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76 制服を着た彼

 一階の観客及びスタッフは搬入口(はんにゅうぐち)からの退避(たいひ)、二階から上は通常通り正面のゲートから出すという指示が回った。

 修司(しゅうじ)のいる四階に人の姿はなかったが、吹き抜けの階段から下の(ざわ)めきが伝わってくる。


 この危機的状況に一万を超える観客が気付いているのかは分からないが、誘導員の中に制服姿のキーダーがいれば有無を言わさぬ強制力になるだろう。


 四階の一番奥にある会議室の手前に、小さな血痕を見つける。

 (りつ)の行く手を示す赤色はその間隔を大分広げていたが、どうやらそこが近藤と落ち合う場所で間違いないらしい。


 開け放たれた観音扉のすぐ奥に彼女の後ろ姿を見つけて、修司は足を止めた。

 漂う気配に覇気(はき)はない。修司は足音を潜めて、立ち尽くす彼女にそっと近付いた。

 遠目に中を覗くと、並んだ机の向こうに別の気配がある。


「入れば? 二人とも」


 穏やかに響くその声を懐かしく感じた。

 先に修司の視界に入って来たのは、テレビや電車の中刷りで見た事のある恰幅(かっぷく)の良い中年男だ。その横で律と修司を迎えるのが、端正(たんせい)な顔立ちに笑みを(たた)える遠山彰人(あきひと)だった。


 律はべったりと血の貼りつく腕を強く押さえながら、彰人を見据えている。

 憮然(ぶぜん)とした彼女の表情に困惑が混じっていた。

 この事実を知らされていた修司でさえ、紺色の制服を着た彼の姿に違和感を感じてしまう。


 そんな空気を全く読まずに「よく来たな」と手を叩くのは、広い窓に映る夜景をバックにした近藤武雄(たけお)だ。


「何よ……銀環(ぎんかん)なんて付けてないじゃない!」


 律が威勢良く声を上げる。

 ブレザーの袖口から覗く彰人の手のどちらにもキーダーの銀環はなかった。ただ、初対面の時にしていたものと同じ、つるりとした装飾のない銀時計が左手首に巻かれていて、修司は「あぁ」と眉を上げる。


「その時計が銀環の代わりですか?」


 昔、能力を隠していた桃也(とうや)は、銀環の代わりに同等の効果がある指輪を付けていたという。だから、きっとそれもそうなのだと思った。


「ご名答。別にこんなのなくても問題ないんだけど、上のオジサンたちがうるさいからね。久志(ひさし)さんにお願いして、作ってもらったんだよ」

「久志さん?」

「まだ会ってないか。技術部の人だよ」

「銀環のないキーダーだなんて、おかしいじゃない。制服なんか着て、私を(だま)そうとしているの?」


 (わめ)くような律の声は震えている。


「騙そうとしてるんじゃなくて、もう騙したんだよ。前に言ったでしょ? アルガスの技術部はレベルが違うんだ。制服は滅多に着ないけど、今日は一般人も居るから紛れないようにってお達しが出てさ」


 そういえば山へ行った時に、彰人がアルガスの技術部の話をしていた。あの時はまさかそこに繋がりがあるとは想像もできなかったけれど。


「じゃあ貴方は、仕事だから私に近付いてきたの?」

「そう。最初から君は僕の敵なんだ。僕はキーダーで監察員(かんさついん)遠山彰人(とおやまあきひと)です。君の動向をずっと見させてもらったよ」


 躊躇(ためら)いなく肯定(こうてい)して、自己紹介をする彰人。

 怒りの衝動に()き出た律の瞳が彰人を睨みつけるが、当の本人は悪気など欠片もない様子でいつも通りの笑顔を見せる。


「君がバスクでホルスを選んだなら、その位のリスクを負うのは当然でしょ?」

「貴方、私を馬鹿にしてるの? じゃあ、あの山に来たヘリも貴方が指示したものだったっていうの?」

「そうじゃないよ。あそこに行く事は、君が僕を呼び出した時点でアルガスに伝えていたけれど、僕がアレをさせたわけじゃない。たまたま通りかかった仲間の、ちょっとした悪ふざけだ。僕も驚いたからね」


 あのヘリに乗っていたのは京子だと聞いている。だから、駅で彰人が電話していた相手は彼女だろうと修司は思った。

 京子が様子を伺いに来たことは、キーダーになった立場で聞くと仕事のように思えるが、彰人はそれを「悪ふざけ」だと言う。


 微笑んだ彰人の瞳が猟奇的に光る。口をつぐんだままの律に、彰人は首を傾げて見せた。


「君だってホルスのことを隠していたでしょ? 僕がキーダーかもって気付いてたんじゃない? だから、修司くんを先にホルスにしたかったんだよね?」

「そんなことないわ!」


 声を張り上げた律の気配が高まって、修司は慌てて身構える。


「そんなに興奮すると暴走するよ――させないけどね」


 彰人の注意に顔を背ける律。

 ゆっくりと気配が収まっていく。銀環がないからだろうか、京子や桃也と比べて律が放出させる気配の起伏(きふく)を強く感じる。興奮してはならないのは銀環のないバスクの鉄則だ。


 律は昔恋人を戦いの中で失ったという。その悲しみで暴走しそうになったところを、(かたき)である男に命懸けで助けられたのだ。


「君が事を急ぐから、僕も大変だったんだ」

「何言ってるのよ。貴方がキーダーの訳ないじゃない。キーダーはあんなに強くないのよ? 貴方の強さはキーダーのものじゃないわ」

「僕はバスク上がりなんだよ。二年前のアルガス襲撃は、僕と父が起こしたものだ。敷地の鉄塔が二本倒れたのを覚えてる? あれをやったのは僕だからね」


 律の瞳が大きく見開く。修司は綾斗の言葉を思い出し、「あっ」と声を漏らした。


「もしかして、京子さんが長官の胸像を吹っ飛ばした相手って、彰人さんだったんですか?」

「そんなこと聞いたの? 京子ちゃんは自分から言わないだろうから、綾斗(あやと)くんから?」


 修司は「はい」と答えると、彰人は「あれは驚いたよ」と額の端を指で撫でた。


「そうか、それは素晴らしい。いいよ、その力。ぜひ欲しいね」


 もはや風景だった近藤が突然パチパチと手を叩いて、肩で風を切りながら前に出てきた。






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