七話 救済
Ⅶ救済
「左翼歩兵、騎兵ともに壊滅しております!」
「矢の存亡率が五割を超えました!」
本陣でアルフレッドは、斥候の報告が来るたびに冷や汗をかいていた。
デーン人の大軍を相手取って三時間が過ぎた。
前線での剣戟と人の叫び声がここまで聞こえる。
「くっ、もう持たない…」
このアッシュダウンの地で三日間襲撃に耐えてきた。
その多くはただの小競り合いで、両軍が大打撃を受けることなく続いた。
しかし、今回は違う。
相手の旗が多く見える。
「どうやらこの戦で我々を討つつもりらしい」
兵も多く、勢いも前とは違う。
このままでは一方的に制圧されてしまう。
「マエルは…マエルの方はどうなっておる?」
「マエル卿のいる右翼前方はまだ耐えております。」
斥候は言った。
―戦況に変化を加えたい。
アルフレッドは覚悟を決めた。
「諸将、ここにいる者、聞いてくれ。一策投じる。これ以上は死なせるわけにはいかぬ。失敗したら、私も討ち死にする覚悟だ。」
「何を…エゼルレッド王の援軍も直に来まする。ここは防戦しましょう」
騎士の一人が言い冷めたが、アルフレッドは首を振った。
「防戦?そんなことしていたらあと二時間も持たない。馬を引け。」
「マエルにも伝達してくれ。あと―」
「私を信じてくれと伝えてくれ」
「御意」
斥候兵は陣を足早に去っていった。
「騎兵一万、私についてこい。その他の者たちはここでおのれの責務を果たせ」
「まずこのアッシュダウンの森の左を抜け、丘の上で一時待機だ」
アルフレッドは馬首を左に返し、騎兵を率いてかけて行った。
丘の上に着いた。
―まだ敵の本隊は動いていない。ならば引きずり出して混乱させるまで。
騎兵の隊長たちに何事か言い含めると、全軍の前に立った。
「これより左翼前方の敵を討つ!一切の容赦はするな。突撃!」
丘から勢い良く下り、左翼の敵に向かって一直線に向かっていった。
急に攻撃してきた騎兵により、混乱状態になった。
アルフレッドも自ら剣を抜き、敵と剣戟を重ねて奮戦した。
一方、右翼の一軍を率いていたマエルはアルフレッドの策を聞くと、
「仮に、その突撃がうまくいっても―左翼に残っている敵と敵本陣からの援軍で挟み撃ちにされてしまう。ここは―」
近くの者に策を授けた。
「しかしまだ動くな、すぐに動けば味方にも被害がでる」
「このマエルが合図をしてから行ってください」
そう言うとマエルは得物の槍を取って敵に向かっていった。
マエルの軍を攻撃していたのはデーン人の戦士長の一人、イヴァ―ルであった。
馬に乗って躍り出てきたマエルを見てイヴァ―ルは吠えた。
「その黒甲冑…貴様!マダグランを斬った者か!」
イヴァ―ルは長斧を振りかざしてマエルに迫った。
マエルは一瞬ひるんだが、飛んできたイヴァ―ルの一撃を槍の柄で受け止める。
「貴様は我が兄弟同然の者を斬った。そのそっ首地面にたたき落としてやる!」
イヴァ―ルは再び長斧を振り上げた。
「どなたか存じ上げませんが、迫りくる火の粉は振り払うまで」
マエルは槍をしごいて馬腹を蹴った。
柔と剛がぶつかり合う一騎打ちとなり、お互いの得物の刃が刃こぼれするほどに激しく打ち合った。
「マエル卿に続け!」
ウェセックスの兵たちは鼓舞されデーン人に立ち向かった。
アルフレッドの率いた騎兵によって、左翼が持ち直し始め、残りの敵を掃討し始めたころ、戦場に大きな変化が起きた。
デーン人の将ハルダンとシーヴァルトは戦況を聞き、左翼に精鋭を放ったのである。
「シーヴァルト、今すぐに兵を率いて敵の新手に赴け。まだ我が軍は全滅していないはずだ。うまくいけば挟み撃ちにできる。」
