最初こちらを見ぬまま顔をあげた。それからゆっくりと探るような目つきで僕を窺った。
信じられないのも、無理はないと思うけど。
僕は目を細め、あえて冷たい目つきでイレオスを見下ろした。
「さっきクリスティラ様を通して神々が僕に見せてくれました。あなた、無理やり魔術師にされたんでしょう? 大好きだった友人を両親に殺され、自分も死ぬような目にあったのに、それでも彼らの言うことに逆らえなかった。本当に哀れですね。そりゃあ、死にたくもなるでしょう」
とっておきの悪役令息スマイルを浮かべ、思い切り煽ってやる。
「けど、なぜ、今までそうしなかったんです?」
無邪気を装い、首を傾げる。僕の脳裏には、先ほどクリスティラに見せられた光景があった。
無理やり石を埋め込まれて、長らく寝込んでいたイレオス。彼が起き上がれるようになって初めに向かったのは、あの子の家だった。
廃屋で、イレオスは木箱を発見する。中には小物入れと、茶色く変色した木の葉が入っていた。よく見ると葉の裏に爪でひっかいたように文字が書かれている。
「『ウマノフン』『デスゲーム』『トンマダゼ』『オオシゴト』『メイジムラ』」
僕はそこに書かれていた日本語を読み上げた。
「宝物を入れた小箱は、特定の言葉を入れると開くようになっていた。そうでしょう?」
きっと一緒に楽しむつもりだったんだ。他愛ないゲームだった。
だけどイレオスには答えがわからなかった。
だから馬糞変換装置に言葉を刻んで、日本語が読める人間を探した。
「謎ならすでに解けています。簡単でしたよ? まあ、どうせ平民が用意した宝物などしれていますがね」
イレオスの目に浮かんだのは、怒り。
ほら、未練がある。
だったらまだ、生きててもらわないとね。
「隙あり!」
僕はイレオスの胸に飛びつき、石をぐいっと引っ張った。
もともと脆くなっていたのだろう。拍子抜けするほどあっさり取れた。
それをサンサールに手渡す。
「へい、パス!」
「え!?」
「祈って! 神様にお返ししますとでも」
「え? か、神様にお返しします?」
疑問形だったし、僕もかなり適当に言ったんだけど、さすがは聖女の祈り。
淡い光とともに石はボロボロに崩れ、空に向けてふわふわと登っていった。
「え? なになになに!?」
イレオスは呆然とその光の行く先を見つめている。
キョロキョロしているのはサンサールくらいで、他の人々は何も言えずその光景を見守った。
イレオスは光を追いかけるように空に手を差し伸べたが、届く前に消えてしまった。
そして彼自身、糸が切れたように崩れ落ちた。
僕もなんだか気が抜けた。息を吐きながらその場にへたり込む。
「ノエム……?」
おそるおそるといった風情で、王子とリャニスが僕の両隣に来た。
「もういいか?」
キアノが尋ねる。
何のこと?
リャニスの様子もなんか変。何かを待っているみたいだ。あ、もしかして僕が邪魔すんなって言ったから?
