亜人の顎
第4区との境界まで行って『赤い守護熊』とコボルトの戦闘を観戦すると言った時、インゴ達だけでなくヴァルブルガまでゴチャゴチャと言っていたが、結局リスクは少なく益のある事なので大した時間も掛けずに説得できた。
俺達は今、上り傾斜の横穴を進んでいる。ここを登り切った先は第1区の大空洞程では無いものの、ある程度の広さの空洞になっているハズである。空洞に光が漏れ、中にいる者に俺達の存在がバレない様、松明やランタンはなるべく足元へと下げている。逆にここからでも空洞から光が漏れているのが分かる。
冒険者ギルドの地図ではこの空洞に『亜人の顎』という名がつけられ、ここからコボルトやゴブリンが潜む第4区となる。そして空洞からは罵声や雄叫び、金属音が聞こえて来る。『赤い守護熊』とコボルト達の戦いはもう始まっている様だ。先を進むインゴ達には絶対に見つからぬ様、注意して進めと命じているが、そうでなくても緊張からその歩みは遅くなっている。
「見えたぞ。」
登り切ったインゴが後ろを向き、小声で呼び掛けた。俺とヴァルブルガも岩場に手を掛けながらそろそろと『亜人の顎』へと近付く。俺達は『亜人の顎』の入口に広がって体を地面に伏し、頭だけを出して中を覗き込む。空洞は入口を境にややすり鉢状に傾斜しており、ここから全体を見下ろせるのは都合がいい。
空洞のそこ彼処には松明が撒かれ、全体が一定以上の明るさに維持されている。恐らく『赤い守護熊』が戦闘前に準備したのだろう。これで洞窟の暗さによる不利はだいぶ緩和される。戦闘前にさっとこの様な設置が出来るのも人数を活かした戦術だろう。見習たい。
さて戦闘の情勢はと言えば、『赤い守護熊』がコボルトを『亜人の顎』の反対側、ここと同じくらいの大きさの横穴の前で半包囲して抑え込んでいる形だ。もっともここから100mは離れているので肉眼では詳しい様子は見れないが。ただし、俺は『探知スキル』のせいか肉眼以上の情報が拾える。
凡そ『赤い守護熊』達人間側の戦力は50人程、対してコボルト側は200体はいる。数ではコボルトが上だが、コボルトの1体当たりの強さは俺の『探知スキル』では人間側の半分から7割くらいに感じる。さらに半包囲の中央に位置する『赤い守護熊』の正規メンバと思われる30人程の集団は、左翼、右翼側に比べて1人当たりで1.5倍から4倍は強そうだ。
さらにコボルト側は横穴の前で団子になって包囲されているので、戦力を全部使う事は出来ず、逆に人間側は半包囲しているせいで、全戦力を使えている。何も無ければ、このままコボルトを擂り潰せるかもしれない。何だかタワーディフェンス物のゲーム画面を見ている様な気がして来た。そういえば、『命知らずの狂牛団』はきっと右翼か左翼にいるんだろうな。
「おい、ここからじゃ良く見えねぇよ。
もっと近付こうぜ。」
しばらく眺めていると、インゴがそんな事を言い出す。まあ、肉眼だけならそんなもんか。俺は当然断る。
「ダメだ。これ以上近付いたら巻き込まれる。」
「そうよ。危ないから止めようよ。」
エラはビビっているのだろう。俺に同調する。そこで動きがあった。
「ここまで来て、それじゃあ意味が無いだろう。
寧ろ力を貸してやれば、」
「下がるぞ。」
俺はインゴの言葉をぶった切った。
「何だと。」
「コボルトの増援だ。50m下がる。」
俺は有無を言わせず、下がり始める。それを見てヴァルが、そしてヨーナスとエラも下がり始める。
「増援なんて。」
「ヨーナス、インゴを引っ張って来い。早くしろ。」
そこまで言えば、インゴもこちらを睨みながら渋々下がる。俺の探知によると、左右から100ずつのコボルト(?)が回り込んで来る。
『亜人の顎』はこれまでの洞窟と同様、俺達のいる横穴や、『赤い守護熊』が包囲している横穴の様な大きな物だけでなく、地図に無い様なもう少し小さな横穴や岩の割れ目の様な隙間が沢山ある。コボルトはそういった“小道”を通って『亜人の顎』の外側から『赤い守護熊』の背面に回り込もうとしている。
そして、回り込んだコボルトが『亜人の顎』に飛び出したのだろう。罵声や怒号が大きくなった。戦いの騒音が大きくなり、悲鳴も聞こえた気がした。周りを見回すと俺の連れは皆、身を伏せて息を潜めている。ここでやっとコボルトの増援を信じたのだろう。
『亜人の顎』から聞こえる喧噪を聞きながら身を潜め、『探知スキル』で様子を伺う。どうやら『赤い守護熊』の正規メンバはすぐさま円陣を組んで内側のメンバを守り、右翼、左翼の臨時メンバは円陣の外側に放置されてコボルトの波に呑まれ、右往左往している様だ。ここまでコボルトの消耗は約60体。これに対して人間側は正規メンバ以外で5人程が倒されている。
「よし、もう一度上に戻って様子を見る。」