「了解した。ただ騎兵はあんたが持っておけ。俺が育て上げた精鋭で十分だ」
「うむ、そちらに何かあれば、ここにいる本陣の騎兵を率いて俺も後詰めに入る。」
「行くぞてめえら!狙いは敵の騎兵だ!おそらく激しい戦いで疲弊している。皆殺しにしろ!」
うぉーっという怒声を挙げて精鋭は突撃して行った。
アルフレッドは左翼の馬上ですぐに気が付いた。
「敵の新手か…想定より少し早いな」
味方が壊滅状態から回復しているとはいえ、二時間近くにも及ぶ戦闘で、突撃した騎兵に疲労が見え始めていた。
「想定より少し早かった。でも…」
アルフレッドは少し笑った。
「かかったな」
デーン人が戦場の近くまで迫ってきた。
アルフレッドは近くにいたものから旗を受け取ると丘の上に向かって千切れるほど旗を振った。
すると丘の上から続々と騎兵が姿を現した。
アルフレッドの策とは騎兵を二つに分け、突撃を時間差で行うものであった。
「突撃に緩急をつければ敵は困惑するはずだ。騎兵の逆落としはまともにくらえばただではすまない」
「我が兵よ、勇敢に戦え!新手を撫で斬りにしろ!」
デーン人の新手は縦長に進軍していた。
その横っ腹に丘に隠れていた騎兵が突撃してきた。
アッシュダウンの森の外はこの丘以外見晴らしのいい野原なので、デーン人は丘の裏に騎兵が隠れているのを見つけることができなかった。
坂から下ると、いうまでもなく速度は速くなる。
馬となるとその勢いは計り知れない。
その突撃を人がまともにくらえば、鎧を着こんでいるとはいえ、文字通り吹き飛ぶのは間違いなかった。
二回目の突撃により、シーヴァルト率いるデーン人たちは吹き飛ばされ壊滅した。
「…しまった!」
多数のデーン人の精鋭が馬に吹き飛ばされた衝撃で命を落とした。
シーヴァルト自身も吹き飛ばされた衝撃で左手を負傷してしまった。
さらに視界も徐々に赤くなってきた。
「生きている者ども!中央を固めて向かいうて!」
必死に叫んだが立って戦えるものはわずかであった。
さらに追い打ちをかけるように、空から矢の雨が降ってきた。
「弓兵だと…ここまで読んでいたのか…」
この弓兵は、事前にマエルが何かあった時のために右翼から派遣した弓兵であった。
「マエルめ、何もしなくてよいと言ったのに」
アルフレッドは笑いながら呟いた。
そのころデーン人の本陣で報告を聞いたハルダンは唖然としていた。
「まずい、シーヴァルトの命が危ない!」
「馬を引け!騎兵たちに告ぐ!シーヴァルトを救出するぞ!」
ハルダンは手勢の騎兵を引き連れ、向かう途中、ウェセックスの騎兵に疑念を向けた。
「ここまで騎兵の統率が取れているとは思わやんだ。司令官の手腕が良いのか―」
「もはやこちらも今まで通りの力技ですべてを制するとは思わない方が良いな」
「ブリテン人どもの発展も目覚ましいという事か」
ハルダンは手綱を左手に持ち直して、腰の剣を抜いた。
「突撃だ!シーヴァルト達を救え!」
「またしても新手か。こちらも迎え撃て!」
アルフレッド率いる騎兵もそのまま迎撃した。
騎兵と騎兵がぶつかり合い、両軍多くの兵士が戦場に屍を晒すことになった。
激戦の戦場の中で、ハルダンは敵の司令官を探している。
「シーヴァルトを助けよ!俺は敵の頭を狩る!」
両軍の騎兵が入り乱れ、ハルダンは一人ウェセックスの騎兵の陣を縦横無尽に駆けた。
「どけ、名のない雑魚に俺は興味ない」
腕力にものを言わせ、騎兵の鎧ごと剣で叩き殺していった。
一方、アルフレッドもこのまま騎兵で押し切るか、あるいは既に相手に損害を与えたのでいったん退却するか、判断に悩んでいた。
「多くの敵を倒したとはいえ、味方も疲労困憊だ。最初の攻撃で左翼前方の死者も多い。矢も尽きかけている。頃合いだな」
