72 アルガスの彼女と、ホルスの彼女
能力者が感じ取る力の気配というのは、その強弱や波を読む程度で個々の識別や状態などはハッキリと分からない。
けれど今そこにジワリと漂う緊張を、修司は彼女の気配だと直感した。
「律さん……」
そうでなければいいと思った次の瞬間、階段を駆け上がってきた彼女の姿に修司は落胆を隠すことができなかった。
「修司くん……」
二人に気付いた律が踊り場で体を翻して立ち止まると、くすんだ桜色のロングスカートがくるりと円を描いて広がる。
服装もウェーブのかかった長い髪も記憶のままなのに、いつもの笑顔はそこにない。感情のない別人のような表情が修司を見据えていた。
京子は修司を背中へと庇い、律を睥睨する。髪をかき上げた左耳に通信機と思われるイヤホンが付いていて、その状況を報告した。
「安藤律と接触しました。四階ロビーです」
機械の奥で何か音が鳴って、京子は「はい」とマイクを切る。ゆっくりと階段を上ってきた律を睨みつけながら声を掛けた。
「貴女には会ってみたいと思ってたの」
「そうね、いずれ会うだろうとは思ってたわ」
律の言葉が強い音を発する。彼女はこんな女性だっただろうかと首を傾げるが、これが彼女の戦闘モードなのだと修司は理解した。
「ホルスが近藤の誘いを受けなかった判断は懸命だと思う。けど、それなら今日は何しに来たの?」
能力を金で買おうとした近藤の野望を、ホルスは断ったという。
「キーダーの貴女に褒められるなんてね。この力はあんな奴の為に使うものじゃないことくらい、アルガスの貴女たちよりちゃんと理解してるわ。だから私はホルスで居るんだもの。けど、あの男があんまりしつこいから、今日は誘いに乗ってみることにしたのよ。あの男の目論見に力を貸すのは不本意だけど、ここでキーダーと接触できるのは悪くないと思って。私たちホルスがアルガスの脅威であることを知らしめる為にね」
「少なくとも、アンタ達の頭がイカれていることは分かった。お互いアイツに踊らされたわけじゃないってのは理解したけど、アンタはそんなにホルスがいいの?」
怒りを吐いた京子に妖艶な笑みを見せつける律を、修司は静かに睨みつけた。この状況を彼女がとても喜んでいるように見えたからだ。
口元に当てられた真っ赤な爪にさえ嫌悪感を抱いてしまう。
修司は込み上げる衝動を抑えきれず、京子の横に踏み出した。一瞥したモニターからは歓声と軽快なメロディが流れ続けている。
「律さんは何がそんなに楽しいんですか? そんなに戦いが好きなんですか? ここにはキーダーとホルスだけじゃない、一般の人がたくさん居るんですよ?」
譲が中に居ることが心配でたまらなかった。けれど律はそんな言葉にも表情一つ変えない。
「修司くんはそっちに行ったんでしょう? 私を選ばないなら、自分の仕事をすればいいじゃない。キーダーが人類の盾なら、覚悟はできてるってことよね?」
「勝手なこと言わないで」
冷静さを装った裏で、今にも爆発しそうな感情が京子の中に煮えたぎっているのが分かる。
対する律は、その状況を楽しむかのように挑発的な言葉を投げつけた。
「第一、どうして銀環で制限されてまで他人のために戦わなきゃならないのよ」
「それは俺だってずっと思ってました。けど、アルガスに来て俺なりに納得したっていうか。キーダーは国の犬でもただの駒でもない。ちゃんとそれぞれ自分の意思で動いてる。銀環は枷なんかじゃないんです。未来で後悔しない為にも、俺は律さんにも銀環をして貰いたい」
ただ、がむしゃらに今の気持ちを伝える。そう言えるようになったのは、桃也の過去を知ったからだと思う。
けれど律の反応は、予想よりも大分薄かった。
「もういいよ、修司くん。私はホルスを選んだんだし、変えるつもりもないのよ。だから、お互いの仕事をしましょう」
空気がざわついている。荒ぶった京子の気配に対抗して、律も戦闘態勢に入った。





