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4 約束の待ち伏せ

 始発のバスを乗り継いで目的地が視界に入る頃、町はようやく朝の色に包まれる。


 下りたバス停の横にある古い花屋の店主が、(ほうき)の手を休めて「おはようございます」と声を掛けてきた。

 開店時間前だが、最初の年にまだ下りたままのシャッターを覗いたら、次の年から店主が朝支度を済ませて待っていてくれるようになった。


 白髪混じりの彼は、おっとりとした雰囲気で物腰も柔らかい。

 下がった目尻を更に下げて微笑み、「こちらでよろしいですか?」と台に用意してあった花束を京子に差し出した。白い花が良いと言って、最初の年に見立ててもらったカサブランカだ。

 これもまた京子の来店を待って準備されている。


 キンとした空気に広がる甘い香を()ぎながらゆっくりと坂を上ると、道路沿いのベンチに見慣れた顔を見つけて、京子は眉をひそめた。

 ストレートのロングヘアを横にまとめた彼女は、ボリュームのあるマフラーに(うず)めた顔をにっこりと緩める。


朱羽(あげは)? 何でアンタがここに居るの? いつから?」

「ちょっと前よ。タクシーで来たの。それより誕生日おめでと」


 矢代(やしろ)朱羽は青い花束を手に立ち上がり、京子にリボンのついた小さな包みを渡した。上に貼られた金色のシールに、小さく『Happy birthday』の文字が箔押しされている。


「ありがとう。けど誕生日、明日だけど?」


 「ここで?」と苦笑いする京子に、朱羽は「もぅ」と小さな唇を(とが)らせた。


「去年約束したでしょ? 京子が来年も一人でここに来るなら、私が一緒に居てあげるって」

「あぁ、そんなこと言ってたね。忘れてた」


 朱羽は京子にとって唯一の同期生だ。彼女の左手首にもまた銀色の輪がある。キーダーの印だ。


 ここに来るのは今日で五回目だった。『大晦日(おおみそか)白雪(しらゆき)』があった翌年から、毎年ここで花を手向(たむ)けている。

 朱羽には申し訳ないが、今日ここに一人で来るのは一年前から決まっていた気がした。


 年末の早朝の墓地は静けさに包まれている。

 丘から見下ろす先には、白銀に光る『大晦日の白雪』の慰霊塔(いれいとう)が見えた。空を突き刺すようなその姿は、あの日空へと立ち上った光を模したものだという。


 向こうでは今、総理大臣クラスの来賓を迎えるために朝から式典の準備をしている事だろう。

 慰霊塔の前に設置される大きな祭壇は、毎年のテレビ中継で何度か見たことがあった。

 当事者の誰もそこにはいないのに、光の立ち上ったその場所に祈ることで事件を美化しようとする国の対応に吐き気さえ覚える。


 けれど、ここへ来ることで現場に背を向ける自分こそ逃げているののかもしれない。

 あの日何もできなかった。駆けつけた時には全てが終わっていたのだ。


「京子、桃也(とうや)くんの花あるよ」


 朱羽は(だま)る京子の背をそっと叩いた。

 閑散(かんさん)とした墓地で、そこにだけ花束が供えられている。

 ピンク色のガーベラは中に眠る少女が好きだった花で、京子の持参したカサブランカと同じ白いリボンが結ばれている。彼もまた、現場に行くことなく毎年ここで同じ花を上げていく。


 京子は花を重ね、墓に刻まれた三人の名前を目でなぞった。

 「安らかに」と手を合わせる相手は、桃也(とうや)の両親と四つ年上の姉だ。彼らはあの日桃也を残して、立ち上った光に巻き込まれた。


「今年は桃也くんと来るだろうって予想してたんだけどな。()けてたのよ?」


 花を置いて立ち上がった朱羽が、急にホッとした顔でそんなことを言う。


「賭けって誰と?」

「一人でよ」

「一人で何を賭けてたの?」

「京子が桃也くんと来たら、あの人にもう一度告白しようって」


 嬉しそうに答える朱羽に、京子は「はぁ?」と顔をしかめた。

 賭けに勝ったら、朱羽はずっと好きだと言っている相手に想いを告白しようという話だ。それはあまりにも現実的ではないように思える。


「それって、負ける気満々だったでしょ。百パーセント私が一人で来ると思ってたよね?」

「そんなことないわ」


 朱羽は『年上キラー』の異名を持つ笑顔を広げた。


「相手が桃也くんだって聞いた時は驚いたけど、京子に恋人ができたって聞いた時は嬉しかったんだから。すぐに落ち込むし、突っ走るし、側で誰かが支えてあげた方がいいと思うもの」

「私ってそんなに面倒な性格してる?」

「してるわよ。自覚ないの?」


 はっきりと答えた朱羽は急に改まった顔をして、歩き出そうとした足を引き戻した。


「本当はもっとお互いが歩み寄ってくれると良いんだけど。言いたいこと言わないと、相手の本音まで(つか)み逃しちゃうわよ?」

「……分かってるよ。けど、朱羽はどうなの?」

「私はちゃんと言ったもの。大昔だけど……だから、私一人の気持ちの問題」


 プイと目を逸らした彼女に、京子は「今日はありがとね」と声を掛ける。


「朱羽も頑張って。今日はお陰で泣かずに済んだよ」

「いいのよ。私にとってもあの事件は重いから」


 ここに来ると涙が出る。今年もきっとそうなるだろうと思ったけれど、朱羽が横にいるだけで落ち着いていられた。


 時折吹く風が今日は少しだけ温かい。

 京子はグルグル巻きにしたマフラーを外し、(かばん)へ突っ込んだ。


「京子が桃也くんと付き合って、一年以上経ったのね」

「うん、早かった気がする」


 『大晦日の白雪』の翌日に出会ってからずっと会うことのなかった彼と、去年の夏に偶然再会した。何度か会うようになって、告白されて、今は一緒に住んでいる。

 その関係は少ない人間にしか話してはいないけれど、朱羽に嫉妬されるほど仲が良いと自覚はある。


 けれど彼と過ごす日々に、あの事件の話は殆ど出て来ない。

 あの日背負った後悔が、今も彼との間に薄い壁を築いているのだ。





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