アルフレッドは決断した。
「全軍撤退!ここはいったん引く。陣に戻れ!」
それが伝達されると、騎兵は防御態勢をとり、次々と引いていった。
「今、南から北にウェセックスの伝達兵が通ったな。なるほど…司令官は南方か!」
ハルダンはそれを見るや、手勢を引き連れ南に馬を進めた。
本気で司令官を討つと決めたのである。
剣戟が響きあう中、南に一直線馬を駆けるとウェセックス王国の旗の中で時に大きいものを発見した。
「そこか!討たれたものの恨み、晴らさせてもらうぞ」
周りにいたウェセックスの兵士をなぎ倒すと、一人だけきれいな鎧を付けた青年の顔が見えた。
二人ははっと目を合わせた。
「あの時の吟遊詩人⁉」
ハルダンは仰天した。
「王弟殿下を守れ!」
周りの騎士たちが寄ってきた。
「王弟だと…貴様、エゼルレッド王の弟アルフレッドか!」
―このような若造に、我が軍は劣勢を強いられていたのか…!
ハルダンは歯ぎしりした。
目は血走っている。
「貴様!逃げるつもりか!このまま戦え!」
ハルダンは剣を振りかざした。
が、アルフレッドは静止したまま動かない。
「貴公の軍勢も既に痛手を負っている。我が軍もそうだ。これ以上戦えば、お互いにただでは済まない。ここはお互いにいったん引き、また後日雌雄を決しましょう」
この青年、堂々としておる。他のブリテン人の将とは雰囲気が違う―感じがする。
ハルダンは思った。だが引き下がるわけにはいかない。
「雌雄を決する?そんなもの噓偽りというのは分かっている。エゼルレッド王の援軍はまだ来ぬぞ!」
何―
何故、兄が来ることを知っている?
アルフレッドは背中に冷たい何かが流れ落ちるのを感じた。
「野獣風情が、殿下に口を利くとは!」
何か言おうとしたその時―一人の騎士がハルダンに斬りかかった。がそれが彼の最後の言葉となった。
「脆弱なブリテン人が。出過ぎた真似をするな!」
一刀のもとに切り殺した。
その一撃は速く、そして重く、騎士の死体がアルフレッドの前まで転がってくるほどであった。
「また死んだぞ。お主が下らぬからだ。これ以上抵抗するのなら、ブリテン全土は血の海となるぞ!」
剣に血がしたる。
これまで斬ってきた血も混ざり、剣が赤い色とは程遠い褐色になりかけており、不気味に見える。
その剣のいでたちはまさに百戦錬磨を物語っていた。
しかし、アルフレッドはひるまない。
「ならばそうならぬよう、最大限努力する」
震えている。
悟られてはいけない。
自分は兄王に一軍を任された司令官なのだから。
敵を前に臆してはいけない。
アルフレッドはハルダンに構わず後ろを振り返り、退却した。
その時だった。
伝令兵がアルフレッドの方に飛んできた。
「殿下!殿下!大変です!マエル卿が深手を負い、さらには右翼も既に崩れかけております!」
「なんだと⁉マエルは無事なのか!」
「意識が朦朧としているようでした。生死は…わかりませぬ」
「あのマエルが…こんなことは初めてだ」
「殿下。ご命令を」
「引け!本陣まで戻るぞ!」
御意、と伝令兵は駆け去った。
信頼する部下に深手を負わせ、兵士も多くを失った。
こんな司令官いいはずがない。
アルフレッドは自分を責め続けた。
戦争とはそういうものだと言ってしまえば楽になる。
しかし傷ついたものを前にしてそのようなことは絶対に言えなかった。
本来このようなことはあってはいけない。
戦場に変化をつけたのはあっていたかもしれない。
しかしそのせいで失った命もある。
間違いだったか。
いや、戦争に正しいも間違いもあるか―
様々な考えが自分の中に交錯している。
