五話 夕日
Ⅴ夕日
「ブリテン人どもはやはりアッシュダウンに陣をかまえているらしい」
アルフレッドを追撃した後、デーン人達は周辺の教会や集落を襲って情報収集していた。
デーン人の戦士長、シーヴァルトは、懐から紙切れを取り出し、ハルダンに渡した。
「だが、“彼”が言うには、エアルドルマン大公が北に出陣したとか」
「エアルドルマン大公はどのような人物だ」
「長年、ウェセックスに仕えている老将だな。あまり、我々とは相対したことはなかったが…」
シーヴァルトは思い出すように言った。
「“彼”は何をしてたんだ?ウェセックス王の出陣を止めさせて、王弟だけ戦場に出すようにしていたはずだが」
「欺かれたのだろう。敵陣営にも切れ者がおるな。」
「どうする?我々の軍を二手に分けてその大公とやらを倒しに行くか?」
「いや、北と言うと…我らが王、グスルムがマーシアの残った勢力を掃討しておる」
デーン人の軍勢は大きく分けて二つある。現在、ウェセックス王国を攻めている総大将はハルダン、そしてマーシア王国を攻めているのがデーン人の王グスルムであった。
二手に分かれて北と西から攻め、ブリテンを平らげようとしていたのである。
「北は我が軍の範囲外だ。逆に行軍中に奇襲でもされたら目も当てられん。ここはわれらの王に対処願おう」
ハルダンとシーヴァルトは陣幕の外に出た。
「次の攻撃はいつにする?」
「できれば、今すぐにでも目の前にいる軍の司令官を殺したいものだが」
そう話していると、イヴァ―ルが走ってきた。
「おい!まずいことになった!ウェセックス王エゼルレッドがこちらに向かって出陣したとのことだ!」
ハルダンは血相を変えた。
「どういうことだ⁉」
「“あいつ”め…しくじったな」
シーヴァルトの顔が曇った。
「全軍に通達!いつでも出撃できるよう、装備を整えよ!」
近くにいた伝令兵にハルダンは言った。
「待て、今部下たちの大半は近くの集落を略奪中でかなり出払っているぞ」
イヴァ―ルは首を振った。
「それに、敵の本拠地のウィンチェスターからここまではそれなりの距離がある」
「となると、まだ十日ほどの猶予があるな」
シーヴァルトは顎を撫でた。
「イヴァ―ル、兵を集めよ。今後の俺からの許可が下りない限り、集落や教会での略奪を禁ずる」
了解した、と言ってイヴァ―ルは馬に乗って駆けて行った。
「しかし―なぜこちらにウェセックス王が来るのか不思議だな。我々の軍よりはるかにグスルム王の方が軍勢は多い」
「その大公とやらは一人でわれらの王を止めるつもりなのか?」
「それとも少ない方から各個撃破していく戦術なのか―」
言いかけたその時、二人は剣の柄に手をかけた。
「曲者!出てこい!殺してやる!」
ハルダンの大声が響き渡った。
林の草むらからフードを被った人が現れた。
「我々の陣に忍び込むとは、いい度胸だ!その肝っ玉に免じて苦しまずに殺してくれよう!」
「いえいえ、忍び込んだのではなく森の中で迷ったのでございます」
出てきた男はフードを脱いで言った。
「貴様何者だ!」
「私はしがない吟遊詩人でございますよ。国中をぶらりと歩き回り、詩を作っては人に聞かせて聞いた人の記憶に残る物語を語るのが生業でございます」
―いかにも弱そうな若造だ、殺すまでもないだろう。
シーヴァルトはハルダンに目配せし、二人は剣を鞘に納めた。
「我々が何者か、知っているのか?」
「知りませぬ」
若い吟遊詩人はきょとんとした顔で言った。
「鎧をお召しになっていますが、このあたりで戦いがあるのでしょうか?」
「何も知らないのか」
「田舎育ちなもので―」
へこへこと吟遊詩人は頭を下げた。
「俺はデーン人のハルダンだ!お前らブリテン人からは異民族やら異教徒やら呼ばれているようだが、数年後、ウェセックス王国を滅ぼし、この地域一帯の王になる男だ!おぼえておけ!」
ハルダンはぎょろりとした目で、吟遊詩人を睨みつけた。
「それは恐ろしい…こんな勇猛な方に攻められたらひとたまりもない」
吟遊詩人は小さく言った。
「なぜ、この地を…ブリテンを攻めるのですか?デーン人と言うと…北の島国からはるばるこの地に来たということですよね?」
「なぜって…お前面白いことを聞くな」
イヴァ―ルは面を食らったような顔をした。
「我々の故郷は氷の島国で、とても寒い。そのため作物が育たないのだ。」
「豊かな地を求めるのは当然だろう」
「その…他国の民を殺してでも…?ですか?」
吟遊詩人はすまし顔で言った。
「弱い奴が悪い」
ハルダンは言い切った。
「弱い者は淘汰され、強い者が勝つ。これは古の理だ」
「強い者こそ、弱い者を守る義務があると思いますが?」
「それは弱い奴のいうことだ」
吟遊詩人はうつむいた。
「…次はいつ進行するのですか?」
「それはわからない。…しかしなぜ吟遊詩人がそのようなことを心配する?」
―こいつ、本当に吟遊詩人か?
