アントナイト
ペルレ大迷宮から戻って来て翌日、俺は『幸運のブーツ亭』のベッドで目を覚ました。迷宮で疲れたせいか、前日の夜の襲撃のせいか、起きた頃には既に9時頃にはなっていた。日本の休日ならそこまで遅い時間ではないかもしれないが、夜明けと共に起きるのが基本のこちらの世界ではかなり遅い起床となる。
「朝飯を食いに行くか。」
「承知した。」
俺は、ヴァルブルガと二人で下に降りて朝食を取る。二人の間に会話は少なく、いつも以上の距離を感じるが、そこに文句を言うつもりはない。
朝食のメニューはパンとスープ。パンは人の顔程もある、膨らんだ円盤状に固く焼かれた物で、それを4等分にカットした物が一人分だ。スープは昨日のオートミールの残りをお湯と少量の野菜で増量した物か。
食べ終わった頃に、給仕の少女ニコルが少し意地悪そうな笑みを浮かべてやって来た。
「もう、レンさん。起きるの遅いですよ。
こんな時間に食べるの、レンさん達だけなんですからね。」
「ああ、ごめん。気を付けるよ。
昨日は大迷宮に入っていて疲れてたから。」
「え~~~っ、レンさん冒険者なんですか。
商人さんかと思っていました。」
「いや、商人だよ。
大迷宮でいい物が仕入れられないか調べてるんだ。」
「すご~~~い、頑張って下さいね。
でも、夜は頑張りすぎて起きられなくならない様、気を付けて下さいね。」
くそ、それが言いたかったんだな。10代っぽい女の子にそんな事を言われると、恥ずかしいし対応に困る。
「ああ、面目ない。」
俺は食器を片付けて行くニコルの三つ編みを見送った。
朝食を終えた俺は、シルキースパイダーの布を売った仕立屋に来ていた。
「なあ、ペーターさん。前に言っていたアントナイトだが、
採掘してた奴らって覚えてるか。」
アントナイトというのは地球には無い青い金属で、銅より高く銀より安い金属だ。大迷宮で採掘できるらしいが、最近採掘する者がおらず不足しているらしい。衝撃に弱く硬度もそれ程でもないので武器防具には使えないが、色は綺麗なので家具や調度品、安価な装飾品に使われるとの事だ。
「『宝石土竜』って採掘専門の冒険者パーティーが居たんだが、
3年前に中核メンバが怪我して引退したんだ。
取って来てくれるのかい?」
このペーターさんは王都の布問屋ヴィルマーさんの長年の取引相手であり、ペルレの仕立屋の顔役の様な人物でもある。俺は以前来た時に、ペルレの仕立屋達がアントナイトのボタンを手に入れたがっていると聞いたのだった。
割とニッチな需要だが、後ろ盾の無い俺の様な零細商人には、シルキースパイダーの糸の様なメジャー商品よりも手が出し易い。なお、シルキースパイダーの糸の採取場は『笑い蜘蛛』という組織が囲い込んでいる。
「まだ行けるか検討してる段階だよ。」
その後、アントナイトについて色々聞き取り、『宝石土竜』の一人、黒ひげのトビアスの住所を聞いてペーターさんの店を後にした。トビアスは解散の原因となった怪我をした冒険者だが、幸い小金を貯め込んでいて、ペルレの外壁近くの小さな店を買い取って夫婦で雑貨屋をしているとの事だった。他のメンバの行方はペーターでは分からなかった。
俺とヴァルは職人街の仕立屋を巡ってアントナイトや『宝石土竜』、他の需要のありそうな迷宮産の物資について聞いて回ったが、ペーターさんから聞いた以上の大した情報は得られなかった。
起きるのが遅かったのもあって、職人街を回るともう2時過ぎになってしまった。ヴァルが恐ろしい目つき(通常運転)で空腹を訴えて来たので、大通りに戻って屋台を探したが半分以上は閉店していた。
ペルレに来て気に入っていた肉巻きの屋台も店じまいを始めていたので、仕方なくチョリソーと砂糖の入っていないビスケットという微妙な組み合わせのランチになってしまった。
いつもの肉巻き屋が帰って行くのとすれ違ったので、俺は何の気は無く声を掛けた。
「ちょっと、遅かったな。もうお終いかい?」
「ああ、兄ちゃん。もう売り切れ御免だぜ。
ガッハッハッ。」
この浅黒い陽気なハゲは、小柄な割に銅鑼を鳴らす様な大笑いをする。思わず数人の通行人が振り返っていた。そう言えば、このオヤジも元冒険者っぽい風体で、足を引き摺っている。そんな都合の良い偶然が俺にあるとは思えないが、一応聞いてみるか。
「なあ、アンタ。
昔、『宝石土竜』ってパーティーにいた黒ひげのトビアスって知らないか?」
「えっ、俺だけど?」
えっ、コイツなの。確かに小柄な割に筋肉質でモグラっぽいけど、髭ないじゃん。
アントナイトの鉱床の場所について聞くと、店の後片付けを手伝わされ、彼の家への運搬まで手伝わされたが、そのまま彼の家で奥さんにお茶をもらいながら話を聞く事が出来た。鉱床への案内は断られたが、採掘の仕方等については教えてもらえた。
そして『宝石土竜』のメンバでは無かったが、何度か荷運びに雇ったディルクという男ならまだペルレで冒険者をしていると聞けた。ディルクは『酔いどれ狸亭』という酒場にいる事が多いらしい。
その日の日暮れ頃、俺とヴァルは件の酒場を訪れた。
ドガン。ザザー。
そして丁度その時、例の酒場からトビアスから聞いた風体の男が投げ出され、俺のつま先の前に顔面を打ち付けたのだった。