本陣の手前まで来た。しかし、後ろにはデーン人が逆襲と言わんばかりに迫ってきている。本陣の手前まで来た。
「確かに我々も痛手を負っているが、敵もそれなりに被害はあるはず。なにが彼らを駆り立てているのだ?」
その時、デーン人の陣に潜入した時のことを思い出した。
―我々の故郷は氷の島国で、とても寒い。そのため作物が育たないのだ。
―豊かな地を求めるのは当然だろう。
敵にも理由がある。
敵にも家族がいる。
しかし、戦争を仕掛け、民を殺す理由にはならない。
「まずい、皆はもう疲れている。」
策は尽きた。
もはやこれまで、と覚悟を決めた。その刹那―。
北から新手の軍勢が鬨の声を上げてきた。
その場にいた者たちは敵味方関係なく一同は何が起きているのか、分かっているものはいなかった。
アルフレッドは視界に旗のようなものが見えた時、目頭が熱くなり同時に目が潤んだ。
「あれは…ウェセックスの旗…‼」
自身も少しのかすり傷を負い、身も心もすり減っていた。
でも今はそんなことはどうでもよかった。
「兄上‼」
こんなに大きな声を出したのはいつ以来だろうか。
馬に乗った騎兵、多くの歩兵。多すぎて槍が林のように並んでいる。
普通の人が見たら、物々しく、あるいは荘厳にも見えるだろう。
その日の青年の目には、すべてが美しく見えていた。
報われた―。
守り切った。
アルフレッドはそう思うと疲れと緊張のあまり馬上で気を失った。
逆に二度目の不意を突かれたデーン人たちは崩れた。
「新手か…しかしあれは…!」
ハルダンは悠々と靡くウェセックスの旗を見た。
「来たな…ウェセックス王エゼルレッド!」
立て直して立ち向かおうとしたが、一人の人物の登場に絶望することとなった。
「民を蹂躙することしか能がない獣方、久しいな。」
大型のランスを振りかざす筋骨隆々の騎士が突進してきた。
「我こそはウェセックス王国大騎士長、エーラーンなり‼」
地を揺るがすような大喝を食らわせる。
デーン人の戦士が数人、この突撃により即死した。
これには腰を抜かすものも少なくなかった。
「ひけ、ひけー!」
たまらずにハルダンは退却命令を出した。
「王に加えて、大騎士長だと…我が王、ウェセックス国内はどうなっているのだ」
本来、これほどの兵や司令官は戦いには割かない。
本国の守りが薄くなるからだ。
これはもはや全面戦争の宣戦布告と言えるだろう。
「これはもはや総力戦だな。出し惜しみは無しだ。ならばこちらも容赦はしない。」
「すべては故郷のために」
ハルダンは覚悟を決めた表情で退却した。
両軍が退き、夕方になった。
気を失ったアルフレッドは陣幕で目を覚ました。
あたりを見回すと、人がいることに気づいた。
「兄上…!」
「アル、待たせたね」
エゼルレッドが椅子に腰を掛けている。
「戦況は…あとマエルは…あと何より…賢人会はどうしたのですか?兄上の出陣を反対していたはずですが」
「いっぺんに色々聞かないでおくれ、慌てる必要はないよ」
いつも通りのやさしい兄王だ。
「敵は退いたよ、多分陣に戻ったね。今はエーラーン達が見張ってる」
「あとね、マエルは無事だよ。ただ彼には少し休息が必要だね」
「兄上、申し訳ありません」
アルフレッドは頭を下げた。
「味方が大勢死にました。すべて私の責任です。」
「いいや、アルはよくやったよ。ただ―」
「蛮族の皆様にはしっかりと、この代償は払ってもらうさ。」
二人は頷き合い、陣幕の外に出た。
「夕焼け、きれいだなぁ。進軍してるときは曇りの日が続いたけど、晴れてきた、かもね」
エゼルレッドは振り返って、言った。
「そうですね。少しずつ、でも確実に…」
雲はまだ厚い。
前回空を見上げた時よりも僅かに夕焼けが美しく見えた。