二人とも律儀だな。おかしいや。
「いまの結構、悪役っぽかったでしょう?」
笑いかけてみたものの、僕もそろそろ限界だ。
ポメってひっくり返り、最後の力を振り絞って「あとよろ」とだけ伝えた。
◆
ポメ化を耐えた反動で、僕はしばらく寝込んだ。
そして寝込んでいるうちにいろいろ片付いていた。
ようやく起きられるようになったので応接スペースに顔を出すと、リャニスとともに、当たり前の顔でキアノが待っていた。
……ところで、なんで二人は隣り合って座っているんだろう。微妙に真ん中空けているけど、まさか僕の席ってわけじゃないよね。
そっと対面に座ってみたのだが、これはこれで嫌だな。お説教が始まっちゃいそうな雰囲気だ。
身勝手な心配をしていたら、二人に体調を案じられてしまった。
すみません、もう大丈夫とやり取りした後、ようやく本題だ。
「イレオスのことだが、平民として暮らすことになった」
まあ、それは当然だろう。ギフトを持たないものは貴族ではいられない。
それだけではなく、イレオスの罪状はそりゃもうたくさんあったそうだ。
僕を二回も誘拐しているし、装置からギフトも盗んだ。
スクールの生徒を唆したり、先生を誑かして閲覧制限のある資料を盗み見たり、なんだか本当にそれイレオスの仕業なのってモノまで出るわ出るわ。という感じだったのだとか。
「だが、幸か不幸かすべて黒衣としての仕事だったため、有耶無耶にされてしまった」
「え!? 使い捨てられなかったんですか?」
「そのほうが良かったか?」
僕は慌てて首を振って否定した。
「一応は神のための活動だから、ということになったんだ……」
キアノは複雑な顔をしていた。憎み切れないんだろうな、僕と違って仲良しだったもんね。
リャニスだってそう。あの人に師事して、すごく懐いていたんだから。
僕は立ち上がって、二人の頭を抱えるように抱きしめた。
「イレオス様は大丈夫だよ」
そうしたら二人は同時に「いや、君が!」とか「兄上が!」などと言いかけて口を閉ざした。
「僕だって別に、あの人に重たい罪を背負ってほしいとか思わないよ」
本心からそう言って、彼らの頭を撫でる。
しばらくそうしていたのだが、居心地悪そうにリャニスが咳払いしたのをしおにそっと手を放す。
「兄上、俺からはこれを」
リャニスが差し出したものを、僕は黙って受け取った。古びた小箱を僕はそっと胸に抱いた。これは、確かに僕が届けたほうがいいだろう。
イレオスは現在トルシカ家の預かりとなっている。罪状が正式に下されるまでの特別措置ってヤツだ。彼が重傷だったこともある。
それにそのまま野に放つには、彼の顔面は強すぎる。
彼を巡って闇オークションとか始まっちゃいそうだもんね。
客間を訪ねたところ、イレオスは椅子に座り窓の外をぼんやり眺めていた。
「もう起きてていいんですか?」
一応声は掛けたものの、彼はすっかり腑抜けていて何の反応も示さない。
だけど、僕が持ち込んだ小箱には興味を示した。
「ちゃんとお返ししますよ。合言葉もお教えします。それとも日本語を教えましょうか? ……ってあれ? そういえば、僕が反逆者とかういう話はどうなりましたか?」
客間には当然キアノとリャニスもついてきたので、振り返って聞いてみる。
日本語を扱う者は反逆者とか言われてたよな。でも僕は、みんなの前で堂々と日本語をしゃべっちゃったんだけど……。
「あれだけ神々を楽しませたんだ。君に対して文句を言える奴なんていない」
キアノは請け負うが、僕としては首を傾げたくなる。
「楽しんでいただけたんでしょうかね?」
最後の方はもう、グダグダじゃなかった?