シーヴァルトは少し疑った。
「おぬし、吟遊を生業としているのなら、何か聞かせてくれ」
吟遊詩人は一瞬戸惑ったように見えたが、にこりと笑って頷いた。
「それでは、伝承にのみ存在したといわれている、アーサー王の武勲詩鈔をささげましょう」
アーサー王?ブリテンの王として今から三百年前にいたといわれているが―
ハルダンとイヴァ―ルは顔を見合わせた。
―存在したかどうかわからない王の武勲詩鈔など…まあいいか。
吟遊詩人はゆっくりと語り始めた。
“かつて、荒涼たるウェールズの地に、岩に刺さりし一振りの剣あり。”
“古より、其の剣引き抜きし者、ブリテンの王になりたる天命ありと言われ、”
“数多の戦士、王侯挑むも之を抜けず退く。”
“そこに、突然一人の若人現れ、引き抜く。”
“名はアーサー、亡国ペンドラゴン王家の血を引く末裔なり。”
“新王になりしアーサー、ウェールズを足場に外患討ちし、国興す。”
“公平たる政をなすべくアーサー王、麾下と円卓を組み、善政す。”
“程なくして、円卓の騎士でも高名高きランスロット、王妃グィネヴィアと姦通せむ。”
“アーサー王大いに怒り、ランスロット討伐の兵挙げ城を空けん。”
“空いた城にてアーサー王の子、モードレッド叛逆す。”
“カムランにて父子の手勢相まみえる。”
“モードレッド討ち死にせむが、アーサー王、大傷を憂い、”
“幻の孤島、アヴァロンにて事切れる。”
“その折、部下が、アーサー王の剣を湖畔に投げ入れ、”
“湖の巫女に剣を還す。”
“人々、剣を探すも見つからず。ブリテン再び戦乱の世になりけり。”
ハルダンは腕を組んだ。
「その剣は今も見つかってないのか?」
「はい。言い伝えでは西の果ての湖に―あるといわれていますが」
吟遊詩人は立ち上がった。
「私はこれにて」
「まて!まだ聞きたいことが―」
言葉を放った瞬間、右からひゅっと音がした。
「矢だと⁉」
ハルダンとイヴァ―ルは瞬時に伏せた。
またひゅっと音がした。
振り向くと近くにあった飲み水が入っている樽が射抜かれていた。
水がひたひたと地面を濡らしている。
「今のは一体―」
イヴァ―ルが周りを見渡したが、吟遊詩人の姿は見えなかった。
二人の将は呆然としていた。
「まったく、無理をなさいますな。殿下」
マエルは馬を走らせながら困った顔をして言った。
「なるほど、あれが彼らの戦う理由か」
「詩人の格好は見慣れませんな」
フードを脱ぎ、馬に掛けてあった剣を佩いた。
アルフレッドは三日ほど、吟遊詩人の格好をして、デーン人の陣営に忍び込んでいたのである。
「あの二人はかなりの手練れでしょう。殿下の身に何かあったらこのマエルの首が飛びます」
マエルは大きなため息をついた。
「終始はらはらしてました」
「それでも、得た情報はある。命をかけて行った甲斐はあった」
「“弱い者は淘汰され、強い者が勝つ”か…確かにそれは歴史の摂理だな」
アルフレッドは手綱を握りしめた。
―ならばこちらも彼ら以上に、屈強になればいい話だ。
―我が祖父エクバード王のように、歴史にこの名を刻んでやる。
森を駆けると草原に出た。
するとアッシュダウンの森とウェセックスの旗が同時に見えてきた。
王弟を示す旗も元気よく靡いていた。
「兄上が大軍を率いてこちらに向かっているようだ」
「それまで耐えなければいけませんな。エアルドルマン大公様も北の軍を防いでいるようです」
二人は馬の轡を並べた。
―あの詩に続きがあるとしたら。
アルフレッドは後ろを振り返り、空を見上げた。
天気は相変わらず曇りだが、わずかに夕焼けが垣間見えた。
白い雲に猩々緋色の光の筋が差し込めている。
“今再び、ブリテンに暗雲が立ち込めたり。”
“聖王の再来、祖国の導き手は何処に。”
アルフレッドは小さく呟いた後、力強くマエルを見た。
「行くぞ、マエル。戦支度だ」
二人は陣営に駆けて行った。