「楽しんだに決まっている」
「そうです。おそらく、神への願い事も受理されることでしょう」
「願い事?」
あ、最後に僕と手をつないでいたのって、この二人だっけ。確かそれが勝利条件だった。
「二人はいったいどんな願い事を?」
「秘密です」
「まあ、いずれわかる」
リャニスは満足そうで、キアノは不服そう。謎だね。
沈黙が落ちた瞬間、かすれた声が耳に届いた。
「……ください」
何て言ったのか聞き返そうと彼を見ると、今度は目が合った。
「ニホンゴを教えてください」
思いのほかしっかりとしたまなざしだった。
僕は自然と笑みをこぼしていた。
ほらね、大丈夫だ。
だいたいさ、この人がモブのまま退場するはずがないんだ。
ここは道化の国だ。悲劇のままでは終わらない。
それから僕は時間の許す限り、彼にカタカナの読み方や、身の回りの物の名前など教えた。
リャニスがそれに参加するのはまあわかるとして、一体どうやって時間を捻出しているのか、レッスンの時間になると必ず王子もやってきた。
そして『ウマノフン』が馬糞であると知り、ダメージを受けるなどの一幕もあった。
それにしても、賢い人たちに教えると、僕の先生ごっこもすぐ終わっちゃうね。
イレオスは自力で謎の答えにたどり着いた。
オオシゴト
メイジムラ
デスゲーム
トンマダゼ
ウマノフン
縦読みしたとき語頭に現れる『オメデトウ』はイレオスに向けた言葉。謎が解けたことに対する祝福だ。
そして語尾の『トラムゼン』こそが、小箱を開ける合言葉だった。
小箱の中には木彫りの勾玉が入っていた。あの子の手作りなのかな。
「これは勾玉――お守りです」
そう伝えると、イレオスはおもむろに胸元を開き、いびつに窪んだそこに、勾玉をはめ込んだ。
「すごい、ピッタリ……」
さらに覗き込もうとしたら、両側からさっと手が伸びて視界を遮られる。
わかってるよ。他人の肌を見るのはマナー違反だもんね。
やがて、イレオスがわが家を去る日がやってきた。彼は深々と頭を下げた。
顔を上げた彼は、いろいろと吹っ切れたような、穏やかなまなざしをしていた。
それから間もなく、僕は三年生になった。
クラスメイト達と再会したときは、こっそり涙ぐんでしまった。
みんなとまた会えてよかった。
そして迎えた誕生日。
僕は少しばかり緊張していた。
死亡フラグは回避できたと思うけど、やっぱりまだ不安が残る。今日という日を無難に過ごすぞ!
決意とともに寝室の扉を開けた途端、鼻先に何かがバサッと突きつけられた。
驚いて後ずさりそうになるが、よく見ると白バラの花束だった。
「ノエム! 結婚してくれ!」
なんだ、ただのキアノか。もう僕はこれくらいでは驚かない。
「結婚の約束をした覚えはありませんよ?」
僕が先延ばしにしたのはあくまでも婚約のはずだ。余裕でかわせちゃうね。
「そうですよ、殿下。先走りすぎです。兄上は俺と婚約するんですから」
うっかり頷きそうになったけど、今なんか変な言葉が聞こえたような。
「……リャニス?」
聞き間違いかなと首を傾げて微笑むと、リャニスは「ああ! 俺としたことがうっかりしていました!」などとわざとらしく驚いてみせた。
なにその技。どこで覚えてきたんだ。
しっかりもののリャニスがうっかりするなんて思えないんだけど。驚きを通り越して警戒がにじみ出る。
「兄上にお伝えするのを忘れていました。実は俺、ザロンでエシャーサ兄上とお会いしたんです」
「エシャーサ兄上?」
「はい。兄上はお子を連れておいででした」
僕はあんぐりと口を開け、一拍遅れて口元を手で覆った。
エシャーサ兄上が生きてただけでも驚きなのに、その上いま子供っていった?
それってつまり、リャニスの立場が危ないってことじゃないか。
さっと血の気の引く思いがした。
リャニスは優しくて真面目だから、正統な後継者が出てきた以上自分は身を引くべきとか考えてそう。
がしッとリャニスの両腕をつかんだところで、後ろから王子に引っ張られた。
「落ち着けノエム。騙されるな」
「これが落ち着いてられますか! キアノは少し黙っててください」
「なっ!」
キアノが落ち込んでしまったが今は緊急事態だ。
あれ、視界の端でリャニスが笑ったような……? 王子の凹んだ顔がよほど面白かったのかな。好奇心でそわっとするが、僕の気がそれる手前でリャニスが口を開いた。
「俺の立場は正直微妙なものになります」
「やっぱり!」
「ですが、兄上結婚することで後々の後継者争いなども防げますし、兄上が王家に嫁ぐよりは心痛も少ないと、父上と母上も納得しておいでなんですよ」
「リャニスと結婚!?」
両親も何を納得しているんだ。
それって、僕のおもりをリャニスに押し付けて、将来の選択肢を奪っちゃうってことじゃないか。
「ちょっと待ってよ! それじゃあリャニスの気持はどうなるの!」
「俺は嬉しいです。神々の許しもいただきましたし、あとは兄上のお気持ち次第です。俺が婚約者では不満ですか?」
「リャニスは弟なんだよ!」
ハハッと声を立てて笑ったのは黙っていられなくなったらしいキアノだ。
「そうだよな、ノエム。リャニスランは弟だ。弟として君の将来が心配なんだろう。弟に変な気を回させるなんてよくないぞ。私の手を取って早く安心させてやるといい」
キアノは、弟、のところをやけに強調した。だけどそうだ。王子の言うことには一理ある。
「ノエム、私は充分待ったと思うんだ。どれだけ振り回されようとも、諦められないのは君が好きだからだ。君と過ごす時間が好きなんだ。大切にする。だから私を伴侶に選んでほしい」
「ひえっ!」
油断していたところに、甘くてスパイシーをたっぷり浴びてしまい、足元がふらついた。
リャニスがさらっと僕の腰に手を添え支えた。
「兄上、いいえ――ノエムート。ようやくこうして呼びかけることができます」
「のえっ!?」
やけに距離が近いし、急な名前呼びに動揺してしまった。
一瞬、知らない男の人みたいに見えた。
キアノが「誰の許可を得て――」と言いかけるのを、リャニスは強めに遮った。
え、いつ……? と思ったけどそういや好きに呼んでいいって言った覚えがあるね。そのときはリャニスに断られたんだけど……。
「それとも、俺に名前を呼ばれるのはお嫌ですか?」
そこで眉を八の字にするのはずるいよ。
断れるわけないじゃないか。
「そんなことはないよ! もちろん好きに呼んでいい。ただ、兄上呼びも好きだから困るなあ」
ついでに本音もポロッと漏れた。リャニスは柔らかく笑う。
「俺も兄上とお呼びするほうが慣れていますから、時々にしておきます。ね? ノエムート?」
僕は思わず唾を吞んだ。
リャニスの雰囲気がいつもと違うせいかすっごく照れくさい。
なんなんだ、その大人っぽい顔つきは。
「調子に乗るなよリャニスラン」
腕組みして怒りを露わにするキアノのほうが、子供っぽく見えるくらいだ。
「どちらにせよ選ぶのは兄上です。いくら神々のお許しがあるとはいえ、俺たちはまだ婚約者でしかありませんから」
僕はオロオロと二人を見比べた。
そのことば、さっきも聞いた気がする。
「神々の許しとは?」
それに、俺たちって、なに。
「神々が願いを聞き入れてくださったため、君と私は正式に婚約者となった」
「そして俺も、兄上の正式な婚約者に選ばれました」
次々疑問が出てくるね!
「候補ならともかく、婚約者が二人ってことはないでしょう?」
「前例がありますから」
「あるんだ!? いやでも……」
だからと言って僕が受け入れられるかは別だ。
「これ以上増えないということでもありますよ。俺が兄上の盾になります」
「そこは私たちが、だろう」
二人が揉め始めた隙に、僕は脳内を整理しようと試みた。こんやく、おとうと、ふたりいっぺん……。
いや、無理! 頭がくらくらしてきたよ。
「ノエム」
「兄上」
まるで今すぐどちらの手を取るか決めろというように、二人は同時に手を差し伸べた。
「う、うああああああ!」
ポメ化した僕は、二人の間をすり抜けてパーッと駆け出した。
これ一体、誰に助けを求めたらいいんだよ!
おしまい
ここまで読んでくださってありがとうございます。
一応ここで一区切りとなります。
完結設定にはしないつもりです。
まだ名前しか出てきてない人とかもおりますし、新章を書きたい欲もあるので!
新章は三年生の日常編か、あるいは成人の儀編になるかと思います。
まだ真っ白です。
気長にお待ちいただければ幸いです。
あ、でも評価がまだの方は、新章を待たずに今すぐどうぞ。忘れる前にぜひ。